北アフリカのモロッコにある港街タンジェは、かつて特定の国家の領土ではない国際管理地域として、スペインやフランスをはじめとする欧州列強、さらには米国やフランス保護領であったモロッコのスルタンにより複雑な形で統治されていた。そうした政治的背景の中で、タンジェには国際的でボヘミアンな文化が生まれ、その魅力に惹かれて移住した芸術家も少なくない。また、2007年には新たな貿易拠点としてタンジェMED港が開港し、都市開発が急速に進んだことで、モロッコの主要な経済都市の一つにもなった。このように、多文化的で芸術的、そしてダイナミックな都市であるタンジェ。そのアイデンティティと魅力の源を探るため、筆者はタンジェに数週間滞在した。
色鮮やかな景観が美しい港街
ジブラルタル海峡を挟んで向かい側に位置するスペインとモロッコは、直線距離で約14キロメートル。その近さから、タンジェへの訪問者の多くが欧州からフェリーで到着する。2019年のデータによれば、約220万人の旅行者が海路を経てタンジェ近郊の3つの港から、約70万人がタンジェのイブン・バットゥータ国際空港から入国した。
イブン・バットゥータ国際空港から市内までの距離は約14キロメートルで、タクシーを使えば20分程度で到着する。14世紀に活躍した旅行家イブン・バットゥータの名前は、空港やショッピングモールの名称にも使われている。
市内近くの海岸沿いにはマリーナやビーチがあり、広々としたプロムナードが整備されている。全長8.5キロメートルの遊歩道は、散歩やランニングを楽しむ地元の人々や観光客の憩いの場。ビーチでサッカーをする若者、海岸で釣りを楽しむ人、観光客向けの馬やラクダの姿も見られる。
その海岸の景観は、特に魅力的だ。鮮やかな青空、多彩に変化する海の色、旧市街の白壁、モスクの塔の装飾、ヤシの木々、そして背後に広がる山々が織り成す風景は、まさに芸術的。晴れた日にはタンジェの海岸からスペインが肉眼でもはっきりと見え、その近さに驚かされるとともに、この地理的近接性に気分を高揚させられる。一方で、モロッコを含めアフリカの国のパスポートでは、ビザなしで欧州に渡航できない現実についても考えさせられる。
アーティスティックなアイデンティティを持つ街
タンジェは、多くの芸術家を惹きつけてきた街として知られている。1832年、フランス出身の芸術家ウジェーヌ・ドラクロワがタンジェを訪問し、その旅から着想を得た作品を描いた。20世紀初頭には、画家アンリ・マティスもタンジェを訪れ、約20点の油絵を制作した。
また、米国の作家で作曲家のポール・ボウルズは1947年にタンジェへ移住し、その後亡くなるまでの52年間、タンジェで創作活動に取り組んだ。他にも、ローリング・ストーンズやファッションデザイナーのイブ・サン・ローランなど、多くの著名なアーティストたちがタンジェと深い関わりを持っている。
現代のタンジェのクリエイティブシーンを支えるのは、地域に根差した文化施設や団体。ミュージアム、モロッコ美術を扱うギャラリーや独立系の書店、シネマなどが街中に点在する。たとえば、Les InsolitesやKIOSKには、タンジェやアラブ地域の文化に関する書籍や雑誌の充実したコレクションがある。KIOSKは、アートを活用した市民主導型の街づくりを目指す文化団体「シンク・タンジェ(Think Tanger)」が運営しており、文化イベントの開催場所にもなっている。
シンク・タンジェの活動は多岐に渡る。若手アーティストを支援するレジデンシープログラムや、地元アーティストの作品をスクリーン印刷のポスターにして発信・販売する『Tanger Print Club』などを運営。また、タンジェの街づくりや市民参加をテーマにしたワークショップや、市民や地域に関する調査と寄稿記事をまとめたプリント版ジャーナル『Makan(マカン)』の制作も行う。
シーフード料理とカフェ・カルチャー
タンジェの食文化の特徴の一つとして挙げられるのが、新鮮なシーフードを使った料理だ。大衆レストランLe Saveur du Poissonは、アットホームな雰囲気と新鮮な魚介類の料理で知られる人気のスポット。ここではランチとディナーともにコースメニューのみを提供する。自家製のオリーブマリネやスパイシーなハリッサ、魚の出汁が効いたスープ、魚介を煮込んだタジン、ハーブを効かせたグリル料理が楽しめる。価格は250ディルハム(約3900円)で、現地の物価と比較すると安くはないが、観光客にとっては満足感の高い食体験といえる。
もう一つの注目ポイントはカフェ文化。モロッコ全土ではミントの葉をふんだんに入れたお茶がよく飲まれるが、タンジェではコーヒー文化も盛んだ。たとえば、メディナ内のCafé TingisやCafé Babaは、かつて芸術家たちが集った歴史あるカフェとして知られている。
シャウエンへの日帰り旅
タンジェから車で2時間ほどの場所に位置するシャウエン(正式名称はシャフシャウエン Chefchaouen)は、青く塗られた建物で有名な観光地だ。壁が青い理由は、かつてユダヤ系の人々が多く住んでおり、宗教的な理由から壁が青く塗られるようになったという説から、日差しよけや蚊よけのためという説まで諸説ある。ルーツは定かではないが、地域全体の慣習として定着しているようだ。
インスタグラムなどでも頻繁に投稿されている観光地だが、実際に訪問してみると単なる“インスタ映え”以上の景観に魅了される。濃淡の異なる青色や、自由なストロークで塗られた壁が、テーマパーク的な人工感を排し、オーセンティックな街の魅力を保っている。その景観に浸りたければ、観光のオフシーズンに訪問するのがおすすめだ。
その地理的な特性、多文化的な歴史、芸術的な魅力を通じて、訪問者に多様な体験を提供するタンジェ。歴史と現代が共存するこの街では、観光地としての表情と同時に、地域に根差した文化や創造性を感じることができる。欧州からのアクセスも良い北アフリカの特別な都市、タンジェを訪問することで、その奥深さとエネルギーに触れてみてはどうだろうか。
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All Photos by Maki Nakata
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Maki Nakata
Asian Afrofuturist
アフリカ視点の発信とアドバイザリーを行う。アフリカ・欧州を中心に世界各都市を訪問し、主にクリエイティブ業界の取材、協業、コンセプトデザインなども手がける。『WIRED』日本版、『NEUT』『AXIS』『Forbes Japan』『Business Insider Japan』『Nataal』などで執筆を行う。IG: @maki8383