2024年の夏、ドイツ、ハンブルクで初めて、デンマークワインの試飲会が開催された。『ニュー・ノルディック・ワイン』と称されたイベントには、デンマークの7つの醸造所が集まった。
新しいワインの国、デンマーク
デンマークは2000年に、EUによりワイン生産国として正式認可された、欧州最北のワイン産地だ。2018年にはユトランド半島南東地域のドンス(Dons)が、同国初の原産地呼称保護地域に認定された。ワイン用ブドウの畑の総面積は約180ヘクタール、生産者は100社以上といわれ、ユトランド半島、フュン島、シェラン島、ボーンホルム島の4地域でワイン造りが始まっている。
メキシコ湾流の恩恵を享受するユトランド半島とバルト海の島々は、海洋性気候、夏季の長い日照時間、冬季の充分な降雨など、独自の好条件を備えている。栽培されているのは、おもにピーヴィー(PiWi)品種と呼ばれるカビ菌耐性品種だが、ピノ・ノワールなど伝統品種の栽培に成功している醸造所もある。
デンマークで活動するドイツ人ワインコンサルタント、イエンス・ハイネマイヤーは「当初は多くの造り手が、赤ワインの醸造を目指していたが、2006年ごろに転機が訪れ、冷涼気候を生かしたエレガントな白ワインやスパークリングワインが誕生するようになった」と語る。
試飲会で、ひときわ印象的だったのが、ヤコブ&ヘレ・ストッケバイ夫妻が造るワインの数々だった。中でも、ピーヴィー品種であるソラリス(Solaris)から造られたワインに心を掴まれた。過去に味わったソラリスとは異なり、彼らのソラリスには、崇高さが感じられた。とりわけ、オークの小樽で熟成させた2022年産の『リーヴァ(Liva)』の深みのある味わいに魅了された。2022年産ピノ・ノワールのブラン・ド・ノワール、『ココ(Coco)』の優美さも心に残った。以来、いつかストッケバイ夫妻の醸造所を訪れてみたいと思っていた。

ヘレさんとヤコブさん©Stokkebye
キャビアのプロフェッショナルから醸造家へ
昨年の10月、やっとデンマーク行きが実現した。ハンブルクからフュン島のオーデンセまでは特急列車で4時間ほど。空と海に飲み込まれてしまいそうな、どこまでもなだらかで平たい島は、デンマークの中では比較的温暖で、穀物のほか、リンゴやベリー類などの果樹も栽培されている。
ヘレとオーデンセで待ち合わせ、彼女の車で醸造所のあるニューボー(Nyborg)に向かった。30分ほど東へ向かうと、ブドウ畑が見えてきた。収穫を終えた畑の黄色く染まったブドウの葉は、まだ落葉しておらず、灰色を帯びた空を明るく照らしていた。島を通り抜ける風が強いので、風の方向には樹木のフェンスが整えられている。醸造所ではヤコブが出迎えてくれた。

©Stokkebye
ヤコブ・ストッケバイは醸造家としてだけでなく、キャビアのスペシャリストとしても知られている。夫妻は、厳選した高級食材を扱う会社、バトラーズ・チョイスを経営しながら、ストッケバイというブランド名でワインやキャビアを展開している。
ヤコブは1980年代の終わりごろまで、フランス各地のミシュランの星付きレストランでソムリエ職に就きながら、ワインを極めようと、あちこちの醸造所を訪問していた。1988年には、縁あって、ボルドー地方グラーヴの名門、ドメーヌ・ド・シュヴァリエで働き、現場でワイン造りを学んだ。「以来ずっと、ドメーヌ・ド・シュヴァリエのワインのことが、心の片隅を占めていた」そう彼は言う。「いつか自分のワインを造ってみたい」という若き日の漠然とした夢は、少しづつ具体的な形をとりはじめた。

ヤコブさん©Stokkebye
ヤコブは、フランスのほか、英国に在住していた時期もある。ロンドンの専門学校でバトラー(執事)の教育を受けたのである。同校の卒業生の多くは、ロイヤルファミリーや富裕層の家庭で働いている。彼は在学中に、執事としてのスキルを身につけ。世界中の最高級品についての知識も得た。卒業後は、フランス、カオール地方のシャトーでも実践経験を積んだ。
90年代後半、ヤコブはふとした偶然から、フュン島にあった水産加工工場で、日本の品質基準に満たないイクラが廃棄されていることを知る。早速工場に掛け合い、欧州では品質上問題がないことを確認すると、その工場の一角でノウハウを学びながら製品化し、当時まだ一般的ではなかった主に北欧諸国に売り込みを始めた。ヤコブの思惑は当たり、彼のイクラはスーパーマーケットでも扱われるほどになった。
彼の製品を扱ってくれた業者には、1839年創業、ハンブルクを拠点とする世界最古のキャビア商があり、ヤコブはキャビアへの知識も深めた。やがて、自らもキャビアを扱うことになり、イランやロシア、ルーマニアを訪れ、現地で情報収集を行い、輸入を開始した。当時はまだ、天然のチョウザメを買い付けることができたのである。ビジネスは順調で、キャビアの専門書も上梓することができた。ヤコブはワイン造りの夢を実現する前に、キャビアのスペシャリストとして活躍し始めたのである。

ヤコブさん
フュン島のテロワールを表現するワインを
ヤコブとヘレがブドウの栽培を始めたのは2009年になってからだった。フュン島の気候とチョーク質土壌の畑にふさわしいブドウ品種を探し当てるために、ドイツから9品種を取り寄せ、自宅の庭で試験的に栽培した。期待していたリースリングやシャルドネはうまく育たなかったが、白のピーヴィー品種であるソラリスとヨハニーター(Johanniter)、カナダの白品種ラカディ・ブラン(L’Acadie Blanc)、ピノ・ノワール、そしてウクライナの赤品種ゴルボック(Golubok)に質の良いブドウが実った。2人はこれらの品種から、伝統製法のスパークリングワインと白ワイン、ポルト・スタイルの酒精強化ワインを醸造している。
「長年キャビアを扱ってきたので、スパークリングワインはぜひ造ってみたいと思っていた」そうヤコブは言う。ワインの醸造が可能になったのは、2012年ヴィンテージから。初期の頃は、醸造家仲間の設備を借りて醸造していたそうだ。当初からオーガニック農法を実践していた2人は、2022年に認証を取得、畑は6ヘクタールに達している。

ヘレさんとヤコブさん ©Stokkebye
2018年に古い農家を購入し、改修して醸造所とした。ヘレはそれまで政府機関や国際機関の職員を経て、サステナブル・ビジネスのコンサルタントとして働いていたが、この年から、ヤコブと共に醸造所の仕事に専念することを決めた。
穀物倉庫を改装したという醸造所は、白い壁と剥き出しの木材の梁や柱がモダンで、アーティストのアトリエのようだった。片隅には、良く手入れされた1960年製のメンプランプレスが置かれている。こんなに古い圧搾機は、ドイツではもう、誰も使用していないが、ヤコブは、オールドタイマーの名車を扱うかの如く、大切に使っている。「オートマティックじゃないけれど、まだいい仕事をしてくれる」と目を輝かせる。

セラー
奥のセラーに入ると、静かな発酵音が聞こえてきた。ワインはいずれも自然任せの発酵だという。秋が深まるこの季節、醸造家たちは、日々、新しいヴィンテージのワインが出来上がっていく喜びを味わう。セラーに並ぶオーク樽は、ドメーヌ・ド・シュヴァリエがセミヨンやソーヴィニヨン・ブランを寝かせていたもので、醸造所から直接買い付けた。ソラリスは、このボルドー樽でゆっくりと熟成する。

©Stokkebye
最初に、2種類のスパークリングワインを味わった。いずれもシャンパーニュと同様の伝統製法で醸造されている。ごく軽い圧搾、一番搾りだけの使用、ベースワインは1年間にわたって樽熟成させ、味わいに奥行きを表現している。『ステラ』はラカディ・ブランとヨハニーター50%ずつのブレンド。ヨハニーターの重量感に、ラカディ・ブランの軽やかさが重なり、ワインはエレガントさを増して現前する。新鮮なリンゴを丸齧りするような風味とソルティな後味が魅力的だ。ピノ・ノワールのブラン・ド・ノワール『ステラ・マリー』は、16ヶ月の瓶熟成を経たブリュット・ナチュール。品の良い風味には、イチゴやラズベリーのニュアンスが感じられた。

ワイン STELLA(ステラ)とSTELLA MARY(ステラ・マリー)

ワイン STELLA MARY
続いて、2023年産の『リーヴァ』と『ココ』を味わった。2022年ヴィンテージよりも洗練された味わいで、2人のワイン造りに、磨きがかかっていることが感じられた。『リーヴァ』は収穫ブドウの5%程度が貴腐ブドウ。ボルドー樽で1年間熟成させたソラリスには、可憐なエルダーフラワーや蜂蜜を連想させる風味があり、優しく喉を潤す。ソラリスを、かくも美しく表現したワインは、他に思いつかない。ヤコブとヘレは、自分たちの土地にうまく適応し、育ってくれているソラリスに、ドイツの造り手がリースリングにかけるのと同じ情熱で取り組んでいる。ピノ・ノワールのブラン・ド・ノワール、『ココ』には、ムルソーで使われていた樽を取り寄せており、ワインは格調ある仕上がりだった。醸造を急がないこと、オーク樽に充分な時間寝かせておくこと。それはヤコブがドメーヌ・ド・シュヴァリエで学んだことだ。

ワイン COCO(ココ)とLIVA(リーヴァ)
ワインとキャビアで演出するひととき
現在、ヤコブはハンブルクのキャビア商が北ドイツの天然湖で養殖しているチョウザメを自ら選んで買い付けている。チョウザメは1998年以降、全種類がワシントン条約の保護対象となっており、天然キャビアの加工は禁じられているため、市場に出回るキャビアは養殖物となっている。
ストッケバイが扱うキャビアは、バエリ(シベリアチョウザメの卵)、オシェトラ(ロシアチョウザメの卵)、そしてベルーガ(オオチョウザメの卵)の3種類。オシェトラは、選別された明るい色合いの「インペリアル」も提供している。この日は、10歳を迎えたロシアチョウザメの卵、オシェトラを味わった。まろやかで、ナッツのような香ばしい風味があり、優しい旨味が感じられる。
ワインに試飲の方法があるように、キャビアにも試食の作法がある。冷えたキャビアを親指と人差し指の付け根の間に軽く盛ると、一粒一粒の形状や大きさ、質感がよく見える。続いて、少しだけ口に含んで、テクスチュアや風味を確認し、最後に全部を口に含み、十分に味わう。

キャビアにステラ、そしてステラ・マリーを合わせてみる。スパークリングワインの弾ける泡と優しい風味、キャビアの一粒一粒とクリーミーなテクスチュア、ソルティな風味は、お互いに補完し合い、一体となる。
ヤコブとヘレは、人生には、時に、ワインとキャビアで祝うべき特別な日があることを思い起こさせてくれた。北国のワインとキャビアの奥深さを教えてもらいに、またフュン島へ足を運びたい。
ストッケバイ醸造所では、畑とセラーの見学、ワインとキャビアのテイスティングを体験できるツアーを実施している。

ブドウ畑 ©Stokkebye

ヤコブのキャビアについての著書

ヤコブのキャビアについての著書から
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ストッケバイ醸造所
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岩本 順子
ライター。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学美術史科修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーとブラジルのワイン専門誌編集部で研修し、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。著書に『おいしいワインが出来た!』(講談社)、『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)、ドイツワイン・ケナー資格試験用教本内のテキスト『ドイツワイン・ナビゲーター』などがある。
HP: www.junkoiwamoto.com
