ドイツ北部のニーダーザクセン州を旅すると、観光ガイドだけでは見つけにくい地元の魅力に触れることができる。そこには、何世紀も前から続く工芸や伝説が、博物館の展示物ではなく、現在も人々の暮らしの中で「生きた文化」として息づいている。2回にわたり、4都市を紹介しよう。

最初に訪ねたのは、ハンザ都市として栄えたアインベックと、世界的に知られる「ハーメルンの笛吹き男」の街ハーメルン。一見すると、ビールと青染めの街、そしてネズミと笛吹き男の街というイメージだが、まったく異なる二つの都市だ。しかし歩いてみると、両者には共通するものが見えてくる。それは、過去を「保存する」のではなく、市民自身が伝統を演じ、作り、語りながら次の世代へ渡していることだ。

アインベック・ビールの街に残る『青い奇跡』

ニーダーザクセン州の南部に位置するアインベックは、中世以来ビール醸造で栄えたハンザ都市。だが旧市街を散策すると、ビールとは違うもう一つの伝統に出会う。かつてアインベックの主要産業として繁栄した、深い藍色の地に白い模様が浮かぶ『青染め(Blaudruck)』だ。

店内2階の工房にて・防染糊パップ(Papp)を混ぜるアーレンス氏

青染めの歴史は17世紀にさかのぼる。1638年、三十年戦争のさなか、ハンス・ヴィットラム(Hans Wittram)が染色工房を設立した。当初は一般的な染色工房だったが、1700年頃、息子の代に青染めの技法を取り入れたという。

当時、ヨーロッパにはインドや東南アジアから鮮やかな更紗が大量に流入していた。アインベックの染色業界にとって手ごわい競争相手だった。そこで職人たちは、生活の糧が失われて行くのを見て、魅力的な競合製品を開設する必要に迫られたという。

こうした背景から、アインベックならではの青と白の魅力的な布が誕生し、青い奇跡と称されるこの街を代表する生きた文化となった。アインベックの青染めは2018年、地域の職人文化だけでなく、世界貿易によってヨーロッパの暮らしが変化した時代の証として、ユネスコ無形文化遺産に登録された。

アインベック青染め専門・工房店外観

木版に刻まれた、昔の人々の人生

街の中心部メンヒェプラッツにある木骨造りの青染め専門・工房店を訪ねると、そこはまさに「生きた工芸工房」だ。1638年以来、ヴィットラム家は2005年まで何世代にもわたり、この工房を営んできた。この建物は、現在もなお同家の所有だそう。

笑顔で出迎えてくれたウルフ・アーレンス氏の案内で早速2階のワークショップへ。同氏の説明を聞きながら、製品が出来上がるまでのプロセスを学んだ。

日本の藍染めは布を直接染めることが多いのに対し、アインベック青染めの技法は、布に防染糊パップ(Papp)を木版で押し、 染液に浸す、そして糊を洗い落とすというプロセスを経て製品を仕上げている。

藍の原料は、ドイツ産の染料ワイド(Faerberwaid)が使われていた。それが17世紀後半より発色が強く効率のよいインド産インディゴの大量流入により、次第に主流となった。

「まず、粘度の高いパップをつけた木型を白い布に手作業で刷り込みます。この布を乾燥させ、インディゴ染液の槽に入れます。染色後に空中で酸化させると生地が青くなり、パップを刷り込んだ部分は染まりません。最後にすすぎ液で洗い流すと、深い青色の地色の上に特徴的な白い模様が現れます。その後、裁縫工房で製品に仕上げます」と、アーレンス氏。

工房には17~19世紀の木版が多数残され、花や蔓、星、バロック様式の装飾など、約1000点のオリジナルの木型が保存されている。

アーレンス氏によると、かつては型を自ら設計し、製作しなければならなかったという。型はすべて木彫りで、なかでもナシの木は、その硬さ、緻密な表面、そして湿気に対する耐性の高さから、特に適していた。19世紀末以降、型彫り職人が型の製作を引き継ぐようになった。今日、この職人技はほぼ絶滅状態にあるため、古い型の修理や改修を依頼することがますます困難になっているそうだ。

模様は単なる装飾ではなく、当時ヨーロッパの装飾文化全体に共通する象徴性を反映していた。ザクロは豊作、子孫繁栄、家族の繁栄や富を象徴した。チューリップ、カーネーション、バラなどの花は、神の創造、楽園、再生などを表したという。一方、バロック時代には、やがて枯れる花が「人生のはかなさ」の象徴となることもあった。

一枚の布は、単なる生活用品ではない。そこには、当時の人々の信仰、日常、家族への願い、人生観までが写し取られている。

ハンドメイドならではの二つとない青染め製品に目を奪われる

「守る」とは、使い続けること

興味深いのは、伝統を保存するだけではないことだ。この工房では、小学生向け、家族向け、観光客向けのワークショップを開催し、職人が実際に作業する姿を見せている。伝統技術を「展示物」ではなく、「現在進行形の仕事」として伝えている。

アーレンス氏のもとには、何十年も使っていなかったリネンが持ち込まれることもある。同氏は、かつて結婚の持参品として使われた布を、再び新しい作品として蘇らせ、販売している。

古い版木も古い布も、過去の遺物として眠っているわけではない。伝統とは、昔と同じ状態に凍結することではない。次の世代がもう一度使える形で渡すことなのだ。「守る」とは、時間を止めることではない。使い続けることなのだ。

中2回の裁縫工房

中世にビール輸出で栄えた商業都市アインベックは、近世になると染色などの専門職人文化を育て、現代では文化遺産と観光へと新しい役割を見いだしている。アインベックは、一つの産業に依存するのではなく、時代ごとに街の役割を更新してきた。

現在のアインベックを象徴するのが2014年にオープンした『PS.SPEICHERオールドタイマー博物館』だ。伝統産業とは対照的な、クラシックカーやバイクを中心に「移動の歴史」を紹介するヨーロッパ最大級の博物館で、5会場に2,500点以上の歴史的展示品を公開。今やアインベックで一番訪問客の多いスポットだというから驚きだ。

ビール、青染め、木組み建築、そして現代の博物館。これらは別々の観光資源ではない。何世紀にもわたり、産業を変化させながら生き残ってきたアインベックという都市の物語なのである。

参考までに。かつてメルヘン街道をめぐる旅で立ち寄ったアインベックのビール産業についてはこちらをどうぞ。

中世の雰囲気が今も漂うアインベック旧市街

ハーメルン・800年前の謎が、今も街を歩いている

アインベックからハーメルンへ向かうと、街の雰囲気は一変する。ここで出会うのはネズミと笛吹き男だが、「ハーメルンの笛吹き男」は、よく知られた童話とは少し違う。伝説の中心にあるのは、1816年に紹介したグリム兄弟の「ハーメルンの子供たち」の物語で、約束を守らなかった大人たちへの復讐を訴えていることだ。

ハーメルン観光案内所で笛吹き男のお出迎え

130人の子どもが消え失せたと刻まれている路上標

笛吹き男はネズミを街から追い出す仕事を請け負い、その報酬を約束される。ところが仕事を終えると、市民は支払いを拒む。怒った男は再び笛を吹き、今度は子どもたちを連れ去ってしまう。ハーメルン市も、この物語を「約束を破ったこと」と「恐ろしい復讐」を描くものとして紹介している。伝説の日付は1284年6月26日。では、子どもたちはどこへ行ったのか。答えは今も解らない。

後世には洞窟に消えた、東方へ移住したなどさまざまな説が生まれたものの、決定的な史実は確認されていない。この「謎」が、ハーメルンの物語を800年近く生き延びさせている。市の公式案内でも、子どもたちがどこへ消えたのかは「未解決の謎」とされている。

伝説が舞台になった70年

そして2026年、ハーメルンでは「ネズミ捕り男」の野外劇が70周年を迎えた。ハーメルンの笛吹き男にまつわる伝承と文化は、2014年にドイツの無形文化遺産に登録されており、毎年上演される野外劇もその重要な伝承活動の一つとして受け継がれている。

この野外劇は1956年に始まり、教師で演出家でもあったフリードリヒ・フリュッゲにより2005年まで50年以上にわたり続いた。ただし、この物語が舞台になったのは1956年が最初ではない。1929年にはマグダ・フィッシャーが街路や広場を使った野外上演を始め、戦後にも舞台は継承された。

ハーメルン博物館

子どもから高齢者までが舞台に立ち、幼い頃に「ネズミ」や踊り子を演じた人が、やがて次の世代を支える側になる。現在も約60人の市民が参加するボランティア劇団として活躍中だ。70周年という数字の意味は、単に一つの劇が長年続いたということではない。街の人々が世代を超えて、一つの物語を演じ続けてきた時間なのである。

さらに2000年からはミュージカル「RATS」も上演されている。こちらは、なんとネズミ側から物語を見る。音楽やダンス、ユーモアを交え、800年前の伝説を現代の視点から楽しませてくれる。

野外劇場とミュージカルは毎年5月下旬から9月中旬頃に開催される

ブンゲローゼン通りを歩き、1602年の建物を見る

旧市街のブンゲローゼン通り(Bungelosenstrasse)を歩けば、伝説を肌で感じることができる。通りの名は「太鼓のない、音を禁じられた通り」を意味し、子どもたちが街を出ていった道とされる。かつてここでは踊りや楽器演奏をしてはいけなかったという。ネズミ捕り男の家(Rattenfaengerhaus)も見逃せない。名前の由来は、建物側面に残された子どもたちの失踪を伝える碑文。建物そのものは1602~03年に建てられたもので、実は笛吹き男が暮らした家という意味ではない。

現在ネズミ捕りの男の家では、インディアハウスレストランが営業中

笛吹き男に連れられた子供たちが最後に通ったとされる伝説の通り

ここにハーメルンの面白さがある。1284年の出来事を伝える物語が、300年以上後の1602年になって建築物の表面に刻み込まれているのだ。伝説は建築によって「物語」から「ハーメルンの景観」へ変わったのである。

笛吹き男は本の中だけではなく、通り、家、教会にまで姿を残している。参考までに街の様子は、以前の記事でどうぞ。

ハーメルンの木組みの家も美しい。マルクト教会近くにて。左の彫刻「鉄のカーテンの開放」は東西ドイツの国境の撤廃と1989年秋からの変革の出来事をモチーフとしている。変革とドイツ再統一を象徴する様々な場面や人物像を描いている

「保存」ではなく「生きる」文化

アインベックとハーメルン。片方では職人が布を染め、もう片方では市民が伝説を演じる。けれど、二つの街には「伝統の担い手が専門家だけではない」という、共通点がある。

アインベックでは、古い木版を使って子どもや観光客が実際に布を染める。ハーメルンでは、市民が舞台に立ち、親から子へ役を渡していく。二つはまったく異なる文化に見える。しかし、その背後には、過去を未来へ手渡そうとする人々の姿がある。

つまり文化遺産は、ガラスケースの中で保存されているのではなく、「手で触れ、声に出し、演じ、使うこと」で生き続けている。だから、この二つの街を訪ねる旅は、単なる歴史探訪ではない。過去が現在の中で、どのように生き続けているのかを発見する旅なのである。

旧市街の案内板


取材協力:
ニーダーザクセン州観光局
アインベック観光局 
ハーメルン観光局 

All Photos by Noriko Spitznagel 

シュピッツナーゲル典子 
ドイツ在住 国際ジャーナリスト連盟会員 
社会問題や医療、ビジネス、書籍業界などを中心テーマに紙・ウェブ媒体で取材・執筆中。女性雑誌連載のドイツ人キャリアウーマンインタビュー記事では各業界で活躍する素敵な女性に出会うのを楽しみにしている。食・ワイン、その土地ならではの魅力も探訪中 。趣味は、パンとケーキ作り、食べること・料理・水泳・コンサート・美術館巡り。