ワイン文化のルーツである、コーカサス山脈の南麓の地ジョージアへ、いつの日か行ってみたいと思っていた。2020年にジョージア行きを計画していたが、パンデミックのために延期せざるをえなかった。パンデミック中は「フェルンヴェー」に襲われた。ドイツ語の「フェルンヴェー」は「ハイムヴェー(ホームシック)」の反対語、直訳すると「遠方病」となる。遠いところへ旅に出たくてたまらなくなる状態のことだ。

パンデミックが過去のことのようになった2023年、旅程を立て始めた。初めての、言語が全くわからない国への一人旅、まずは首都トビリシへ向かい、そこを拠点に方向性の異なるワイナリーを1軒ずつ訪れてみようと思った。

トビリシ市内ワインブティック

8000年のワイン史

ジョージアでは、8000年前からワインが造られてきたという。そう断定できるようになったのは、国立博物館に保存されていた当時の甕、クヴェヴリの中に、アルコール発酵の痕跡を示すブドウの残留物が発見されたからだ。品種はヴィティス・ヴィニフェラ・サティヴァだといわれる。8000年前と言えば、日本では縄文時代早期にあたる。当時の日本の土器も、形はクヴェヴリに似て、底が尖っており、地面に突き刺して使っていたそうだ。

ペルシャ帝国、ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国、イラン・・・大国に支配され続けたジョージアは、1804年にロシアに割譲された。ロシア革命後はグルジア共和国としてソ連領にとどまり、ソ連の崩壊により1991年に独立、2003年にバラ革命と呼ばれる民主化が行われた。2013年にクヴェヴリを使ったワイン造りが、ユネスコの世界無形文化遺産に登録されると、ジョージアのワインは、外国でも注目されるようになった。

ジョージアのワイン産地は大きく2つに分けられる。黒海沿岸地域を含む地中海性気候の西部とアゼルバイジャン方面の大陸性気候の東部だ。固有品種は520種類を超え、そのうち40品種ほどが広く栽培されている。主要品種である白のルカツィテリ(Rkatsiteli)と赤のサペラヴィ(Saperavi)は近年、ドイツでも良く知られるようになった。ほとんどのワインが、東部のカヘティ地方で生産されている。国際品種が導入されたのは、独立後に西欧との交流が活発になってからだった。現在、研究者たちはジョージアの固有品種のDNA分析に着手している。研究の進捗とともに、ワイン界にとって興味深い新事実が解き明かされるかもしれない。

ワインはおもてなしの主役

ジョージアの国教であるキリスト教は、ジョージア正教会とよばれる。伝承によると、キリスト教の伝来は紀元1世紀で、337年に現在のジョージア東部に存在したイベリア王国が国教とした。カッパドキア出身と言われる聖女ニノが、イベリア王国へやってきて布教を行ったと言われている。聖女ニノのシンボルは、水平部分が垂れ下がっている独特の十字架で、「葡萄十字」と言う。

葡萄十字と呼ばれるのは、聖女ニノが聖母マリアから、ぶどうの木でできた十字架を受け取ったからという説と、聖女ニノ自身が、旅の途上で2本のブドウの木を自分の髪の毛でゆわえて十字架を作ったからという説とがある。いずれにせよ、葡萄十字はワインとの深いつながりを感じさせる。

ジョージアではワイン造りに免許は必要なく、誰もが自宅でワインを醸造することができる。現地の人たちに尋ねてみると、家を建てる時には、マラニと呼ばれるワイン造りの空間を確保することが何よりも大事で、来客には本来、自家製のワインをふるまうべきなのだという。ワインを酌み交わすスプラと呼ばれる宴も、今なお行われている。普段は都会のアパートで生活している人も、田舎の家や実家でワイン造りをするなど、できる範囲でワイン造りに取り組んでいるようだ。ワインはそれほど、生活に密着している飲み物なのである。

トビリシ市内ワインブティック

アンバーワイン再発見

クヴェヴリで醸されるジョージアの伝統的な白ワインは、アンバーワイン、つまり琥珀色のワインと呼ばれる。近年世界的に人気を集めているオレンジワインのルーツがここにある。1990年代後半、イタリア、フリウリ地方の醸造家、ヨスコ・グラヴナーが、ジョージアの製法に倣い、クヴェヴリで醸造したワインを世に出してから、このスタイルが世界各地の主に自然派と呼ばれる生産者の間に広まったと言われる。

白ワインはふつう、圧搾した果汁のみを発酵させるが、アンバーワインは赤ワインの醸造法に倣い、果皮、種、時には果梗も一緒に発酵させる。スキンコンタクトとよばれるこの過程を経ることで、酸素に触れ、フェノールやタンニンが十分に抽出され、琥珀色の深みのある味わいのワインになる。

沖縄の荒焼の甕を連想させるクヴェヴリは、標準サイズで2000リットルほど。良質の粘土をこね、3、4センチの厚みで形成される。甕は小屋のような窯に入れて密閉し、1000度から1200度で約1週間かけて焼き上げ、冷めてから内側に蜜蝋を塗るそうだ。クヴェヴリを1基作るのに、およそ2ヶ月かかるという。出来上がったクヴェヴリは口まで土の中に埋めて使われる。甕は大地と一体になっているのだ。

アンバーワインの製法は地域によって少し異なり、各地でそれぞれの伝統が受け継がれている。カヘティ地方では、収穫したブドウをサツナヘリと呼ばれる木製の槽に入れて足で潰すか、機械で破砕したのち、果汁と果皮、種、果梗を地中に埋めたクヴェヴリに入れて発酵させる。アルコール発酵中は定期的にピジャージュ(パンチングダウン)を行い、マロラクティック発酵が終わった時点で密閉して熟成させる。翌年の春にクヴェヴリを開封する頃には、甕の上部にワインが顔を出し、果皮などは底に溜まっているので、ワインだけを別のクヴェヴリ、あるいは樽やタンクに移動させる。残った果皮はチャチャとよばれる蒸留酒造りに使われる。イメレティ地方ではクヴェヴリに投入する果皮の分量は30%くらいで、ワインを移し替える時期も少し早いそうだ。気候風土の違いが醸造法の違いにあらわれているのである。

ジョージアのワイン造りは近代化しており、その多くは西欧諸国の製法で造られるようになっている。クヴェヴリで醸造されるワインは少数派で、果汁だけを入れて、スキンコンタクトを行わずに発酵させる方法が広まっている。スキンコンタクトを行う場合も、果梗は加えないケースが多いそうだ。伝統的な醸造法で造られるワインは、全生産量の2割程度ではないかと推定されている。

カヘティ地方グレミ修道院
©ff.k public relations

国際舞台で存在感を高めつつあるワイナリー・ハレバ

 

最初に訪れたのは、大手のワイナリー・ハレバ。カヘティ地方、イメレティ地方などに合計1500ヘクタールを超える広大な自社畑と4つの醸造所を所有する。オーナーは企業グループを率いるハレバ家。ワイナリー以外に、ミネラルウオーター生産、リンゴ園、養蜂業、ホテル業などを営む。ワイン製造業への進出は、ハレバ家がカヘティ地方のかつての醸造所を購入した1995年。2010年にその醸造所を改装し、さらに3つの醸造所を新設した。

ワイナリー・ハレバのジョージア固有品種へのこだわりは強く、300種を集めたコレクション畑を持つ。ワイン用の栽培品種はおよそ30品種。カヘティ地方では固有品種を、イメレティ地方では固有品種に加え、ヨーロッパ品種も栽培している。ワインは西欧に倣った方法とクヴェヴリ製法の双方で醸造しており、アイテム数は50以上に及ぶ。プレミアムワインは、シャトー・リパルティアーニ、クヴェヴリ製法のワインはモナステリー・クヴェヴリワインというブランドでリリースしている。

醸造責任者ウラジメールさん©winerykhareba

クヴェヴリ製法のワインを復活させたのは2010年で、生産量は全体の5%程度だ。「ジョージア人はクヴェヴリによるワイン造りの遺伝子を持っている。だからきっといつかはクヴェヴリ・ワインへと回帰していく」。醸造責任者のウラジメール・クブラシュヴィリさんはそう語る。

トンネルカーヴ入口 ©winerykhareba

今回訪れたカヘティ地方、アラザニ渓谷の村クヴァレリ(Kvareli)のトンネルカーヴは、トビリシの東、約150キロのところにある。トビリシを流れるクラ川の支流、アラザニ川を越えると、大コーカサス山脈が迫りくる。山の向こうはロシアだ。コーカサス断崖内に掘られたトンネルは、ソビエト連邦時代だった1950年代末に工事が始まった。当初は軍事目的だったらしいが、軍事用に使われたことはなく、1962年に開催されたワインの国際会議の際に完成した。ハレバ家が購入したのは2006年。現在はオーク樽熟成、ボトル熟成のセラーとして活用されているが、観光施設でもある。トンネルの長さは7,7キロ、年間を通じて12〜14度、湿度70%を保っているので、ワインの保存に最適だ。

トンネルカーヴ

ガイドスタッフの案内で、数名のツーリストと一緒にセラーに入っていくと、民族衣装をまとった5人の男性によるポリフォニーが始まった。そのハーモニーの美しさに鳥肌が立つ。ジョージア独自の多声音楽であるポリフォニーは、コーカサスの山岳民族から受け継がれたもので、ユネスコの世界無形文化遺産に登録されている。

トンネルカーヴ

ポリフォニーとともに、クヴェヴリの蓋をあける儀式が行われ、浅い素焼きのお椀で試飲をさせていただいた。観光で訪れると、トンネルカーヴでのテイスティングのほかに、野外に設置された窯でショティというジョージアのパンを焼いたり、ジョージア名物のヒンカリやチュルチュヘラというお菓子を作るワークショップに参加できる。景色の良い庭園や郷土料理のレストランもあり、年間9万人が訪れるそうだ。

クヴェヴリセラー ©winerykhareba

テイスティングルームで、ウラジメールさんと代表的なワインを試飲した。白ワインの中で印象的だったのは、カヘティ地方のムツヴァネ(Mtsvane, 2021)とイメレティ地方産のクラフナ(Krakhuna, 2022)、クヴェヴリ製法のワインでは、カヘティ地方のキシ(Kisi, 2018)とイメレティ地方産のツィツカ(Tsitska, 2012)だった。

ムツヴァネは柔らかで、熟した黄色い果実の風味がしっかりと感じられる。一部コールドマセレーションを行なっているそうだ。セミアロマティック品種の中で最高品質を誇るというクラフナは、清涼感にあふれ、柑橘系の風味が炸裂する。品質においてクラフナと肩を並べるキシは、ストレートな味わいの滋味溢れるワイン。ツィツカは、黄色い果実の風味に満ち、余韻が楽しく、2012年ヴィンテージとは思えないフレッシュさだった。

テイスティングした白ワイン

クヴェヴリワインにおけるスキンコンタクトは、伝統にならい、カヘティ地方では果皮100%、イメレティ地方では果皮30%程度で行っているという。ウラジメールさんの清洌なクヴェヴリワインには、自然任せではない、醸造家の意図が感じられた。お聞きすると、収穫のタイミングの見極め、ブドウの選別に細心の注意を払い、最終的にベストのクヴェヴリだけを選んでボトリングを行っているという。キシもツィツカも、常に低温を保ち、クヴェヴリでの熟成期間は6ヶ月以内にとどめられている。ウラジメールさんは、長年にわたる試行錯誤の末、この方法が最良だという結論に達した。

赤ワインでは、カヘティ地方産のサペラヴィ(Saperavi, 2014)、クヴェヴリ製法ではイメレティ地方産のオツハヌリ・サペレ(Otskhanuri Sapere, 2020)が魅力的だった。

テイスティングした赤ワイン

2014年ヴィンテージのサペラヴィは、グルジャニ地域のシングルワインヤードのもの。ウラジメールさんは、2008年からこの区画のブドウを個別に醸造し始めたという。ザクロを思わせる風味で、10年を経た今もなお、若々しさを保つ。2014年は良いヴィンテージだったそうだ。ブドウは手摘みで、ステンレスタンクで醸造、デレスタージュ(澱抜き静置法)を行い、果皮の持つ成分の抽出を促進させている。4分の1はバリック熟成だ。ウラジメールさんの目標は、ボルドーやニューワールドの赤と肩を並べるサペラヴィを生み出すことだという。国内でも非常に珍しい品種だと言うオツハヌリ・サペレは、完熟プラムのように濃厚でありながら、極めてエレガントな味わいだった。この品種は、房の外側の粒が完熟しても、内側の粒が同様に熟さないため、手作業で粒選り作業を行っている。

右は醸造責任者ウラジメールさん©winerykhareba

ウラジメールさんはイメレティ地方の出身。実家では、やはり自家用ワインを造っていたという。旅が好きで、船乗りになりたかったそうだが、家族に反対され、醸造家になることを決意したそうだ。醸造家を選んだのは、それがジョージア人にとって最も誇り高い職業の一つであるからだという。トビリシの農業大学醸造学科で修士を取得した後、英国、ドイツ、フランスで学び続けた。ワイナリー・ハレバでのファーストヴィンテージは2006年である。目下輸出先は20カ国、世界を旅する夢は、ワインの造り手となることで実現しつつあるようだ。

ブドウ畑 ©winerykhareba

家族の伝統を守る、イアゴズ・ワイン

イアゴズ・ワインのワインとレストランの評判はドイツでも高く、トビリシからそれほど遠くないこともあって、ぜひ訪問したいと思っていたが、なかなかアポイントがとれなかった。収穫直前でご多忙なのだろうと諦めていたころに、オーナー醸造家のイアゴ・ビタリシュヴィリさんから連絡があり、お会いできることになった。

トビリシの北西40キロ、カルトリ地方東部のチャルダヒという村にイアゴズ・ワインはある。イアゴさんの祖父が建てられたマラニがある家だ。パンデミックを経て、醸造所内のレストランは閉業していた。

祖父が植えたブドウは、チャルダヒのすぐ北の南向きの畑で育っている。イアゴさんが新たに植えたブドウは、祖父の畑のマッサルセレクションだ。現在、ブドウ畑は3ヘクタール、家族だけで作業ができる規模にとどめ、これ以上は増やさないそうだ。

「パンデミックで、いろいろなことが変わってしまった」そうイアゴさんは言う。以前は毎日のように近所の人々や友人たちがやって来て、互いにワインを酌み交わし、醸造所はとても賑やかだったそうだ。しかしパンデミックのために、人々はお互い疎遠になってしまい、現在もその状態が続いているという。イアゴさんは、宴を大切にするジョージアの習慣が失われてしまうのではないかと危惧しておられた。

醸造家のイアゴ・ビタリシュヴィリさん

イアゴさんは学生の頃から「いつか昔ながらの方法でワインを造ろう」と思っていたそうだ。農業大学を卒業すると、実家でワイン造りに取り組み始め、1998年にはオーガニック農法に着手する。オーガニック農法の組織で働いた経験もある。2005年に国内のオーガニック認証を取得、ジョージア初のオーガニックワインの造り手となった。「父の時代に化学農薬や化学肥料がやってきた。僕は祖父の時代の自然なワイン造りに戻していきたいんだ」。今では、ジョージアの多くの造り手がオーガニック農法を実践するようになった。彼の携帯電話には、ひっきりなしに電話がかかってくる。誰もが大先輩にアドヴァイスを求めているのだ。

イアゴさんのワインは3種類。最初にペットナットをいただいた。鮮やかなルビーレッド、清涼感にあふれ、心踊る味わいだ。白のチヌリ(Chinuri)が9割。赤のタフクヴェリ(Tavkveri)が1割、いずれもカルトリ地方固有の品種である。チヌリの果汁とタフクヴェリの果汁と果皮を一緒に発酵させたという。

続いて2種類のチヌリを比較試飲した。1つはスキンコンタクトをしていないもの、もう1つはスキンコンタクトを経たものだ。スキンコンタクトをしていないものは透明感のある薄いレモン色。なつめのような甘い風味と柑橘系の風味がうまく調和している。味わいはシャープで軽快だ。スキンコンタクトを経たものは、輝きのあるアンバー色。濁りはほとんどなく、蜜のような香りと黄色い果実のリッチな風味。身体にすっと馴染む優しい味わいだ。いずれもクヴェヴリによる醸造で、イアゴさんの仕事の確かさがワインに表れている。

「スキンコンタクトをしないワインは、お母さんのいないワイン。祖父の世代の造り手は、そう言っていたんだよ」イアゴさんが言う。ぶどうの果皮には必要なものが全てが含まれており、果皮と十分に接触することがなかったワインは、母親とのスキンシップの機会を持たなかった子供のようなものだと言うのだ。現在、イアゴさんが生産しているチヌリの9割はスキンコンタクトを行ったものだ。ソビエト連邦時代、ジョージアのほとんどの造り手がスキンコンタクトをやめてしまった。イアゴさんのお父さんもそうだった。イアゴさんが本来のクヴェヴリの製法であるスキンコンタクトを復活させたのは2008年のことだった。

スキンコンタクトを経ていないワインはセンシティブで、フィルターをかけたり、酸化防止剤を加えたりしなければならない。スキンコンタクトを経たものは、ワインが安定していて、はるかに長持ちする。クヴェヴリで醸造してはいても、そのワインは一様ではないのだ。

イアゴ・ビタリシュヴィリさんと奥様のマリナさん

イアゴさんの奥さんのマリナさんもワインを造っておられる。ロゼと赤の2種類で品種はムツヴァネ。霜害などに見舞われ、2年間収穫がなかったそうだが、2023年産はわずかながらワインができそうだと言う。

テイスティングの後で見せていただいたイアゴさん一家のマラニは、素敵な場所だった。大きな発酵用のクヴェヴリと小さなエイジング用のクヴェヴリが地中に埋まっている。小さなクヴェヴリは、祖父が引っ越しの時に、かつての家から持ってきたものだと言う。「ジョージア人はクヴェヴリと一緒に引っ越しをするんだよ」イアゴさんが笑って言う。アルコール発酵中はここで、毎日少なくとも2度、多い時で5度、ピジャージュを行う。マロラクティック発酵が終わった段階で、クヴェヴリに封をして、約半年の間、熟成を待つ。

ふとマラニの壁に飾られた小さな写真に目が止まった。イアゴさんがピジャージュ作業をしておられる写真で、彼のワインのエティケットにも使われている。この写真はナチュラルワインの造り手たちを撮影している日本人写真家デュオ、Keiko et Maikaさんが撮影したものだそうだ。テラスの棚には、お二人の写真集「VinoGraphie 一期一会 – Ichigo Ichie – une rencontre, une chance」(Woino刊)のほか、私も今回の旅に持参した「ジョージアのクヴェヴリワインと食文化」(誠文堂新光社刊)が置かれていた。

イアゴさんは、ワインに続いて、自家製のビール、そして自家製の蒸留酒チャチャを出してくださった。イアゴさんの家庭では、チャチャを造る伝統は引き継がれていたが、ビール造りの伝統は失われていた。そこで、2014年からビール造りも始めたという。「昔、ジョージアでは、どの家庭でも復活祭の頃に女性たちがビールを作っていたんだよ」とイアゴさん。ワイン、チャチャ、そしてビールの3つをすべて自家製にすることで、本来あるべきジョージアの家族の伝統が守られることになった。

ジョージアの造り手たちに出会い、彼らの日々の生活に、ワインがかくも深く浸透し、大切な役割を果たしていることを教えてもらった。ドイツに戻る機内で、再びジョージアのワイン産地を訪れて、その深遠なワイン文化をもっと知りたい、そう思い始めていた。


Photos by Junko Iwamoto

岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com