オーストリアの首都、ウィーンのマルガレーテン通りとその界隈には、観光名所らしきものはなく、居心地の良さそうなカフェやレストラン、通いたくなる映画館、気の利いた店舗が並び、散策しているうちにウイーンに住んでいるような気持ちになってくる。
2022年の春、この通りに「マインクラング・ホーフラーデン(Meinklang Hofladen)」という店がオープンした。マインクラングはウイーンの南東およそ90キロ、ハンガリー国境近くのパムハーゲンを拠点とするオーガニック農家の名前だ。

Meinklang Hofladen
ベーカリーと食品店に隣接して、朝、昼、晩、と、食事時間ごとに規則正しく営業するレストランがあり、自社農園から届けられる新鮮な野菜や果物、肉、卵などを使った、シンプルだけれど味わい深い料理が楽しめる。店で供されるワインも、パンの原料も全て自社製だ。他の農家から取り寄せているのは、チーズやバターなどの乳製品くらい。ワインも食品もすべて、ビオディナミ農法の基準で生産され、厳格なデメターの認証を取得している。
- ウイーンのベーカリー
パムハーゲン オーストリアとハンガリーの国境の村
昨夏、マインクラングの農場を訪れた。ウイーンから列車で1時間ほど、パムハーゲンは人口1500人ほどの小さな村だ。ノイジーデル湖に近く、地下水に恵まれ、300メートルおきに井戸が掘れるほどだという。出迎えてくださったのは、この村で代々農業を営んできたミヒリッツ家の現在の当主、ヴェルナーさん。2年前、ドイツ、デュッセルドルフで行われたビオディナミワインの試飲会で出会って以来だ。まだ40代だが、過去500年にわたる村の歴史を、昨日のことのように語ってくれた。

ヴェルナーさんアンゲラさん夫妻
16世紀から17世紀にかけて、オーストリアはオスマン帝国と対立していた。1529年の第一次ウイーン包囲、1683年の第二次ウイーン包囲と、オスマン帝国は2度にわたってウイーンまで進撃し、パムハーゲンも戦禍に巻き込まれた。続く大トルコ戦争の際には、オスマン帝国の軍隊がパムハーゲンに駐留した。この時、村人たちがオスマン兵を丁重にもてなしたので、軍の司令官が村の鐘楼に、オスマン帝国旗を表す鉄製の装飾を取り付けさせ「この村はすでに略奪された」という目印にした。おかげでパムハーゲンは、その後のオスマン軍による襲撃を免れた。以来、この鐘楼は「トルコ人の塔」と呼ばれているという。村には、オスマン帝国の敗退後も、トルコ系の人々が居残り、オーストリア人やハンガリー人と共存していたそうだ。
パムハーゲンのあるブルゲンラント州は、1043年から1921年までハンガリー領だった。その後、オーストリアの領有となったが、一部はハンガリー領にとどまった。第二次世界大戦後、ヨーロッパが「鉄のカーテン」で分断されると、ハンガリーとの国境は閉鎖された。1989年に冷戦が終わりを告げると、再び自由な往来が可能になった。国境地域の人々は、いつの時代も国際紛争の最前線を生きてきたのだった。
かつてヨーロッパの多くの村がそうであったように、パムハーゲンも村の中心に教会と広場があり、その周りに奥行きのある家が建ち並んでいた。家々の裏庭には、菜園、家畜小屋、小さな穀物畑があり、その先には平原が広がっていた。人々の生活は、平原の手前で完結していた。どの農家も、1960年代くらいまでは、いわゆる複合農家で、馬1頭、牛2頭、わずかな豚と鶏を飼い、ブドウを栽培してワインを造り、野菜や穀物を育てていた。このような昔ながらの複合農家では、常に仕事があり、リスクの分散ができていた。
やがて、馬に代わってトラクターが登場し、一軒の農家の畑は10ヘクタールを超えるようになる。80年代に入ると、農家は専門化の道を歩みはじめ、複合農家はどんどん失われていった。ミヒリッツ家も例外ではなかった。ヴェルナーさん、ヨハネスさん、ルーカスさんの三兄弟が、90年代の終わりに両親の農場を継いだ時、実家は主にワインを生産しており、長男のヴェルナーさんはワイン造りに専念した。やがて、次男のヨハネスさんが、穀物を主とする農業、三男のルーカスさんが畜産業と、それぞれワイン造り以外の農業をはじめたことで、失われかけていた複合農家の伝統が復活した。両親がすでにオーガニック農業に取り組んでいたため、三兄弟はそれをさらに徹底させ、ビオディナミ農法に移行した。家族全員の思いが一致したことで、改めて複合農家として再出発できたのである。

菜園風景
2つの転機
マインクラングの歴史においても、ベルリンの壁の崩壊に象徴される東欧圏の脱共産化は、大きな転機だった。国境地域には、ハンガリー領に畑を持っていた農家も多かった。冷戦が終結すると、人々は一度失った畑を買い戻したり、新たに土地を購入したりして、農場の規模を拡大していった。
マインクラングは、ハンガリー側にかつてのコルホーズ(集団農場)の畑や製粉場、土地を購入することができ、老朽化していた製粉所を改築し、新たに畜舎を建て、穀物の生産と畜産業を本格的に始めることができた。
ヨハネスさんが手がけているのは、小麦、オート麦、古代小麦とも呼ばれるスペルト小麦、ライ麦などだ。大きな石臼で、少しずつ丁寧にひいた極上の粉は、ウイーンの自社ベーカリーなどに届けられる。ルーカスさんの畜舎には現在、800頭の牛と200頭の豚、10頭の羊と100羽の鶏がいる。牛はアンガス、オーブラック、マリーグレーの3種、豚はハンガリー固有のマンガリッツァ種だ。
- 製粉所
- 製粉所右が石臼
現在、マインクラングの農場の総面積は、両国合わせて2800ヘクタール、オーストリアの農場は120ヘクタールで、うち77ヘクタールがブドウ畑。残りは菜園で、ウイーンの店で提供する分と家族のための野菜作り、ビオディナミ農法のための調合剤作り、養蜂を行っている。これほどの大規模な農家で、ビオディナミ農法を実践しているということに驚く。
もうひとつの転機は、農場に牛たちがやってきた2000年頃だった。マインクラングでは、すでにビオディナミ農法を実践しはじめていたが、この農法には牛の存在が必須であり、牛を飼うことは彼らの念願だった。ビオディナミ農法が目指す理想的な農業は、牛を飼い、牛糞をから肥料を得ることで、そのサイクルが成り立つからだ。
- 畜舎
- 畜舎
- 菜園のビニールハウス
- 菜園のビニールハウス
ヴェルナーさんと妻のアンゲラさんは、ブドウ栽培とワイン醸造の名門、ドイツのガイゼンハイム大学に在学していた時に知り合い、結婚した。ドイツ出身のアンゲラさんは、結婚するまではドイツのビオディナミ農家で働いており、その経験がマインクラングでの出発において大きな助けとなった。2人は共同でワインを造るほか、菜園の管理と養蜂をヴェルナーさんが、養鶏をアンゲラさんが担当している。
パンデミックの間に新築したという醸造所の広々としたダイニングルームには、オーストリアのアーティスト、ニコラウス・エーバーシュターラー氏が描いた大きな牛の絵が飾られている。この絵はマインクラングが本格的なビオディナミ農法へ転向したことを語り継いでいる。

ワイナリー牛の絵
自由な発想のナチュラルワイン
パムハーゲンはワイン産地の区分ではノイジードラーゼー地方(ノイジーデル湖地方)にあたる。砂や砂利、粘土質の土壌が混在するほか、石灰質土壌も見られる。最も多く栽培されているのが、ツヴァイゲルトという黒ブドウ品種で、充実した味わいの赤ワインとなる。ヴェルナーさんとスタッフのメアリーさんに、ツヴァイゲルトの畑を案内していただいた。

ヴェルナーさんとスタッフのメアリーさん
このあたりは、オーストリア東部のパンノニア平野に特徴的な大陸性気候で、パンノニア気候と呼ばれる。ノイジーデル湖が気候調節の役割を果たしており、夏は暑いが、適度な雨量があり、冬は寒いが、積雪はまれだ。
8月上旬、ツヴァイゲルトは順調に熟しており、あと数週間で収穫がはじまるとのことだった。ブドウを齧ると芳香がたち、甘さが感じられた。ヴェルナーさんは、従来のツヴァイゲルトと、カビ菌に耐性のあるツヴァイゲルト・ステラの2種類を栽培している。ツヴァイゲルト・ステラは通常のツヴァイゲルトより農薬散布量が少なくて済む。

ツヴァイゲルト
訪れた畑には、茂みのようになっているところがいくつもあった。ヴェルナーさんが「無剪定」を実践している区画だ。大学時代にこの方法を知った彼は、10年以上前から一部の畑で実験的に行っている。植物は剪定される度に、自らの内に新しい秩序を作り出さなければならない。選定は慎重を要する作業だ。しかし、あえて剪定をしないという選択肢もあることを、彼は証明しようとしている。

ツヴァイゲルト無剪定
無剪定の畑のブドウから造られるワインは「グラウペルト(GRAUPERT)」と名付けられており、ツヴァイゲルトのほかにピノ・グリがある。「グラウペルト」とは「手入れのされていない」という意味のブルゲンラント地方の方言で、無剪定の畑が手入れされていないように見えるので、そう名付けたそうだ。
無剪定のブドウは、剪定したブドウより幾分丈夫で、果皮が厚めになるほか、粒や房がコンパクトになるので、収量は最終的にちょうど良い分量に落ち着くのだそうだ。粒が小さくなる分、果肉に対する果皮の割合が多くなるため、ワインはより風味豊かになる。味わったワインは、いずれもバランスが良く、風味豊かだった。剪定によって、人間が収量を決めるのではなく、あえて剪定をせず、ブドウが自然のままに成長し、もたらしてくれる収量を良しとする。それは、本来あるべき栽培法なのかもしれない。

無剪定のブドウでつくられたワイン
ヴェルナーさんとアンゲラさんの結婚を祝って造り始めたワイン「プローザ(PROSA)」は、ロゼのスパークリングワイン。ツヴァイゲルト、ブラウフレンキッシュ、サン・ローラン(ザンクト・ラウレント)のブレンドで、ベリーの風味と生き生きとした味わいが心を明るくしてくれる。「フォーム・ヴルカン(FOAM VULKAN)」は、ハンガリーのショムローの畑で栽培している白品種、ハールシュレヴェリューとユーファークをブレンドしたペットナット。ベルガモットの香りがたち、繊細かつ優美だ。

プローザ他
「ムラチャク(Mulatschak)」はハンガリーやブルゲンラント地方の言葉で「祝うこと」を意味し、ラベルには踊る牛が描かれている。白はヴェルシュリースリング、ピノ・グリ、トラミーナーの3品種、赤はツヴァイゲルトとサン・ローランの2品種のブレンドだ。いずれも清々しい味わいの、気取らないワインで、いろいろな食事に合いそうだ。

ムラチャック
最後に「ターゲスツァイテン(TAGESZEITEN)」つまり「1日の時間」と呼ばれる4種類のワインをテイスティングさせていただいた。ヴェルナーさんとアンゲラさんが、想像の翼を羽ばたかせ、朝、昼、夕、夜のそれぞれの時間帯にふさわしいワインを造りあげたものだ。「朝(MORGEN)」はツヴェッチゲと呼ばれるプラムから造ったワインとサン・ローランのロゼを半分ずつブレンドした、型破りなワイン。軽快でジューシーだ。「昼(TAG)」はヴェルシュリースリング1品種から造られたワイン。品種の魅力を十分に引き出し、果実味とスパイシーさが同居する魅力的な白ワインに仕上がっている。「夕(ABEND)」は赤のピーヴィー品種であるレスラーが9割、ブラウフレンキッシュ1割のブレンド。レスラー特有のブラックベリーの風味が魅力的だ。「夜(NACHT)」はカベルネフラン9割、ブラウフレンキッシュ1割のブレンドで、赤い果実の他に、ハーブのような爽やかな香りが漂い、タンニンもなめらかだ。

朝昼夕夜
2人は、カーボニック・マセレーションで醸造したワインの風味が好きで、果皮の厚いヴェルシュリースリングやレスラーなどにその方法を導入している。カーボニック・マセレーションとは、容器に炭酸ガスを充填させ、房のままのブドウから、酵素の力を使ってワインを造る方法だ。代表的なものがボジョレー産で、タンニンがほとんど抽出されず、滑らかなワインとなる。圧搾後の発酵と熟成には、ベトンアイと呼ばれる卵形のコンクリートタンクを使う。どこにも角のない卵の形と、古来から存在するコンクリートという素材に、しばらくの間ワインを委ねるのだ。彼らの自由な発想から生まれるナチュラルワインは、世界中で愛されており、95%が輸出されている。
- ワイナリー外観
- ワイナリーのダイニングルーム
- ワイナリーセラー
ウイーンで、農家の食卓につく
「ワインを造るだけでなく、幅広い農業を営むことの方が面白くて楽しい」そうヴェルナーさんは言う。彼はワインの造り手である前に、農民でありたいという。
農民でありたいと願うヴェルナーさんたちの情熱が、たどり着いた地点のひとつが、ウイーンの店舗だ。この店では、シェフのトーマスさんたちが、ビオディナミの農作物を、素材の持ち味を生かして料理し、洗練されたかたちで提供している。トーマスさんは、毎日ウイーンから農場までやってきて、野菜を収穫するのが日課になっているという。世界中の優れた料理が楽しめる都会、ウイーンで、農家と直結した店を開くことは、大きな挑戦だったというが、ビジネスは好調のようだ。

ウイーンのレストランシェフ・トーマスさん
ウイーン滞在中、この店で朝食をとり、夕食をいただいた。焼きたてのパンとマンガリッツァ豚のラード、新鮮な卵を使ったポーチドエッグ、極上のハムやベーコン、香り高いハーブ・・・。この店では何を食べても本当に美味しい。店では、ヴェルナーさんたちのワインをはじめとするビオディナミワインの数々、菜園の野菜や果物、ヨハネスさんの小麦やライ麦から造られるパン、ルーカスさんが育てた肉などを購入することもできる。ラムソンの芽のピクルスなど、珍しいオリジナルの保存食も揃っている。
- ウイーンのレストランの朝食のポーチドエッグ
- ウイーンのレストランの季節のサラダ
- ウイーンのレストランのマンガリッツア豚のハム
- ラムソンの蕾のピクルス
ヴェルナーさんは、シュタイナー農法の提唱者であるルドルフ・シュタイナーの「農民は瞑想する人である」という言葉が好きだという。農民は常に大自然の中で瞑想しており、人間が学ぶべきことを、自らの内に持っているというのだ。物質的なものに惑わされず、自然のあるがままを見つめてきた農民たちの知恵は、今、人間が最も必要としているものかもしれない。
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Meinklang Hofladen
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Photos by Junko Iwamoto
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岩本 順子
ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com