エジプト、なぜリビアのISILを空爆? 犠牲者コプト教徒とシシ大統領の「絆」に注目

 過激派組織「イスラム国」(ISIL)は今月15日、リビアで拘束していたエジプトのコプト正教徒21人を斬首した。ISILの宣伝部門がネット上に公開した映像で明らかになった。

 エジプトのシシ大統領は、コプト正教会のタワドロス2世教皇に哀悼の意を伝え、報復を誓った。16日には、弾薬庫や訓練キャンプなどISILのリビア拠点を空爆したと、エジプト軍が明らかにした(スペインのエル・エコノミスタ紙)。

 なぜエジプト軍は、即座に報復措置に踏み切ったのか。背景として、エジプトのシシ政権とコプト正教会との関係や、リビアの混乱、ISILのリビアにおける勢力拡大などに、欧州メディアは注目している。

◆シシ大統領とコプト正教会との繋がり
 まず、エジプトの国内事情について。コプト正教徒は、ムスリム社会の同国では少数派で、国民8500万人のうち、10~15%程度と推定されている。そのため差別の対象となり、仕事面でも困難な状況にある(※注1)。ナセル(1956-1970)、サダト(1970-1981)、ムバラク(1981-2011)政権とも難しい関係にあった。しかし、シシ大統領との関係は、これまでと異なるようだ。

 シシ大統領は1月、コプト正教会のクリスマスイブの式典に、大統領として初めて参加した。2013年にシシ氏がムルシー前大統領を退任させた(※注2)ことを、タワドロス2世教皇が祝福したことへの返礼であった。両者の絆が深まった最初の証しだったといえる(英BBC/米ワシントン・エクサミナー紙)。

◆リビアの混迷にISILが割り込む
 次に、現在のリビア情勢について。リビアでは、トリポリとトブルクをそれぞれ首府とする2つの政府が存在し、民兵組織は1700グループある という。その中でも、原理主義のアンサール・シャリアとファジル・リビア(リビアの夜明け)の動きが目立つ。「地中海のソマリア」(キャメロン英首相の特派顧問ジョナサン・ポエル氏)と評する声もある。国連のリビア特派大使ベルナルディノ・レオン氏は、リビアはもう限界にきている、と述べている(英BBC/スペインのエル・パイス紙)。

 この混迷化したリビアに割り込んできたのがISILである。ISILはアンサール・シャリアと連携をしているという(英BBC)。

 なお、欧米はドブルク政府を支持しており、これにはカダフィ打倒にも参加したハフタル将軍の率いる部隊が関係しているという。ドブルク政府はエジプト空軍の空爆を支持し、支援もした。シシ大統領はハフタル将軍への支援を表明している(スペインのabc紙)。

◆リビア紛争がイタリアに波及する恐れ
 最後に、リビアのISILの脅威は、イタリアにも迫っている。リビアはイタリア最南端の島ランペドゥーザ島の南170km余り、シチリア島からは480kmと近い距離にある。映像の中で、ISILは、「ローマを征服する」などと脅迫している。イタリアに50万人の不法移民を送る用意があると述べたこともあるようだ。昨年は17万人の不法移民がイタリアに辿り着き、同国の社会を混乱させた背景がある(スペインのabc紙)。

 欧米でも、脅威がイタリアに波及することを懸念し始めているという(スペインのabc紙/エウロパ・プレス通信)。イタリアのアルファノ外相は16日、国際社会にジハードの侵入の脅威を訴えた。アルゲーリェス防衛相は、リビアに5000人の兵士を送る用意があるとも発言した。

※注1:エジプト経済は「エジプトの春」以降も厳しい状態にあり、貧困層のコプト信者は危険を冒してでも仕事を求めて危険な隣国のリビアへ出稼ぎに出ている。

※注2:2011年、大規模デモによってムバラク独裁政権が倒れ、その後の選挙で、ムスリム同胞団を基盤とするムルシ氏が大統領に就任した。しかし新政権発足後、新憲法制定などをめぐりデモや暴動が頻発。2013年、実質的な軍部のクーデターにより、ムルシ大統領は解任された。そして2014年、シシ元国軍総司令官が大統領に就任した。なお元アラブ連盟議長のアムール・ムサ氏は、シシ氏について、実利主義者で人の意見を良く聞き、歴代大統領とは異なる独自の政治プランをもっている、と評価している(スペインのエル・パイス紙のインタビュー)。

Text by NewSphere 編集部