8月下旬、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの玄関口、サラエヴォ空港に降り立ち、南部ヘルツェゴヴィナ地域モスタル近郊のメジュゴリエという小さな村に向かった。この村では、毎年夏に、ワインフェスティバル『BLAŽ Enology(ブラージ・エノロジー)』が開催されている。地元の醸造所が一堂に会するフェスティバルのことは、ドイツの醸造所に勤務するボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身のソムリエの友人に教えてもらった。フェスティバルの前後には、5つの醸造所を訪れた。

ドイツを出る前に、彼から知り合いのタクシードライバーの連絡先を教えてもらい、空港に迎えに来てもらった。サラエヴォ・モスタル間、片道およそ130キロメートルを毎日1往復しているドライバーで、相乗り制だ。既に2人の女性が乗り込んでおり、まず彼女たちが降りるモスタルに向かった。

モスタルへ向かう途中の風景

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ南部は、ディナル・アルプス山脈が走る山岳地帯で、石灰岩や白雲石などが剥き出しになった白っぽい険しい岩山が続く。観光地として知られるモスタルの辺りは、アドリア海に近く、陽光に溢れ、気候は穏やかだ。

モスタルから南西へ約30キロ、メジュゴリエに到着する頃には、すっかり暗くなっていたが、メインストリートは街灯の光に満たされ、人口4千人ほどの小さな村に釣り合わないほど、大勢の観光客がそぞろ歩きをしていた。

メジュゴリエの通りで

観光客は巡礼者でもあった。この村では1981年から、6人の子供たちが聖母マリアを何度も目撃したという。ただ『メジュゴリエの聖母マリア』は、長年にわたり公式に認可されず、巡礼は禁じられていた。しかし、2019年にようやくローマ教皇フランシスコが巡礼を認可し、小さな村に巡礼ブームがやってきた。カトリック信者にとっては、南フランスのルルド、ポルトガルのファティマと並ぶ重要な巡礼地なのだそうだ。宿泊したホテルでは、お客のほとんどが、クロアチアやイタリアから巡礼にやってきた信者たちのグループだった。

メジュゴリエの聖母と聖ヤコブ教会

イリュリア王国を起源に、波乱の歴史を後に、自由なワイン国へ

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ全域のワイン用ブドウの栽培面積は、およそ6,000ヘクタール。白ワインが主流で、栽培面積の大半を占めているそうだ。ブドウの栽培史は古代ローマ帝国時代にさかのぼる。バルカン半島の西部に王国を築いたイリュリア人が、ギリシャからブドウの栽培技術を導入したと言われている。中世には現在よりも広範囲でブドウが栽培されていたが、15世紀のオスマン帝国による征服とイスラム教の普及により、ワイン文化は衰退した。ワイン文化を守ったのは限られた数の修道院だった。

オーストリア・ハンガリー帝国支配下の時代(1878-1918年)になると、モスタル近郊に果樹栽培研究所が設立され、固有品種の選別が行われ、ワイン文化が復活した。フランツ・ヨーゼフ1世皇帝とエリザベート皇妃は、ヘルツェゴヴィナ産のワインを飲んでいたと伝えられている。2度にわたる世界大戦、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国時代、1992年の独立宣言、その後の民族紛争、そして1995年の和平協定(デイトン合意)を経て、造り手たちは、ようやく自国のワインのアイデンティティを確立し始めたところだ。

連邦国家ボスニア・ヘルツェゴヴィナを構成する、セルビア人主体のスルプスカ共和国にも、わずかながらブドウ畑が存在するが、畑の95%以上は南部ヘルツェゴヴィナのモスタル地域にある。一帯はカルスト高原地帯で、地中海性気候の恩恵により、ブドウの他にも、オリーブやイチジク、レモンやザクロなどが育つ。秋から冬にかけては、ボラと呼ばれる乾いた北風が急激に気温を下げ、春から夏にかけては、ユーゴという湿った南風が十分な量の雨をもたらしてくれる。収穫期は乾燥していることが多いため、カビ菌の被害は少なく、オーガニック栽培に取り組みやすい環境だ。

ヘルツェゴヴィナのアイデンティティ、白のジラフカと黒のブラティナ

モスタル地域で、古くからワイン産業の中心地として知られるチトルクでは、まず、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ最大の醸造所、ヴィナリヤ・チトルク(Vinarija Čitluk)を訪れた。創業は1957年、ユーゴスラビア時代に設立された元国営の農業会社で、2002年に民営化された。所有畑は400ヘクタールと広大で、モスタル地域の様々な土壌、標高、地形の畑を網羅する。ボルドー品種などを栽培し、成果をあげているが、固有品種である白ワイン用のジラフカ(Žilavka)、赤ワイン用のブラティナ(Blatina)とトゥルンヤック(Trnjak)にも力を入れている。

左から、醸造博士のティホミール・プルシナさん、経営者の1人ジェリコ・ナキッチさん、副醸造長のアンテ・マンディッチさん

経営者の1人ジェリコ・ナキッチさん、醸造博士のティホミール・プルシナさん、副醸造長のアンテ・マンディッチさんと一緒にテイスティングをさせていただいた。プレミアムクラスのワインは、イリュリア王国の女王の名前『テウタ(Teuta)』と名付けられている。『テウタ』のジラフカは、9月末と10月末に収穫したものを別々に醸造(2023、2024)、いずれもマロラクティック発酵は行わず、フレッシュさとミネラリティが際立つ。ジラフカを、ドイツのリースリングのように、異なる成熟度、異なる土壌ごとに何種類も醸造し、品種のポテンシャルを引き出そうとしている。しかもジラフカはバリックとの相性も良い(2021)。

ヴィナリア・チトルク

続いて味わった赤のブラティナ・グラン・クリュ(2018)はブラックベリーの香りが立ち、濃密な味わい。トゥルンヤック(2022)はダークチェリーとプラムが香る力強いワインだ。ヴラナッツ(Vranac、2022)はモンテネグロ原産の品種。濃厚さをたたえながらも、エレガントで優しい味わいだ。

ヴィナリア・チトルク

ブラティナが雌雄異株で、雌株だけに実がなるブドウであることは、こちらに来てから知った。自家受粉ができないため、近くに開花期が一致するパートナー品種を植える必要がある。ヴィナリヤ・チトルクのブラティナの畑では、2列おきにトゥルンヤックを1列植えている。トゥルンヤックの花粉は、昆虫が媒介しなくても、風でブラティナの元へ運ばれる。かつては、アリカンテ・ブーシェが最適のパートナーとされていたが、現在では固有品種が見直されている。

チトルクでは、1979年創業の小さな醸造所、ブルキッチ(Brkić Winery)にも足を運んだ。父親の遺志を継いだヨシップ・ブルキッチさんが、醸造所初のヴィンテージを実現したのは1994年になってから。2014年からは、ヨシップさんの双子の息子、パシュコさんとヨゾさんも醸造所で働いている。一番下の弟フィリップさんは現在、クロアチアのザグレブ大学で醸造学を勉強中だ。所有畑は3,5ヘクタール。固有品種だけを栽培し、自然発酵にこだわり、ヨシップさんがイタリアで学んだビオディナミ農法を実践している。

パシュコ・ブルキッチさん

最初に味わったジラフカ(2024)は、スキンコンタクトを15時間行ったもの。熟したリンゴが香り、味わい深い。ジラフカ『グレダ(Greda、丘の意)』(2021)は、3000リットル容量のスラヴォニア産オークの大樽で2年熟成させたもの。初めてのシュール・リーの試みで、滋味や旨味を感じる。『ミェセチャル(Mjesećar、Moonwalker)』(2021)は、ヨシップさんが2007年から醸造している、究極のビオディナミワイン。ビオディナミ・カレンダーに忠実に、全ての作業を月の満ち欠けに合わせて行い、9ヶ月間バリックで熟成させた。新樽100%だというが、20〜30%かと思うほど上品な樽香だ。2021年からはアンフォラによるワイン造りにも挑戦しており、2年の熟成を経てオレンジワイン(2021)としてリリースしている。

『グレツィツア(Grečica、小さな丘)』(2023)はブラティナから造られたロゼ。『プラヴァ・グレダ(Plava Greda、青い丘)』(2022)はブラティナにヴラナッツ(Vranac)を15%ブレンドした唯一の赤ワイン。いずれも魂がこもった味わい深いワインだった。

ブルキッチ家のブラティナの畑では、3列毎にヴラナッツを1列植え、受粉を促している。パシュコさんに案内していただいた畑で、収穫直前のジラフカやブラティナを、この目で初めて見て、その粒を味わった。未知のブドウとの出会いは、心躍る体験だった。

ブルキッチ ジラフカの房

絶滅の危機に瀕していた黒ブドウ、トゥルンヤック

翌日はチトルクの西およそ10キロ、リュヴスキにある、ヴィノグラディ・ヌイッチ(Vinogradi Nuić)の2代目、ヴラトゥコ・ヌイッチさんを訪ねた。自動車販売業に携わる彼のお父さんが2004年に興した醸造所で、自社畑は43ヘクタールに及ぶ。ファーストヴィンテージは2012年。当初から醸造責任者を務めるイヴァン・マリノヴィッチさんと共同でワイン造りに取り組んでいる。ヴラトゥコさんはオーストリア、ヴァッハウ地方クレムスの専門学校で栽培と醸造を学んだ後、ドイツとオーストリアの醸造所で働き、2年前に実家に戻ったところだ。

建設中の醸造所では、現在の生産量よりもはるかに多い、約80万リットルのキャパシティを持つセラーが完成したばかり。まもなくバリックセラーも整い、2028年には宿泊施設とレストランが完成する。オーストリアのミシュラン三つ星レストランで修業した、弟のフィリップさんが、将来ここで腕を振るうことになる。

リュヴスキの畑は、巨大な掘削機で岩石を砕いて切り拓いた無垢な土壌だ。砕いた石で畑の表面を覆い、水分の蒸発を防いでいる。開墾中に敷地内で見つかったイリュリア人の墓所は、神聖な場所としてそのままの形で残している。

ヌイッチでは、ボルドー品種、シャルドネ、シラー、グリューナー・フェルトリーナーなど多彩なブドウを栽培するほか、クロアチアとポルトガルの研究機関の共同プロジェクトに協力し、トゥーリガ・ナシオナルなどの栽培も始めた。しかし、力を入れているのは地場品種のジラフカ、ブラティナ、そしてトゥルンヤックだ。すでに2011年の段階でトゥルンヤックに着目し、ブラティナの畑では4列ごとにトゥルンヤックを1列植え、受粉に対処している。

ジラフカは、とりわけ岩石の多い畑のものと、そうでない畑のものを個別に醸造し、テロワールの差を表現している。ジラフカはステンレスタンクとトノーの双方で熟成、ブラティナにはバリックも使われている。オーク樽のほとんどが定評あるスラヴォニア産だが、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ産のオーク樽も、1割ほど試験的に使用している。広々としたセラーで、ヴラトゥコさんは自らのスタイルの確立に意欲を燃やしている。

ヴラトゥコさんの新しい試みの1つが、ブラティナのブラン・ド・ノワールだ。リースリング用のボトルに詰め、ボスニア・ヘルツェゴビナでは、まだあまり普及していないスクリューキャップを導入した。もう1つはトゥルンヤック100%のワイン。いずれも、ボスニア・ヘルツェゴビナにおける初の試みとして話題となった。現在、醸造家たちの間では、ブラティナよりもトゥルンヤックが人気だという。絶滅寸前だったトゥルンヤックはブラティナの受粉パートナーという脇役として再デビューしたが、今や主役に躍り出ようとしている。

午後は、ラディシッチにあるシュケグロ・ワイナリー(Škegro Winery)を訪れた。すでに収穫が始まっており、収穫したばかりの、1トン半のトゥルンヤックの除梗作業が行われていた。

オーナー醸造家、バリシャさんの案内で畑に向かった。南部では個々の家庭が自家製ワインを醸造する伝統がある。家族が2005年に植えたブドウが、シュケグロ家の醸造所の始まりだ。醸造所の背後の、かつては人々が暮らしていたという山の斜面の、標高100メートルから350メートルの地点に、掘削機で石灰岩を砕いて切り拓いたテラス式の畑がある。白い土壌に陽光が反射して眩しく、ダイナミックな風が通り抜ける、アドリア海までは、直線距離でたったの20キロほどだ。

所有畑は約4,5ヘクタール、オーガニック農法を実践し、主に固有品種のジラフカ、ブラティナ、トゥルンヤックを栽培する。ブラティナの畑はひと塊りとなっており、10列あるブラティナの両側に、トゥルンヤックを10列、グルナッシュを10列配置して、受粉を促している。

わずかに栽培されているプティ・マンサンはジラフカに、グルナッシュはブラティナとトゥルンヤックにそれぞれ少量ブレンドし、重厚になりがちな固有品種のワインをよりエレガントでみずみずしい仕上がりするのだと言う。各々の品種は、一部を早めに収穫し、完熟期に収穫するものとは別に醸造し、ブレンドすることでもバランスを取ろうとしている。樽はバリック、トノーの他に、約1,000リットル容量のフードルも導入、3種類を巧みに使いこなす。クロアチアの著名な醸造家ミラン・ブディンスキさんが、バリシャさんのコンサルタントだ。

シュケグロのジラフカ『Krš Bijeli(白いカルストの意)』(2024)はピュアな味わいが魅力。『Krš Orange(オレンジのカルスト)』(2022)はジラフカのオレンジワインで、約2週間にわたり果皮浸漬を行なったもの。美しく整った味わいだ。『Krš Crni(黒いカルストの意)』(2022)はブラティナを約2週間にわたり醸し発酵させたバランスの良い赤。いずれもオーク樽は使用しておらず、日々の食卓に最適だ。

樽を使用しているのは『Carsus(カルストのラテン語)』のブラティナとトゥルンヤック(共に2023)。ブラティナは樹齢50年の古木のブドウだ。いずれも温度管理をしながら開放桶で発酵させたブドウをプレスし、トノーで半年から1年熟成させたのち、フードルに移してさらに熟成させている。いずれも凝縮感のあるワインだが、洗練された味わいだ。

セラーでは、オレンジワインのガイドブック『アンバー・レボリューション(和訳「オレンジワイン復活の軌跡を追え!」美術出版社)』の著者、サイモン・J・ウルフさんが一緒に働いておられた。今年は二度目の収穫だという。ウルフさんとバリシャさんは目下、共同プロデュースのワインを準備中。近いうちにリリースされるそうで、今からとても楽しみだ。

バリシャさん(左)とウルフさん

『ブラージ・エノロジー』ブラティナとジラフカの祭典

8月28日の夜、メジュゴリエで第10回『ブラージ・エノロジー』が開催された。会場は高台にあるスポーツクラブのプールサイドの緑あふれる広々としたテラスだ。一般対象のフェスティバルで、モスタル地域の35醸造所が集結し、約3000人のワイン愛好家たちが訪れた。ワイナリーのブースのほかに、郷土料理や食材のスタンド、座席とテーブルも用意され、民族音楽が奏でられる。日が暮れる頃には、大変な賑わいとなった。

イヴェントを発案したのは、メジュゴリエの醸造所、ツァースカ・ヴィナ(Carska Vina)の6代目、アンドリア・ヴァシリさんを会長とする実行委員会。アンドリアさんは、長年アメリカで、ホテルやレストランのマネージメントに従事していた。その経験を活かし、故郷のワイン産業を活性化させ、醸造所を支援したいとの思いで始めたのがこのイヴェントだ。必要経費はスポンサーの出資でまかない、醸造所の参加費は無料、売上は全て醸造所の収益となる。アンドリアさんはワイン教育にも力を入れており、モスタル大学などの協力を得て、イヴェントの直前に英国のワイン教育機関WSETのレベル1の授業も実施している。イヴェントの規模は年々大きくなっており、今やボスニア・ヘルツェゴヴィナで最もよく知られるワインイヴェントとなっている。

アンドリア・ヴァシリさん

アンドリアさんの父グルゴ・ヴァシリさんと長男のダビデさん

ツァースカ・ヴィナは190年近い伝統ある醸造所で、その名は『皇帝のワイン』を意味する。アンドリアさんのお父さん、グルゴさんの話によると、祖先はオーストリア・ハンガリー帝国時代、帝室のためのワインを醸造していたそうだ。19世紀末、フランスでフィロキセラの被害が蔓延し、ワインが生産できなくなった時、皇帝は、今日のボスニア・ヘルツェゴヴィナ地域で造られていたワインに注目、同地の多くの醸造所が、皇帝のためのワインを生産することになったというのだ。ジラフカもブラティナも、おそらく帝室で愛飲されていたことだろう。

アンドリアさんのジラフカはピュアで純粋な味わい、バリックで1年寝かせたブラティナは奥行きのあるチャーミングな赤だ。4人の子供たちの名前が付けられたワインもある。長女ニカはブラティナのロゼ、長男ダビデはブラティナとカベルネ・ソーヴィニヨンのブレンド、次男イヴァンはカベルネ・ソーヴィニヨン、次女ソフィアはジラフカとピノグリのブレンドだ。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナのワインの造り手たちの幸運は、ブラティナ、ジラフカといった、アイデンティティとなる優れた土着品種を持っていることだ。ワインフェスティバルの名称『BLAŽ (ブラージ)』とは、ブラティナとジラフカの最初の文字を繋いだ言葉であり、キリスト教の聖人の名前でもある。マリア信仰の聖地メジュゴリエは、近い将来きっと、ワインの聖地としても知られることになるだろう。


取材協力: Ivan Planinic

岩本 順子
ライター。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学美術史科修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーとブラジルのワイン専門誌編集部で研修し、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。著書に『おいしいワインが出来た!』(講談社)、『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)、ドイツワイン・ケナー資格試験用教本内のテキスト『ドイツワイン・ナビゲーター』などがある。
HP: www.junkoiwamoto.com