日本有数の米どころであり酒どころと聞いて、新潟県を思い浮かべる人は多いはず。日本酒の酒造数が全国1位を誇る(製造量では3位)新潟県で、細々ながらワインも生産されていると言ったら驚くかもしれない。日本ワイナリー協会によると、新潟のワイナリーは9軒。生産量の点では上位県(2018年の国税庁の資料)に及ばないものの、各ワイナリーは独自のワイン造りに勤しんでいる。

ワイナリーのうち8軒は1975年以降2000年代を中心に設立されたが、1軒だけは130年以上も前の明治時代に創業した。長野市まで車で1時間の場所にある「岩の原葡萄園」だ。このワイナリーは、日本で栽培されたぶどうで造られる「日本のワイン」の歴史において、なくてはならない存在。そのことについて詳しい話を聞こうと、同園を訪ねた。

豊かな自然に囲まれた、従業員20数名の老舗ワイナリー

上越市にある岩の原葡萄園のぶどう畑は、小高い丘にある。6ヘクタールの畑の前には水田が広がり、遠くには日本海が見える。訪れたのは2023年11月の晴天の日。澄み切った青空が輝く田園風景に心が和んだ。すでにぶどうの収穫は終了していたが、黄色、オレンジ色、深紅色とぶどうの種類によって異なる葉の色彩が、さらに目を楽しませてくれた。

特別に、冷凍庫に入った収穫後まもないぶどうを見せてもらった。いくつもの籠に入っていたのは白ワイン用の国産品種レッド・ミルレンニュームで、この品種100%で甘口のワインを造る。1粒1粒の柔らかい色合いが印象的で、出来上がると温かな雰囲気を醸し出すクリームイエロー色になる。あとで2022年ヴィンテージを試飲したら甘味と酸味のバランスが絶妙で、お土産候補の1本になった。レッド・ミルレンニューム100%で辛口も造っている。

訪問時に収穫されていた各種ぶどうで造られる新ヴィンテージは、すでに少しずつ発売されている。2月中旬には、赤ワイン用の品種マスカット・ベーリーAの甘口ロゼが発売になったばかりだ。

日本固有種「マスカット・ベーリーA」を開発

マスカット・ベーリーAは日本生まれの品種。日本の風土にぴったり合うため全国で栽培され、国産赤ワインのぶどう品種において1位を占めている。岩の原葡萄園の歴史的重要性は、このマスカット・ベーリーAが握っている。この品種は同園を創設した川上善兵衛が生み出した。

日本のワイン造りは明治初期に始まった。上越で生まれた善兵衛が自分の土地を使って同園を開設したのは、23歳の明治23年のこと。善兵衛はなんと、当時諸外国を訪問した経験のある勝海舟(明治維新時に重要な役割を果たした)と親交が深かったため、勝海舟からワインのことを聞いていたという。

善兵衛は、国内のワイン醸造家たちからぶどう栽培や醸造技術を学んだ。だが海外品種を使って初めて造ったワインは失敗だった。そこから、石蔵を2つ建設したり多発する病虫害の対策を考えたりと試行錯誤を重ねた(2つの石蔵は現在も使用しており、第1号は国の登録有形文化財、第2号は上越市の指定文化財)。

そして開園30年経った頃、善兵衛はぶどうの品種開発に乗り出す。「日本の土壌に合った日本固有の品種を作りたい」との一心だった。同園の資料室に展示された古い資料からは、その熱い思いが伝わってくる。1万回を超える交配を重ねた努力は実を結び、善兵衛は22種類もの固有品種を作り出した(醸造用8品種、醸造も生食もできるもの7品種、生食用7品種)。マスカット・ベーリーAは1927年に生まれた。

国産ぶどう5品種を、雪国で育て続ける努力

岩の原葡萄園の大きな特徴は、マスカット・ベーリーAやレッド・ミルレンニュームを含め、善兵衛が作った5品種を栽培してワインを造っている点だ。マスカット・ベーリーA以外の4品種は、他県のワイナリーで栽培していたとしてもごくわずかで、ここまで日本の品種にこだわっているワイナリーは他にない。

園内の地図には、赤ワイン/ロゼ用ぶどう3種と白ワイン用2種が、畑のどのエリアで栽培されているかが示されていて興味深い(ブレンド用に欧州系のシャルドネも少量栽培している)。なお、醸造に適した残りの品種は栽培が途絶えたため、再び交配して作り出すことはできないという。

「岩の原葡萄園」企画・広報担当の今井圭介さん

もう1つ、同園が他の多くのワイナリーと大きく異なるのは、この地が“雪国”であること。上越地方は温暖化の影響で積雪量は多少減っているものの、一晩で1m以上の積雪になることも珍しくない。企画・広報担当の今井圭介さんは「調べた限りですが、多い時で累積降雪量が4mになる豪雪地でぶどうを育ててワインを造るというのは、世界的に見て非常に珍しいです」と教えてくれた。

背の高い今井さんは畑を案内してくれた時、「私の身長より木々のほうがずっと高いでしょう」と言った。それは積雪対策なのだ。ここでは雪関連の仕事は毎年必須だ。木々に負担がかからないようにぶどう棚の周囲の雪を足で踏んで固める作業をしたり(機械は使わず、かんじきを履いて行う)、雪の重みでダメージを負ったぶどうの木の手入れをする。

新潟はワインの主要生産地と比べると雨も多い。通常、ぶどう栽培には南向きの土地が選ばれるが、岩の原葡萄園の畑は北向きだ。ぶどう栽培にはおよそ向かないこの土地で善兵衛の5品種を守り続けているのは、なぜなのか。今井さんはこう話した。

「善兵衛の意志を守ることこそ、岩の原葡萄園の今のスタッフたちがすべきことだと思っています。実は以前、海外品種を多めに栽培していた時期があり、もっと岩の原らしさを追求していかなくてはいけないのではと社内で話し合ったのです。“日本のワインの父”と称えられている善兵衛の品種開発の偉業、娘さん(次女の夫)に引き継がれて現在に至る伝統を改めて振り返って、日本の風土に合ったぶどうを主軸にワインを造っていこうと、皆の心が決まりました」

長く、温かく見守ってくれる地元の人たち

岩の原葡萄園の栽培チームは、目下5人。入社4年目のスタッフから、“ぶどう畑が世界一居心地のよい場所だ“と語る同園での栽培歴35年以上の大ベテランまでが、高品質のぶどうを作ろうと日々奮闘している。

収穫や剪定時期など、人手が必要な作業には地元のアルバイトを最大25名ほど雇うという。地元の人たちは栽培を支えているだけではない。同園のワインを飲んだり購入できる店は東京から福岡まで広がるが、上越を含めて新潟県内に“岩の原ファン”は多い。

「やはり、地元の方たちに1番支えていただいていますね。20年ほど前から購入を続けている方は、昔と今の微妙な風味の違いをご指摘くださったり。栽培チームと醸造家たちの苦労や工夫については、いろいろ聞いています。岩の原葡萄園は130年以上も続けてきたのですから、次の100年も、何があっても地元の方たちのためにも5品種を作り続ける努力をしているはずです」(今井さん)

エコロジカルな栽培へ~雪利用で省エネや有機栽培

今はどんな業種でも持続可能性の視点が必要とされている。岩の原葡萄園でもエコロジカルは大きいテーマだ。同園が善兵衛の時代からすでにエコ志向だったことも注目に値する。

その1つが冬に積もった雪を貯蔵し、樽の貯蔵庫の冷却に生かしていること。いにしえの香りが漂う第二号石蔵の扉をくぐると樽が連なっていて、奥には、当時の雪室とつながっていた冷気の通路跡が今も残る。このアイデアは、善兵衛の時代には非常に珍しかった低温発酵を可能にした。

時代の流れとともに、第二号石蔵の冷却は電気式になったが、CO2削減のため、2005年に雪室を復活させた。これにより、年間約4トンのCO2を削減しているという。雪室は見学でき、筆者が訪問した時には前シーズンの雪があった。

有機ぶどうの栽培もエコ化の実践だ。日本で有機食品への関心がそれほど高まっていなかった20年以上前に、マスカット・ベーリーAの有機栽培に取り組み始めた。環境面だけでなく、マスカット・ベーリーAという品種の違う一面を見てみたいという気持ちもあったという。この有機ぶどう100%の初のヴィンテージは2005年。早くも、2007年ヴィンテージが日本ワインコンクールで金賞・最優秀カテゴリー賞を受賞し、その後も数回金賞を受賞している。

有機ワイン

マスカット・ベーリーA有機ワインは、その年の最高のぶどうで造る「善兵衛プレミアムワイン」シリーズの1本だ。このシリーズは雨雪が多い気候、粘土層や砂れき(砂と小石)層から成る土壌といった岩の原のテロワール(ぶどう畑の環境全体)が最も強く感じ取れるという。

このほか、同園では全体的な減農薬を検討したり、ぶどうの皮を堆肥にして再利用もしている。

晴れ舞台で、国際的要人たちが飲んだ「深雪花」ワイン

岩の原葡萄園で、マスカット・ベーリーAを使った銘柄といえば、樽で熟成させた「深雪花」の赤も忘れてはならない。「深雪花」は、ラベルに描かれた雪椿に日本の自然美が凝縮されているようで、ボトルを飾っておきたくなる。雪椿は日本海沿いに見られ、豪雪に耐えて育つことからこの名が付けられた。雪椿は新潟の県の木でもある。

深雪花」は、シャルドネ(自家栽培)と善兵衛の品種ローズ・シオターを合わせた辛口タイプの白、マスカット・ベーリーA主体の辛口のロゼもある

「深雪花」赤の風味のタイプは、渋みが強過ぎない口当たりがやわらかいミディアムボディだ。とても飲みやすく、同園のオンラインショップでは1番人気が高い。

この銘柄は、ワインのことを知り尽くした専門家からも評価されている。日本のソムリエ界の大御所、田崎真也氏は2019年に日本で初めて開催されたG20サミット(金融・世界経済に関する首脳会合、開催地は大阪府)のワーキング・ランチの飲料選定にかかわり、「深雪花」の赤も選んだ。メイン料理は、大葉が香る蒸した地鶏、十六穀入りリゾット、豆腐を詰めた花付きズッキーニのフライ。「深雪花」赤とのアンサンブルを各国首脳陣もきっと堪能したに違いない。

海外では、日本でワインを生産していることはそれほど知られていない。先の今井さんは、前職のホテル勤務時代にワインと出合い、入社後は日本全国のワインと海外の数々のワインを試飲して知見を深めてきた。日本のワインの国際的地位についてはこう語る。

「日本のワインの国際的な評価は高まっていると思います。岩の原のワインもです。日本に旅行に来た国外の方たちに岩の原のワインを味わっていただくチャンスが増えていて、まろやかですごくいいね!自分の国にもあったらいいのに!という生の声を聞いています。国外の和食レストランで、うちのワインを出したいというお問い合わせもいただくようになりました。将来、うちのワインが世界に輸出されることが当たり前になる時代が来ると信じています」

気取らずに、毎日の食事と一緒に楽しんでほしい

日本では、ワインというとお洒落なイメージや高級な料理とペアリングすべきだという見方がまだ強いように思う。岩の原葡萄園では、欧米でワインがとても気軽に飲まれているように、日本人も毎日の食事とのペアリングを楽しんでほしいと言う。同園のオンラインショップでは、各ワインと相性がいい料理を掲載している。

取材した日のお土産選びは迷った末に「深雪花」の赤を購入した。オンラインショップの説明によると、「深雪花」の赤には醤油やみりんを使用した料理がおすすめ。筆者は焼き鳥や、醤油をかけた鮭フライなどおつまみ系のメニューで、アロマ豊かなマスカット・ベーリーAの風味を楽しんだ。

同園の白ワインについては、どれも刺身や寿司などの生ものと抜群に合い、かまぼこや薩摩揚げなどの練り物、魚貝のフライともペアリングしてみてほしいそう。また、新潟らしく、赤も白もロゼも、様々な米菓とのマッチングもおすすめとのことだ。

海外のワインのように日本のワイナリーやワインにもそれぞれのストーリーがあり、購入する側の選ぶ楽しみは尽きない。主要なワインの産地の銘柄とともに、岩の原葡萄園のラインアップは「実力派の日本ワイン」の候補にふさわしいと感じた。チャンスがあれば、ぜひお試しを。


岩の原葡萄園 

*熟成中の「善兵衛プレミアムワイン」シリーズなどの代表的なワインの新ヴィンテージは、白は2024年4月から、赤は2024年9月から発売予定とのこと。

*園内は、開園時間中は無料開放していて、ぶどう畑や石蔵を自由に見たり、ショップで試飲したりレストランで食事もできる(工場内は見学不可)。スタッフに話を聞きたければ、9名までの場合、事前予約すれば11:30スタートの無料ガイドツアーが可能(所要時間約20分、基本的に毎日実施)。多人数での見学は要問合せ。


Photos by Satomi Iwasawa

岩澤里美
ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。
イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。
共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。
ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。
おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。
HP https://www.satomi-iwasawa.com/