サンパウロは南米最大の都市だ。人口はおよそ1200万人、面積は約1500平方キロメートル。東京都と同じくらいの人口が、東京23区の2倍くらいの場所に住んでいる。

筆者は友人の家を転々とすることもあるが、宿をとる場合はパウリスタ大通りか、その近辺にしている。地下鉄2号線(グリーンライン)と4号線(イエローライン)が通っていて、アクセスがいいからだ。ビジネスの拠点だが、サンパウロ美術館(MASP)をはじめ、文化施設やショッピングセンターが充実しており、レストランやバーも選択肢が多い。日本文化の発信地であるジャパンハウスもこの通りにあり、隈研吾設計のリズミカルな木のファサードがひときわ目をひく。

© Estevam Romera

原生林の記憶をとどめるトリアノン公園

パウリスタ大通りは標高800メートルの山頂にある。日曜日は歩行者天国となり、アマチュア歌手やバンド、大道芸人、ズンバのグループ、サイクリストやジョガー、露天商や食べ物の屋台などで賑わう。展覧会などをはしごすれば、パウリスタ大通りだけで丸1日楽しめる。

この大通りの中ほどに、深い森のような公園がある。19世紀末に造られたトリアノン公園だ。静けさの中を、犬の散歩やジョギングをする人が行き交う。高層ビルに囲まれているが、木々の背が高く、鬱蒼としていて、都会の喧騒を忘れるほどだ。約5ヘクタールほどの広さだが、アボカドやシナモン、ユーカリ、パラゴムノキなど、130種類を超える樹木や植物が茂り、ハチドリなどがやってくる。

アマゾン熱帯雨林とならんで知られる「マタ・アトランチカ(大西洋岸森林)」の植生が、この公園には凝縮された形で保存されていると言う。ここに佇むと、かつてサンパウロを覆っていた失われた森に思いを馳せることができる。ただし次の瞬間には、上空を行き交うヘリコプターの爆音に驚くことになるかもしれない。パウリスタ大通り一帯は、ビルの屋上に設営されたヘリポートが、世界で最も集中している地域のひとつだと言う。

ウオール・アート都市、サンパウロ

巨大なモノトーンの壁が縦横に伸びるサンパウロのコンクリートジャングルは、グラフィティ・アーティストたちに自己表現の場を提供してきた。違法を承知で始まったペインティングは、やがて街を美化するアートとして奨励されるようになり、才能を開花させた描き手たちが、ウオール・アーティストとして注目されるようになった。

パウリスタ大通りの界隈でも、ウオール・アートを目にするチャンスは多い。とりわけ目を引くのが、世界的に活躍しているウオール・アーティスト、エドゥアルド・コブラ(Eduardo Kobra)の作品だ。彼はフォトリアリズムのモノクロのポートレートに幾何学的でカラフルな色彩分割を施し、新時代のキュービズムとでも言うべき独自のスタイルを生み出した。日本でも西武池袋本店の屋上や駐日ブラジル大使館のエントランスで制作を行った経験がある。

サンパウロには、ウオール・アートがオープン・エアのギャラリーのように密集している場所もある。ヴィラ・マッダレーナ地区の「ベコ・ド・バッチマン(バットマンの路地)」だ。一帯にはバーやレストランも多く、人気の散策スポットとなっている。

街区の名称は、1980年代に、ある建物の壁にアメリカン・コミックスのキャラクター、バットマンが描かれたことに由来する。その後、地元の美大生などが近隣の壁に様々なスタイルで作品を描き始め、一帯がグラフィティ・アートで溢れるようになった。現在では、地区の管理スタッフが保存や修復を担当し、アーバン・アートの先駆的存在となっている。最寄駅は地下鉄2号線スマレなど。筆者は地下鉄のパウリスタ駅前からタクシーを利用した。

近年レストラン街として充実してきたヘプブリカ地区では、大掛かりなウオール・アートのプロジェクト「アクアリオ・ウルバーノ(アーバン・アクアリウム)」が進行中だ。完成すれば世界最大規模のウオール・アートになるという。隣接、あるいは対面する15棟の高層ビルの、トータル1万平米の壁面に海底風景を分割して描く、他に例がない空間型のウオール・アートは、アーティストのフェリペ・ユン「フリップ」(Felipe Yung „Flip“)と文化プロデューサーのクレーバー・パグ(Kléber Pagú)の共同プロジェクトだ。パグはエドゥアルド・コブラの活動をサポートした経験を持つ。

プロジェクトがスタートしたのは2017年。2人は各々のビルの壁面を無償提供してもらえるよう、所有者や居住者らと交渉を始めた。並行してスポンサーを募集、塗料会社からは、総額12万ドル分の塗料を提供してもらったという。

昨年10月に訪れた時は、7割くらいが完成していた。灰色だった街並みは、コミックスのキャラクターのような海の生物が漂う色鮮やかな海底風景へと変化し始めていた。完成後は、ヘッドマウント・ディスプレイを装着すれば、魚たちが動き、海底に潜ったかのようなヴァーチャル・リアリティを体験できるという。

大都会の真ん中で架空の海底に潜るという体験は、気候変動によって起こり得る海面の上昇などを想起させる。フリップとパグの狙いはまさにそこにある。2人は環境に配慮し、製作過程において生じた廃棄物はすべてリサイクルに回している。最寄り駅は地下鉄3号線(レッドライン)と4号線(イエローライン)のヘプブリカ駅だ。

水曜と土曜はフェイジョアーダ

サンパウロに滞在するときには、1度は必ずフェイジョアーダを食べに行く。手間暇のかかる煮込み料理なので、都会ではレストランで食べる人が多い。ただしフェイジョアーダを毎日提供している店はあまりない。サンパウロ地域では、水曜と土曜、あるいは土曜にだけメニューに登場する。

フェイジョアーダは、牛肉や豚肉、豚肉なら耳から尻尾までのあらゆる部位を黒豆と一緒に煮込んだ料理で、ご飯にかけて食べる。付け合わせは、ケールを粗い千切りにして炒めたもの、スライスしたオレンジ、マニョック芋の粉を刻んだベーコンや玉ねぎなどと一緒に炒めたファロファだ。もともとポルトガル人が伝えた料理で、ブラジル風にアレンジされている。

今回はサンパウロに1週間滞在したので、フェイジョアーダを2度味わうチャンスがあった。1度目はサンパウロ大学があるブタンタン地区の庶民的な食堂「カサ・ド・ノルチ」で量り売りのフェイジョアーダを食べに行った。ブラジルでは、通常のレストランの他に、「ホディツィオ(rodizio)」と呼ばれる食べ放題のレストランと「ポル・キロ(por kilo)」と言う量り売りレストランがある。少食の人や食事制限が必要な人は「ポル・キロ」が便利だ。

2度目はイタリア人移民の多い、ビシガ地区のレストラン「セントラル・パネラソ」で、ビーガンのフェイジョアーダを試してみた。こちらはパンク・ミュージシャンでビーガンの料理人、ジョアン・ゴルドが経営する人気のレストランだ。

サンパウロでレストランが充実している地域のひとつがピニェイロスだ。最寄駅は地下鉄4号線(イエローライン)のオスカー・フレイリーかフラディキ・コウチーニョ。パウリスタ大通りからも歩いていける距離だ。お昼時になると、どこからか人が集まってくる。「ワインカルテが充実しているから」と友人に勧められて行ったレストラン「オヴォ・エ・ウヴァ(卵とぶどう)」の日替わりランチは、典型的なブラジルご飯だった。ニンニクと油で炒めてから炊いたブラジル式の白いご飯とフェイジョンと呼ばれる塩味の豆の煮込みで、フェイジョアーダも基本的には同じ。ブラジル人にとってのご飯と豆の煮込みは、日本人にとってのご飯と味噌汁のようなものなのだろう。


岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com