アルメニアは、世界最古の文明発祥の地メソポタミア地方の北方、南コーカサス地域の小国だ。国土は3万平方キロメートルに満たず、ベルギーよりも少し小さい。
海との繋がりを持たない内陸国で、西はトルコ、北はジョージア、東はアゼルバイジャン、南はイランとアゼルバイジャンの飛び地ナヒチェヴァンに隣接する。アルメニアは、アジアとヨーロッパの狭間の、古くから様々な文明と宗教が交差する場所にあり、必然的に周辺国からの干渉を受けながら国を維持してきた。
アルメニアの国土は、約90%が標高1000〜3000メートルの高原だ。首都エレバンも標高1000メートルのところにある。エレバンからは、お天気の良い日に、アララト山の2つの峰が眺望できる。主峰である大アララト山は5,137メートルもある。アララト山は現在トルコに属するが、オスマン帝国の時代までは、多くのアルメニア人が、この山の麓で暮らしていた。
紀元前4~5世紀ごろに書かれたと言われる旧約聖書には、アララト山頂に、大洪水を生き延びたノアの箱船が流れ着いたこと、ノアがやがて農夫となり、ブドウの木を植えたことが記されている。そのため、アララト山とノア伝説は、ワイン造りに取り組むアルメニア人にとって、心の拠り所となっている。

アララト山©Vine and Wine Foundation
世界最古の醸造所跡
アルメニア人による最初の独立国家が誕生したのは紀元前188年、彼らが世界で初めてキリスト教を国教としたのは紀元301年だった。5世紀初頭にはアルメニア文字を考案し、独自の文化が開花した。
聖書に従うなら、ノアの植えたブドウがアルメニアワインの起源とも考えられるが、実はアルメニアワインの歴史はそれよりもはるかに古く、今から6100年前にまで遡ることができる。ジョージアワインの8000年の歴史に次ぐ、長い伝統が証明されているのだ。

ヴァヨツ・ゾル地方
1970年代に、アルメニア中南部のワイン産地、ヴァヨツ・ゾル地方アレニ村の近くで洞窟が発見された。2007年に始まった発掘調査で、「鳥の洞窟」と呼ばれていたこの洞窟に、石器時代から青銅器時代にかけて人々が暮らしていた痕跡が見つかった。ワインに関しては、紀元前4100年頃の醸造設備が見つかっている。出土品は、発酵槽、「カラス」と呼ばれるアンフォラ、コップ、ブドウの種など多岐に渡る。洞窟の中では祭礼も行われていたと推測され、ワインはその儀式に使われた可能性がある。カラスに付着していた澱は、成分分析の結果、ワインの澱であり、ブドウの種はヴァヨツ・ゾル地方原産の黒ブドウ、アレニとの類似性が指摘された。今日栽培されているアレニは、6100年前のアレニの遠い子孫であると考えられている。やがて「アレニ-1」と命名されたこの遺跡は、世界最古の「醸造所跡」として名を馳せるようになった。
キリスト教を国教としてからのアルメニアは、全土でキリストの血を象徴するワインの文化が繁栄していたことだろう。今に残る中世の修道院や教会建築の装飾として刻まれたブドウの模様、ワイン造りにまつわる描写、ワインの儀式の表現などから、当時の様子を伺い知ることができる。
アルメニアのワイン文化の危機は、ソビエト時代(1921-91)にやってきた。ソビエトの一方的な政策により、他のワイン生産国であるジョージアやモルドバはワイン造りを継続できたが、アルメニアは全域でブランデーの生産を担うことになってしまったのである。半世紀以上もブランデーの生産に専念してきたため、アルメニアはブランデー生産国としての知名度が高まり、ワインの伝統は失われつつあった。
しかし、今日のアルメニアは、すでにワイン国として再出発している。古来から栽培されてきたブドウ品種は、スターリンのブドウ栽培政策、ゴルバチョフの禁酒運動を生き延びた。21世紀に入ってからのワインの品質向上は著しく、醸造法の近代化と並行して、カラスを使用したワイン造りの伝統も復活している。世界最古の醸造所跡の発掘という衝撃に揺り起こされ、ワインの生産量も消費量もワイナリー数も増加中だ。

アラガツォトゥン地方カサク峡谷
虐殺と紛争を乗り越えてのワイン造り
アルメニアの人口は300万人に満たないが、国外在住者は700万人を超える。アルメニア人はユダヤ人と同様にディアスポラ人口の方が多い。ペルシャ帝国、モンゴル帝国、オスマン帝国など、近隣の大国に翻弄されてきたアルメニアでは、10世紀ごろからディアスポラ化が始まった。近代においては、1890年代、そして1915年のオスマン帝国によるアルメニア人虐殺が、多くのアルメニア人に国外脱出を促した。現在も隣国トルコとの国交は完全に回復していない。
1991年、ソビエト連邦の崩壊によって、アルメニアは独立したが、アゼルバイジャンとの紛争が本格化した。そして2023年、アルメニアはアゼルバイジャンとの30年以上にわたる紛争に敗れ、アルメニア人が多数派を占める離脱国家、アルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ共和国)は解体した。アルツァフはアルメニア人による呼称、ナゴルノ・カラバフはロシア語由来の名称だ。
アルツァフ共和国を失ったことは、アルメニアのワイン産業にとって痛手となっている。同地には独自のブドウ品種が育ち、優れたワインが生産されていた。それだけではない。ナゴルノ・カラバフ地域では高品質のオークが育ち、木樽が生産されていた。アルメニアの多くの造り手が、同地域産のオーク樽を愛用してきたのである。
しかし、アルメニアのワイン業界に悲壮感はなく、誰もが前向きだ。高い志を持つアルメニア人と、世界各地から母国に戻ってきた、広い視野を持つディアスポラ・アルメニア人が、それぞれの夢の実現に向けて邁進している。彼らは、自国のワインのポテンシャルの高さを熟知している。虐殺と紛争を乗り越えたアルメニアは、今、まさにワイン産業のルネサンス期を迎えている。

ヴァヨツ・ゾル地方のブドウ
世界が見出した、ワインのために存在する土地
アルメニアでは、晴れの日が年間300日もあり、ブドウは太陽の恵みを存分に受けて生育する。乾燥した大陸性気候は、病害が発生しにくく、オーガニック栽培が実践しやすい環境だ。
現在、ワイン造りが盛んな5つの産地のうち、最も注目されているのが、「アレニ-1」が発掘されたヴァヨツ・ゾル地方だ。海抜は高いところで1800メートルに達し、ワイン産地の中で最も標高が高い。土壌は火山性で、この地域だけがフィロキセラ・フリー、つまりフィロキセラ災禍に見舞われておらず、自根での栽培が可能である。古代品種が生き永らえたのは、この恵まれた環境のせいでもあるだろう。世界的にフィロキセラの被害がない地域は非常に限られている。そのため、世界各地の栽培家、醸造家がヴァヨツ・ゾル地方に熱い視線を向けている。
土着品種が多いことも、アルメニアにおけるワイン造りの魅力だ。アルメニア固有の品種は400品種近く見つかっており、調査はまだ進行中だ。現在栽培されているのは、そのうちの50品種ほどだという。ジョージアにも500品種程度の固有品種があり、栽培されているのは、やはりそのうちの50品種くらい。隣国であるにも関わらず、両国の栽培品種はかなり異なる。
アルメニアワインを代表する、ヴァヨツ・ゾル地方原産のブドウ品種アレニは、セヴ・アレニ(Sev Areni)あるいはアレニ・ノワール(Areni Noir)と呼ばれ、人々に親しまれている。高貴な味わいのアレニからは、土壌の性質をよく反映する、表現力のあるワインが生まれる。アレニは意欲的な造り手たちを魅了してやまないが、アルメニアには、まだ世界が知らない、優れた品種がいくつもある。
続いて、エレバンを拠点に訪れた3つの醸造所にご案内しよう。
KATARO アルメニアで継承するナゴルノ・カラバフの伝統
首都エレバンから北東へ20キロ、コタイク地域を拠点とするドメーヌ・アヴェティスヤン(Domaine Avetissyan)は、ナゴルノ・カラバフで創業した醸造所、KATARO(カタロ)というブランド名で知られている。KATAROは同地域に4世紀に設立された修道院の名前だ。
創業者グリゴリー・アヴェティスヤン(Grigory Avetissyan)さんはナゴルノ・カラバフ出身。当初はブドウ栽培だけに従事していたが、2010年からワインを醸造し始めた。ナゴルノ・カラバフの固有品種である黒ブドウ、ハンドグニ(Khndoghni、別名シレニ Sireni)から造られる高品質のワインには定評があった。ハンドグニ種はアルメニアとアゼルバイジャン両国の原産種という位置付けで、イランやウズベキスタンでも栽培されているという。
アルメニアワイン・ルネサンスは、2007年の「アレニ-1」発掘が契機となって始まった。グリゴリーさんは、そのパイオニアの1人であり、ハンドグニ種のスペシャリストである。ハンドグニは敬遠されがちな、扱いが難しいブドウだと言われる。たとえば、アレニであれば、1度の澱引きで澄んだワインが得られるが、ハンドグニは2、3度澱引きしなければならない。そのため、買い取ってくれる醸造所は限られていた。グリゴリーさんが、自ら醸造することを決意したのそのためだ。彼は、ハンドグニは、それだけの手間をかける価値がある品種だと見抜いていたのである。
グリゴリーさんのハンドグニは、2018年ごろから評価が高まり、トップクラスのアルメニアワインとして名を馳せた。醸造家のアンドラニック・マンヴェルヤン(Andranik Manvelyan)さんは、2019年からグリゴリーさんと共同でワイン造りに取り組んでいる。

グリゴリー・アヴェティスヤン(Grigory Avetissyan)さん(右)とアンドラニック・マンヴェルヤン(Andranik Manvelyan)さん
しかしまもなく、コロナ災禍が襲いかかり、人気だったワインがすっかり売れなくなった。そして、2020年9月27日、収穫の真っ最中に、ナゴルノ・カラバフでの戦闘が勃発した。アゼルバイジャンの攻撃は醸造所のすぐ近くにまで迫り、ドローンやミサイルが飛んできて、爆音がセラーに響いてきた時、彼らは、醸造所、15ヘクタールの畑、タンクの中の100トン分のワイン、オーク樽120樽ぶんのワイン、ボトリングを終えた20万本のワインをすべてを残して、アルメニアに避難することを決意した。この時、ナゴルノ・カラバフからアルメニアに、10万人以上の人々が避難したという。
彼らは現在、エレバン近郊のソビエト時代の旧シルク工場を入手し、リフォームして、醸造所を再建しつつあるところだ。外壁には、ナゴルノ・カラバフ地域の伝統的なテキスタイル模様をペインティングした。ナゴルノ・カラバフ時代、グリゴリーさんの主導で開催していたワインフェスティバルの会場の壁画を再現したものだ。

カタロ醸造所 ナゴルノ・カラバフ地域の伝統的なテキスタイル模様が描かれた外壁
2022年ヴィンテージまでは、ナゴルノ・カラバフで収穫されたハンドグニを入手することができたが、2023年以降は購入の道が断たれ、愛用してきたナゴルノ・カラバフ産のオーク樽も手に入らなくなった。紛争後も、ナゴルノ・カラバフに残された醸造所と畑、大量のワインがどうなったのかはわからない。醸造所が破壊されたという情報はないが、彼らには、貴重なワインを取り戻す手立てはない。試飲させていただいた2021年産のハンドグニは、緻密で芯のある崇高な味わいだった。いくつもの苦難を超えて造られたワインを味わえることに、感謝の気持ちでいっぱいになった。
彼らは、ハンドグニの代わりに、ヴァヨツ・ゾル地方のアレニとアラガツォトゥン地方の白品種ヴォスケハットなどを買い取り、ワインを造り始めている。「アレニからは、あらゆるスタイルのエレガントなワインができる。しかし、僕たちはこれまで、ハンドグニのスペシャリストとして、その醸造法を確立してきた。ハンドグニはなかなか造り手の思い通りにならない品種で、特別なアプローチが必要だが、できることなら、今後も継続して醸造したいと思っている」そうアンドラニックさんは語る。彼らは、近いうちに自社畑を手に入れ、自らハンドグニを栽培しようと計画中だ。
ZORAH 世界が注目するヴァヨツ・ゾル地方のパイオニア
エレバンから南東に120キロ、ヴァヨツ・ゾル地方は、選りすぐりの醸造所が集中する注目のワイン産地だ。ブドウ畑は、その多くが1400メートルを超える高台にある。ワイン産地の中で、唯一フィロキセラ・フリーのこの地では、自根での栽培が行われている。

ゾラ醸造所
訪れたZORAH(ゾラ)は、世界最古の醸造所跡「アレニ-1」の北10キロメートルの高台にある。オーナーのゾリック・ガリビアン(Zorik Gharibian)さんは、長年暮らしているミラノとアルメニアを往復する生活だ。「最初の頃、ここでワイン造りを始めたいと言うと、誰もが反対した。それは、確実性のない、未知の領域へと足を踏み入れることだった」ゾリックさんは当時を振り返って言う。

ゾリック・ガリビアン(Zorik Gharibian)さん
彼は、フレスコバルディ、アンティノリなどトスカーナの一流醸造所でキャリアを積んだアルベルト・アントニーニ氏に話を持ちかけ、コンサルタントを依頼、アントニーニ氏にとっても、アレニやヴォスケハットなどのブドウ品種を扱うのは初めてのことだった。
初ヴィンテージである2010年のワインは言わば「ガレージワイン」。しかし、このワインが2012年に市場に出ると、著名なワインジャーナリストから高評価を得た。「幸運だったんだ。2012年はすでにポスト・パーカー時代、時代が求めるワインだったんだろう」。
ゾリックさんはイラン生まれのディアスポラ・アルメニア人。ベネチアのアルメニア系寄宿学校で学び、ミラノへ移住し、ファッション業界で活躍するビジネスマンだ。1998年に初めて、故国アルメニアを訪れた時、縫製工場を立ち上げ、故国に雇用を生み出すことを思いつく。すでにブルガリアやルーマニアで工場を立ち上げた経験があったため、仕事は順調に進んだ。
ワインに関心を持ち始めたのは、休暇で頻繁にキアンティ地方に出かけていたからだという。「イタリアにはワイン文化が根付いているが、当時のアルメニアにはワインを飲む習慣がなく、ワインバーなどなかった。ソビエトの影響が色濃く、誰もがブランデーやウオッカを飲んでいた」とのことだ。しかし、アルメニアはイタリアと同様キリスト教の国、ワイン文化は復活するはずだとの思いがよぎる。
その後、彼は、導かれるようにしてアルメニアワインの世界にのめり込んでいった。アルメニアのブドウについて調べ尽くし、放棄された古木の畑を探し、固有品種のブドウを育てはじめた。続いて醸造所の設立を構想し、着々と投資を始めた。所有畑は現在40ヘクタールに及び、そのうち約18ヘクタールでブドウ栽培が行われている。妻がワイン造りに賛成してくれたことが、何よりも大きな力となったという。
ゾリックさんは当初から、伝統品種には伝統製法がふさわしいと考え、いち早くカラス(アンフォラ)を導入した。使用する際には、アルメニア古来の手法、つまりカラスの3分の2までを土中に埋める方法をとっている。こうするとカラスの内部に温度差が生じ、自然な対流が起こるのだそうだ。
2021年産の「KARASÍ(カラシ)」はアレニ100%。コンクリートタンクで発酵させたのち、カラスで熟成させた。「カラシ」とは「カラスから」つまりアンフォラから、という意味で、複数のカラスで熟成させたワインのアッサンブラージュだ。
ゾリックさんは、コンクリートタンクやカラスによる醸造は、オーク樽のように香味をつけないので、アレニのような、テロワールを表現する品種に向くと言う。2019年産の「Yeraz(イェラズ/夢)」は、ノラヴァンク地域で放棄されていた畑の、樹齢100年を超えるアレニから造られている。こちらのワインもコンクリートタンクで発酵、カラスで2年熟成させ、大型の木樽に寝かせたものだ。美しい果実味を維持した、清らかな「イェラズ」を味わいながら、アレニというブドウが辿ってきた長い歴史を想った。
「アルメニアは小さな国だけれど、6000年を超えるワイン史、ノア伝説、優れたテロワール、標高、アレニという古代品種、フィロキセラ・フリーの土壌、カラスによる古代製法など、他のワイン産地が望んでも得られないものを、全て持っている。アルメニアには全てがある」そうゾリックさんは強調する。しかもアルメニアには、世界中のディアスポラ・アルメニア人を通じて、最新の情報が集まってくる。世界は今、アルメニアワインが持つ底力に気づき始めている。
VOSKENI 曾祖父の夢を実現させるために
エレバンから西に30キロ、アララト山を眺望するアルマヴィル地方、サルダラパット地域の家族経営の醸造所、VOSKENI(ヴォスケニ)では、女性醸造家、アリーナ・ムクルチャン(Alina Mkrtchyan)さんにお会いした。醸造所の近郊には「サルダラパットの戦い」を記念する公園施設がある。第一次世界大戦末期の1918年5月、サルダラパットで行われたこの戦役で、アルメニア軍はオスマントルコ軍のアルメニア進出、アルメニア民族の滅亡を食い止めた。

ヴォスケニ醸造所
アリーナさんの曽祖父スムバト・マテヴォシアン(Smbat Matevossian)さんは、米国ボストン在住だったディアスポラ・アルメニア人。第一次世界大戦が終結してまもない1920年代初頭に、故国に醸造所を設立する夢を抱いて、母国に戻り、ブドウ畑を開墾した。ワインを造りたかったのだが、ボルシェヴィキ当局の弾圧を受け、土地や財産を没収され、命までも奪われた。ワイン造りの夢は途絶えたかに見えた。
ロシア在住だったアリーナさん一家がアルメニアに戻ったのは2008年。彼女の両親は祖父の畑を買い戻し、2014年には十分なブドウが収穫できるまでになった。当初は収穫ブドウを売っていたが、2016年に醸造所を建設し、祖父の夢の実現に取り組み始める。2018年からは、ボルドーのトップクラスのシャトーを数多く手がけるフランス人、ステファン・デレノンクール氏がコンサルタントを務める。アリーナさんもスタッフと共に、デレノンクール氏の教えを受けて、ワイン造りに取り組んでいる。

スムバト・ムクルチャン(Smbat Mkrtchyan)さんと長女のアリーナ・ムクルチャン(Alina Mkrtchyan)さん
曽祖父は、アレニ、ヴォスケハットなどアルメニア品種を栽培していたので、アリーナさんはその伝統を受け継いだ。現在アルマヴィル地方に22ヘクタール、ヴァヨツ・ゾル地方には、樹齢130年のアレニも生育する、9ヘクタールの古木の畑を所有する。
アルマヴィル地方は海抜1000メートルの平らな畑、火山性土壌で花崗岩や溶岩が混在する。ヴァヨツ・ゾル地方は標高1600メートルの山岳地帯でやはり火山性土壌、古木の根は深く伸びており、干魃に強い。ワイン造りにおいては、現代技術とアルメニアの伝統的な醸造技術とを巧みに組み合わせ、オーク樽のほかに、カラスも導入している。
どのワインにも、輝く魅力が詰まっているが、その頂点となるのが、2019年産のアレニ「サルダラパティ・リゼルヴァ」だ。凝縮感と生命力をたたえたワインで、その名前には、彼らの平和への思いが込められているように思った。このワインは2016年から、ナゴルノ・カラバフ産オークの新樽で24ヶ月熟成させているが、2020年産からは新樽率を60%に減らすこととなり、2023年からはフレンチオーク樽を導入している。今後、ナゴルノ・カラバフ産の樽が手に入る見通しは立っていない。
アリーナさんは「アルメニアンオークとフレンチオークのアロマは全く違う。アレニには、やはりアルメニアンオークがふさわしい」と語る。ある地域のワインには、その地域の樹木で作られた樽がふさわしいのだが、戦争はそのような固有の文化を破壊してしまう。
エチケットに印刷された、アリーナさんの曽祖父のポートレート写真が、静かな眼差しでこちらを見つめている。彼が抱いたワイン造りの夢は、幾多の苦難を乗り越え、次世代の家族の力によって実現することとなった。100年という長い時間をかけて、その夢を叶えた家族の絆に、深く心を動かされた。
賑わうエレバンの夜
10月半ば、エレバンのレストラン街は、多くの人々で賑わっていた。鋪道にもたくさんのテーブルや椅子が並び、誰もがワインを楽しんでいる。選り抜きのワインが揃うバーもすぐに見つかった。今から20年以上前、ゾリックさんが夢に見た光景は、いまやアルメニアの都会の日常風景となっている。造り手の情熱に呼応するかのように、街角では、人々がワインを楽しむ文化が着実に育っていた。
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取材協力 Vine and Wine Foundation
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Photos by Junko Iwamoto
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岩本 順子
ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com