「プレスツアーに参加しませんか?キャンセルが出て、空きがあります」7月下旬、ニーダーザクセン州観光局(TMN)から一通のメールが届いた。今年はあるプロジェクトに専念するため、招待いただいたプレスツアーをすべて辞退してきたが、7月末の日程は幸いにも空いていた。出発直前のオファーに迷ったものの、取材テーマの「修道院と美食」に惹かれて参加を決めた。

中世の頃に遡って修道士のように祈り、働き、書く体験イベントは大好評©ZisterzienserMuseum Kloster Walkenried
ゴスラーを起点に歴史と味覚をたどる
取材の行程は、3日間にハルツ地方の三つの修道院をめぐり、歴史の深さと現代的な活用法を体感するというもの。老舗コーヒー店や、ミシュランの星を獲得したばかりのレストランも訪問したが、それは次回紹介したい。
集合場所は、世界遺産の街ゴスラー。市内唯一の自家醸造ビールを提供する「ゴスラー醸造所」のレストランで、ランチを兼ねた顔合わせから始まった。三年前は、時間が足りず味わえなかったビールを、ようやく口にできて嬉しい。久しぶりに会うTMN担当者やドイツ国内のジャーナリスト仲間と、和やかにグラスを傾けた。
かつて自由帝国都市であったゴスラーは、中世からビール「ゴーゼ」で知られる。大麦麦芽・水・ホップ・酵母に加え、塩とコリアンダーを使う特別な製法で、今日も伝統を受け継いでいる。乳酸菌による発酵で酸味を帯びるが、実際に飲むとごく柔らかく、優しい苦味が心地よい。塩は「スープに入るものはビールに害を与えない」、コリアンダーは「胃を落ち着ける」と伝えられている。
- ゴーゼ黒を試飲。ゴーゼは上面発酵タイプのビールで、名前はゴスラーの小さなハルツ川と小川、ゴーゼに由来するという
- ランメルスベルガーピルスナー
- チーズやソーセージ類の盛り合わせ・前菜
- 豚肉のビール煮込み
ヴェルティンゲローデ修道院 祈りと蒸留の歴史
ゴスラー郊外の丘陵地に建つヴェルティンゲローデ修道院は1174年創建。シトー会修道女たちが暮らし、火災で壊滅した後、資金調達のために1676年、蒸留所が設けられた。以来「祈りと蒸留」がこの地の歴史を形づくっている。

大聖堂にて
現在は教会、蒸留所、ホテル、レストラン、農場直売所が集まる複合施設で結婚式や会議に利用されることも多いそうだ。敷地内には修道女が歩いた回廊や門楼が残り、バロック期の重厚な景観が今も息づく。
- 修道院内はイベント会場としても人気
- 中庭
- 蒸留所にて
蒸留所ツアーでは、1682年より手がける伝統の「蒸留によってアルコール分が濃縮された精留酒」をベースにしたリキュールやコルン(主に穀物から造られる蒸留酒)を20種類ほど試飲でき、観光客に人気だ。

20種類ほどの蒸留酒を試飲
夕食後、修道院のホテルに宿泊したが、これは特別な体験だった。分厚い石壁に守られた静かな客室は、修道院の歴史をそのまま体感でき、夜は中庭に響く鐘の音が遠くから聞こえてくる。翌朝は鳥の声と柔らかな朝の光に包まれ、修道院の食堂でいただく地元食材の朝食が、心身をゆるやかに満たしてくれた。
- かつては修道女が寝泊まりした部屋(左)の入り口は低め
- 修道院の食堂でいただく朝食
- 修道院の食堂でいただく朝食
- 修道院の食堂でいただく朝食
- 修道院の食堂でいただく朝食
結婚式や会議にも利用される施設だが、個人での滞在でも十分に「修道院に泊まる」特別感を味わえる。まさに修道院の歴史を生かした“体験型滞在”だ。

部屋の窓を開けるとハーブ畑が広がり、中世へ思いを馳せる静寂が漂う
ヴァルケンリード修道院 世界遺産の回廊と修道士の食卓
次に訪れたのは、ハルツ南端の小さな街ヴァルケンリードに佇む世界遺産ヴァルケンリード修道院。12世紀に創設された大修道院で、13世紀には北ドイツ最大級のゴシック大聖堂が完成し、荘厳な回廊が今日まで残る。疫病や戦乱で衰退したものの、保存活動が続き、2006年から「シトー会博物館」として公開されている。

修道院教会跡の眺め ©ZisterzienserMuseum Kloster Walkenried
博物館の展示室では映像や音響を駆使したプレゼンテーションがあり、当時の修道士の暮らしや地域産業の発展を分かりやすく紹介している。

博物館の展示室では映像や音響を駆使したプレゼンテーション
また、敷地内には世界遺産インフォセンターも併設されており、3Dモデルやインタラクティブ展示を通じて「上ハルツ水利システム」と地域の産業文化全体を学べる。世界遺産を「本で読む」のではなく、目と耳と体感で理解できるのが魅力だ。
この修道院群は2010年、「ランメルスベルク鉱山、ゴスラー旧市街、上ハルツ水管理システム」とともに世界遺産に登録された。ハルツ地方の発展を支えた水管理システムの実現により、産業基盤を築きあげて経済の中心地となったことが評価された。
- 二廊式の回廊(読書回廊)を持つ13世紀の回廊建築はこの修道院ならではのハイライト
- 回廊にある教会堂(1570年以来プロテスタント教会)
- 中世の墓碑が右側に見られる回廊にて
さらに大きな決め手となったのは、北側の「二廊式の回廊」という卓越した特殊な建築形式。その芸術的水準と空間的印象、丸い柱によるリズミカルなデザイン、光が降り注ぎ、紛れもないホールの特徴を持つこの建築は、この街を代表するユニークな建築的特徴であり、「トレードマーク」として注目されている。

かつて洗手の場であった泉は、水を節約するため音響効果で演出
修道院は、中世の鉱業や林業、水管理技術を牽引した経済都市的拠点だった一面と、芸術的にも優れた建築遺構が共存し、現在も博物館やイベントを通して、当時の雰囲気が生き続ける史跡だ。
ランチは、修道士の旧食堂(レフェクトリウム)でハルツ地方の郷土料理「クニスター」をいただいた。この料理は、かつて修道士たちが食堂に集い食したとして知られ、ボリュームと優しい味わいが楽しめる。季節ごとの食材を巧みに取り入れた修道院料理は、現代の「地域食材を活かしたスローフード」にも通じる。
「クニスター」は、魚、パン、野菜、豆類、ハーブなどを中心にしたシンプルながら滋味深い食事に通じており、長年この地方の食文化として受け継がれてきた。中世の修道士たちが食べたといわれる「質素だが豊かな食」という修道院料理の精神と重なる。

ジャガイモや野菜を満喫した
主役は、半分に切った皮つきジャガイモのオーブン焼きにベーコンとクミンなどハーブを添えたもの。そしてクワルク(乳製品)や手作りパン、地元のチーズ、サラダや伝統的な加工肉(ソーセージ類)などが並ぶテーブルは、まるで中世の修道士の食卓が再び目の前に現れたような不思議な一体感を生む。
「クニスター」の解釈にはいくつか説があるようだが、この料理を供してくれた男性に尋ねると、「ジャガイモを調理している時に、パチパチと焼ける音(クニステルン)がするから」と、教えてくれた。オーブンのなかった中世の頃、修道士が調理する姿を思い浮かべながら、日中でも薄暗い食堂でジャガイモを嚙みしめた。
キャンドルの灯りが揺れる下で味わう料理は、歴史の空気と共に五感に染み入る忘れられない体験となった。

博物館1階の入り口にて出迎える修道士にびっくり。(展示品だった)
修道院では、「夜のキャンドルツアー」 のあとに、この郷土料理を修道士の旧食堂でいただくプログラムを定期的に提供している。事前予約をして是非体験してほしい。
修道院がただの過去の遺跡ではなく、今も人が集う「文化の場」であることを実感できるに違いない。

キャンドルの灯りで食した修道士に思いを馳せる
ブルンスハウゼン修道院 宮殿と暗い歴史の記憶
バート・ガンデルスハイムの郊外に佇むブルンスハウゼン修道院は9世紀に創設され、修道女会・男子修道院・プロテスタント修道院と幾度も姿を変えてきた数奇な歴史を持つ。第二次大戦中は強制収容所として利用された暗い歴史もある。

修道院教会と修道院前にて
現在は博物館として開放され、中世修道女の生活、バロック文化、ナチ時代の記録をテーマに展示。豪華な宮殿建築と暗い過去が同居する、対照的な風景が特徴だ。博物館は地域の歴史紹介や文化施設としても開放しており、現代美術(絵画・写真・彫刻)の展示やワークショップも開催する。

博物館展示
ナチ時代の強制収容所および東欧出身の女性労働者のための「子ども保護施設」として利用された展示は、「信仰と文化の場がいかに戦争に利用されたか」を問いかけている。

ザクセン=マイニンゲンの王女で、1713年から1766年までガンデルスハイム帝国自由世俗修道院の修道院長を務めたエリーザベト・エルネスティーネ・アントニエの像とポートレート
修道院と食をめぐる旅の余韻
三つの修道院をめぐる旅は、単なる歴史探訪にとどまらなかった。蒸留酒の香り、石畳に差す夕暮れ、修道士や修道女が生きた時間が今も息づく空間。そこには「信仰」と「産業」「美食」が重なり合う、ニーダーザクセンならではの文化の厚みがある。
修道院は静かな遺構ではなく、体験の舞台であり、地域文化の入口だ。次は、ぜひ修道院ホテルに泊まり、鐘の音で目覚める朝を迎えてみるのはいかがか。

修道院庭園にて
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Information:
ゴスラー醸造所
ヴェルティンゲローデ修道院
修道院ホテルヴェルテンゲローデ
ヴァルケンリード修道院
ブルンスハウゼン修道院
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取材協力:Niedersachsen Tourismus
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シュピッツナーゲル典子 ドイツ在住 国際ジャーナリスト連盟会員
社会問題や医療、ビジネス、書籍業界などを中心テーマに紙・ウェブ媒体で取材・執筆。女性雑誌連載のドイツ人キャリアウーマンインタビュー記事では各業界のトップに出会うのを楽しみにしている。食・ワイン、その土地ならではの魅力も探訪中 。趣味は、料理・水泳・音楽鑑賞・美術館巡り。コロナ禍を機に再開したパン作り。














