芸術の都 ウィーンはワインの都

オーストリアの首都ウイーンは、音楽、美術、そして建築の都でありながら、600ヘクタールを超えるブドウ畑、300年前に建てられたスパークリングワインのセラー、醸造所が営むワイン居酒屋「ホイリゲ」など、ワインが好きな人にとって魅力的な場所がいくつもある。一国の首都で、これほどワイン造りの現場に近い都市は、世界でもおそらくウィーンだけだろう。

ウイーンのブドウ畑のおよそ3分の1からは「ゲミッシュター・ザッツ」と呼ばれる、複数のブドウ品種をブレンドしたワインが生まれている。いくつかの品種が混在して植えられている昔ながらの畑も、わずかに残っている。「ゲミッシュター・ザッツ」に続いて多く生産されているのが、オーストリアの固有品種、グリューナー・フェルトリーナーから造られる、引き締まった味わいの白ワインだ。

「ゲミッシュター・ザッツ」は英語圏では「フィールド・ブレンド」と呼ばれ、フィロキセラ災禍以前のワイン造りの伝統を継承するものとして、近年再評価されている。原産地呼称ワインである「ヴィーナー・ゲミッシュター・ザッツDAC」は、ウイーン地域内で栽培されているブドウだけを使用して造られるもので、少なくとも3品種をブレンドしなければならない。ブレンド率も、1品種が50%を超えてはならず、3番目に多くブレンドされる品種は少なくとも10%を占めるようにと決められている。品種はグリューナー・フェルトリーナー、リースリング、ノイブルガー、ゲヴュルツトラミーナー、ロートギップフラー、ツィアファンドラーのほか、ピノブラン、ピノグリ、シャルドネなども使用でき、ブレンドのバリエーションは多彩だ。ウイーンのホイリゲを訪れたら、1杯目はゲミッシュター・ザッツを、2杯目はグリューナー・フェルトリーナーを味わい、地元のワイン文化に浸ってみよう。

良く知られているホイリゲのひとつが、ウイーン北部ハイリゲンシュタット・ヌスドルフにある、「マイヤー・アム・プファールプラッツ」だ。創業1683年のマイヤー醸造所が経営するホイリゲで、敷地内には1817年にルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)が滞在していた住居が残る。聴覚を完全に失った彼が、交響曲第9番に取り組んでいた頃の住まいだ。

ウィーンのホイリゲは、ベートーヴェンの時代に始まった。1784年に神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世が、ウイーンの農家に自家製ワインと自家製食品の自由な販売を許可したことから、農家が新酒と簡単な食事を出す居酒屋を開業するようになったのである。ホイリゲとは新酒のことで、それが居酒屋の呼称となった。

ベートーヴェンはワインとホイリゲが大好きだったという。美味しいワインと美味しい食事を味わいながら、仲間と共に生きる喜びを存分に味わう…… それがホイリゲの文化だ。病に苦しみながら、芸術を追求していた音楽家にとって、ホイリゲはきっと、安らぎの場であったことだろう。

ウィーンのスパークリングワイン

ウイーンの中心街とマイヤー醸造所のホイリゲのほぼ中間あたりに、ゼクトで名高いシュルムベルガーの広大なセラーがある。創業は1842年だ。オーストリアのスパークリングワインもドイツなどと同様、20世紀初頭に法規制ができるまでは「シャンパーニュ」と称され、黎明期にはシャンパーニュ地方との人材交流も活発だった。

シュルムベルガーの創業者、ロベルト=アルヴィン・シュルムベルガーはドイツ、シュトウットガルトの出身だ。シャンパーニュ・メゾンの老舗、ランスのリュイナールで修業を始め、のちに醸造責任者となった人物である。オーストリア出身の女性と結婚したことから、1842年にウイーンに移住し、オーストリアにシャンパーニュ製法を伝えた。

シュルムベルガーの「シャンパーニュ」はウイーンの王室で愛飲され、1862年にロンドンで開催された万国博覧会の際に、ビクトリア女王の食卓に供されたことが記録に残っている。オーディオガイドを聴きながらセラーを見学した後に、ティスティング用のゼクトがサービスされる。シャンパーニュの品種であるシャルドネとピノノワールに力を入れているが、オーストリアならではの、グリューナー・フェルトリーナーのブリュットも楽しめる。

至高のグリューナー・フェルトリーナーを訪ねて

各地の試飲会を巡っていると、時折、あるワインと衝撃的な出会いや再会をすることがある。昨春、イタリア、アルト・アディジェ地方のマグレで開催されたオーガニック生産者の試飲会「Summa(スンマ)」で、8年ぶりくらいに再会したグリューナー・フェルトリーナーが心を揺さぶった。ベルンハルト・オット醸造所のグリューナー・フェルトリーナだった。

Weingut Bernhard Ott ©catastini coeln

ウイーンから列車で約1時間。醸造所はウイーンの北西に隣接するワイン産地、ヴァグラム地方のフォイアースブルンにある。ドナウ川のカーブに沿って広がる産地で、かつてはドナウラントと呼ばれていた。ヴァグラムとは「起伏のある水辺の斜面」を意味する言葉だそうだ。

国の東端に集中しているオーストリアのワイン産地は、いずれもパンノニア平原の穏やかで乾いた気候の影響下にある。ヴァグラムも夏は暑いが、北に広がる森林の影響で、夜にはひんやりとした空気が流れ込む。専門家たちは「フィネスのあるワインが出来上がる」と言う。

ヴァグラム地方のブドウ畑はおよそ2500ヘクタール、グリューナー・フェルトリーナーの栽培面積は約55%を占める。グリューナー・フェルトリーナーはニーダーエスタライヒ州地域の固有の品種で、ドナウ川の上流方向に隣接するトライゼンタール、カンプタール、クレムスタール、ヴァッハウといった著名な産地で、最も多く栽培されている「選ばれし品種」なのである。

ヴァグラムの土壌は黄土(レス)が主体だ。数百万年前に形成されつつあった、ウルドナウ川と呼ばれるドナウ川の起源となる河川系に小石や砂が堆積し、ヴァグラムと呼ばれる尾根が形作られ、黄土が吹き寄せて堆積し、深い黄土層が形成された。石灰質が豊かな黄土土壌は、ワイン造りの優れた基盤となる。

ベルンハルトさん ©Weingut Bernhard Ott

オット家は、17世紀後半から19世紀後半までヴァグラム地方の西隣のカンプタール地方に居住していた。一家が現在の場所に引っ越してきたのは1889年のことである。それまでは複合農家を営み、畜産業とワイン造りを行っていたが、引っ越しを契機にワイン造りに専念するようになった。

オーナー醸造家のベルンハルト・オットさんはあいにくお留守で、スタッフでソムリエでもあるノルベルト・ウンガーさんに醸造所を案内していただいた。

訪問したのは土曜日だったが、テイスティングルームは多くの顧客で賑わっていた。家族経営の醸造所の多くは、週末には扉を閉ざしているが、オット醸造所は、ほぼ年中無休だという。「遠方からはるばる醸造所までやってきて、ワインを買い求めてくれるお客様を、がっかりさせたくないからなんだ」そうノルベルトさんが言う。

オット醸造所の所有畑は現在55ヘクタール。一家は、戦後からずっとグリューナー・フェルトリーナーに力を入れており、現在では、畑の90%をグリューナー・フェルトリーナーが占める。オーガニック栽培に取り組み始めたのはベルンハルトさんの父親だった。4代目にあたるベルンハルトさん、マリアさん夫妻は1993年に醸造所を継ぐと、オーガニック農業をさらに徹底させ、ビオディナミ農法に移行し、グリューナー・フェルトリーナーに全精力を注ぎ込んだのである。

自然への信頼 リスペクト・ビオディン

 

ビオディナミ農法の生産者団体には、デメター(Demeter)、ビオディヴァン(Biodyvin)、ルネサンス・デ・アペラシオン(Renaissance des Appellations)などがあるが、2007年にオーストリアで産声を上げたリスペクト・ビオディン(Respect Biodyn)もその一つだ。オット醸造所はこのリスペクト・ビオディンの設立時からのメンバーである。オーストリア、イタリア、ドイツのワイン生産者で構成される非営利団体で、会員は現在36醸造所、いずれも職人意識の高い醸造所ばかりだ。リスペクト・ビオディンは、あくまでメンバーのための団体であり、広報活動などはほとんど行っていない。会員は共に学び、研鑽を積み、ひたすら品質の向上に努めている。

リスペクト・ビオディンが目指しているのは、ビオディナミ農法を徹底して実践し、唯一無二のワインを生み出すことだ。彼らの基準は厳格で、メンター制度が設けられている。入会を希望する造り手は、同じ地域のメンターとコミュニケーションをとりながら、3年間にわたって農法などを学ぶ。その上で、会員として迎えられるかどうかが決まるのである。

リスペクト・ビオディンが最も力をいれているのが、年間を通じてのきめ細かな畑仕事だ。ベルンハルトさんも、全体の80%の仕事を畑仕事に費やしているという。28名いるスタッフのうちの17名が、畑仕事だけに専念しているくらいだ。

ビオ農法からビオディナミ農法に切り替えてからの7、8年は、先が見えない難しい時期だったという。畑が十分に生命力を取り戻すまでには、長い年月がかかる。「それは、治療法を通常医療からホメオパシーに変更するようなものだった」そうノルベルトさんは語る。なかでも重要な仕事がコンポスト作りだ。オット醸造所では、8年前から、近隣のオーガニック農家の牛糞を入手し、藁やトレスターとブレンドして、独自のコンポストを調合している。土壌のコンディションを整えることは何よりも大切であるため、根っこのシステムを壊さないように、畑を深く掘り起こさないようにしているほどだ。ベルンハルトさんは灌漑もしない。ブドウを、土壌を、テロワールを信頼しているのだ。

ベルンハルトさん ©Weingut Bernhard Ott

よりピュアなワインを目指して

ノルベルトさんと、フォイアースブルンの畑を少し歩いた。季節は初夏。あたりを見回すと、垣根に沿って生育しているブドウは、雹よけのネットでしっかりと覆われていた。ネットの中の熟しつつあるブドウの実は、真珠のような輝きを放っている。突然襲ってくる自然災害により、一夜にして収量のほとんどを失うこともある。オット家では、一房一房のブドウを守るために、ほぼすべての畑で雹よけのネットを導入している。

彼らは、ビオディナミ農法を実践しつつ、畑では、収量を低く抑えること、健康で完璧なブドウを収穫することに力を注いでいる。収穫はすべてが手摘みだ。セラーでは、自然発酵を基本としている。ビオディナミ農法に移行したことにより、自然発酵が順調に進み、ワインが完全発酵するようになったという。あとは極力手を加えず、時間をかけるだけ。ワインの力を信頼して、忍耐強く待つことも、唯一無二のテロワールを写し取る方法なのだ。

2021年ヴィンテージからは、バスケットプレスと呼ばれる昔ながらの垂直型の圧搾機を導入し、全房圧搾を行っている。「おかげで、ワインの味わいがよりピュアになり、よりオットらしい表現ができるようになった」そうノルベルトさんが言う。それで納得した。昨年の春、久しぶりにオット醸造所のワインを味わった時、以前とは異なる清らかさを感じ取ることができたのは、そのせいだったのだ。

©Weingut Bernhard Ott

奥深いグリューナー・フェルトリーナーの世界

テイスティングルームではまず「キュヴェ・スペクトルム」(2023)をいただいた。オット家のゲミッシュター・ザッツで、グリューナー・フェルトリーナー、リースリング、ローター・ヴェルトリーナー、フリューローター・ヴェルトリーナー、ノイブルガー、ヴェルシュリースリングなど11品種がブレンドされている。古い混植の畑には、新たにソーヴィニヨンブラン、ヴェルシュリースリング、アリゴテの列が加わっているそうだ。オット家にとって、多彩な品種が育つゲミッシュター・ザッツの畑は、どの品種が気候変動にうまくアダプトしているかを知るための学びの場所でもある。ノルベルトさんは「ヴェルシュリースリングは過酷な気候に非常によく耐えている」と語る。

グリューナー・フェルトリーナーの「アム・ベルク」(2023)は、ヴァグラムのブドウが約3分の2、残りはカンプタールのブドウから造られる。およそ20区画のブドウをブレンドした、エントリークラスのワインとのことだが、輝きがあり、力強さが感じられ、青い果実を感じさせる清涼感あふれるワインだ。

「ファス4」(2023)は、おそらくオット家のワインで最も良く知られているワインだろう。フォイアースブルンの畑の区画別に醸造したグリューナー・フェルトリーナーをブレンドした、いわゆる村名ワインである。ファス4とは樽番号4、という意味。かつては一部の顧客のためだったワインで、4番の樽のワインを提供していたことから付けられた名前だ。「アム・ベルク」よりも凝縮感があり、グレープフルーツのような瑞々しい風味にフレッシュハーブを連想させる風味が加わり、とても味わい深い。

「デア・オット」(2023)は、3つの1級畑の樹齢35年以下のブドウをブレンドしたもの。長期にわたって酵母とともに熟成させているため、ふくよかで滑らかな味わいだ。レモングラスのような爽快さと、フルーツコンポートのような艶やかさが同居する魅力的なワインに仕上がっている。

続いて味わった「リード・グミルク」(2023)は、1級畑リード・ローゼンベルクの南東に位置する、まだ格付けされていない畑だが、ベルンハルトさんの手にかかると、出来上がるワインは重層的で魅力にあふれ、グリューナー・フェルトリーナーの高貴さが見事に引き出されている。

白ブドウ品種においては、シャルドネの高貴さ、近年ではリースリングの高貴さも、誰もが知るところとなった。しかしグリューナー・フェルトリーナーの高貴さは、まだそれほど広く認識されていない。いずれの品種からも、軽快で気楽に楽しめるワインと、長熟が可能な偉大なワインとが生まれる。これらの伝統品種の秘めた力を引き出すことができるのは、その品種に情熱をもって取り組んでいる限られた造り手だけだ。グリューナー・フェルトリーナーに情熱を傾けて32年、ベルンハルトさんは、自ら生み出すグリューナー・フェルトリーナーにおいて、偉大なシャルドネや偉大なリースリングと並ぶポテンシャルがあることを教えてくれている。

最後にオーストリア伝統ワイン醸造所協会(ÖTW)が格付けした1級畑のグリューナー・フェルトリーナーを味わった。格付け作業は現在進行中で、120の1級畑が格付けされたところだ。オット家の畑で格付けされているのは、ヴァグラムの「リード・シュピーゲル」と「リード・ローゼンベルク」、カンプタールの「リード・シュタイン」の3つ。リード(リートとも表記)とは畑(単一畑)という意味だ。

「リード・シュピーゲル」(2021)は周囲の風景を映し取るように眺望できるロケーションであることから、シュピーゲルつまり鏡という畑名がついた。とりわけ風通しの良い、涼しい畑だという。樹齢は約50年。黄土土壌に砕けた石が混ざっている。繊細さと力強さを併せ持ち、微かに南国的な風味が感じられる。長期間酵母と接触させているため、滑らかで優しいテクスチャーだ。

「リード・ローゼンベルク」(2021)には、樹齢70年近い古木があり、黄土土壌が深く、含まれる石灰質の割合が高いと言う。さまざまな成熟段階の洋梨の風味と、ミネラルを感じさせる風味とが美しく調和している。

「リード・シュタイン」(2021)は15世紀からあったカンプタールの伝統ある畑で、土壌には黄土のほかに片麻岩が混じる。標高は230メートルほど、こちらも樹齢約50年の古木の畑だ。ヴァグラムの畑とは土壌構成がかなり違い、ワインには、土壌や岩を感じさせる、鮮烈な硬質の風味がある。

3つの1級畑のグリューナー・フェルトリーナーの違いは土壌構成だけで、醸造法は全て同じだという。畑は互いに1kmくらい離れているだけだが、それぞれの風味には、明瞭な個性が感じられた。個人的には、ほっそりとした「リード・シュピーゲル」が印象に残った。グリューナー・フェルトリーナーが、テロワールによってかくも様々な表情を見せてくれる偉大な品種であることを、ベルンハルトさんのワインに教えていただいた。


Photos by Junko Iwamoto

岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com