オバマ氏の広島訪問、日本の政治利用に米メディア懸念も 強調される“訪問=謝罪ではない”

 オバマ大統領が今月27日に米大統領として初めて被爆地・広島を訪問することが10日、正式発表された。G7伊勢志摩サミットを終えたその足で、安倍首相と共に広島の平和記念公園を訪れる。ただし、ホワイトハウスは、オバマ大統領が原爆投下について直接謝罪することはないと明言。「原爆投下は当時としては正しい判断だった」という米世論の主流に寄り添う歴代大統領の姿勢に変化はないようだ。

 これに対し、一部の米メディアは「それでも日本人は訪問自体を謝罪だと受け止めるだろう」などと懸念する。その一方で、広島訪問は「核兵器廃絶」を掲げて就任したオバマ大統領の“遺言”的な意味があるのではないかと、任期終了間際の動きを分析する識者もいる。

◆「プラハ演説」の最終章
 米国営放送『ボイス・オブ・アメリカ』(VOA)は、直前に予定されているベトナム訪問と合わせ、広島訪問はかつて戦火を交えた両国との「和解の力」を示す「遺言」の意味があるのではないかという米シンクタンクの東アジア・東南アジア政策専門家、ブライアン・ハーディング氏の見方を紹介している。米国内では一部で「謝罪ツアー」とも揶揄されているが、ホワイトハウスはこれを強く否定。ローズ大統領副補佐官は、「オバマ氏が第2次大戦末期の原爆使用決定を再解釈することはない。代わりに、我々(日米)が共有する未来に焦点を当てた前向きなビジョンを示すことになるだろう」というコメントを発表している。

 ハーディング氏は、オバマ大統領の任期終了間際の広島訪問は、就任後間もなく行った「プラハ演説」と対になる形で、最終章的な位置づけになるのではないかともVOAに語っている。プラハ演説では、オバマ大統領は、「世界で唯一核兵器を使用した経験のあるアメリカは、先頭に立って核兵器のない世界の平和と安定を追求する義務を負っている」と決意表明した。その理想がこれまでどれだけ前進したかはさておき、広島訪問によって、最後まで意志がブレていないことを示す狙いがあるのかもしれない。

 一方で、もし、オバマ大統領が広島でプラハで行ったような演説をするつもりなら、「誤解を招く大きなリスクを抱えることになる」と警告する識者もいる。笹川平和財団USAのジェフリー・ホーナン氏は「もし、オバマ氏が(広島で)演説をしたら、彼の言葉は誤解され、政治利用され、(メディアに)過剰に分析される危険性がある」とコメント。これを引用したUSA TODAY紙は、実際に4月にケリー国務長官が広島訪問をした際に、日本メディアはその言葉尻の一つ一つに過剰反応して「アメリカの謝罪」という視点の論調に終始したとし、オバマ大統領の訪問についても、たとえ直接謝罪がなくても「多くの日本人は訪問自体を謝罪だと受け止めているようだ」と書いている。

◆背景に「やむを得ない判断」という歴史観
 ニューヨーク・タイムズ紙(NYT)も、大統領の広島訪問が日本側の一部に政治利用されることを懸念する識者の意見を取り上げている。戦時中の日本の研究で有名なマサチューセッツ工科大学のリチャード・サミュエルズ教授は、「日本のアジアにおける破壊的な戦争行為を否定し、自分たちは犠牲者だと主張する右翼」らにとって、オバマ大統領の広島訪問は、「自分たちの主張が正しかったと証明する格好の機会となる」と述べている。

「謝罪」をめぐる米世論のこうした懸念の背景には、「原爆投下は多くの人命を救うためのやむを得ない判断だった」という米側の歴史観がある。原爆を落とさなければさらに日本の降伏が長引き、その結果直前まで計画されていた本州侵攻が実際に行われ、数万人単位の米軍側の犠牲者と計り知れない数の日本側の犠牲者が出ていただろう、というのがその根拠だ。米アイオワ州の放送局KCCIが紹介する同州の退役軍人のコメントが象徴的だ。真珠湾攻撃後に海兵隊に入隊し、硫黄島で負傷した後、本州侵攻に向かう船の中で広島への原爆投下の日を迎えたというライル・コラガンさん(93)は、同局の「私たちは日本に謝罪しなければならないと思いますか?」という質問に対し、次のように答えている。

「いや、そうは思わない。我々は、生き残るためにしなければならないことをしただけだ。日本民族の存続は、戦争を終結させ、我々が彼らの生活を維持するために入っていけるかどうかにかかっていた。これがその質問に対する答えだ。我々は何も謝る必要はない。それ(原爆)は広島を破壊したが、戦争を生き延びた残り98%日本の市民にとっては、救いの神(Life Saver)だったんだ」

◆訪問=謝罪ではない
「旧日本軍による米軍捕虜虐待を日本側が謝罪しないかぎり、広島を訪問しないでほしい」。このように大統領に求める米退役軍人会は、今も大統領の広島訪問を快く思っていないとUSA TODAYは書く。こうした世論に配慮して、ホワイトハウスのアーネスト報道官は、「訪問自体が謝罪だと受け止められるのでは?」という記者団の質問に対し、「もしそう解釈するとしたら、それは間違った解釈だ」と強調している。

 一方で、アメリカにも戦後の歴史観を見直す動きはある。昨年、ネイション誌が「当時の米軍首脳部は、既に日本は降伏の瀬戸際にあり、原爆は不必要だとはっきりと気づいていた。そして、多くの市民の死は、不道徳なものであるとも認識していた」という活動家のコメントを掲載し、議論を呼んだ(NYT)。

 ローズ大統領副補佐官は、広島訪問の公式な目的は「戦争で亡くなった全ての無実な人々の記憶を顕彰するため」だとしている。アーネスト報道官も、オバマ大統領は、世界でも最も強固な同盟関係へと発展した「70年前には考えられなかった両国関係の変化」を強調したがっていると、記者団に答えている。米メディアの間では、戦後70年が経過し、戦争経験者が少なくなっていく中で、ケリー国務長官とケネディ大使の広島訪問が実現し、足場が固まったことも初の大統領訪問を後押ししたという見方も強い。いずれにしても、「大統領広島訪問=謝罪」という捉え方があるとすれば、それは早とちりなのは間違いなさそうだ。

Text by 内村 浩介