「原爆投下正しかった」米国人46% 若年層は「間違い」が多数 70年経て変化する意識

 この8月、日本は太平洋戦争終結70年を迎えるとともに、広島、長崎に原爆が投下されてから70年ともなる。米ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、広島への原爆投下を報じた70年前の自紙の報道をブログで紹介し、英デイリー・メール紙(電子版)は、広島で原爆の災禍に見舞われた人たちの証言を伝えるなど、海外メディアで取り扱われる機会が増えている。そんな中、英調査会社ユーガブは7月、アメリカで原爆の発明の是非と、広島、長崎への原爆投下の是非についての世論調査を行った。原爆投下の是非をめぐっては、世代間で認識の開きが大きいようだ。

◆若年層では原爆投下は間違いだったとする意見が優勢
 ユーガブは7月18~20日、アメリカ人1000人を対象に面接調査を行い、22日に調査結果を公開した。同社ウェブサイトのリリース記事が注目したのは、回答したアメリカ人の62%が、核兵器の発明は良くないことだったとしている点だ。良いことだったとしたのはわずか20%だった。

 日本への2回の原爆投下は、正しい決定だったとした回答者は46%に上り、間違った決定だったとした回答者の29%を上回った。アメリカは、広島と長崎に原爆を投下することによって、日本に侵攻する必要を回避したが、この原爆投下によって13万人から25万人が死亡した、と記事は語る。原爆の使用は、戦争終結を早めたと広く信じられている、としている。

 けれども、若い世代ではこの見方は大きく変わってくるようだ。18~29歳では、回答者の45%が、原爆投下の決定は間違いだったとした。正しい決定だったと答えたのは31%だった。ユーガブの調査結果を報じた米外交専門誌ナショナル・インタレストは、年齢層による見解の差に注目している。30~44歳では、これよりもう少し意見が割れており、36%が間違いだったとし、33%が正しかったとした、と伝えた。

 それ以上の年齢層では、正しかったとする割合が優勢になる。ナショナル・インタレストはこのことを「驚くまでもない」とする。アメリカではこれが伝統的な見方だったからだろう。45~64歳では、55%が正しかったとし、間違いとしたのはわずか21%だった。65歳以上では、この傾向がさらに進み、65%が正しかったとし、間違いとしたのはわずか15%だった。同誌は「圧倒的」支持だとしている。

◆時代が下るにつれて、原爆投下への支持は低下している
 ナショナル・インタレストは、時代による見解の変遷にも注目している。上述の通り、回答者全体では、「正しかった」が46%、「間違いだった」が29%だった。アメリカ人の間では、原爆投下の決定への支持が長年にわたって減少しており、今回の調査結果も、この傾向を引き継ぐものだとナショナル・インタレストは語っている。

 終戦直後の1945年8月に世論調査機関ギャラップが行った調査では、原爆投下の決定を支持する意見が圧倒的だった、と同誌は語る。支持が85%に及び、不支持はわずかに10%だったという。その後、支持は急激に減少してきたが、今なお、概して半数以上が支持している、としている。原爆投下から50年を迎えた時期にギャラップが行った世論調査では、アメリカ人の59%が支持しており、その10年後のギャラップの調査では、57%が支持していたという。

◆存在自体が望ましくない原爆の使用というジレンマ
 またナショナル・インタレストは、アメリカ人の相対的多数が、日本に対する原爆使用をいまだに支持しているにもかかわらず、圧倒的に多くのアメリカ人は、核兵器の発明は良くないことだったと答えた、と報じ、相反する見方が存在することを示唆した。

 このような相反する見方は、米地方紙デトロイト・ニュースに掲載されたとあるオピニオン記事にも見られる。筆者は、原爆を投下しなくても、アメリカが戦争に勝利していたことは疑いがない、と語る。兵士の犠牲が抑えられた、という説についても検討した上で、事実をすべて考慮すると、原爆の使用はおそらく不必要だった、と筆者は結論付けている。マッカーサー元帥自らが、原爆投下は誤りだったと考えていた、と語る。

 けれども、アメリカは原爆投下という過ちを犯したが、その責任はやはり大日本帝国(の指導部)にある、と筆者は語る。恐らく新型兵器の脅威が国民に迫っていることを察しつつ、ポツダム宣言を「黙殺」(記事中では「意図的に無視」)したからである。アメリカはしばしば、核兵器を使用した唯一の国だと批判されるが、罪は国民をそのような惨事にさらした大日本帝国にある、と結論付けている。

◆原爆投下、敗戦を経てきた日本が今後進むべき道とは
 カナダの有力全国紙グローブ・アンド・メールは、原爆投下、敗戦という歴史を経てきた日本が、今後取るべき道について提言するオピニオン記事を掲載している。筆者は米デューク大学アジア太平洋研究所のサイモン・パートナー所長。19・20世紀の日本史を専門とする歴史学教授である。

 同氏は、日本の国会で安保法制が進められていることに触れ、また憲法改正によって、日本を本格的な軍事国にする案もあるとする。しかし同氏は、日本が目指すべきは再軍備ではなく、世界の調停者になることだと主張する。日本にはそのための資格が立派に備わっているとしている。

「平和憲法」のもと戦後の日本国民は、平和を希求してきた。憲法はアメリカ人の手に成るもので、意に反して日本政府に押しつけられたものであることはよく知られているけれども、憲法、特に9条は、日本国民の間で、驚くほど長く人気を享受している、と氏は語る。また、原爆によって日本国民は、核戦争の惨事をこうむる国が二度と出ないよう、世界的な平和運動をリードするのに自分たち以外に適任者はいないという意識を持つようになった、としている。

 にもかかわらず、日米同盟のために、日本は侵略的な戦争への支援も含め、アメリカの外交政策に歩調を合わせねばならなかった。しかし今や、日本は、より自主的で積極的な役割を果たすべき時が来た、と氏は語る。衝突が衝突を生み、世界的に一触即発の状況で超大国が不安定な現代では、力強く、信頼できる調停国が主導する多国間交渉からのみ永続的な解決は生まれうる。日本はその役を果たすのに最も適任だと氏は断言する。

 私たちは、この乱れた世界で、強力で影響力の大きな調停者を、どうしようもなく必要としている。まさに日本は、世界がより平和でより繁栄する未来のために最良の希望かもしれない、と氏は結んでいる。

Text by 田所秀徳