東京裁判批判は“平和ボケ”!? 池田信夫ブログに海外から賛否
経済評論家で人気ブロガーの池田信夫氏が、昨年の大晦日に投稿した記事が国内外で話題を呼んでいる。「『東京裁判史観』を批判する平和ボケ」というタイトルだ。中世ヨーロッパでは支配者層がまっさきに戦場に出て行って、ノブレス・オブリージュ(貴人としての義務)を果たした。戦争に負けた際には、相手国によって殺されるのが普通であった。
東京裁判も、正義を行う場などではなく、勝者が敗戦国の指導者を始末するための儀式だった。そこを見誤って「東京裁判史観」を批判する右翼は、われ知らず「平和ボケ」に侵されている――という趣旨である。
海外のネットユーザーはこの記事をどのように論じているのだろうか? アメリカの大手ソーシャルニュースサイト「レディット」では下記のようなコメントが寄せられている。
【ノブレス・オブリージュは、本当に立派なものだった?】
池田氏によると、この記事は30分で書かれたもので、「話が荒っぽい」ことを認め、後日、補足を試みている。しかし、荒っぽいがゆえに「突っ込みどころ」も多かったようだ。
・ヨーロッパ中世についての見方が純朴すぎる。
・アメリカ人が日本の文化について、あることないこと信じやすいのと同様に、日本人も西洋の伝説について、うっかり信じてしまうことがあるって知ってうれしいよ。
・貴人が義務を負っていたのはあくまで目上の人間に対してであって、目下の人間に対して義務を果たしていたっていうのは、通例、実質の伴わない自己正当化だった。
と、海外ユーザーはにべもない。
それに対して、日本の投稿者は、
・この記事では、ノブレス・オブリージュについて、過度に単純化されてしまっているかも。でも、昔も今も、日本の指導者が公民としての義務の感覚を大いに欠いているのは事実。
と反論を試みた。
また、日本人の書く評論文は、よくのらりくらりとした話に始まって、そこから突然、論理でなく比喩によって、まったくかけ離れた結論にジャンプする、という話題で盛り上がりを見せていた。
【戦後処理は正しかったのか?】
東京裁判については、日本のみならず、海外ユーザーのあいだでも意見が割れているようだ。
・人道に対する罪なんて、文字通り戦争が終わって裁判が始まるまでのあいだにでっち上げられたものだ。わたしたちだって、敗戦国と同様にその罪を負っているだろうに。
・たしかに、裁判に加わった人からも、問題点が多々あったと言われているけれども、結果については、大きな問題があると思っている人は、さして多くないよ。
・わたしたちも罪があるって、どうして?
・核兵器の使用、日系人の強制収容、東京とドレスデンの爆撃、等々…。さらに時代をさかのぼれば、基本的に西洋の列強はどこも、いつかの時点で虐殺の罪を負っているよ。
・だとしても、今日起こっていることに白黒つけるのが、もはや不可能だというわけではないでしょ。
と、数多くの対立する意見が見られた。
【これからの日本はどう進むべき?】
池田氏が後日、補足した内容をもとに、氏の発言の真意を探ろうとするユーザーもいた。
・東京裁判はただの『政治的儀式』で、そこには正義なんてなかった、という彼独自の視点。
・彼は、侵略者と被害者のあいだで歴史(認識)の共有なんて無理なんだから、歴史問題のことは忘れて前に進むべきだと言っている。
その中でも、
・どこの国も、ちゃんとしたリーダーが必要なんだよ、過去から目をそらさないでいて、同時に前に進めるような。でも、お互いを憎み合うことで得られる政治的メリットってのがずいぶんあるみたいだな。
と、あるユーザーは、非常に示唆的なコメントを残している。