スイスでは、1年間に標準ボトル750mlで約1億4800万本のワインが生産され、そのほとんどは国内で消費される。国外でスイスワインを味わう機会は少ないため、「スイスに行ったら、スイス産のワインをいろいろ飲んでみたい!」という声は多い。

国外産のワインも含めた、国民一人あたりのワインの年間消費量の世界ランキングでは、スイスは、ポルトガル、フランス、イタリアに次ぎ堂々の第4位。ワイン好きなスイスの人たちが飲んでいる地元のワインは、スイスを旅したら、やはり、ぜひとも試すべき逸品だろう。

スイスのワイン生産は全国で行われている。主要な産地は6か所あり、最大のワインの里は南部のヴァレー州、2番目は西部のレマン湖沿い。この2つの地域で全国生産の6割を占める。レマン湖沿いのぶどう畑の一部「ラヴォー地区」はユネスコの世界文化遺産に登録されており、その名は他国にも届いている。レマン湖沿いのワインといえば、シャスラ種ぶどうを使った白ワインが有名だ。

筆者は、ラヴォー地区を取材したことがある。だが最大の産地ヴァレー州のワインツーリズムは未経験で、同じく南部のワイン産地ティチーノ州でのワインの楽しみ方も知らなかった。昨秋2つの州を訪れ、“地元ならではの体験”ができた。そのニッチなワインの体験とは。

ヴァレー州の壮大なワイン街道と、ワイン博物館

ヴァレー州のぶどうは、同州を横切るローヌ川周辺で育つ。ヴァレー州全体で栽培されているぶどうは、現在55種。そのうち6割を、赤ワイン用のピノ・ノワールとガメイ、白ワイン用のシャスラ(ヴァレー州では、フォンダンと呼ばれている)とシルヴァーナーの4品種が占めている。

Visperterminen(フィスパーテルミネン)のぶどう畑 ©Valais/Wallis Promotion – Christian Pfammatter

ヴァレー州で特に注目を浴びているワイン産地は、ローヌ川の東の端のハイダの村と呼ばれる、フィスパーテルミネンだろう。フィスパーテルミネンのぶどう畑は、ヨーロッパで最も高い場所にある(同州の畑は通常高い場所で標高 800mだが、フィスパーテルミネンでは650~1150mの畑でぶどうを栽培)。生産は白ワインが主流で、その半数は、エキゾチックなフルーツやライ麦パンなどの風味を持つサヴァニャン種(同州ではハイダ種と呼ばれる)が原料だ。

フィスパーテルミネンのぶどう畑も美しいが、別の有数のワイン産地の畑もインパクトがある。筆者が向かったのはフィスパーテルミネンから電車でおよそ1時間の「シエール市(独語シダース市)」、隣接する「ザルゲッシュ村(仏語サルケネン村)」の2つだ。スイスは冬が厳しいが、シエール市は年間約300日晴れる“サンシャインタウン”で、市の紋章にさんさんと輝く黄色い太陽のデザインが選ばれているほど。ザルゲッシュ村は人口1700人で、ぶどうを栽培しワインを作るドメーヌが20以上ある。

電車で3分のシエールとザルゲッシュの間には、ワイン街道がある。約6kmの小道(一部、車道あり)はほぼ平坦で歩きやすく、広大なぶどう畑の間を縫うように進んでいく。徒歩だと2時間~2時間半のコースだ。この街道を歩くことが旅の大きな目的だった。ウォーキングやハイキングは好きだがワイン街道は歩いたことがなく、とても楽しみにしていた。

歩いている間は感動の連続だった。遠くの畑と近くの畑の連なりは、まさに緑色の絨毯だ。空や山々を背景に、歴史的な建物や民家が模様のように感じられる。熟したぶどうを間近で見て「格別なスイスワインが出来上がるのだ」とイメージした。

ワイン街道は、どちらの町からでもスタートできる。筆者はシエール側から出発した。最後の坂を下ってザルゲッシュに入り、この村の最初のドメーヌの「ドメーヌ・ドゥ・ランフェール」を見たときは達成感がこみ上げてきた。このワイン街道は無料で一年中アクセスできるから、近くに住んでいたら、きっと頻繁に足を運んでいたと思う。

ワイン街道に行くなら、ヴァレー州のワイン博物館(2箇所ある)を合わせて訪れてほしい。シエールの館では特別展を開催し、ザルゲッシュの館では同州のワイン作りの伝統についての常設展が見られる。筆者が訪問した時、シエールの館では、亡くなるまでの数年間をシエールのすぐ近くで過ごしていた著名な詩人リルケ(1875-1926)についても紹介していた。

ヴァレー州といえば、チーズ料理のラクレット

ヴァレー州産のワインは、シエールのシャトー・ド・ヴィラ内のワインセンターで飲み比べた。ここには、膨大な数のヴァレー州のワインがそろっている。この元貴族の館には先述のワイン博物館やレストランがある。

ワインセンターに集められた銘柄は常に増え続けている。「いまは800種類近くもありますよ」とスタッフは誇る。選んでもらった7種類は、白ワイン4種(シャスラ、ユマーニュ・ブランシュ、プティット・アルヴィン、アミーニュ)、赤ワイン2種(ユマーニュ・ルージュ、コルナラン)、甘口ワイン1種(マルヴォワジー)。どれも、ひと言では表現できないほど個性が光っていた。

筆者は、フリー村で作られた、花の香りがする白ワイン「Raffort, Humagne Blanc」が最も気に入った。マイナーなワインは多数あるが、このワインもその1つだ。原料のぶどうはユマーニュ・ブランシュ。ユマーニュ・ブランシュはヴァレー州の14世紀の文書にも記載があるといい、ヴァレー州の土着品種だ(スイスのほかの場所では栽培されていない)。しかも、ほんの一部でしか栽培されていない。魚料理にぴったりで、食前酒にもいいし、チーズ料理のラクレットにもよく合う。

このワインは、地元の人たちがハレの日に飲むような存在だという。日曜日に皆で集まって飲んだり、出産直後の女性が飲むことも珍しくないそうだ。

希少な白ワインと一緒にラクレットを味わうなら、シャトー・ド・ヴィラ内のレストランは格好の場所。ラクレットは、スイス国内はもとよりほかの国々にも広まっているが、ヴァレー州の男性が考案したといわれている。このレストランでは、同州で生産された5種類のチーズ(1皿1種類で5皿分)を堪能できる。1年を通じ、25種を超えるチーズから選んでいるそうだ。チーズはすべて伝統的な技法で作られており、「ラクレット・デュ・ヴァレー」AOP(原産地呼称保護)の認定を受けている。

ラクレットのおいしいさはジャガイモの品質も大事だが、何といってもチーズが決め手。今回のセレクションはGomser 55、Wallis 65、Crans-Montana、Bagnes 25、Champsotで旨味の凝縮度が素晴らしく、年に数回ラクレットを食べている筆者を大満足させてくれた。5種類はヴァレー州の東から西までの産地をカバーしており、州内を一気に巡った気分になった。

ティチーノ州では青空市場でのワイン販売と、ワイン尽くし

カステロ・ディ・カントーネ製の赤と白のメルローワイン「ANTP  Antichi Poderi」。この白ワインは、水のように透明だ。

もう1つの目的地ティチーノ州は、ワイン生産量は少ない。しかし、この州のワインは“9割は赤ワイン”という点で独自性を放つ。大部分のぶどう畑で、フランスのボルドーから世界に普及した赤ワイン用のぶどう、メルローが栽培されている。

この赤ワインの里では、メルローから白ワインを作るという珍しい試みにも成功している。メルローの白ワインが生まれたのは、1980 年代半ばにメルローの赤ワインの品質が低下したことがきっかけだったという。メルローの白ワインは、ぶどうを優しく圧搾し、果実から赤い色が出ないように果汁と皮を素早く分離するのだという。現在、同州では、メルローの収穫量の約3割が白ワインの生産に充てられている。

さて、1年中温和な気候に恵まれているティチーノ州で楽しみにしていたのは、ベリンツォーナ市で開かれる土曜屋外マーケットだ(追加で、毎週水曜日に開催する時期もある)。旧市街にずらりと建つスタンドでは、早朝からお昼過ぎまで、地元の野菜や果物、様々なパン、チーズやソーセージ、花々、そして小物や衣類に至るまで、あらゆる品物が売られる。1975年からこの場所で続いている青空市場は地元の人には欠かせない催しであり、観光客にとっても魅力あふれるアトラクションだ。

ベリンツォーナを訪れた土曜日は、夏の間にアルプスで作られたチーズの販売と秋祭りも同時開催だった。70以上ものチーズスタンドの様子は圧巻だった。食のお祝いとあって、ティチーノ州のワインも試飲できるようになっていた。1900年創業のロンチ・ビアッジは、3世代目が伝統を守っている。赤ワインを中心に、シャルドネやメルローの白ワインが披露されていた。このほか、9つのスタンドでも、ワイン生産者と市場を訪れた人たちが談笑していた。

メルローの白ワインは屋外マーケット近くのレストラン、モアンで飲んだ。ベリンツォーナ郊外のテッレ・ダウトゥーノ園製のメルローの白「Celine」だ。うっすら黄色いCelineは樽で発酵したのち、スチールタンクで4か月熟成した、フレッシュな風味。同園のメルローの赤「Alessio」は紫がかった赤色で、樽で熟した風味がにじみ出ている。ワインにそえられた前菜4品は非常に手が込んでいた(トマトは本物ではなく、実はクリームチーズなどで作ってある)。3年半前にオープンしたモアンは斬新な料理と良質のワインで、ワイン愛好家からの評判が高い。

ルガーノ市のワインバーという名のレストランでも、メルローの白ワインを飲んだ。「ANTP  Antichi Poderi」は柑橘系の香りが強く、ジューシーさとすっきり感が魅力。あまりお酒を飲まない筆者もつい2杯目に手が伸びた。ここで提供しているティチーノ産ワインは約60種。イタリアとフランスのワインも充実しており、地元で評判のカジュアルな店だ。

ここでは2つのことが初耳だった。1つは、一昔前まで地元の人たちはボールでワインを飲む習慣だったということ。レストランの壁にも、そんな地元らしさがイラストで描かれていた。もう1つは、地元の人たちが大好きな、白ワインと黒胡椒を使ったソースがあることだった。

ティチーノ州の名産は、ワイン風味の黒胡椒ソース

ティチーノ州はイタリア語圏で、イタリア系の料理が多い。ふらりと入ったレストランで、その白ワインと黒胡椒を使ったソースでパスタを食べるチャンスがあった。このソース「PePe Valle Maggia」は黒胡椒の実にティチーノ産の白ワインとリキュール、塩などを混ぜたもの。マッジア渓谷のマタシ家が、秘密のレシピで生産している。なかなかスパイシーで、いままで味わったことのない不思議な風味だった。パスタだけでなく、ほとんどの食材と合うそうだ。

ティチーノ州の人たちは、リゾットもよく食べる。夕食に訪れたレストランでピノ・ブラン、シャルドネ、メルローの3種をブレンドした白ワイン「Cuvée 3」を楽しんだ後、リゾットと肉料理というボリュームある1品を注文してみた。

ナチュラル、カボチャ、キノコの3種のリゾットのおいしさに驚いた。実は特別に、調理の様子を事前に見せてもらっていた。①材料をオイルで炒め、②少量ずつブイヨンを加え、アルデンテに炊き上がるまでひたすら混ぜ、③最後はバターなどで味を調えるという手順で、ここまでおいしくなるとは予想していなかったのだ。料理には、カンティーナ・ディ・ジュビアスコ製のメルローの赤ワイン「Alba」を選んだ。ジュビアスコはティチーノ州初のぶどう栽培協同組合で、州の全域から集めたぶどうでワインを生産している。

「希少なワイン」をキーワードに、心も体もすべての感覚に心地よい刺激を受けた数日。スイスは小国ながら、たくさんの魅力が詰まっていると改めて感じた旅だった。


取材協力:
スイス政府観光局
ヴァレー・プロモーション
ティチーノ観光局
スイストラベルシステム


■おすすめの交通チケット「スイストラベルパス」
今回訪れた2つの州は鉄道で巡った。2つの州はWの文字のような位置関係にあり、Wを横切る形で、スイスからイタリアに入り、イタリアの山並みを車窓から眺め、再びスイスに入国するという電車にも乗った(イタリアのドモドッソラで乗り換え)。
この路線もカバーしつつ今回のような穴場を楽しむには、スイス国内の主な移動手段が乗り放題のチケット「スイストラベルパス」が便利でお得。もちろん、スイスの人気の絶景ルートもこのチケットで楽しめる。

Photos by Satomi Iwasawa(一部提供)

岩澤里美
ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。
イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。
共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。
ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。
おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。
HP https://www.satomi-iwasawa.com/