“安倍政権は領土拡張主義”NYT紙が批判記事 日米識者から反論相次ぐ

 アメリカの歴史学者がニューヨーク・タイムズ紙(NYT)に寄稿した日本の領有権問題に関するオピニオン記事が、一部の識者の間で波紋を呼んでいる。筆者の米コネチカット大、アレクシス・ダッデン教授は、安倍政権が「領土拡張主義的な野望」の下で尖閣諸島、竹島、北方領土の領有権を訴えていると主張。これに対し、複数の日米の識者が同紙などに反論のコメントを寄せる展開となっている。

◆安倍首相は「過激主義政策」を取る「領土的歴史修正主義者」
 ダッデン教授の記事は、1月16日付のオピニオン欄(電子版)に掲載された。同教授は、その中で、安倍首相は「過激主義政策」を取る「領土的歴史修正主義者」であり、領土問題では「領土拡張主義」「失地奪回主義」のもとに動いていると、いくつものレッテルを貼って非難を重ねている。

 ダッデン教授は、その証拠の一つとして、外務省が昨年4月にHPに掲載した「12ヶ国語に翻訳された日本地図」を挙げる。この地図には、尖閣諸島、竹島、北方領土が強調されて掲載されている。同教授はそれを「これらの島が日本の存在そのものにとって不可欠だという主張」だと見なす。そして、日本が領土的主張を強めている主な理由は、石油、天然ガスなどの天然資源の確保と漁業権の拡大だと記している。その根底には、「日本を再び世界の舞台の中心に輝く国にする」という安倍首相の「野望」があるというのが彼女の主張だ。

 また、同教授は、安倍政権が議論している憲法改正は、こうした野望の達成とセットになっていると見ているようだ。彼女の解釈では、自民党の改正案は日本国民に「国の固有の領土と海、空を守る義務」を課し、それを尊重しなければ人権や市民権が脅かされる可能性があるという。そして、「安倍首相は、日本のために主張をすればするほど、得られるものは少なくなるだろう」と記事を結んでいる。

◆同じNYTが3人の反論を掲載
 こうしたダッデン教授の主張には多くの批判が寄せられたのか、NYTは今月1日付の同じ電子版のオピニオン欄に、記事に対する3人の識者の反論をまとめて掲載した。

 1人目は草賀純男ニューヨーク総領事だ。同氏は「日本は戦後の国際秩序を尊重しており、領土に対する立場は国際法に基いている」と述べ、ダッデン教授が主張する「拡張主義」「失地奪回主義」「歴史修正主義」は全く根拠がないものだと批判している。そして、尖閣諸島は1951年のサンフランシスコ講和条約で日本が放棄した領土には含まれておらず、竹島と北方領土についてもアメリカの公文書が日本の領土であることを証明しているとしている。

 ハワイにあるアジア太平洋安全保障研究センターのジェフリー・W・ホーナン助教授は、ダッデン教授が日本の「拡張主義」の表れだという外務省のHPの地図を「既存のもの以上の何ら新しい領土的主張をしているものではない」と、看破する。また、彼女の憲法改正案の解釈を「誤解」だと一刀両断。「102条は国民は憲法を尊重しなければならないとしているが、そうしなければ市民権に悪影響を及ぼすとは、どこにも示されていない」、「9条3項は、国民が領土を守る義務を定めていない。逆にそれは国の義務だとしている」と述べている。

 最後のマイアミ大学のジューン・トーフェル・ドレイヤー教授は、ダッデン教授が「領土」という日本語が拡張主義を表す特別な単語だとしていることに対し、「それは単にテリトリーという意味だ」と指摘。また、日本が実効支配する尖閣諸島を最近になって脅かしているのは中国の方であり、日本が「拡張主義的野望」を持っているというのは、現実とは真逆の見方だと疑問を呈している。そして、「侵略に対して自分を守る権利がある国と、他国を攻撃する意図を持つ国の間には、大きな違いがある」と諭している。

◆藤崎元駐米大使も「客観的事実」を挙げ反論
 藤崎一郎・元駐米大使も、米インターネット新聞『ハフィントン・ポスト』に反論を寄せている。藤崎氏は、「他国の領土や歴史を批判する言論の自由」を尊重しつつ、「それは事実に基いていないといけない」としたうえで、北方領土、尖閣諸島、竹島に関する「客観的事実」を挙げている。

 北方領土については、「我が国は、アメリカ政府が継続的に日本の主権を支持してきた事に非常に感謝している」と簡潔に反論。尖閣諸島については、「いずれの島も無人島であり、他国に属していないことを調査したうえで、1895年に(日本の領土に)組み入れた」と記す。そして、中国と台湾が領有権を主張したのは、国連機関の調査で周辺海域に石油が埋蔵されている可能性があることが明らかになった直後の「1970年代初めからだ」と指摘。オバマ大統領が昨年の来日時に「尖閣諸島も日米安保の適用範囲に含まれる」と明言したことについて、「喜ばしいことであった」と述べている。

 竹島については、韓国が1954年以降、3度に渡って国際司法裁判所に提訴する日本の提案を拒否したことに触れている。そして、サンフランシスコ講和条約の締結を控えた1951年に、当時のラスク米国務次官補が韓国大使に宛てた手紙に、次のような記述があったことを紹介している。「この無人の岩は、我々の情報によれば一度も韓国の一部だと扱われたことがなく、1905年ごろから日本の島根県の隠岐の島支部の管轄にあった」。

Text by NewSphere 編集部