7月下旬、バルカン半島のセルビアとアルバニアを訪問した。セルビアは旧ユーゴスラビアの国で、首都ベオグラードは旧ユーゴの首都でもあった。一方、アルバニアは社会主義体制と鎖国の時代を経て、1990年に民主化した国。どちらの国も欧州連合には加盟しておらずシェンゲン圏外だが、ベオグラードもアルバニアの首都ティラナも、欧州の主要都市から安価な直行便が数多く就航しておりアクセスは良い。日本からもトルコやアラビア半島経由の便が就航している。

ベオグラードの名所を訪問

セルビア系アメリカ人の発明家・物理学者・電気技術者であり、交流電力システムの発明者として知られるニコラ・テスラ(Nikola Tesla)の名前を冠したベオグラードの空港から市内までは、20キロ弱の距離。空港からベオグラード市内に向かう車中、「コソボはセルビア」という落書きを目にした。1989年から90年にかけて、アルバニア系住民のコソボ解放軍とセルビア軍との間で武力衝突が発生し、NATO軍の介入攻撃へと発展したコソボ紛争が起こった。セルビアは現在も、コソボを国家として承認していない。

街はドナウ川とサヴァ川の合流点に広がっており、歴史的な街並みは両河川の右岸に展開している。今年1月から市内のバスやトラムといった公共交通機関が、ほぼ全て無償化された。ただ、旧市街は歩いて散策できるほどのコンパクトなサイズ感だ。街路樹が整備されており、夏の日中でも比較的快適。テラスのあるカフェやレストランも多く、街全体にリラックスした雰囲気が漂う。

2つの川の合流地点に位置する高台にあるカレメグダン公園は、名所のひとつ。敷地内にはベオグラード要塞があり、観光地として知られるこの公園は、ピクニックをしながら夕焼けを楽しめるスポットでもあり、地元の人々にとっても重要な憩いの場所だ。川沿いには遊歩道が整備され、船を改装した水上レストランやバーなどが並ぶ。

そして市内のもうひとつの名所が聖サヴァ大聖堂。床面積は3,000平方メートル、高さは79メートルで、東方正教会の教会としては世界最大級を誇る。1894年に設計されたものの、計画と調整に時間を要し、建設が開始されたのは1935年。その後、第2次世界大戦の勃発で作業は中断され、1986年にようやく再開された。2004年から一般公開され、2020年には内部装飾が完成。金箔を使用した煌びやかな内装が、芸術的かつ神秘的な空間を演出する。

サヴァ川の左岸に広がる新市街、ノヴィ・ベオグラードにあるベオグラード現代美術館も見どころのひとつだ。小規模な美術館ではあるが、建築そのものにも価値がある。1960年代に建設されたこの建物は、ベース部分に6つのキューブが並べられたような外観。内部の展示フロアはキャスケード状に配置されており、来場者は中心部の階段に自然に誘導されながら、無駄なく展示を見て回ることができる。

筆者が訪問した際は、セルビア人作家ズドラフコ・ヨクシモヴィッチ(Zdravko Joksimović)の彫刻作品を扱ったモノグラフ展と、イギリス人画家デイヴィッド・ホックニー(David Hockney)のイラスト作品の企画展が開催。美術館としては小規模ではあるが、展示内容は充実していた。

若者の間では人気が広まりつつある自然派ワイン

どことなくアーティスティックな雰囲気があるベオグラードの旧市街の建物は、古びた外観のものも少なくないが、半地下や1階部分にはモダンな商業施設が軒を連ねている。以下、ベオグラードで出会った自然派ワインバーを紹介する。

クンスト・ワイン・バー(Kunst Wine Bar)

ロシアで経験を積んだ2人のオーナーが、昨年10月にオープンした小さなバー。セルビアの人々はやや保守的で、ワインに関しても古典的なスタイルが好まれており、ロシアや他の欧州各国に比べると自然派ワイン愛好者はまだまだ少ないという。しかし、若者を中心に少しずつ自然派ワインの認知が高まりつつあるようだ。

このワインバーでは、常時約30種類のグラスワインを提供している。半分以上がセルビア産で、残りは他の欧州各地からの輸入品。グラス1杯の価格は700円から1,000円程度。オーナーは気さくで気前がよく、好みのワインが見つかるまで試飲させてくれる。

かつてサンクトペテルブルクのレストランで働いていたという共同オーナーの1人が、一番美味しいとすすめてくれたのが、ワインメーカーのオスカル・マウレル(マウワー/Oszkár Maurer)が手がける自然派ワイン。ハンガリー国境にほど近いセルビア北部で生産されている。

マウレルのオレンジワインは、ハンガリーのクヴェディンカという品種を使用したもので、薬草のような香りとスモーキーさが混じったアロマ、そして複雑な味わいが特徴。カベルネ・ソーヴィニヨン品種から造られた赤ワインは、フランス産などの重厚なものとは異なり、ピノ・ノワールのような繊細さがある。

セルビア国内では認知度が限られている彼のワインだが、国外では知られており、日本でも一部のワインショップで取り扱いがある。

プロセス(Proces)

こちらのバーも自然派ワインに特化しており、ラインナップの約半数がセルビア産。ペット・ナット(Pet Nat: Pétillant Naturel、自然の微発泡ワイン)を含む、約15種類のグラスワインを楽しむことができる。

プロセスでは定期的にイベントも開催しており、常連が集まって交流を深めるアットホームな場所となっている。筆者が訪問した7月末には、DJイベントが開かれており、道路に面したテラス席は夜遅くまで賑わっていた。

「独裁者の家」からアーティストの家へ

ベオグラードのアーティスティックな雰囲気に名残惜しさを感じながら、翌日はアルバニアの首都ティラナへと移動。この街では不動産価格が上昇し続けている。あるデータによれば、昨年1年で23.5%上昇したとのこと。中心部ではもともとあった歴史的な建物が解体され、次々と新しい高層アパートが建設されている。統一された都市の景観はなく、様々な様式の建物が入り乱れているのも特徴的。幾何学的パターンのファサードや窓も目立つ。

ティラナに移動し、最初に訪れたのが、もともとは「独裁者の家」だった「ヴィラ31(Vila31)」。2年前、フランス系のアート財団である「Art Explora」が介入し、現在は国内外のアーティストのためのレジデンシープログラムの拠点として使われている。

ヴィラ31は、1944年から1985年の死去まで、アルバニアを共産主義国として支配したエンヴェル・ホッジャ(Enver Hoxha)が、1970年代初頭にホッジャが自分と子ども、孫たちのために建てたもの。2500平米の豪邸には、映画鑑賞室やプール、2台のエレベーターも完備されていた。アルバニアでは当時、鎖国体制が敷かれ、欧米の芸術文化も禁じられていたが、そうした政策とは裏腹に、ヴィラの建築装飾には欧州から輸入された華美な部材が使用されていた。

ヴィラ31が位置するブロック(Blloku)地区は、現在こそレストランやバーが集まる地域として知られているが、かつては共産主義時代のエリートたちのための場所で、いくつもの豪邸が立ち並んでいたそうだ。豊かな暮らしとは対照的に、ブロックの外で貧しい暮らしをしていた一般市民の立ち入りは禁止されていた。

暗黒の歴史を象徴するこの場所が、現在は国内外のアーティストの自由な表現の場へと転換されているという事実には、未来への可能性が感じられる。ヴィラ31のレジデンシープログラムは、年間3期にわたって国内外のアーティストを公募。アーティストはヴィラの部屋をスタジオ兼アパートとして使い、アルバニアに関連した独自のテーマを3ヶ月かけて深掘りし、作品を仕上げる。それぞれのレジデンシー期間の最後には3日間のオープンスタジオイベントが開催され、一般客を招いた成果発表が行われる。7月末に終了した2025年第2期では、7組11名のアーティストが参加した。

ヴィラ31を案内してくれた広報コミュニケーション担当のロミナ・ルダは、1989年生まれのアルバニア人。共産主義が崩壊し、イタリアの影響を大きく受けながら西洋化・民主化していく国の変化とともに育ってきた世代だ。共産主義の時代を思い起こさせるようなこの環境で働くというのはなんとも言えない経験だという。ホッジャが禁じた行為であるアーティストによる自由な芸術表現が行われ、パーティーが開催されているという事実は、まさに歴史のアイロニーだ。「ホッジャはさぞや気に食わないでしょうね」と彼女。


 
ルダは、映画ディレクターとして映画制作も手がけるアーティストでもある。かつては子ども番組に出演していたことがあり、メディア業界での経験も豊富だ。イタリア経由で配信されていた『セーラームーン』のリアルなヒロイン像にも大きく影響を受けて育ったという。親世代や教育機関を通じて過去の歴史が語られることもなく、自分たちの世代はなんとなくパズルのピースを組み合わせて、なんとなく昔の状況を理解してきたと語る。共産主義と独裁体制を体験してきた世代にとって、ヴィラ31は暗黒の過去の遺産でしかなく、興味を持つ人もほとんどいないという。

現在のエディ・ラマ(Edi Rama)首相の政権体制も、文化の弾圧という意味では、過去の体制を想起させる。2018年、ラマ首相は歴史ある国立劇場の解体と新劇場の建設計画を発表。これに対してアーティストたちは反対を表明し、抵抗運動を行った。しかし2020年5月、新型コロナウイルスのパンデミックによるロックダウン最中の朝4時半、政府は国立劇場の解体に踏み切り、その場で抵抗運動を行っていた37名を、パンデミックによる移動制限に反したことを理由に勾留した。

こうした状況もあり、クリエイターを始め、優秀な若者たちはアルバニア国外流出してしまっている。ヴィラ31のプログラムは、10年間継続される予定。アーティストとともに、アルバニアの若者の抵抗のエネルギーがどのように持続されるのか。国の未来はルダのように希望を持った若手クリエイターが担っている。

ベオグラードとティラナは、それぞれ複雑な歴史を抱えながらも、独自のアイデンティティを模索し、変化を続けている。過去の遺構や制度の影響が色濃く残る一方で、新しい世代が少しずつ街の空気を変え始めている。この地域は今まさに動いているからこそ、定期的に訪れることで、新たな魅力に出会えるはずだ。 


All Photos by Maki Nakata

Maki Nakata

Asian Afrofuturist
アフリカ視点の発信とアドバイザリーを行う。アフリカ・欧州を中心に世界各都市を訪問し、主にクリエイティブ業界の取材、協業、コンセプトデザインなども手がける。『WIRED』日本版、『NEUT』『AXIS』『Forbes Japan』『Business Insider Japan』『Nataal』などで執筆を行う。IG: @maki8383