2年前の7月半ば、正確には、2021年7月14日から15日にかけて、ヨーロッパ中西部は記録的な豪雨に見舞われ、ドイツ国内では、ワイン産地が集中するラインラント・ファルツ州に甚大な被害があった。なかでも、アール川の氾濫がひどく、流域の村々が壊滅的な打撃を受けた。ドイツにおける死者数184人のうち、134人がアール川の洪水による犠牲者だった。昨年に続いて、今年も、再生への道を歩むアール地方に出向いた。
ドイツの旧首都、ボンから、アール川の河口の街、レマーゲンまではおよそ20キロメートル。アール地方はボン、その近郊のケルン、デュッセルドルフなどの都市から日帰りで訪れることができる、知る人ぞ知るワイン産地だ。総栽培面積は560ヘクタールほど。ドイツでは珍しく赤ワインの生産量が8割を占める。険しい谷間で、ブドウ畑はスレート岩が支配する急斜面に切り拓かれている。スレート土壌は、アール地方のワインの個性を際立たせる要素でもある。
アール川は全長89キロメートル。ワインが生産されているのは、このうち下流のおよそ30キロメートルの流域だ。畑の標高は、高いところで180メートルあり、高品質のシュペートブルグンダー(ピノ・ノワール)、そしてドイツ以外ではもうほとんど栽培されていないフリューブルグンダー(ピノ・マドレーヌ)の産地として知られる。ブルゴーニュ、オレゴン、タスマニア、ニュージーランドなど、ピノ・ノワールの理想郷はいくつかあるが、アール地方も確実にその一つだ。
同地の年間平均降雨量は600ミリ程度。ワイン造りには理想的な雨量だが、2021年は雨が多く、1年間の降雨量の約90%が、7月中旬までに降った。アール川の通常水位は高くても90センチ程度だが、7月14日19時には、アルテンアール村で3メートルを超え、深夜過ぎに5メートルを突破、その後は計測が不可能になった。最高水位は7メートルに達したと推測されている。
この洪水で、アール川流域在住の住民約5万6000人の4分の3が、醸造所は9割が被災した。ほとんどの醸造所が、現在もなお、修復作業、そして再建にとりくんでいるところだ。洪水の被害は、住居や醸造所、醸造設備や農業機械だけでなく、オーク樽やタンク内で熟成中だった、2019~20年ヴィンテージのワインにも及び、その多くが失われた。造り手にとっての救いは、ブドウ畑の90%以上が無事であったことだ。
アール地方への道のり
ハンブルクからボンまでは特急列車で、ボンからはローカル線に乗り換えて約半時間ほど、ホテルのあるアールヴァイラー・マルクトで下車した。昨年の段階ではレマーゲンから終点アルテンアールまでの全ての駅が閉鎖されていたが、災害から2年を経て、半分ほどが復旧していた。
アールヴァイラー郡の郡庁所在地、バート・ノイエンアール=アールヴァイラー市でも、市のほとんどが浸水した。西側のアールヴァイラー地区の中心部では、2メートル近く浸水したことが、通りの壁に刻まれた印からわかる。観光客はまだ戻っておらず、街はとても静かだった。街を散策すると、1階がまだ使えない状態の家屋がたくさん見つかる。被災した建物を維持するか、壊して新しく建設するか、今なお議論が行われている物件も多いそうだ。しかし、修復を終えて開業し、街を活気づけているレストランもいくつかあり、夜になると地元の人たちで賑わっていた。
宿泊したホテル「ロダーホーフ(Rodderhof)」は13世紀の修道院に由来する。室内はすでに修復され、快適に過ごすことができ、レストランも賑わっていた。このような比較的小規模のホテルは、次々に開業しはじめているが、規模の大きなホテルは復興の目処がたっていないそうだ。ベッド数は災害前の60%に達したところだという。
昨年、アールヴァイラー地区で再開業した「ベルズ(Bells)」は、かつては300席のビアレストランを経営し、多くの団体客を受け入れてきたが、被災を契機に、コンセプトをすっかり変えた。席数を約半分に減らし、地元の名産品にフォーカスしたワインレストランへと舵を切ったのである。オーナーのマルクス・ベルさんは「街を豊かにできれば」と、店舗をマーケットプレイスと称し、ワインや厳選された食品を販売するほか、アーティスト、フローリスト、服飾デザイナーなどにもスペースを提供している。レストランとショップ、ギャラリーが融合し、店舗は洗練された市場のような開かれた場所になっている。フードトラックも始めており、盛況のようだった。
宝物のようなワイナリーが集中
アール地方には宝物のようなワイナリーがいくつもある。アールヴァイラーから5キロほど上流にあるデルナウには、マイヤー・ネーケル醸造所、ベルトラム=バルテス醸造所、クロイツベルク醸造所など、日本でも知られる醸造所がある。デルナウは、まだ鉄道が復旧しておらず、復興はまだ数年先のことのように思えた。
もと聖アウグスチノ修道会の修道院だった、マリエンタール修道院醸造所は、デルナウで最もよく知られた観光スポットだ。アール峡谷最古の修道院建築で、12世紀に建設された。標高があるため、被害はほとんどなく、修道院教会の廃墟も伝統的なセラーも守られた。春からはレストランも開業している。
醸造所の脇から「赤ワインハイキング道」に入った。低地の畑は打撃を受けたが、急斜面のブドウ畑では、開花を終えたブドウが小さな粒を実らせていた。ハイキング道を歩いていると、かつて訪れた頃の、アール地方の思い出が蘇る。しかし下界を見下ろすと、川沿いの風景は痛々しく、失われたものの大きさに心が傷む。
しかし、地元の生産者たちは、とても前向きだ。創業1904年のゲブリューダー・ベルトラム醸造所(ゲブリューダーとは兄弟のこと)では、セラーはかろうじて使えるようになったが、醸造所の1階はまだ修復中。1年前から仮設コンテナを設置し、ワインの試飲と販売を始めた。2005年に醸造所を継いだクリスチャンさん、マルクスさん兄弟は期待される若手だ。2人はシュペートブルグンダーに力を入れ、ロゼやブラン・ド・ノワールも展開する。醸造を担当するマルクスさんは「2年経ってようやく展望が開けてきた。3年目にはきっとなんとかなると思う。そうしたら、各地から駆けつけて無償で醸造所の復興に手を貸してくれた人たちに、お返しをしたい」と語る。
洪水直後の復旧作業では、セラーに貯蔵されていたボトルワインと樽ワインを救い出すことが先決だった。多くの醸造所では、ボトルワインや樽やタンクのワインが、泥水をかぶり、散乱し、悲惨な状態だった。ワイン関係者も、そうでない人も、各地からいたたまれなくなって駆けつけた多くの人たちはまず、セラーの清掃やボトルの洗浄作業に取り組んだ。醸造家たちは、サンプルの品質検査を行い、問題がなければ、泥がこびりつき、完全に洗い流せていないボトルなども、そのままで価格を下げて販売した。この「洪水ワイン」は醸造所だけでなく、ドイツ各地のワインショップなどでも売られ、ドイツ中に知られることとなった。
デルナウからさらに上流へと3キロ、レッヒの被害も甚大で、村のシンボルでもある18世紀初頭に建設された石橋、ネポムック橋の半分が失われた。7月末現在、橋は完全に撤去されたところだという。文化財として残すべきだという意見もあったが、美しい橋はもうない。
橋の近くのシュトッデン醸造所は創業1578年、自ら赤ワインの醸造所と称する。シュペートブルグンダーのスペシャリト、アレキサンダー・シュトッデンは、南アフリカ、オレゴンで醸造家として働き、2001年にレッヒの実家に戻ってきた。
シュトッデン醸造所も1階まで浸水し、セラーで貯蔵されていたワインやオーク樽で熟成中のワインが泥水に浸かった。すでに醸造所の試飲室は美しく蘇っており、現在セラーを改修中だ。「この辺りは、今でも水道水が濁っている。活性炭フィルターに2度通さないと澄んだ水にならない」アレキサンダーさんが言う。災害から2年がたっているにもかかわらず、だ。
災害直後、アレキサンダーさんのところに、ラインヘッセン地方の醸造家で友人の、ハンス=オリバー・シュパニアさんが駆けつけた。2人は泥水を被った2020年ヴィンテージのバリック樽のワインを一つ一つ試飲し、完璧な樽だけを選び抜いた。その後、ブレンドを行い、3種類のシュペートブルグンダーをリリースするに至った。エステートワインのブレンド「PEGEL 735」、おそらく古木のワインであろう「RESCUED」、そして格付け畑のブレンド「ALEXANDER DIE GROSSEN」である。
「RESCUED」と名付けられたワインは、当初、エステートワインと一緒にブレンドするはずだった。しかし、その樽のワインの風味が他に抜きん出ていたため、ハンス=オリバーさんが、別にボトリングすることを勧めた。被災直後、大きな感情の揺れに支配されていたアレキサンダーさんにとって、ハンス=オリバーさんの客観的なテイスティングと意見とは、かけがえのないサポートだったという。
レッヒの上流、5キロ先のアルテンアールでは、2年経った今も洪水の爪痕が生々しい。駅舎はまだ手づかずの状態、線路も破壊されたままだ。観光ガイドを務めるトーマス・ヴィンゲスさんは、地元の歴史的な名所やワイン文化のガイドだが、今日では、洪水の被害についての語り部でもある。「村の人たちは、教会に避難し、教会の図書室で炊き出しをし、教会の階段で、ワインと食べ物を持ち寄っておしゃべりをしていたんだ」と語る。
アルテンアールでいち早く復興したのが、ゼルマン醸造所だ。1775年創業の醸造所では、セラーとワインバー・レストラン、宿泊施設が完成したばかりで、村の人たちが行き交う。醸造家のルーカス・ゼルマンさんは、レストラン業にも熱心で、時間の許す限り、バーカウンターやレストランでワインをサービスしながら、お客と語らい合う。
近年ドイツでは白ワインが再びトレンドになっており、赤ワインの生産量が多いアール地方でも、白が求められている。シュペートブルグンダーのブラン・ド・ノワールの人気が、そのことを感じさせてくれる。アルテンアール一帯では、古くから白ワイン造りの伝統があり、ルーカスさんはリースリングにも力をいれている。急斜面に植えられた、樹齢の高い自根のリースリングは、災害にはびくともしていなかった。
アール地方醸造家協会の会長職も務めるルーカスさんは「たった1人では、被災した地域全体に対してできることなどたかが知れている。だからこそ、自分ができることを着実にやって行こうと思った。人々が出会う場所を提供しかったので、醸造所をそのような場所にしようと考えた」と語る。ゼルマン醸造所のバーやレストランには、次々にお客が現れ、人と人とが繋がっていく。
ワインの造り手も、レストランも、そして観光に携わる人たちも、誰もが旅人の到来を待ち望んでいた。鉄道の全面開通は2025年の予定だと言う。しかし、代替バスが整備されており、旅に不自由を感じることはない。旅人が訪れることで、彼らにはかつての日常が戻ってくる。そして旅人は、平時の旅とは異なる体験をし、被災した人たちから、逆に元気をもらって帰るのだ。
—
取材協力: Deutsches Weininstitut
—
Photos by Junko Iwamoto (一部提供)
—
岩本 順子
ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com