昨年5月、初めてルーマニアを訪れ、ルーマニア人たちと一緒に仕事をした時、彼らに東欧らしさではなく、ラテンっぽさを感じた。後でルーマニアの国歌を知った時に、その理由が少しだけわかったような気がした。歌詞には「・・・この手には、今もローマ人の血が流れており・・・」という一節があり、五賢帝の一人であり、現在のルーマニアにあたるダキアを征服し、属州化したローマ皇帝、トラヤヌス帝を讃えていたからだ。遅まきながら、ルーマニアという国名が、原語ではローマニア(România)と言い、ローマという言葉から派生していることにも気がついた。ルーマニアとはラテン語で「ローマ人の土地」という意味なのだった。

今日、ルーマニア人はトラキア系のダキア人、2世紀ごろに同地を征服した古代ローマ人、その後にやってきたスラブ人、マジャール人、トルコ人、ゲルマン人などの多民族が混ざりあって生まれた複合民族だと言われる。その言語はロマンス諸語に分類され、ラテン語系の言葉が多く残っている。ルーマニアはきっと、東欧のなかで、最もラテン的なバックグラウンドを持つ国なのだろう。

ルーマニアのワイン史は、古代ローマ以前の、古代ギリシャの時代に始まったと言われる。ブドウの栽培史は6000年前まで遡ることができるのではないかと推測されている。中世以降、北部モルドヴァ地域コトナリの白ワインの美味しさが広く知られるようになった。ワイン産地としてのモルドヴァ地域は、現在のルーマニアとモルドヴァの両国にまたがっている。

コトナリのワインは15世紀ごろから造られており、欧州では、ハンガリーのトカイと並んで優れた貴腐ワインとして知られている。19世紀末にパリ万国博覧会で紹介され、世界的注目を浴びた。古代品種、グラサ・デ・コトナリから得られる貴腐ワインの名声はその後も衰えず、今日でも、ルーマニアワインと言えば、コトナリについて語られることが多い。

その後、ルーマニアワインは社会主義時代を生き延び、1989年の民主化後は、国営化されていた農地が徐々に民営化されていった。2007年にEUに加盟してからは、ワイン産業も復興し、近年、その実力が再認識されるようになった。現在、ルーマニアのブドウ畑の面積は約18万ヘクタールで東欧最大、地場品種は100種類を数え、自国で生産されるワインの9割が国内で消費されている。

コンクールの会場

昨年に続いて、今年も5月にルーマニアへ出向いた。国際ワインコンクール「ヴィナリウム」の審査のための訪問だった。コンクール会場は昨年同様、首都ブカレストから北へ約100キロの地点にあるプラホヴァ県の県都プロイエシュティ。合間には、今注目のワイン産地、デアル・マーレを訪れた。

コンクールの様子

デアル・マーレ地域は、首都ブカレストに最も近いワイン産地で、プラホヴァ県とブザウ県にまたがっている。プラホヴァ県は、19世紀半ばから第二次世界大戦中にかけて、世界有数の石炭、天然ガス、石油の産地として名を馳せたことでも知られる。

訪れた時期は、イチゴやさくらんぼのハイシーズン。プロイエシュティ市内の市場では、山のように積まれた果実が、甘い香りを漂わせていた。

プロイエシュティからバスで1時間ほど北東へ向かうと、なだらかな丘陵や小高い山々が現れ、広大なブドウ畑が見えてくる。デアル・マーレは、現在ルーマニアに33あるワインの原産地呼称保護地域(D.O.C.)のひとつで、かつてワラキア公国があった場所に重なる。

デアル・マーレとは「偉大なる丘」のこと。東欧圏を走るカルパティア山脈の南端にあたり、全長60kmにおよぶ。ブドウは低いところで標高130メートル、高いところでは600メートルあたりで栽培されている。カルパティアの山々は北からの冷たい風を遮り、ブドウ畑を守っている。畑は主に黄土やローム、鉄分の豊富な石灰質土壌だ。ここを、古代ローマのワイン街道の一部だった、バッカス・ロードと呼ばれるワイン街道が通っている。

デアル・マーレ地方は、優れた白ワインも産出しているが、ルーマニア最高品質の赤ワインの産地として名高く、「赤ワインの故郷」と呼ばれている。緯度は北緯45度で、ボルドー地方やピエモンテ地方とほぼ同じ、栽培されているのは、ボルドー品種のメルロとカベルネ・ソーヴィニヨン、ブルゴーニュ品種のピノ・ノワール、シャルドネなど、国際的に知られている品種が多い。なだらかな山地の裾野にブドウ畑が広がる風景はブルゴーニュを思い起こさせ、いくつもの丘が連なる光景はトスカーナを連想させる。

ルーマニアのワイナリーの多くが、フランス系品種に力を入れているのには理由がある。現在のルーマニアの大部分がオーストリア=ハンガリー帝国領だった19世紀末から20世紀初頭にかけて、ワイン用ブドウとして、フランス品種の栽培が奨励されていたのである。ルーマニアは100年以上にわたって、フランス品種からワインを生み出してきたのだ。

社会主義時代に失われかけていた地場品種も復活している。デアル・マーレ地方では、赤のフェテアスカ・ネアグラ、白のフェテアスカ・アルバ、フェテアスカ・レガラなどが再発見され、栽培面積が増えつつあるという。ルーマニアの造り手たちは、これらの地場品種の良さに気づいており、その力を引き出そうとしはじめている。

最初に訪れたのは、創業1994年のSERVE(Societe Euro-Roumaine des Vins d’Exception)。ルーマニアでいち早く登場したプライベートワイナリーだ。創業者は、導かれるようにして、この地にやってきたフランス人、ギー・ティレル・ドゥ・ポワ。この日は、亡き創業者の名前を冠した「キュヴェ・ギー・ドゥ・ポワ」を、2014年から2018年ヴィンテージまで垂直試飲する機会に恵まれた。フェテアスカ・ネアグラ100%で醸造され、オークの小樽で熟成させた重厚な赤ワインだ。

フェテアスカ・ネアグラは「黒い乙女」を意味する。この「乙女」は霜や干ばつ、腐敗に対して強靭で、猛暑の年も酸度を十分に保つなど、優れた性質を持ち、ルーマニアで最も高貴な赤品種と言われる。できあがるワインには、骨格があり、端麗でしかも柔らかだ。気高さと親しみやすさをあわせ持つ「キュヴェ・ギー・ドゥ・ポワ」は、フェテアスカ・ネアグラの魅力を国内外に広く知らしめた。ポワ家に招かれたような気持ちにさせてくれるテイスティングルームは、とても居心地が良かった。

次に訪問したグラモフォン(Gramofon)は、ミュージシャンのマルセル・パスク、醸造家ガブリエル・ラクレアヌ、会計士のマルセル・ヴルポイが出会うことで誕生した。この日は、広々とした醸造所の庭で、ルーマニアの民族音楽と舞踊が披露され、料理が供され、ピクニック気分でワインを味わった。地場品種フェテアスカ・ネアグラとボルドー品種のアッサンブラージュも味わい深いが、地場品種だけで造られたワインを味わう時には、ルーマニアワインの長い歴史に想いを馳せることになる。醸造所ではちょうど、宿泊施設グラモフォン・インが完成し、観光客を迎える用意が整ったばかり。ブドウ畑に隣接する宿は、音楽や人々の歓談する明るい声が聞こえてきそうな壁画に彩られ、ルーマニア人アーティストの作品が飾られた客室はモダンで居心地良さそうだ。

翌日はラチェルタ(LacertA)を訪れた。伝統的なヴィラとスタイリッシュな醸造所が並び建つ丘からは、広大なブドウ畑が眺望できる。ラチェルタはラテン語でトカゲのこと。トカゲは畑のあちこちに生息し、そこに理想的な生態系や土壌があることを教えてくれている。ラチェルタの栽培品種は多岐に富み、ボルドー品種、ブルゴーニュ品種、フェテアスカ・ネアグラ、フェテアスカ・アルバなどの地場品種のほかに、シラー、ブラウフレンキッシュ、リースリングなども揃う。品種ごとに醸造されたワインは、それぞれの個性を保ちつつ、白は清々しく、赤はしなやかで優雅だった。

最後に訪れたのはベルベット・ワイナリー。プレミアムワインを生産しているブティック・ワイナリーだ。標高400メートルのなだらかな斜面にテラス状の畑が開墾されている。コンサルタントにはルーマニアの著名な醸造家リヴィウ・グリゴリカが就任している。

ベルベット・ワイナリーのワインとは、昨年、初めてルーマニアを訪れた時に出会った。プロイエシュティで行われた物産展で試飲し、一番印象に残ったワインだったのだ。ベルベット・ワイナリーも、メルロ、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、シラー、シャルドネなどのフランス品種と、フェテアスカ・ネアグラ、フェテアスカ・レガラ、タマイオアサ・ロマネアスカなどの地場品種を栽培している。フランスとルーマニアを往復しながら働くリヴィウさんが造るワインは洗練された味わい。中でもフェテアスカ・ネアグラは深みがあり優美だ。彼が目指すのは、デアル・マーレのテロワールを雄弁に語るワインだ。

リヴィウさんの話によると、ルーマニアを代表する品種、フェテアスカ・ネアグラは、北から南まで、ルーマニアのほぼ全土で栽培されているが、それぞれの異なる気候、異なる樹齢などの要因により、さまざまな表情を見せてくれるという。繊細で、病気にかかりやすく、手間がかかる品種で、収量は不安定だが、醸造家にとっては挑戦しがいのある品種なのだそうだ。

「フェテアスカ・ネアグラは、カベルネ・ソーヴィニヨンのような力強さとボディ、メルロのような滑らかさ、ピノ・ノワールのようなフィネスとエレガンス、シラーのようなスパイシーさを併せ持つことができる特別な品種。ベルベット・ワイナリーのフェテアスカ・ネアグラの畑は、標高が300余メートルあり、低地のフェテアスカ・ネアグラより、よりエレガントでアロマが豊かなワインになる。力を秘めたワインができるから、オーク樽とも相性がいいんだ」そうリヴィウさんは語る。

デアル・マーレのワイナリーは観光に力を入れはじめており、旅人にとって開かれた場所となりつつある。ワイナリーを訪れたら、おなじみのフランス系品種と未知の地場品種を比較試飲してみるのも、きっと楽しいだろう。


ベルベット・ワイナリーを除く3つの醸造所は、2019年に設立されたデアル・マーレ醸造所協会「APV Dealu Mare」のメンバー。現在、会員醸造所は15社で、独自の厳格な基準を設け、より高品質なワインの生産を目指すほか、ワインツーリズムにも力を入れている。フェテアスカ・ネアグラを25%以上栽培していることが会員の条件となっている。

国際ワインコンクール「ヴィナリウム」の入賞ワインはこちらのサイトで閲覧可能

Photos by Junko Iwamoto

岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com