昨年11月初旬、イタリアのピエモンテ州に向かった。州都トリノはイタリアで4番目に大きな都会。工業都市としてはミラノに次ぐ規模で、現在は自動車工業の拠点として知られる。到着した日は、ちょうどチョコレート市「cioccolato」の真っ最中で、街は大変な賑わいだった。
トリノはかつて、イタリア統一運動の中核となったサルデーニャ王国の首都だった。サヴォイア家が支配したサルデーニャ王国の本拠地は、サルデーニャ島ではなく、ピエモンテ地域にあったのである。サヴォイア家の王宮の数々が、この街の世界遺産となっている。
今回の目的地は、トリノの南東約60キロ、列車で1時間ほどのところにあるアルバという町だ。毎年ここで、白トリュフの国際フェアが開催され、世界各地から食通やシェフたちが集まる。伝統ある市で、第一回目の開催は1930年、2023年に第93回目を迎えた。10月から12月にかけての9週間、毎週末に開催されている。この時期は、他の自治体でもトリュフフェアがさかんに行われており、アルバ以外では、マルケ州アクアラーニャの白トリュフフェアがよく知られている。
旅程を組んだのが遅かったので、アルバのホテルにはもう空きがなく、近郊のブラに宿を取った。小さな町だが、スローフード運動が起こった町として世界的に知られている。スローフード運動は、食に関連する雑誌の編集者だったカルロ・ペトリーニが、1986年に提唱しはじめた社会的運動で、ファストフードに対抗し、地域固有の失われつつある食材、食文化の伝統を再発見し、地元の生産者を支えようとするものだ。食への意識が高い町ゆえ、ブラでの散策は楽しい。郊外のポッレンツォには、スローフード協会のイニシアチヴで2004年に創立された食科学大学があり、イタリアで最も国際的な大学としても知られている。
トリュフ香る街、アルバへ
百塔の町とも呼ばれるアルバは、ブラの東20キロ、列車で20分ほどのところにある。駅から中心街へと歩いていくと、アルバ市の新しいシンボルである、巨大な少女のオブジェに迎えられる。アルバ出身のアーティスト、ヴァレリオ・ベッルーティの作品で、線で描かれた、座っている少女の輪郭を立体にしたものだ。高さ約12メートルのステンレススティールのオブジェは、2022年に広場の泉の上に設置された。同市に拠点を置く製菓会社フェレロ社がアルバ市に寄贈したもので、現存する公共彫刻作品のなかでは欧州最大だそう。広場には、フェレロ社の発展に貢献した二代目ミケーレ・フェレロの名前がつけられている。
この広場と、サン・ロレンツォ大聖堂のあるリソルジメント広場とを繋ぐ、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りは、出店と観光客とで大変な賑わいだった。通りに面したいくつかの食品専門店のウインドウには、白トリュフや黒トリュフがディスプレーされ、この時期ならではの光景に目を奪われる。
フェア会場は、通りの中ほどのコルティーレ・デッレ・マッダレーナと呼ばれる広場。外国からのビジターが増え、2006年から「国際フェア」と称されるようになった。トリュフハンターたちが直接販売しているブースがあるほか、会場中央には、資格を持つトリュフ鑑定士が常駐し、品質をチェックしてくれる。会場では、黒トリュフが100gあたり130ユーロ(約2万円)、白トリュフが100gあたり480ユーロ(約7万5千円)くらいで販売されていた。
周囲にはピエモンテ地方のワイナリーのブースも並び、ワインの試飲も楽しめる。軽食のコーナーでは、トリュフを削ってのせた料理が楽しめ、あちこちからほんのりトリュフの香りが漂ってくる。期間中にはトリュフをめぐってのワークショップ、著名シェフの料理ショーも行われ、トリュフ・ミュージアムも開設されている。近郊のグリンツァーネ・カヴール城ではオークションも開催される。
宝石にも例えられるアルバ産白トリュフ
トリュフには、大きく分けて黒トリュフと白トリュフとがある。黒トリュフの最高級品がフランス、ペリゴール地方産のもの。白トリュフは黒トリュフよりも香り高く、最も高品質とみなされているのがイタリア、ピエモンテ地方産だ。
トリュフは全世界で63種が識別されており、イタリアでは25種類が見つかっている。そのうち食用に適しているものが9種類、実際に流通しているのは、白トリュフ(学名 Tuber magnatum pico)、黒トリュフ(Tuber melanosporum)、春トリュフ(Tuber borchii)、夏トリュフ(Tuber aestivum)、冬トリュフ(Tuber brumale)、そしてガーリックトリュフ(Tuber macrosporum)の6種類だ。
トリュフは特定の樹木の根に付着し、共生している地下生菌だという。菌類を食べるリスやノネズミなどの哺乳類、ある種の昆虫が、胞子の散布に関与していると言われる。地下に生育する菌類は、風などによって胞子を散布することができない。そのためトリュフには強い香りがつき、トリュフを食べ、胞子を運んでくれる哺乳類や昆虫を引き寄せるように進化していったとのことだ。
トリュフの成長は、天候や土壌の成分、湿度などの要因に大きく左右される。白トリュフの場合、採集シーズンは9月21日から1月31日までに限定されている。共生樹木は、イングリッシュオーク、ターキッシュオークなどのオーク類、菩提樹、ヤナギ、ポプラ、ハシバミなどの特定種に限られている。日陰で、湿度の高い環境を好むため、谷底の水脈に近い、標高700m以下の場所で最もよく育つそうだ。適度な傾斜地を好む傾向もあり、風通しがよく、乾燥した時期でもある程度の水分をキープできる土壌が理想的だという。トリュフは、その成分の80%以上が水分であり、春と夏の降雨は大切な生育条件だ。
トリュフハンティングの技術がユネスコ無形文化遺産に
トリュフはすでに古代から知られていた。紀元1世紀のギリシャの哲学者は、水、熱、雷の複合作用によってトリュフが発生すると考えた。古代ローマの詩人、ユヴェナル(55?-138?)は、トリュフが、気象を司る神、ユピテルがオークの樹の近くに落とした稲妻から生じると語ったそうだ。
中世とそれに続くルネサンス期には、トリュフは貴族たちの間で人気の食材となった。18世紀にはいると、ピエモンテ産のトリュフは、ヨーロッパじゅうの宮廷で、最も高貴な食材のひとつとして好まれていた。
アルバ産の白トリュフが世界的に知られるようになったのは、20世紀に入ってからだ。トリュフフェアの発起人である、ホテル・レストラン「サボナ」の経営者だったジャコモ・モッラ(1889-1963)のプロモーション活動が注目を浴びたのである。彼は1930年に白トリュフの販売業にも着手する。「モッラ」社は現在、新鮮なトリュフの他に、瓶詰めトリュフ、トリュフオイルなど様々な製品を生産販売している。
2021年には、トリュフハンティングの技術がユネスコの無形文化遺産に認定された。イタリアで何世紀にもわたって伝えられてきたトリュフハンティングは非常に奥深い技術だ。自然に対する畏敬の念を持ち、自然を読む研ぎ澄まされた感性を磨くだけでなく、トリュフ犬を訓練し、犬とのチームプレーに長けていることも重要だ。
フェアに出店しておられたトリュフハンターの一人、ステルヴィオ・カセッタさんは、アルバ・トリュフハンター協会の名誉会長。同協会は、アルバ産白トリュフを守るために、自治体と協力して、トリュフが採れる森林を保護することを目的の一つとしている。白トリュフは、いまだ解明されていないことが多く、栽培することができない。それゆえ、持続的に採集できるような配慮が必要だ。ステルヴィオさんによると2023年は、猛暑ゆえにトリュフが見つかりにくい年だという。極端な気候に襲われることの多い昨今、自然相手のトリュフハンターたちにとっては、毎年が新たなチャレンジである。
白トリュフは加熱せず、生のものを削って食べる。目玉焼き、牛のカルパッチョやタルタル、フォンデュータ(イタリア風チーズフォンデュー)、リゾット、タヤリンなどのパスタにトッピングするのが、理想的な食べ方だという。
ブラに戻り、スローフード協会本部の中庭にある郷土料理のレストラン「オステリア・ボッコンディヴィーノ」を訪れた。1984年創業の同店は、当初から伝統料理と地元の食材にこだわってきた、スローフード運動の原点でもあるレストランだ。ここで、黄身がとろりとした目玉焼きに白トリュフを削ってもらって味わった。シンプルな一皿だが、トリュフと卵との相性が絶妙で、これだけで満たされた気持ちになる。白トリュフは、保存したり、火を入れたりすることはできない。手に入れたら、新鮮なうちに味わうのが一番だという。会場で出会った、トリュフハンターたちの顔を思い浮かべながら、森林や樹皮、苔などを連想させる、魅惑的な香りを堪能した。
ブルロットの優美なバローロ
ピエモンテ地方の食の王者がトリュフなら、ワインの王者は黒ブドウ、ネッビオーロ種から作られるバローロだ。翌日は、ブラの南東10キロのところにある、ヴェルドゥーノ村の家族経営のワイナリー、ブルロットを訪れた。ブルロットのバローロは、以前に何度か味わったことがあり、優雅な味わいが、長く記憶に残っている。
ワイナリーの創業は1850年。ちょうどバローロが現在のような辛口スタイルに転向した時期だ。創業者のジョヴァン=バッティスタ・ブルロット氏は、当時樽売りだったバローロをいち早く瓶詰めにし、品質の向上に全力を注いだ。やがてブルロットのワインは、統一イタリアの王室で愛されるようになり、それとともにバローロの名声が高まっていった。現在の当主は5世代目となるファビオ・アレッサンドリアさん。伝統的な製法を継承して造られるバローロは、各界から高い評価を受けている。
テイスティングでは、昨年リリースされた2019年産を味わった。ブルロットでは単一畑のバローロを3種類生産している。1つが、醸造所があるヴェルドゥーノ村の優良畑、モンヴィリエーロのもの。バローロ地域の最北にあたり、標高は300mほど、土壌には石灰岩成分が多く含まれる。このバローロは、現在も足でブドウを破砕し、オークの開放桶で自然の酵母による全房発酵を行い、大樽で熟成させている、ピュアなワインは、繊細なアロマを持ち、しなやかで優美な味わいだ。
2つ目が、ヴェルドゥーノ村から南へ約10キロ、バローロ村で最も古くからワインが栽培されてきたカンヌビというエリアのもの。厳密にはカンヌビ・ヴァレッタと呼ばれる区画で、標高は280メートル、土壌は泥灰質だ。こちらのバローロは除梗した上で発酵させているという。ワインには厳格さが感じられ、力強く、それでいて品がある。
3つ目は、さらに南へ5キロ行ったところにある、モンフォルテ・ダルバ村、カストレットのバローロだ。バローロ地域の北端を拠点とするファビオさんは、以前から南端のモンフォルテ・ダルバ村にも畑を持ち、北のバローロの対極である南のバローロを生産することを夢みていた。それがやっと叶い、2018年からワインを醸造している。ワインは、モンヴィリエーロと対照的で、より重厚感が感じられる。
ファビオさんは、「一度口にすると、また飲みたくなる・・・」、そんなバローロを目指しているという。そのようなワインを生み出すため、栽培から醸造までのすべての過程において、蓄積した経験を最大限に活かし、思慮深くワイン造りを行う。ファビオさんは、同じテロワールではあっても、ヴィンテージごとに異なるブドウの生育環境をしっかりと見つめ、いかに引き立てるかを常に考えながら醸造方法を判断している。
ファビオさんの父親、ジュゼッペ・アレッサンドリアさんは、1980年代にモダンなバローロへと転向したバローロ・ボーイズと呼ばれる醸造家たちとほぼ同世代だが、先代から引き継いだ醸造法をさらに研ぎ澄ますことだけに集中した。それはファビオさんも同じだ。ブルロットの魅力は、ムーブメントに流されず、醸造所の持てる力を出し切って、より洗練されたバローロを生み出すことに全力をかけてきたところにある。
ファビオさんはこの日、ペラヴェルガ・ピッコロという非常に珍しい赤ワインもテイスティングさせてくださった。ヴェルドゥーノ・ペラヴェルガという名前でリリースされているワインは、透明感のある赤で、スパイシーな風味が魅力的だ。ペラヴェルガ・ピッコロはピエモンテ地方の固有品種で、中世にはポピュラーだったが、その後、絶滅の危機に瀕していたが、3代目のイグナチオ・ブルロットさんが継続して栽培し、この品種を守られた。
ファビオさんの優美なバローロは、アルバの白トリュフの繊細な風味を見事に引き立ててくれるだろう。
いつかまた、白トリュフを味わう機会があれば、熟成したファビオさんのバローロを合わせてみたい。どれか1本を選ぶとすれば、やはりヴェルドゥーノ村のモンヴィリエーロだろうか。
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Photos by Junko Iwamoto
(トリュフハンティングの写真は Stelvio Casettaさん提供)
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岩本 順子
ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com