スイスは山や湖の絶景、そして所々に残る中世の風景が気取らない雰囲気を醸し出す。そこに美しいモダンな建築が溶け込み、街並みにメリハリを与えている。都市部にも山間部にも目を引く建築作品がたくさんある。スイスの建築家には、スイス連邦工科大学チューリヒ校(ETH)建築学科卒業生が多い。大学の建築分野ランキングで、ETHは世界で第4位、ヨーロッパ内で第3位だと聞けば、スイスの建築物のレベルがいかに優れているかは自ずとわかるだろう。スイスの中でも名建築が多いチューリヒを訪れたなら、面白い建物とアート・デザインとを効率的に思う存分楽しめる方法がある。市内を走る路面電車の「4番線」でめぐるのだ。どんな建築物があるのか、ポイントになるスポットを順に見ていこう。

有名な美術館へもアクセスできるルート前半

路面電車4番線は、26の停留所を32分かけて走る。チューリ湖畔の≪ティーフェンブルネン駅 Bahnhof Tiefenbrunnen≫が始発だ。この駅の付近から7番目の停留所≪オペラハウス Opernhaus≫までの湖畔には緑地が広がり、長い遊歩道が敷かれていて、休日にはたくさんの市民でにぎわう。DIRECTIONで紹介した「パビリオン・ル・コルビュジエ  ル・コルビュジエ 初期と最後の作品に見る創造のパワー」はこの緑地内にあり、4番目の停留所≪ホーシュガッセ Höschgasse≫で降りて湖に向かって直進すると(徒歩4分)見えてくる。

次に下りたい停留所は、7番目≪オペラハウス≫。ここには大きい広場があり、チューリヒ歌劇場が建っている。歌劇場を左手にし、右手へ150m行くと半円窓が多数ある白い凸型の建物が見える。ここが次のスポット「シュタデルホーフェン駅」だ。牧歌的な雰囲気しかなかった同駅は約5年がかりで改築され、1990年に現在の洗練された姿になった。柔らかさと硬さが見事に融合した柱や手すり、プラットホーム1番線頭上のガラスの屋根、1番線から歌劇場へ向かう道路との間に段差や仕切りがない点、地下のショッピング街に表現されたうねりのあるコンクリートなど、細部に渡りあか抜けた駅だという印象を与える。

設計は、世界的に活躍している建築家サンティアゴ・カラトラバ(スペイン出身でETH卒業、今年70歳)が、まだ無名の時代に担当した。その後、カラトラバがとても有名になったためか共作であることはあまりふれられないが、実際はカラトラバと、スイスで名を馳せていたスイス人の内装建築家と景観建築家の3者によるコラボ作品だ。

スイスでは箱型や直線的な形体のモダン建築が好まれる傾向にある中、この丸みがかった駅には当初、批判的な意見もあった。だが、その後評価は高まり、30年経っても、このオーガニック的な建築美への称賛はやまない。スイスのある建築雑誌は、シュタデルホーフェン駅は1990年前後のベスト建築として間違いなく上位に入ると指摘している。

なお、駅の地下を拡張し、新しいプラットホームが建設されることが最近決まった。チューリヒの建築事務所が担当する。拡張部の完成は2035年を見込み、カラトラバらが設計した部分はほぼ変わらないという。

Photo by Fernando Meloni on Unsplash

では、路面電車へ戻ろう。1つ先の停留所≪ベルヴュー Bellevue≫からは、スイスを代表する近代美術のコレクション、「チューリヒ美術館」へアクセスできる。湖と反対側へ歩き6分で着く。名立たる芸術家たちの傑作品を楽しみたい人はぜひ立ち寄るべきだ。今秋には、イギリス出身で世界的に有名なデイヴィッド・チッパーフィールドの設計による巨大な新館がオープンするので見所は2倍になる。

ルート前半の最後は、≪ベルヴュー≫の次の停留所≪ヘルムハウス Helmhaus≫前にある「ヘルムハウス」に行ってみよう。穴場的な小さい無料美術館で、スイスに住むアーティストの現代アートを展示する場所として親しまれている。筆者の友人の1人はチューリヒ美術館には行かないが、びっくりするような、また理解し難い不思議なアートに出合えるからとヘルムハウスには定期的に足を運んでいる。

ヘルムハウスは、ヴァッサーキルへという教会(1488年完成)の出入り口となっている(教会に入るためには、まずヘルムハウスに入らないといけない)。現在のヘルムハウスは1791年に建てられたものだ。ヘルムとはヘルメットのこと。昔の人たちは教会玄関のひさしをヘルムと呼んでいたそうで、そこに木製の家のようなものを作ってつなぎヘルムハウスと呼んだ。建て替えられてからも名前は変わっていない。

ヘルムハウスの1階は空洞部(ピロティ)で、2階と3階が展示室だ。朱色の長い柱がまぶしい。ヴァッサーキルへは午後数時間のみ開いているので、時間が合えばヘルムハウスと一緒に訪れてほしい。

個性的な建物が続く中盤

ここからはルート中盤だ。13番目の停留所≪バーンホフケ Bahnhofquai/HB≫で降りてみよう。チューリヒ中央駅が目と鼻の先だ。いかにもヨーロッパの駅というスイス最大の鉄道駅は、やはり重厚感がある。路面電車はこの停留所から中央駅の裏側を沿うように進んでいくが、その裏側で訪れたいのが旧館と新館で構成されている「スイス国立博物館」だ。

旧館は1898年に完成した古い城のスタイルで、チューリヒ生まれの建築家グスタフ・グル(ETH卒業)によるもの。その後、グルは約30年ETH建築学部教授を務めつつ、チューリヒの公共建築を手掛けた。旧館と連結している幾何学的な新館は、2016年夏にオープンした。バーゼルの建築事務所クリスト&ガンテンバインが、新館建設のコンペを勝ち抜いた(クリストもガンテンバインもETH卒業。共に数年来、ETHで教鞭も取っている)。

旧館の外観は愛らしいと感じられる一方、窓が多過ぎて少し凝り過ぎている感じも受ける。それとは対照的に新館は徹底的にすっきりした、鋭角が際立つコンクリート製だ。新館オープンにあたり、クリストは「私たちの世代も、現代的な建築物を後世に残すよう努力することが非常に大切だ。また、新館は旧館とのコントラストを表現しているだけでなく、旧館がなければ作ることはできなかったという意味で連続性も表していることに気づいてほしい」とテレビのインタビューで語っていた。

そんな設計者の思いは人々に伝わっているようで、ぐるりと一周して新旧の外観を楽しんでいる人たちもよく見かける。

次のスポットは、デザイン好きなら建築とともに常設展や企画展も見てほしい美術館だ。≪バーンホフケ≫から数えて2つ目の停留所≪ムゼウム・フュア・ゲシュタルトゥング Museum für Gestaltung≫の「チューリヒ・ゲシュタルトゥング美術館」はデザインに特化した美術館で、50万点以上の作品を保管している。

1933年に建てられた建物の設計担当は、1932年まで10年間ほど活動していたチューリヒの建築ユニット、シュテーガー&エゲンダー。同ユニットはスイスの近代建築運動の担い手で、新しいスタイルの建築物の数々を設計した。2018年にリニューアルオープンした機能的で美しいこの美術館には、大型ポスター、多数の生活用品、古い家具から新しい家具までと、インスピレーションをかきたてるようなオブジェが詰まっている。ミュージアムショップも充実している。この美術館は、後述するチューリヒ芸術大学内に分館があり、分館では別の展示を開催している。

ルート中盤の最後、18、19、20番目の3つの停留所は、チューリヒ西と呼ばれるエリアにある。ここは昔の工業地区で再開発が進み、いまは洒落た場所に生まれ変わっている。ここでは「重なり」がテーマになるだろう。

18番目≪ローヴェンブロイ Löwenbräu≫の前では、レンガの壁の歴史的建造物、その拡張棟として作られた白いコンクリートのビル、黒い格子柄のビル、赤い格子柄のビルの重なりが楽しめる。残っているサイロや煙突からもわかるように、昔はビール醸造所だった。いまはローヴェンブロイ・クンスト社が、歴史的建造物をコンテポラリーアートセンターとして運営している。美術館2つ、ギャラリー、カフェなどがあり、アート好きな人たちにとっては最適な憩いの場だ。黒い格子柄のビルは住居スペースで、赤い格子柄のビルはオフィススペースになっている。垂直性を強調したのは、新しい都市的なシルエットを作りたかったのと、サイロの背の高さをイメージしたためだという。

設計は、チューリヒの建築ユニットのギゴン&ゴヤー(両者ともETH卒業)と、同じくチューリヒの建築事務所のアトリエWWが手掛けた。ギゴン&ゴヤーは、和英バイリンガルの海外建築情報雑誌『a+U』でも取り上げられているので、建築好きな人なら聞いたことがあるかもしれない。

さて、ここで少し気分を変え、ショッピングしたりお茶を飲んだりしてはどうだろうか。ローヴェンブロイの斜め向かい、高架線下にショッピング街「イム・ヴィアドゥクト」が広がっている。1894年製のこの古い高架下にはいくつか店はあったが、500メートルにも渡って整備し、50ほどのアーチ下に店などがオープンしたのは2010年のことだ。屋内マーケット、レストラン、ファッションやインテリア用品やアウトドア用品の店、フィットネスルームなどは、基本的に月曜から土曜まで朝から夜まで開いている。端から端まで歩くと8分かかるシックなこのショッピング街が、建築の賞をいくつか受賞したのも納得できる。設計はチューリヒの建築事務所EM2Nが担った(事務所を立ち上げた2人ともETH卒業)。

1つ先、≪エシャー・ウィス・プラッツ Escher-Wyss-Platz≫停留所も、気分転換のスポットだ。ここで降りたら道なりに少し歩いて、突然現れるレンガ製のオブジェ「タワーズ」を見よう。この5体は、2012年夏にチューリヒ西で開催された野外アートフェスティバルの名残だ。国外のアーティスト作で、電動ドライバーのビット(先端に取り付ける部品)をイメージしたもの。タワーズはフェスティバル開催中、最も多く撮影された作品の1つだったことから、市は一式を10年間借りることにした。

なお、重なりの点では、5体の奥に見える水色の高層ビル「プライム・タワー」にもふれないわけにはいかない。126メートルのこのビルは、竣工した2011年から数年間、スイス一高いビルとして話題になった。先ほどのローヴェンブロイのビル群を設計したギゴン&ゴヤーによるデザインだ。

20番目の停留所≪シフバウ Schiffbau≫にあるシフバウ劇場は、造船所という歴史的な建物を生かしている。この中にはムーズという有名なジャズクラブがあることでも知られるが、ガラスで半分に区切ってバーとレストランにしたロビーは、趣の異なる椅子の重なりが必見(飲食しなくても入れる)。

最後は、芸術大学で学生気分に

路面電車4番線の最後の作品は、2014年に完成した「チューリヒ芸術大学」(通称トニ・アレアル)だ。停留所≪トニ・アレアル Toni-Areal≫の目の前にそびえる灰色のビルは一見するとただの巨大なビルだが、デザイン的な工夫が散りばめられている。

ビルは築40数年で、トニというスイスの乳製品ブランドの工場だった。ヨーロッパの乳製品工場の中で、トニを越える製造所はなかったという。この事実は、その巨大さからもうかがえる。しばらく有効活用されていなかった元工場は、美術、音楽、演劇と市内に点在していた芸大の各キャンパスを1つに集めるという計画により、息を吹き返すことになった。壮大な設計は、先に出てきた高架線下のショッピング街をデザインしたEM2Nが行った。

ビルにつながる裏正面には、工場時代の搬送用トラックの通路だった長いスロープがある。EM2Nは元工場を教育と文化の空間に作り変えるにあたり、スロープを都市の大通りとして解釈し、建物内に都市を作るというアイデアを練り上げた。キャンパス内をぐるりと見て回ると、多様な面をもつ芸術という分野が、確かに1つの都市として表現されていることがわかるに違いない。

まずは中に入り、天井の高いエントランスホールの開放的な空気に浸ってみよう。ここから幅の広い階段で上階へ行くことができる。この階段はキャンパス内で最も幅が広い。階段は上へ上へと続き、屋上に出る階段の幅が最も狭くなっている。垂直方向で変化をつけるなら平面でも変化をつけようと、廊下の幅が徐々に狭くなっている箇所もある。工場だった時代に巨大なタンクがあった場所は廊下にして吹き抜けにしてあるし、屋外の吹き抜けが数か所あり学生の作品を飾ったりそこで談話したりできる。屋上も非常に開放的で、緑地スペースもある。もちろんデッサンルーム、工作室、映像スタジオ、音楽室やコンサートホール、バレエスタジオといった個々の学部用の大小の部屋は多数あるが、一般市民向けのミュージッククラブ、映画館、ゲシュタルトゥング美術館分館があり、図書館も開放しているため、学生以外の人もこの大学をしばしば訪れている。

長年ここで教えてきた講師が「これほど素晴らしい建築を持つ芸大は、ヨーロッパでは数えるくらいだ」と絶賛していたのは、きっと誇張ではないのだろう。

路面電車4番線に乗ると、とにかくワクワクする。じっくり見たら1日では足りないくらいだが、この路線のアートシーンは10年後もっと充実しているのではと期待が膨らむ。

Photos by Satomi Iwasawa

岩澤里美
ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。
イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。
共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。
ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。
おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。
HP https://www.satomi-iwasawa.com/