世界中を襲っているCovid-19ウイルスによるパンデミック災禍は、なかなか先が見えない。8月現在、ブラジルからドイツに入国する場合は、ワクチン接種者も未接種者も、2週間の隔離義務があるため、旅程を先延ばしにしている状態だ。

パンデミックの収束を願いながら、一昨年11月に訪れたサンパウロを「南米一の大都会、サンパウロの懐へ」に続いて、2回にわたってご案内したい。

まずは「メルカード・ムニシパウ」へ

ブラジルの食の多様性を実感できる場所が、サンパウロの市営中央市場「メルカード・ムニシパウ(Mercado Municipal)」だ。地下鉄1号線(ブルーライン)のサン・ベント駅から歩いて10分のところにある。市場に向かう道路には、おびただしい数の雑貨店がひしめき合っていて、食べ物の屋台も多い。いつ訪れても、日本の大晦日の市場街のような賑わいだ。

「メルカード・ムニシパウ」の建物は新古典主義様式と言われ、ヨーロッパの駅舎を彷彿させる。設計者は州立美術館ピナコテカを手がけたフェリスベルト・ランツィーニだ。市場が完成した1933年当時、サンパウロは世界のコーヒー取引のメトロポールだった。2004年に大掛かりな改修工事が行われ、様々な食材の生産工程を描写したステンドグラスがよみがえり、中層階に食堂街ができた。1ヘクタール余りの広大な館内には、果物、野菜、穀類、肉類や魚介類、スパイスなど食材や食料品店がぎっしりと並ぶ。サンパウロ観光には欠かせないスポットだ。

「メルカード・ムニシパウ」のアイコン的な食べ物が、モルタデッラのサンドイッチだ。市場の創設時から代々続くポルトガル系の軽食スタンドの従業員が、1960年代にモルタデッラを数え切れないほど何枚も分厚く重ねてサンドイッチを作ったところ、大人気となり、市場の他の店舗でも出すようになった。最初にこのサンドイッチを考案したという店は、現在「マネ(Mané)」という店名で営業している。

街角の青空市場

サンパウロでは毎日のように、どこかの街角でフェイラ・リブリ(Feira Livre)と呼ばれる青空市場が立つ。パウリスタ大通りを含むベラ・ヴィスタ地区だと、週に4回、どこかの通りにやってくる。ホテルのフロントで、最寄りのフェイラ・リブリの情報を入手するのが一番だ。

木曜の早朝、ベラ・ヴィスタ地区の青空市場を訪れた。野菜と果物のスタンドが目立ち、肉屋や魚屋、観葉植物や台所用品なども出店している。珍しい熱帯の果実や野菜、日本ともヨーロッパとも異なる大胆で独創的なディスプレイを眺めるだけでも楽しい。

青空市場では、朝食や昼食を食べる楽しみもある。どこの市場にもあるのが、パステウのスタンドだ。大きな揚げ餃子のようなパステウの具は、挽き肉、エビ、パウミットと呼ばれる椰子の若芽、チーズなどのバリエーションがある。パステウを売っているのは、たいていが日系ブラジル人の店だ。1940年頃に日系人がサントスで売り始めたと言われ、60年代に各地に広まった。

日本人が培ったブラジルの野菜文化

市場の八百屋にも日系人の店がある 。1908年からブラジルへ移住し始めた日本人は、ブラジルの農業に著しく貢献したことで知られる。移民のほとんどが、当初はコーヒー農園の契約労働者として働いていたが、のちに多くの家族が、大変な苦労をして独立し、農業を生業とした。移民たちは日本などから新種の作物を導入したり、品種改良を行ったり、栽培技術や生産技術を進化させ、協同組合を形成してサンパウロの青果市場に進出していった。

かつて農作物の取引の場は、今や観光地でもある「メルカード・ムニシパウ」だった。その界隈には日本人が多く住んでいたそうだ。1960年代後半からは、サンパウロ西部のヴィラ・レオポルディーナ地区に新設された、南米最大の食料供給センターである「サンパウロ中央青果市場(CEAGESP/セアジェスピ)」に拠点が移った。敷地面積は「メルカード・ムニシパウ」の50倍もある。

「サンパウロ中央青果市場」は、パリやニューヨークの青果市場に次ぐ規模を誇る。日系農家や日系の協同組合はこの市場の発展に大きく貢献しており、初期の頃は関係者の9割が日系人だったそうだ。水曜日と週末には、中央ホールで一般向けの市が開かれ、買い物客であふれる。初めて行った時は、その規模の大きさに圧倒された。青果類だけでなく、日本食品の店もあり、ブラジル産の味噌や納豆、漬物や豆腐、餅や和菓子、巻きずしやいなり寿司なども買える。日本とは全く環境が異なる南米で、日本の食文化を伝承し、ブラジルの食文化をより豊かなものにしている日系移民のパワーには、ただただ敬服するばかりだ。

ボテッコという文化

ブラジルの街を歩いていると、ボテッコと呼ばれる店があちこちにあることに気づく。カフェと軽食屋と居酒屋を兼ねた店舗で、お菓子や日用品などを販売している場合もある。たいてい角地にあり、開放的で入りやすい。近所の人々が出入りする集会場のような雰囲気の店もあり、ボテッコに立ち寄ることを日課にしている人も多い。

ボテッコでは、サンドイッチや日本でもおなじみのポン・デ・ケイジョ、パステウ、コシーニャなどの軽い食事を提供している。コシーニャは細かくほぐした鶏肉を、茹でて潰したじゃがいもと小麦粉を練った生地で包み揚げたコロッケだ。ポルトガルにもあるそうだが、ブラジルでは工業化が進み始めたサンパウロ地域で作られ、工場のゲートなどで売られるようになったという。しずくの形にまとめて揚げるのだが、それが鶏のもも(コシャ)のような形なのでコシーニャ(小さなもも)と呼ばれるようになった。

ボテッコでは、生ジュースが充実している、搾りたてのオレンジジュースのほか、マンゴー、パッションフルーツ、グアバ、パイナップル、アサイー、アセロラなど南国のフルーツが一通り揃う。中には、ジューサーのジャーごとサービスしてくれる気前の良い店もある。気軽に立ち寄れるボテッコで、時々水分を補給しながら街歩きをするのもブラジルならではの楽しみのひとつだ。


All Photos by Junko Iwamoto

岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com