6月中旬までの約2週間、スイスのチューリヒの繁華街で、ヨーロッパで3番目に大きい規模だというフードフェスティバル「フード・チューリヒ」が開催された。この食の祭典は今年ですでに9回目。今回のテーマは「料理の未来」で、訪問者たちに持続可能な食生活への意識を高めてもらうことをねらった。

メイン会場で飲食やショッピングを楽しむだけでなく、誰でも無料で自分の好きなオムレツを作れるコーナーがあったり、スイス産のワインテイスティング、スイスの郷土料理や和食(寿司、ヴィーガン寿司、ヴィーガンラーメン、味噌作り)のクラス、香辛料の講座、ミシェランの星付レストランでのサステナブルな夕食、食に関するトーク、各種フードツアーなど、100以上のイベントが市内各地で催され、定員に達したイベントも続出し、今年も盛況のうちに幕を閉じた。

© Food Zurich

アート作品から、ベジタリアンメニューを考案

今回、一風変わったイベントが仲間入りした。食を題材にした芸術作品から食の歴史を振り返り、社会や人間のあり方を見つめ直してみようという「アート・イン・ユア・プレート」だ。単に作品の解説を聞くだけでなく、作品からインスピレーションを得て生み出された3品(前菜、メイン、デザート)を味わい、ワインも飲める催しだった。 

芸術作品はスイス人アーティストの作品から選ばれた。料理は国産の食材を使ったベジタリアンで、ペアリングしたワインはスイス産だった。
 
会場となったプロセッコ(イタリアのヴェネト州で生産されるスパークリングワイン)の専門店Proseccheriaには、筆者を含め15人が集まった。テーブルには3品の食材となった野菜や果物が置かれ、イタリア産のエキストラバージン・オリーブオイルも自由に試せた。

食前酒には同店で扱っているプロセッコが振舞われたが、イタリアの特産品もあったのは、このイベントがイタリア出身の2人によるスタートアップ、MatchArtの主催だったため。イタリアで美術史を学び、アート分野で働いてきたDaria BrascaさんとChiara Ranghinoさんはチューリヒに転居し、昨年MatchArtを設立した。個人にも企業にもアートをもっと身近に感じてもらおうと、スイス内でアートトークや独自のアートツアーを企画している。

アートの意味を読み、パンからデザートまで堪能

芸術作品はBrascaさんとRanghinoさんが厳選した。2人による作品の解説のあと、料理人が料理の説明をし、ゲストが食事をするという順序で進んだ。

Albert Anker, The Kappeler milk soup, 1869, oil on canvas, 98 x 137 cm / provided by MATCH ART

1つ目の作品はAlbert Anker作で、男性たちが桶を囲み、牛乳で煮たパン(ミルクスープ)を食べている絵だった。この絵は、スイスの宗教改革において対立していたカトリック信者とプロテスタント信者を描いたもの。敵同士なのに和気あいあいとしているのは、戦場で両者が持っていた材料でこのスープを作って共に食べたことで緊張が解けたからだ。このスープのおかげで休戦に至ったとされている(結局、数年後に戦争は再開したが)。このスープは今もスイスでレシピが広まっており、外交と和解の象徴になっている。

というわけで、絵からは「パンは今の食事では脇役になることも多いが、知らない者同士をつなげる主役になれる」という解釈が導かれた。絵と同じように、ゲストたちの真ん中(テーブルの真ん中)にパンが置かれ、私たちはまずはパンを味わった。ライ麦、大麦、スペルト小麦の3種類のパンは、料理担当のAngelina Valentimさんが当日早朝に作った。現代人の口に合うように、普通の小麦も多少混ぜたそう。バターも手作り。パン本来の風味といった素朴なテイストだった。

Valentimさんは、チューリヒ市郊外でイタリアの特産品の販売および軽食のケータリングを提供しているsalottinoで料理を担当している。アートも学んだといい、自身の作品も披露してくれた。

スクリーンに映し出された作品はUrs Fischer, Grundstein (Foundation Stone), 2014, Cast bronze, acrylic primer, gesso, oil paint, 78,7 x 215,9 x 199,4 cm / provided by MATCH ART

前菜のために選ばれた2つ目の作品は、ニューヨーク在住のスイス人、Urs Fischer(51歳)の彫刻「記念の礎石(定礎)」。Fischerは非常に大胆な作風で、世界から常に注目を集めている。この作品は、ベンチのような大きい石の上に細長いニンジンが1本のっており、ザラザラした粒子が石の上や周囲に散らばっている。チューリヒ美術館の増設を記念してFischerが同館にプレゼントし、同美術館が所有している。

Ranghinoさんは、「この作品は2通りの解釈ができます。1つは、人間の手が加えられていない究極の自然の姿の表現だということ。そして、Fischer自身がとても料理好きなことから考えて“クッキング”を象徴しているともいえます」と説明した。

Valentimさんは、Fischerの作品の形態に似せた前菜を考えた。土台は、お菓子のミルフィーユのように生地を重ねたジャガイモ。トッピングはビーツ (ビートルート)、そしてニンジンとハーブという2種類の酢漬け。刻んで食べやすくしてあり、彫刻の一部分の荒い粒子を表しているようにも感じた。トリュフ塩(トリュフを加えた塩)や金箔も散らして高級感が添えられた。鮮やかな3色が食欲をそそり、あと1,2個食べたくなった。ワインは、スイスを代表するシャスラ種の白ワイン(ドメーヌVincent Graenicher & RobertのLe Grand Tendance, Mont-sur-Rolle Grand Cru)が選ばれた。

Rudolf Koller, Krautstudie (Cabbage Study), 1857, Oil on canvas, 80,5 x 99,5 cm / provided by MATCH ART

次は、いよいよメインディッシュ。登場した作品は、ほぼ一面がキャベツの絵だ。なぜキャベツがモチーフなのかと思ったら、昔、ヨーロッパではジャガイモと同様にキャベツも育てやすく、重要な栄養源として広く栽培された野菜だったとBrascaさんが説明した。当時は家庭菜園が当たり前だったため、この絵も一般家庭の畑とのこと。作者のRudolf Kollerは写実的なスタイルの画家で、近隣国をよく訪れて、目に映ったものを生き生きと描いた。馬や牛などの動物の絵が有名で、キャベツ畑にたたずむ牛も描いている。

Sabian Baumann, Radieschen, 2020, Crayon and coloured pencil on paper,
150 x 97 cm / provided by MATCH ART

もう1枚、Ranghinoさんの説明と共に最近の作品も紹介された。チューリッヒ芸術大学の卒業生で、同校で長年教鞭も取ったSabian Baumann(62歳)の絵だ。疲れているのか悩んでいるのか、人間のように描かれたラディッシュの表情が絶妙だ。ラディッシュの歴史は古く、ヨーロッパでは古代から食されていた。

これらの絵から考えた料理は、“野菜畑”をイメージした一品だった。焼いたキャベツをベースに、グリンピース、ニンジン、ラディッシュがのり、雑草としてよく見かけるイラクサ(薬品や料理に使われている)を使って作った飾りがあしらわれた。スイス産のチーズも添えられた。日本ではキャベツ料理は多いが、スイスではレシピはあまり豊富ではないため新鮮だった。ワインは、スイス南部のドメーヌCave Biberの赤と白から選ぶことができた。

Samuel Hofmann, Stillleben mit Kleinwild und Früchtekorb, 1623, oil on panel,
75,5 x 104,5 cm / provided by MATCH ART

Arnold Böcklin, Venus Genitrix, 1895, Tempera on panel, 105 x 150 cm / provided by MATCH ART

デザートのための作品は2枚あった。1枚目はSamuel Hofmannの静画で、様々な果物類と狩猟で得た動物が描かれている。絵からは果物が豊富にあることや猟ができる余裕があることがわかり、当時の富裕層の様子を示しているという説明があった。Hofmannはオランダで静画を知り、スイスに紹介した人物だという。オランダでは盛んな貿易を反映して静画にエキゾチックなオブジェが描かれることが多かったが、スイスではそうではなかったという解説も面白かった。

2枚目は、Brascaさんが「マスターピースです!」と絶賛していたArnold Böcklinの「母なるウェヌス(愛と美をつかさどる女神)」。ウェヌスの左側では、愛の神のキューピッドに導かれた男女がデイジーの花を見つめている。デイジーは豊穣の女神の花とも言われ出産や新たな始まりも象徴している。右側は子に恵まれた家族の様子だ。リンゴにも豊饒の意味があり、絵全体で生命の循環を示しているという説明だった。

スイスでは、人気の果物といえばリンゴだ。1000種以上のリンゴがあり、国民1人当たり1年に16㎏以上も食べているという。そこでデザートには、リンゴとナシをふんだんに使った。作りたてのメレンゲと手作りのベリージャムを飾った、ほんのり甘めのケーキに、発砲タイプのさっぱりしたロゼLes Perles de la Raspille Cuvée Rosé Brut(先ほどのドメーヌCave Biberが製造)がよく調和した。

今後も、アートと食のフュージョンを開催

初開催の「アート・イン・ユア・プレート」は大成功だった。フード・チューリヒの期間中3夜開催して3回とも定員に達し、ウェイティングリストができた日もあったほど。

ゲストたちからは、「歴史的な作品から現代的な作品まで、アートの中に食と人間との関係についての貴重な視点が隠されていて驚き、アートを通して食習慣について理解を深められることに感銘した。また、芸術の表現が大きく発展していることも興味深かった」との声が聞かれたそうだ。

アートと食を組み合わせたストーリーは無限だ。そのストーリーの面白さを、よりたくさんの人たちに届け、芸術と食という2つの文化がいかに密接に結び付いているかを伝えていきたいと、MatchArtは新しいストーリーと料理とを考えて来年のフード・チューリヒに再び参加したいという。そして、フード・チューリヒの枠を超え、スイスで「Art in Your Plate」を定期的な催しにしたいと意欲を燃やす。「Art in Your Plate」は、旅先でのアートの新しい楽しみ方としても定着しそうだ。


MatchArt

本イベント「Art in Your Plate」は英語で行われた。
料金は1人95フラン(約1万7千円、ワイン別料金)

salottino  

Proseccheria 

Swiss WineArt, Zurich


Photos other than press images: by Satomi Iwasawa

岩澤里美
ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。
イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。
共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。
ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。
おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。
HP https://www.satomi-iwasawa.com/