ドウロ川の河口域に開かれた港町ポルトは、首都リスボンよりもはるかにこじんまりとしていて、散策が楽しい街だ。教会のファサードを彩る白とブルーのアズレージョの美しさを目で楽しみ、坂のある街ならではの心地よい浮遊感を身体全体で味わう。
- ポルトの街並み
- 1900年に建造された、ポルト サン・ベント駅 (Estacao de Sao Bento) 。
港を意味する「ポルト」という語は、地域の名産ワインの名前でもある。対岸のヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアには、今日もなお、数々のワイン商の拠点が集中している。「ポルト」つまりポートワインは、ポルトから出荷される酒精強化ワイン。発酵の途中でアルコール度数の高いブランデーを加え、酵母の活動を止めるので、甘口に仕上がる。
現在も営業している最古のポートワイン商は、ドイツ・ハンブルクの商人が1638年に創業したコプケ社だ。英国系の一番乗りは、創業1670年の総合商社、ワレ社だった。
1692年には、英国商人がテイラーズ社を起業、1737年には、やはり英国商人がロンドンにオフレイ社を創業した。1790年には、スコットランド商人がロンドンにザンデマン社を創業、1798年には、ポルトガル商人がロンドンでダウズ社を、1813年には、オランダ商人がニーポート社を立ち上げた。1815年にはスコットランドで、コックバーン社が産声をあげ、1820年には、スコットランドの毛織物商人がグラハムズ社を起業した。
ポートワイン商はこのように、英国、スコットランド系が幅を利かせている。それぞれの国で起業したワイン商は、18世紀以降、ポルトにも拠点を置くようになった。ドウロ川に浮かぶ、帆を揚げたラベロ船を眺めていると、華やかなりし頃の港の光景に思いを馳せることができる。

ポートワインの故郷、ドウロ
ドウロ川流域では、紀元前1000年ごろからワイン造りがはじまったと言われる。ローマ帝国時代には、すでに盛んにワインが造られていたようだ。ポルトから、蛇行するドウロ川に沿って上流に向かって行くと、あたりの風景はドラマティックに変化する。
次々に現れる小高い山々の斜面には、テラス状のブドウ畑が開墾されている。18世紀から19世紀にかけて、ドウロ地方では、ソカルコスと呼ばれる石垣のテラス畑が造られた。のちに改良された畑も、テラスが維持されていることが多く、伝統的な景観が守られている。テラス畑の波のような美しいカーブは、音楽を奏でるかのようで、眺める人の心に響く。一帯はアルト・ドウロ・ワイン生産地域として、2000年にユネスコ世界遺産に認定されている。
ドウロ地方のブドウ畑は、ポルトガル王国が成立した1143年ごろから、徐々に整備され、生産されるワインは「ヴィーニョ・デ・ラメゴ」と呼ばれていた。当時のワイン産業の中心地が、ラメゴの街だったのである。1373年に締結されたポルトガル・英国間の貿易協定で、ポルトガルは英国にヴィーニョ・デ・ラメゴを供給し、見返りとして、英国沿岸でのタラ漁を行う権利を得ている。このヴィーニョ・デ・ラメゴは、酒精強化ワインだったと伝えられている。
ポートワインという言葉は、1678年の税関の文書に初めて登場する。断続的な植民地戦争でフランスと争っていた英国は、自国の需要を満たすために、スペインやポルトガルにワインを求めた。その頃、英国商人が見出したのが、ラメゴの修道院で造られていたワインだったのだ。
1703年にポルトガル・英国の間で締結されたメシュエン条約は、軍事のほか通商条約でもあり、英国はポルトガル産ワインの関税率をフランス産ワインの3分の1に定め、ポルトガルは英国の毛織物の輸入を認可した。条約締結後、ポートワインの輸出は飛躍的に増加した。
しかし、ポートワインの爆発的な人気の陰で、不正行為が頻発するようになり、品質の低下が起こった。やがて需要は減り、価格は暴落した。そこで大手生産者らは、ポルトガル宰相マルケス・ド・ポンパル侯爵の主導のもと、1756年に「アルト・ドウロ・ワイン農業会社」を設立し、ポートワインの品質と利益を守ろうとした。この時、ブドウ栽培史上初めて、ブドウ畑の範囲とワインの品質の格付けが行われ、価格や生産工程なども厳格に規定された。これが、世界最古のワイン原産地呼称保護制度(DOC)である。
当時、ドウロ地方のワイン農家は、収穫したブドウや醸造したワインのほぼ全てを、ポートワイン商社に納品していた。個々の農家が自ら醸造、販売できるのは、地元で消費される限られた量のワインだけだった。それは、20世紀に入ってからのサラザールの独裁政権時代も、1974年のカーネーション革命以後も変わらなかった。自由なワイン造りと、独自での販売、輸出が可能になったのは、ポルトガルが欧州連合(EU)に加盟した1986年のことだった。この時、多くの醸造所が、酒精強化されていない、本来のワインの生産を始めたのだ。

ドウロ川にかかる「ドン・ルイス1世橋」。
ポルトからドウロ渓谷(Douro Valley)へ
ポルトで数日を過ごしたのち、ドウロ渓谷へ足を伸ばした。サンベント駅から鉄道に乗り、川沿いの風景を楽しむうちに、ドウロ峡谷の中心地ピニャオン駅に辿り着く。ポルトからおよそ100キロの地点だ。
全長およそ900キロに及ぶドウロ川のうち、下流の約200キロほどがポルトガルを流れる。スペインではドゥエロ川と呼ばれ、水源はリオハ地方に近いソリア県にある。スペイン側のドゥエロ川流域でもワインが造られており、スペイン最高峰のワインを生み出すリベラ・デル・ドゥエロ地方が良く知られている。
ポルトガル側でワインの産地となっているのは、スペインとの国境地帯からレグアに至る、およそ90キロメートルの流域だ。北側に聳える、セハ・ド・マラオンと呼ばれる1400メートル級の山脈が、海からの湿り気を含んだ風を遮り、ブドウ畑を悪天候から守っている。土壌は粘板岩が支配的だ。
ポートワイン隆盛期には、春になると、ドウロ地域で生産されたほとんど全ての新酒が、船で100キロほど離れたヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアのセラーに運ばれた。河口域の温暖湿潤な気候は、熟成に好都合だったという。ポートワインは550リットル容量の、ピパと呼ばれるオーク樽で熟成されていた。
英国人が好んだルビー・ポート、フランス人好みのタウニー・ポート、ポルトガル人が愛飲したコリェータ・ポート(ヴィンテージ・ポート)、ポートワインの最高級品であるシングル・キンタ・ヴィンテージ・ポートなど、時代と需要に応じて、あらゆるポートワインがこの地で誕生した。


ようやく叶った本来のワイン造り
ピニャオンで1泊した翌日、列車で1駅のフェラオンに向かった。ここには、いつかこの目で見たいと思っていたブドウ畑がある。キンタ・ド・クラストが所有するヴィンニャ・マリア・テレサと呼ばれる古い畑だ。この日は、輸出担当マネジャーのミゲル・ロケッテさんが、醸造所を案内してくださった。4代目として、兄のトマスさんと共に醸造所を率いておられる。
醸造所の名前となっている「クラスト」という言葉は、ローマ時代の要塞「カストルム」を意味する。その名にふさわしく、醸造所はあたりを一望に見渡すことができる小高い山の上にある。醸造所のルーツは、現存する古文書によると、1615年まで遡ることができるという。1756年に始まったブドウ畑の格付け作業においては、最高の格付けである「フェイトリア」と呼ばれるステータスを得た。ポンバル侯爵は格付けされた畑に、花崗岩の標柱を設置させたが、その石柱のひとつが、現在もキンタ・ド・クラストの旧農家の傍に残っている。
醸造所に関する最初の記録から300年を経た1918年、ポルトガル人であるコンスタンティーノ・デ・アルメイダという人物がキンタ・ド・クラストを購入した。ミゲルさんの曽祖父にあたる彼は、ポートワインやブランデーを生産、販売する商社「コンスタンティーノ・ワインハウス」の創業者だった。その息子、つまりミゲルさんの祖父、フェルナンド・モレイラ・ド・アルメイダが、醸造所を継承したのは1923年のこと。彼は、高品質のポートワインを生産していたことで知られる。彼の娘、レオノールさんは、ジョルジュ・ロケッテ氏と結婚し、1981年に醸造所の3代目となった。辛口のワイン造りは、ミゲルさんの両親である彼らの代に始まった。
「ドウロ地方には、世界最古のワイン原産地呼称保護制度があるけれど、それはポートワインの話。辛口のワインに関しては、世界で最も新しい生産地なんだ」ミゲルさんが何度も強調する。ドウロ地方のワインの造り手たちが、酒精強化ワインである「ポルトDOC」ではなく、本来のワイン「ドウロDOC」を醸造し、自ら販売、輸出するという自由を手に入れたのはたった40年前のことだ。辛口の赤ワイン、ロゼワイン、そして白ワインはすべて、その頃から生産されはじめたのである。ポートワインの伝統は400年に及ぶが、辛口ワインの伝統は半世紀に満たない。ドウロ地方は「世界で最も新しいワイン産地」のひとつなのである。

ロケッテ一家 ©quintadocrasto
キンタ・ド・クラストは醸造家グループ「ドウロ・ボーイズ」のメンバーである。2003年に、ドウロ地方の5つの醸造所によって結成されたこの団体は、世界各地で数えきれないほどのセミナーや試飲会を行い、ドウロ地方がポートワインとは異なる本来のワインの産地としても、大いなるポテンシャルを持つことを世界に知らしめた。彼らは、ドウロ地方固有のテロワール、ドウロ地方ならではの数多くの固有品種、継承した古木の畑の価値を確信していたのである。
ドウロ・ボーイズが生み出す数々のワインは、いずれも高品質で、時代の空気にぴったりと合い、時には時代を先取りしてきた。彼らの行動力と、彼らに追従する意欲的な造り手たちの仕事により、ドウロ地方がポートワインの産地にすぎないというイメージは過去のものとなっている。
キンタ・ド・クラストでは、1994年に初めて、本来のワインを世に出すことができた。新しいワイン造りの伝統は、まだ30年を迎えたばかりだが、まもなくポートワインの生産量を凌駕し、現在では全体の9割を占めている。キンタ・ド・クラストの歴史には、400年の伝統と、100年の伝統と、30年の伝統とが重なっている。
- ミゲルさん
- ヴィンニャ・マリア・テレサ©quintadocrasto
- ©quintadocrasto
現在、ロケッテ家が所有する畑は135ヘクタール。このうちブドウ畑は75ヘクタール、他にオリーブなどを栽培している。セラーには、ポートワインの醸造に用いる、ラガーレスと呼ばれる伝統的な石造りの発酵槽と自動踏圧装置、ブドウを優しく圧搾するバスケット型のプレス機、温度管理が可能なステンレスタンク、オーク樽と専用セラー、樽を移動させずに攪拌するシステムなど、選り抜きの設備が整う。オーク樽はフレンチオークが主流だが、アメリカンオークのほか、アカシア材の樽と栗材の樽が実験的に導入されている。
醸造を担当するのは、コンサルタントのマヌエル・ロボ氏と女性醸造家のカチア・バルベタさん。ポートワインの醸造では、伝統的な足踏みによる圧搾も行われている。一家はワインツーリズムにも力を入れており、醸造所ではワインテイスティングのほか、ランチやディナーも楽しめる。醸造所内には17世紀のチャペル、伝統的なマナーハウス、ポルト出身の建築家エドゥアルド・ソウト・デ・モウラが設計したプールなど、人気のスポットがいくつもある。ブティックホテル開業の計画もあるそうだ。しかし、彼らが何にも増して情熱を注いでいるのは、古木のブドウ畑を維持していくことなのである。

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100年の古樹、54品種のフィールドブレンド
ドウロ地方の伝統的な醸造所は、古木のブドウ畑を所有している。中には100年を超える古木もあり、その品種は多岐に渡る。キンタ・ド・クラストは、約40ヘクタールの古木の畑を持つ。そのうち最も重要な畑が、4,7ヘクタールのヴィンニャ・マリア・テレサと、約2ヘクタールのヴィンニャ・ダ・ポンテだ。かつては高品質のポートワインが生産されていた畑だが、現在ではトップクラスの赤ワインが誕生している。
一家が最も力を入れている畑が、ヴィンニャ・マリア・テレサだ。マリア・テレサは創業者コンスタンティーノ・デ・アルメイダの初めての曾孫の名前だという。標高200メートルの畑では、主に樹齢100年前後のブドウが育つ。中には115年を数えるブドウ樹も残っており、1本からたった200グラムのブドウしか得られない古木もある。畑には、ドウロ地方の固有品種だけが混植されている。大半を占めるのは赤品種で、近年、広く知られるようになった、トゥーリガ・ナシオナル、ティンタ・ロリス、トゥーリガ・フランカ、ティント・カオンなども植えられているが、それ以外の品種は、ティントゥレト・ドス・フラーデス、エスガナ・カオン、デド・ジ・ダマ、ムレト、ポルトゲーズ・アズールなど、初めて聞く名前ばかりだ。白品種のゴウヴェイオ、ヴィオジンニョなどもわずかながら混在する。長年、ポートワイン造りに使われていたヴィンニャ・マリア・テレサのブドウが、辛口の赤ワインとして初めて世に出たのは1998年のことだった。

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通常、古木が混植された畑では、ブドウが寿命を迎えると、質の良い品種であるトゥーリガ・ナシオナルなどに植え替えられる。しかし、常にトゥーリガ・ナシオナルに植え替えていくと、混植だった畑はやがて、トゥーリガ・ナシオナルが支配的な畑となってしまう。そこで、キンタ・ド・クラストはドウロ・ポートワイン研究所(IVDP)をはじめ、専門家たちのサポートを得て、古木の畑を守るプロジェクトに取り組み始めた。目視調査と遺伝子解析の結果、ヴィンニャ・マリア・テレサには54品種のブドウが存在することがわかった。
彼らは、ヴィンニャ・マリア・テレサを複数の区画に分け、区画ごとに列に番号をふり、3万本近くあるブドウの木の1本1本を識別できるようにし、植え替えは、必ず同じ品種で行うことにした。一家は、ヴィンニャ・マリア・テレサを、創業者の時代のままの混植の畑として、未来に継承しようとしているのだ。常に植え替えができるように、苗木畑も整備している。将来的には、もう一つの重要な畑、ヴィンニャ・ダ・ポンテにおいても、同様のリサーチを行うことになっている。
15年くらい前までは、ヴィンニャ・マリア・テレサの収穫は、1日で行なっていたそうだが、現在では最大3週間の間隔をあけての選別収穫が行われている。品種別に収穫することは不可能だが、標高による成熟度の違いを考慮しながら、できる限りそれぞれのブドウを理想的な状態で収穫しようとしている。「フィールドブレンドの場合、ワインのブレンドはすでに畑で完成している。造り手の役割は、畑がもたらしてくれるブレンドを、最高の状態でワインに仕上げることなんだ」そうミゲルさんは語る。

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ドウロの今を試飲する
キンタ・ド・クラストが今日生産しているのは、ポートワインとは異なり、モダンで洗練されたワインばかりだ。最初に味わった、サーモンピンクが美しいクラスト・ロゼ(2023)は、2016年に生産を開始したもの。固有品種であるトゥーリガ・ナシオナルとティンタ・ロリスのブレンドで、夏が似合う爽快感あふれるワインだ。2007年に初めてリリースされたベーシックな白、クラスト・ブランコ(2023)は、標高600メートルの畑で栽培されている白品種、ヴィオジンニョ、ゴウヴェイオ、ラビガトのブレンドで、ブレンド率は毎年異なる。ステンレスタンク醸造の溌剌とした白で、柑橘類の花々と果実の風味が魅力的だ。スペリオール・ブランコ(2023)は、ヴィオジンニョとヴェルデーリョのブレンド。こちらは樽仕込みで、フレンチオーク樽とアカシア樽(15%)が使われている。樽内熟成は半年。果実味、ミネラル香、樽香がバランスよく溶け合い、余韻も長い、秀逸なワインだ。

続いて味わった、ベーシックな赤ワイン、クラスト・ティント(2018)は、トゥーリガ・ナシオナル、ティンタ・ロリス、トゥーリガ・フランカ、ティンタ・バロッカの4品種のブレンド。ドウロならではの果実味を生かし、ごく一部をフレンチオーク樽で仕込んでいる。国際品種とは異なるニュアンスの風味があり、驚きと新鮮さを感じる赤だ。クラスト・スペリオール・ティント(2021)はトゥーリガ・ナシオナル、トゥーリガ・フランカ、ティンタ・ロリス、ソウサォンの4品種のブレンド。オーク樽で1年熟成したもので、新樽率は6割。果実味とスパイシーな風味が調和した、エレガントなワインに仕上がっている。ドウロワインは白も赤も、オーク樽との相性が良い。
クラスト・リゼルヴァ・ヴィンニャス・ヴェーリャス(2021)は、平均樹齢70年の古木のフィールドブレンドで、30品種ほどが確認されている。フレンチオーク樽主体で18ヶ月熟成させたワインは、重層的で奥深く、フィネスにあふれる。このワインは、醸造所最高峰のワインであるヴィンニャ・マリア・テレサのスタイルに最も近い。最後に比較対象として、単一品種のワインも味わった。トゥーリガ・ナシオナル・スペリオール(2024)は、品種特有のスミレのような香りとピュアな果実味、キメの細かなテクスチュアが魅惑的だ。国際評価は高く、フィールドブレンドの対極にある単一品種のワインにも、ポテンシャルがあることを証明するワインだ。

キンタ・ド・クラストでは、このほか、20年近く熟成させたヴィンテージ・ポートなど、ごく限定された最高品質のポートワインとオリーブオイルを生産している。

フィールドブレンドの唯一性
今年の3月、ドイツ、デュッセルドルフで行われたワインとスピリッツの国際見本市「プロ・ヴァイン」の会場で、4ヶ月ぶりにミゲルさんと再会した。この時初めて、ヴィンニャ・マリア・テレサの2019年ヴィンテージをテイスティングさせていただいた。わずかしか実をつけない老樹のブドウを、時間をかけて、丁寧に集めて造られたワインには、威厳があり、畑の個性が語りかけてくる。54品種のフィールドブレンドは唯一無二であり、味わう人に深い感動を呼び起こすワインだ。

ミゲルさん
「ヴィンニャ・マリア・テレサは、ポルトガルのロマネ・コンティとなる可能性を秘めている……」そう、ミゲルさんは語る。父親のジョルジュさんは、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティのかつての共同経営者だった、オベール・ド・ヴィレーヌさんと交流があり、ヴィレーヌさんから「ヴィンニャ・マリア・テレサには、現在の評価をはるかに超える価値がある」と太鼓判を押してもらったこともある。以来、ロケッテ家は、ヴィンニャ・マリア・テレサの品質と名声を、ロマネ・コンティのレベルにまで引き上げることを目標に掲げている。
ドウロの辛口ワインが、近い将来、国際的な名声を得るであろうことは、畑のポテンシャルが裏付けている。造り手も、さらなる高みを目指し、日夜精進している。新生ドウロ・ワインが世界的な名声を得る日は、着実に近づいている。

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岩本 順子
ライター。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学美術史科修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーとブラジルのワイン専門誌編集部で研修し、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。著書に『おいしいワインが出来た!』(講談社)、『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)、ドイツワイン・ケナー資格試験用教本内のテキスト『ドイツワイン・ナビゲーター』などがある。
HP: www.junkoiwamoto.com






