“原爆投下は正しかった、オバマ大統領は謝罪してはならない” 米保守派の考え方

 5月の伊勢志摩サミットで来日する際に、オバマ大統領が広島を訪問するとの見方が強まっている。米国内では、訪問自体はあり得るとしながらも、原爆投下への謝罪はあってはならないという意見が保守派の間では支配的だ。

◆日本を救ったのはアメリカ。謝罪は不要
 保守派の論客は、いずれもオバマ大統領が広島を訪問すると見ているが、争点は行くことへの是非ではなく、謝罪の有無だとしている。結論から言えば、日本に対し謝罪する必要は全くないというのが彼らの主張であり、戦争を早期に終結させ犠牲者を減らすためには原爆投下しかなかった、という考え方を持っている。

 米シンクタンク「American Foreign Policy Council」のローレンス・J・ハース氏は、原爆を投下することはトルーマン大統領にとって苦渋の決断だったと語る。米兵の帰還を求める世論の高まりに加え、米軍の本土上陸により、日米合わせ数十万人の兵士や民間人の命が奪われるとの報告を大統領は受けていたと述べる(US News and World Report)。保守系メディア『National Review』に寄稿した、米フーバー研究所の古典学者・歴史家のビクター・デービス・ハンソン氏は、本土戦が行われていたなら、連合軍で100万人、日本軍にはその3、4倍の犠牲者が出ていたかもしれないとしている。

 ハンソン氏は、戦争末期の沖縄戦、東京大空襲、それに続く都市部の爆撃でも、日米ともに大量の犠牲者が出たが、それでも日本は降伏せず、特攻隊攻撃による抵抗を強めたと述べる。さらに当時米空軍は、B-29に加え欧州から英米軍の爆撃隊を太平洋に移動させる計画で、5000機の連合軍の爆撃機が、日本中をナパーム弾で飽和させていたはずだと同氏は指摘し、原爆がそのような悪夢のような結果を防いだと結論付けている。同氏はまた、長崎原爆投下の当日、ソ連は好機とばかりに対日参戦をしており、原爆投下がなければ、朝鮮戦争のような惨事を日本が経験することになったかもしれないとも述べている(National Review)。

◆連合国の被害は広島以上。それでもアメリカは寛大
 ハンソン氏はまた、原爆を落とされた側の非を指摘する。そもそも欧州、太平洋での第二次大戦を、中立国への奇襲攻撃で始めたのはドイツと日本だと同氏は断じ、それにより、5000万人の連合軍兵士、民間人、中立国の人々が死亡したと述べる。犠牲者は、広島の犠牲者の500倍以上であり、オバマ大統領が広島に行くなら、この5000万人のこと、そして誰が彼らの死の責任を負うべきかを思い起こすべきだと同氏は主張している(National Review)。

 ウェブ誌『フェデラリスト』のシニア・エディター、David Harsanyi氏は、オバマ政権の高官は、外遊のたびに罪だ、モラルの欠如だと言うが、そもそも広島に行かなくても(または謝罪しなくても)、戦争の悲劇と原爆の破壊力は認識できることだと述べる。同氏はアメリカが戦争をするのは、民主主義と自由のためだと述べ、アメリカ人が過去に対しあまり根に持たないことは、戦後の日本で証明されていると述べる。アメリカ人は完璧ではないが、同時に咎められることはないというのが同氏の主張だ。

◆歴史家は原爆投下に疑問も
 保守派ではないが、国際政治を扱う米サイト『Suffragio』のケビン・リーズ氏は、アメリカ人は自分達が道徳的だと考えるのを好むとし、特に第二次大戦に関してはそうだと述べる。アメリカが日独の反リベラル帝国化を防ぎ、世界の平和な秩序作りに貢献したのであり、日本に関して言えば、アメリカは戦後の再建に尽力し、今日の民主的な法治国家という体制作りを援助した。いまだに中国、韓国とは歴史問題でわだかまりがあるが、日米両国の関係は強固だと同氏は述べ、今になってトルーマン大統領を悪くいうのはフェアではないだろうとしている。

 ただし、戦争早期終結のため原爆投下は必要だったという見方には、歴史家の中には異論もあると同氏は指摘する。急いで原爆投下をしたのは、ソ連の東アジアへの影響力が強まることをトルーマン大統領が恐れたからだという見方があること、また欧州への原爆投下が考えられなかったことに加え、とりわけ広島の後に長崎に2発目を投下する必要性があったかどうかが議論されていると述べている。

Text by 山川 真智子