世界各地にホエールウォッチングスポットは数あれど、「ホエールスイム」ができる場所は数えるほどしかない。南太平洋のトンガ王国は、ザトウクジラと泳ぐことができる知る人ぞ知る、貴重なスポットだ。ダイビングではなく、シュノーケルという手軽さもあって、シーズン中は大勢の旅行者でにぎわう。

Courtesy of Matafonua Lodge

壮大なスケールで生きるザトウクジラ

ザトウクジラは、季節によって異なる海域を回遊している。トンガでザトウクジラが見られるのは、冬の始まりにあたる7月頃から、春先の10~11月にかけて。春になると数千キロ離れた南極に向けて旅立ち、夏季は餌の豊富な南氷洋で過ごし、秋が来て水温が下がると北上し、冬の間は暖かい海で交尾・出産・子育てをする。通過地点ではなく目的地となるトンガの海では、非常によいコンディションでクジラと泳ぐことができるのだ。

南半球のザトウクジラは、生まれたばかりの赤ちゃんクジラでも体長は約4~5メートル、大人になると約14~19メートルになる。日本で走っている一般的な大型観光バスは通常全長12メートル、全幅2.5メートル程らしいので、それよりもう少しデカい、ということになる。特徴的なのは、体長の約3分の1にもなる大きな胸ビレ。学名(Megaptera Novaeangliae)の「メガプテラ」は「巨大な翼」を意味し、5メートルを超えることもある。

Photo by Middy Nakajima

心に深く残るとっておきの体験

「ブリーチング(水面より上に体を持ち上げる豪快なジャンプ)」や「テールスラップ(尾ビレを勢いよく振り下ろして海面を叩くこと)」など、豪快なアクションの多いザトウクジラは、クジラウォッチャーの間でも人気が高いが、船上から見るのと、波間に浮かんで見るのとでは大違い。

初めてトンガを訪れた10年前、わたしが最初に遭遇した「水面下のザトウクジラ」は、真下からゆっくりと浮上してくる母子クジラだった。その圧倒的な存在感! 人間の何とちっぽけなこと! 畏怖の念に打たれ、心が震えたスペシャルな感動体験は今も心に深く残っている。日常生活の中で、折に触れて思い出すその光景は、現実と向き合って忙しい日々を過ごすわたしをいつだって穏やかに包み、「ダイジョウブだ」と思わせてくれる。

以来ほぼ毎年同じ時期にトンガを訪れている。混雑するババウ島を避け、最近主に滞在するのは、もっぱらハアパイ諸島にあるフォア島だ。わたしの住むオーストラリアのシドニーからトンガの首都ヌクアロファのあるトンガタプ島へは直行便があり、飛行時間は約4時間30分。国内線で西海岸のパースへ行くのと同じくらいだから、意外と近い。

Photo by Middy Nakajima

ドラマに満ちたクジラの世界

毎回新たな発見があるホエールスイムは、決して飽きることがない。オスとメスのペアがいるかと思えば、「ヒートラン」と呼ばれる複数のオスによるメスの争奪戦が繰り広げられていたり、独り身のオスが歌を歌っていたり……といった行動パターンはあっても、“十頭十色”でクジラの世界もドラマに満ちている。

わたしのお気に入りは、休養モードの母子クジラだ。息継ぎの間隔が短い子クジラは浅い場所にいることが多く、母クジラも休息を必要としている。穏やかな海で警戒心を解いてうたた寝をしている母クジラの傍らで、くるりと回転したり、浮上したり、リラックスして遊んでいる子クジラを眺めている幸せといったら! 目を覚ました母クジラがじっとこちらを見ていたり、好奇心旺盛な子クジラが近寄ってきたりすることも珍しくなく、時に観察しているのか、されているのか分からなくなる。

ある年、3日連続で同じ母子クジラと過ごしたことがあった。つかず離れずにいた「エスコート」と呼ばれるオスがずっと歌っていたホエールソングは、耳からだけでなく、体の表面、そして内部にも振動が響き渡って、全身が共鳴・共振する不思議な感覚を味わった。「エルビス」と名付けられたそのクジラを母クジラはあまり好きではなかったらしく、近づいてくる度に、子クジラを連れてすっと移動していた。人間が近くにいるのは全然気にしないのに。最終日には、別のオスのクジラにエスコートの座を奪われ、エルビスは姿を消した。

いたずら好きの子クジラが……

クジラと泳ぐというと、「触れるの?」と聞かれることも多いが、クジラに限らず、野生動物にアプローチする時の基本ルールは近づきすぎないことだ。下手に触ろうとしてはたかれたりしたら、大怪我することは間違いない。もっとも至近距離でその巨体を目の当たりにすると、ほとんどの人は距離を取ろうとする。

……と言いながら、実は子クジラに「触られた」ことがある。その日の参加者は6人。最初に海に入った4人は、リラックスした様子の母子クジラと泳いでいた。順番に2人ずつ交代することになり、海に入った後、マスク越しにガイドと残った2人の位置を確認。その先にいる母クジラを視野に入れつつ、まっすぐに泳いでいる途中、ふと気配を感じて視線を右斜め前に動かすと、すぐそこにいる子クジラと目が合ったのだ! 「何でこんなところに?」という疑問はさておき、ぶつからないように体をよじるのが精一杯。いたずら好きの子クジラはさらに体を近づけてきたと思ったら、次の瞬間わたしの背中に優しく触れて泳ぎ去っていった。感触は、「ボヨ~ン」。あんな体験をすることはきっともう二度とない。

遠方に出かけることなく、何でも手軽に臨場感溢れる仮想体験ができる時代になっても、心が揺さぶられるリアルな場所の『生』の体験には叶わない。間もなくクジラたちがトンガにやってくる季節……と思うと、うずうずする。はてさて、今度はどんなクジラに出会えるだろうか?

Courtesy of Sandy Beach Resort

【information】

日本からの直行便はないため、オーストラリアのシドニー、ニュージーランドのオークランド、フィジーのナンディ等を経由してトンガタプ島のファアモツ国際空港へアクセスするのが一般的。

玄関口となるトンガタプ島が「トンガの現代」なのに対し、のどかな昔ながらのトンガが残るハアパイ諸島は「トンガの過去」、太平洋横断中のヨット乗りが補給や休息のために立ち寄る天然の良港があるババウ(ヴァヴァウ)島は「トンガの未来」と形容されることがある。トンガタプ島からハアパイ諸島の主島リフカ島へは国内線で約40分。ビーチに面したリゾートホテルは橋で結ばれたフォア島に2軒ある。

Tourism Tonga | Ha’apai 
Sandy Beach Resort 
Matafonua Lodge 


Photo by Middy Nakajima

南田 登喜子 | オーストラリア在住フリーランスライター・トラベルジャーナリスト

旅と仕事を交互に繰り返し、7年かけて五大陸70数ヵ国を巡った「放浪の時代」を経て、“振り出し”のオーストラリアへ。以来、シドニーとポートスティーブンスの2ヵ所を拠点に活動。さまざまな日本語媒体に寄稿するかたわら、メディアの取材・撮影コーディネートやエコツアーの運営等も手がけている。