春の訪れを祝う魔女と悪魔の祭典が3年ぶりに再開されると知り、開催地ハルツ地方の街ゴスラーを訪ねた。数百年前から存在するこの祭りは、年に一度、4月30日夜から5月1日未明にかけて行われ、ヴァルプルギスの夜またはヘクセンナハトと呼ばれる。ゴスラー魔女祭りの様子と旧市街の見どころをご紹介。

衣装は皆の手作りだという

ヴァルプルギスの夜とは?

ヴァルプルギスとは、疫病や妖術から守ってくれたといわれる春の聖女の名前に由来するそうだ。かつては春を祝う祭りだったが、キリスト教が浸透するなかで、異教徒の祭りと変化し、その象徴として魔女が登場するようになったという。現在は、春の訪れを祝う祭りとして欧州各地で行われる伝統祭として受け継がれている。

ドイツで一番有名な魔女の集会場はハルツ山地最高峰のブロッケン山(標高1142m)。1896年にはすでに祭りの重要な会場になっていた山頂で魔女と悪魔が並んで踊っていたという。

東西ドイツに分断されていたハルツ山地一帯は、なかなか足を踏み入れない秘境だった。だが統一後は、整備も進み、多くのハイカーや観光客の旅先として人気を集めている。

店頭に飾ってある魔女

4月30日の夜、ほうきに乗った魔女が山頂に集まるという言い伝えは、ハルツ地方に滞在したゲーテが「ファウスト」でヴァルプルギスの夜について触れていることから話題となったそうだ。そのためこの地方のカフェやお土産店では魔女の人形や魔女をモチーフとした品をよく目にする。

現在、祭りは景観保護のためブロッケン山頂では行われず、山麓のいくつかの街で開催されている。

ハルツ地方を旅した際に文豪ゲーテが滞在したゴスラーの家 Worth通り2/3

ハルツ山地の帝都

ハルツ地方にはたくさんの魔女伝説と共に、手つかずの雄大な自然や木組みの家並みが残り、世界遺産の美しい街が点在する。

なかでもゴスラーは、この地方の中心的な街で、東西ドイツ統一まで西側に属した中世の街並みが美しい古都。旧市街、ランメルスベルク鉱山、オーバーハルツ水利管理システムの3か所が世界遺産に登録されている。

ゴスラー全景の模型

11世紀から栄えたかつての帝国自由都市ゴスラーは、銀、銅、鉛を産出する鉱山の街として繁栄し、15~16世紀に最盛期を迎えた。その当時の隆盛を物語る歴史的建造物が今も旧市街に多く残っている。

1992年にユネスコ世界遺産に登録された旧市街は特に保存状態がよく、1500軒を超えるさまざまな時代の木組みの家がある。この木組みの家々を見るだけでも、訪れる価値のある街だ。ちなみに旧市街にある建物のうち3分の2は19世紀中頃以前に建てられたという。

景観の特徴は、灰色の石板スレート張りを用いた屋根や壁の建物が多い点だ。そのため街全体がエレガントな雰囲気を醸し出している。

市内で一番美しい木組みの家ブルストトゥーフ 現在はホテル マルクト教会横

ゴスラー到着は4月29日午後。まずはマルクト教会の塔へ。市庁舎の裏手にある教会は、12世紀中ほどに建設された街のシンボルだ。この日は5時起きで自宅を出発したこともあり、231もある階段を上りきれるか不安だった。だが塔から広場の様子や街並み、近郊の山並みを一望すると、疲れも一気に吹き飛んだ。

その後、市街の南にある皇帝居城カイザープファルツへ向かった。皇居は、11世紀初期から中頃にかけてハインリヒ3世により築かれ、19世紀後半に完全修復された。150年以上にわたって皇帝の集会や宮廷の場となり、ドイツ帝国で最も重要な位置を占めていた歴史的な場所だ。

上階にある800平方メートル近い広さのカイザーホール(皇帝ホール)の壁画は、まるで美術館の一部屋。歴史画家のヘルマン・ヴィスリーケヌスが19世紀、ホーエンツォレルン家と神聖ローマ帝国の歴史場面を描いたという。

南側に隣接する聖ウルリッヒ礼拝堂には、1056年に亡くなった等身大の皇帝ヘンリー3世をかたどった墓碑があり、その下には3世の心臓が眠っている。「心は常にゴスラーに留まりたい」という皇帝の希望だった。

悪魔と旧市街散策

30日午前のガイドツアー「1000歩で回る旧市街」に参加した。市庁舎から始まり、旧市街を巡り、マルクト教会まで約2時間のツアーだ。ちなみにガイドはドイツ語だったが、事前に予約すれば日本語も可能だ。

ガイドのトーマスさん(左)と同僚

ガイドのトーマスさん(左)と同僚

ツアー集合場所の市庁舎前で待っていると、悪魔に扮したガイド・トーマス・モリッツさんが庁舎から出てきた。ヴァルプルギスの夜に因んだ服装の彼は、40年以上も観光ガイドを務める博識な方。街の歴史紹介は退屈になりがちだが、トーマスさんのユーモアたっぷりな説明で、長いと思ったツワーは瞬く間に終わった。

市庁舎(左) 後ろにはマルクト教会の塔が見える

市庁舎
マルクト広場にある最も印象的な市庁舎は、鉱業ブームで富を得た街の象徴。15世紀半ばから400年以上にわたって増築を繰り返してきた世紀の建造物だ。ツーリストインフォも舎内にある。

見学ハイライトは、宣誓の間。残念ながら今秋開催予定のマルチメディア展準備のため閉鎖されていた。1505年から1520年にかけて議会場として整備された部屋の壁、天井、窓の窪みまですべてパネル絵で埋め尽くされており、後期ゴシックの空間芸術の中でも異彩を放っている。

噴水前 悪魔姿のガイド・トーマスさん

マルクト広場と噴水
マルクト広場は中央にある噴水を中心に放射状につくられている。噴水前で、「下部の鉢は、ブロッケンで祝宴を終えた後に浸かる私(悪魔)のバスタブです」と笑みを浮かべるトーマスさん。

下部の鉢は最も古く12世紀に作られたもので、ロマネスク時代のブロンズ鋳造品としては史上最大だそう。上部の鉢と鷲は、13世紀にそれぞれ独立してつくられ、その後、すべてのパーツが統合され、ひとつの噴水となったそうだ。

ギルドハウス「カイザーウォルト」
布商人のギルドハウス(同業団体)だったカイザーウォルトのファサードには豪華な装飾が施されている。歴代皇帝の像のほか、ゴスラーの非公式ランドマークのひとつであるお尻から金貨を排泄している小男「ドゥカテン・シャイザー」も見逃せない。

15世紀末建造のハウスは、ゴスラーで最も繁栄した豪商で、当時の富と影響力を示す記念建造物だ。彼らはこの街で最も裕福で影響力のある市民であり、市庁舎を凌ぐほど存在感を示していたという。

カイザーリングハウスの仕掛け時計
市庁舎対面にあるスレート張りのカイザーリングハウス「シーファー」はホテル兼レストランとして営業中。ここで見逃せないのは建物の上部に見られる仕掛け時計だ。1日4回(9時、12時、15時、18時)に、3つの小さな扉が開いて鐘の音色と共に、鉱夫の衣装を着たフィギュアが現れ、ランメルスベルク鉱山の発見から現在に至るまでの歴史を紹介している。鉱山で繁栄したこの街ならではのアトラクションだ。

シーメンスハウス
17世紀後半、商人であり町長でもあったハンス・シーメンスによって建てられたこの家は、市内最大規模の個人宅だった。玄関のドアには建築家のモットーである「ora et labora(祈りと仕事)」の木彫りの装飾が施されている。

魔女ダンスで沸く「ヴァルプルギスの夜」

ガイドツアー終了後、再びマルクト広場へ。中世風マーケットやバンド演奏、ソーセージにクレープ、ドリンクを提供するスタンド前は、どこも大賑わい。工夫を凝らした衣装を着た魔女たちや悪魔に遭遇し、見るだけでも楽しい。3年ぶりの祭りとあって想像していたものの、身動きできない混雑に圧倒された。

マルクト広場の魔女祭

ハイライトは夜7時半から始まった魔女のダンス。ほうきを振り回しながら踊る1時間のパーフォーマンスに歓声が響き渡った。あまりの混み合いに写真を撮るのもままならない。ダンス終了後、運よく魔女たちの休憩所を見つけて、撮影をお願いすると笑顔で対応してくれた。

クライマックスは夜中。かがり火が燃える周辺で悪魔や魔女が集まり、歌い踊り狂うが、ゴスラーの祭りは、マルクト広場でバンド演奏やラジオ生放送が夜中まで続き、終了した。

ゴスラーは今年、建都1100年を迎え、4月から年末まで特別イベントを開催中。ニーダーザクセン州の州都ハノーファーから普通電車に乗って1時間半とアクセスしやすいこの街は、いつか訪問したいと思っていた。

今回の印象は、大都市とは違う中世の趣の残る田舎町。人口5万人程の小さな街ながら、風情溢れる世界遺産の旧市街、石畳の路地、城や木組みの家など見所満載で隅々まで見学するには2泊3日でも足りないくらいだ。近くにはハルツ地方の大自然もある。次回は博物館めぐりと大自然を楽しみたいと思った。


取材協力:
Tourismusmarketing Niedersachsen GmbH
GOSLAR marketing gmbh

All Photos by Noriko Spitznagel
一部画像は特別許可を得て撮影

シュピッツナーゲル典子
ドイツ在住。国際ジャーナリスト連盟会員