イタリア最北のワイン産地、アルト・アディジェ地方のマグレ(正式名 Magrè sulla Strada del Vino)で、1996年から開かれているワインフェア「SUMMA(スンマ)」を、以前からずっと訪れてみたいと思っていた。開催時期の4月になるとなぜかスケジュールが詰まってきて、毎年あきらめざるを得なかったのだが、今年は何よりも「SUMMA」を優先しようと決めた。宿は近隣のボルツァーノにとった。ハンブルクからは飛行機でヴェローナへ飛べば早いが、久しぶりに列車でブレンナー峠を越えてみることにした。

オーストリアとの国境の街ブレンナーから、南へおよそ80キロメートル、ボルツァーノは、東アルプスの山々に囲まれた街だ。ボルツァーノがあるトレンティーノ=アルト・アディジェ州は、かつて神聖ローマ帝国の支配下にあり、第一次世界大戦までは、オーストリア=ハンガリー帝国領だった。そのため、このあたりでは今日でもドイツ語がよく通じる。ボルツァーノ県においては、イタリア語とならんでドイツ語も公用語となっている。

©IDM Südtirol Alto Adige/Stefano Gilera ボルツァーノの通り

街の中心であるヴァルター広場に向かうと、おそらくアルト・アディジェ地方出身ではないかと言われる、中世に活躍したドイツの詩人、ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(1170頃〜1230頃)の像が出迎えてくれる。詩人像は大聖堂の方向を向き、彼の背後には、屋根のある柱廊がある通りや、市場の屋台が並ぶ通りなど、散策するのが楽しい通りが続いている。街はドイツ語圏文化の影響が濃厚で、イタリアにいることをつい忘れてしまいそうだ。考古学ファンには、アルプスの氷河の中から発見され、世界を賑わせた、約5300年前のアイスマン(エッツィ)のミイラが所蔵されている考古学博物館に立ち寄る楽しみもある。

ボルツァーノは、世界自然遺産に登録されている「ドロミーティ」への玄関口でもある。東アルプス山脈の一部であるドロミーティは、巨大なオブジェのように切り立つ山塊の数々が、幻想的な風景を造り上げている。その最高峰は標高3343メートルのマルモラーダだ。ボルツァーノの街からも、ドロミーティのカティナッチョ山群(ドイツ語はローゼンガルテン山群、バラの庭園、の意)を遥か彼方に眺望することができる。3000メートル級の山群は、夕日を浴びてバラ色に染まることもある。

©IDM Südtirol Alto Adige:Tobias Kaser カティナッチョ山群

ボルツァーノはワイン産地アルト・アディジェ地方の中心地でもある。ブドウ畑の総面積は約5800ヘクタールあり、標高200メートルから1000メートル辺りまで、天に向かって広がっている。産地の特徴は標高の高さと、そこにひしめく150種類もの異なるタイプの複雑な土壌だ。緯度はボルドー地方と同じだが、海に近いボルドーでは赤ワインが、アルプスを臨むアルト・アディジェでは白ワインが支配的だ。

同地方での栽培品種は、赤白あわせて約20品種におよぶ。その中には、赤の固有品種であるヴェルナッチやラグライン、白の固有品種トラミーナー、フランス品種だが、イタリアの伝統品種に数えられる白のシャルドネ、ピノ・グリッジョ、ピノ・ビアンコ、ドイツの白品種リースリングやミュラー=トゥルガウ、オーストリアの白品種グリューナー・フェルトリーナーなど、多国籍のブドウが栽培されている。アルト・アディジェ地方なら、きっとどんな好みにもぴったりのワインが見つかるだろう。

「SUMMA」を主催するのはマグレの伝統あるワイン醸造所、アロイス・ラゲーデルだ。ボルツァーノから列車で半時間ほど南下すると、ワイン街道沿いにあるマグレに到着する。アディジェ川流域の平地では、リンゴなどの果樹が栽培され、ブドウはそれよりも標高の高い、なだらかな畑と急斜面の畑とで育てられている。一帯はアルプスの山々から下りてくる冷たい風と地中海方面から吹いてくる暖かい風「オラ」の通り道で、ブドウはゆっくりと着実に成熟する。

©Meike-Hollnaicher SUMMAエントランス

醸造所と系列のレストラン、醸造所が所有する家屋や庭園のすべてが「SUMMA」の会場だ。醸造所とレストランが少し離れているため、訪問客はワイングラスを手に往来し、村は祭りのように華やぐ。選り抜きのオーガニックワインの生産者が集まる「SUMMA」は、軽食込みのチケット制で入場者数に上限があり、混雑しすぎないように配慮され、ゆったりとワインを味わい、生産者たちとの会話が楽しめる。連日、さまざまなテーマでのテイスティング、畑やセラーのガイドツアーなども行われており、先着順で参加できる。

今年の日程は、4月13日と14日の2日間。この日取りはいつも、近郊都市のヴェローナで開催され、世界中のワイン関係者が訪れる大規模なワイン見本市、ヴィンイタリー(Vinitaly)直前の2日間である。当初は数人の造り手たちの会合だったが、今年は、イタリアをはじめ、ドイツ、フランス、オーストリア、スイスなどから114の醸造所が集まった。

アロイス・ラゲーデルは創業1823年の家族経営の醸造所。5代目のアロイス・ラゲーデルさん、ヴェロニカさん夫妻、6代目に当たるアロイス=クレメンスさん、アンナさん、ヘレナさん兄弟姉妹が率いる。初代はワイン商として起業、自社畑を購入してワイン造りを始めたのは2代目である。1934年に3代目であるアロイスさんの祖父が、マグレの醸造所、レーヴェンガングの館を畑とともに購入、畑ではすでにシャルドネなどフランス品種が栽培されていた。以来、今日に至るまで、レーヴェンガングは一家の拠点であり、ここでワインが造られている。

©Meike-Hollnaicher ラゲーデル一家

1980年代には、4代目にあたるアロイスさんの父親がワインの品質向上に尽力し、今で言う持続可能な農法を模索していた。アロイスさんの代には、オーガニック農法を徹底させ、ルドルフ・シュタイナーが提唱した厳格なビオディナミ農法を採用し、ビオディナミ生産者の組織、デメターの認証を取得した。レストランもオーガニック認証を得ており、オーガニック、あるいはビオディナミ農法で作られた食材を使用している。

アロイス・ラゲーデルさん

アロイスさんは、早い時期から気候変動にいかに対処するかを真剣に考えていた。「あれは1983年だったと思う。ドイツの新聞で、気候温暖化に関する記事を読み、危機感を抱いた。アルプスの南端にあたるこの地域も、多雨や温暖化を避けられないという。これについて、ロバート・モンダヴィ氏(米国ワインのパイオニア)やボルドーの生産者など、世界各地の造り手たちと意見交換するうちに、猛暑に耐える南欧品種を植えることを決断した」と語る。

1986年、マグレから北へ10キロメートル、カルタラー・ゼー地域の標高650メートルのレーミッヒベルクの斜面にブドウ畑を手に入れた時、カベルネ・ソーヴィニヨンとプティ・ヴェルドを垣根式栽培で育て始めた。ヴィオニエ、マルサンヌ、ルーサンヌ、ヴェルメンティーノなどがこれに続き、90年代に入ってからは、シラー、ムールヴェードル、プティ・マンサン、シュナン・ブラン、さらにはギリシャ、サントリーニ島の原産種、アシルティコまで植えた。

今日、それぞれ30〜40年の樹齢を重ねた南欧品種は、いずれも良い成果をあげているという。長年完熟に至らなかったアシルティコも、今や完熟するそうだ。「目下直面している問題は酸度の低下。温暖化で、特にピノ・グリッジョの酸度が落ちてきている。しかしこのあたりでは19世紀初頭から栽培されているシャルドネは、気候変動にうまく適応しているようで、酸度の大幅な低下は見られない。現在、非常に良い成果をあげているのはタナ。完熟し、造り手が理想とするアルコール度数と酸度を持つ、素晴らしいワインができる。プティ・マンサンやサヴァニャンなども、高品質のワインができるようになった。しかしヴィオニエには、すでに過酷な環境かもしれない」アロイスさんは現状をこのように総括する。

レーヴェンガング垂直試飲

「SUMMA」初日、レーヴェンガング・シャルドネの垂直試飲に参加した。供されたのは、1990年、92年、2006年、14年、15年、21年の6本。アロイスさんは、アルト・アディジェ地方におけるシャルドネのパイオニアであり、オークの小樽で醸した高品質のシャルドネで国際舞台に躍り出て、地域のワイン産業の発展にひとつの道筋を与えた。初ヴィンテージは1984年だった。オーク樽を導入したのは、モンダヴィ氏との対話がきっかけだったという。レーヴェンガング・シャルドネには、アロイスさんのチャレンジ精神が集約されている。

©Meike-Hollnaicher SUMMA アロイス=クレメンスさん

1990年ヴィンテージは良好だったが、92年は多雨で、気候変動の影響を肌で感じた年だったそうだ。いずれのワインにも今なお生命力が感じられた。2006年は平均的なヴィンテージだというが、ワインは酸味と凝縮感をしっかりと蓄えている。14年は夏場に曇天が続いたため、光をよく反射し、光合成を促進するビオディナミのプレパラート(501番のシリカ)を普段より多く供給したそうだ。出来上がったワインには鉱物を感じさせる、魅力的な味わいがある。15年には他のヴィンテージにない力強さが漲り、21年は体に染み入るような優しさとソルティな口当たりが魅力的だった。それぞれのヴィンテージが異なる個性を放ち、シャルドネの表現力の繊細さと幅広さを存分に感じ取ることができた。

テイスティングの締めくくりに味わったのは、レーヴェンガング・シャルドネ・Inedito II。これは、いわゆるパーペチュアル・リザーヴワインで、2013年から2021年までの、9ヴィンテージの様々な区画のワインが込められている。香りと味わいの複雑さ、奥行きの深さ、滑らかな質感があり、9年間の時の流れを旅するようなワインだった。

翌日はブドウ畑の見学ツアーに参加した。アロイス・ラゲーデル醸造所では、数年前から畑にブドウ以外の果樹を植えてモノカルチャーを脱し、木陰を作り、昆虫類、鳥類の多様性を保つなど、畑を総合的にデザインし直している。このほか、ビオディナミ農法をさらに徹底させ、牛たちが、冬の間、低地のブドウ畑で過ごせるようにしたり、豚や鶏を飼育することで、ブドウ畑に自然のサイクルを取り込もうとしている。ツアーは本格的な内容で、参加した醸造家との意見交換も行われた。「SUMMA」は人々をビオディナミのワイン造りの現場へと誘い、その取り組みへの理解を深めるための学びの機会となっている。

修復されたルネッサンス様式のパラッツオや古い穀物倉庫、モダンなデザインの醸造所など、さまざまな建築様式が目を楽しませてくれる会場で、旧知の造り手たちと再会し、未知の造り手たちと知り合った。イタリア、ヴェネト州の醸造所、モンガルダが造り出す、優しく味わい深いプロセッコ、トスカーナ州グロセット県のサッソトンドの魅惑的なチリエジョーロの数々、スイス、ヴァレー州の大叔父の醸造所を継いだマリー=テレーズ・シャパスさんが、プティ・アルヴィーヌ、ユマーニュ・ルージュなどの固有品種から造る清冽なワイン、オーストリアにおけるビオディナミの先駆者、ヴァッハウ地方のニコライホーフでニコラウス・ザースさんが生み出すエレガントなワイン、ドイツ、インゲルハイムで、亡き父の醸造所を継いだジモーネ・アダムスさんの清らかなピノ・ノワールとシャルドネ……。2日間にわたり、造り手の生き様がしっかりと刻印された、かけがえのないワインの数々を味わった。

「SUMMA」という名称は、エストニアの作曲家、アルヴォ・ペルトの「弦楽のためのスンマ」というタイトルからつけられている。現代音楽を愛するアロイスさん夫妻のところに、ある時、この音楽タイトルが降ってきたのだった。「SUMMA」はラテン語で、全体とか総数のことをいい、ものごとの本質の集約、などの意味も併せ持つ。未来に豊かなブドウ畑を残そうと努める造り手たちが一堂に集まった「SUMMA」は、ワイン産業が進むべき本来の道を示しているように思えた。


Photos by Junko Iwamoto

岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com