ヴェネツィアはこれまでに何度か訪れたことがあるが、その背後に広がるワイン産地まで足を伸ばしたことはなかった。ヴェネト州のトレヴィーゾ県を中心とする一帯では、あまりにも有名なスパークリングワイン「プロセッコ」が造られているにもかかわらず……。

オークの大樹 ©Joe Murador

ドロミーティ山地の南、ヴェネツィアの北、そこに広がるプロセッコ地域。世界的な需要に対応して、現在では栽培地域が拡大し、ヴェネト州だけでなく、フリウリ=ヴェネツィア・ジューリア州にまたがって生産されるようになっている。しかし核となる伝統的な生産地域は、ヴェネト州トレヴィーゾ県の2つのコムーネ(自治体)、コネリアーノとヴァルドッビアーデネを結ぶ一帯だ。

プロセッコは現在、広範な地域で造られるものをプロセッコDOC、伝統的な地域で造られるものを、コネリアーノ・ヴァルドッビアーデネ・スペリオーレDOCGと称する。後者においては、15のコムーネ、あるいは、格付けされた43のリーヴェ(傾斜畑)からのプロセッコもそれぞれ誕生している。その最高峰は、ヴァルドッビアーデネ・スペリオーレ・ディ・カルティッツェDOCGで、107ヘクタールの畑に限定されている。使われる地域固有のブドウは、かつてはワイン名と同じくプロセッコ種と呼ばれていたが、現在では混乱を避けてグレラ種と呼ばれる。

プロセッコDOCはフレッシュさと軽やかさが魅力的な、気軽に楽しめるスパークリングワイン。コネリアーノ・ヴァルドッビアーデネ・スペリオーレDOCGは、限定された区域や区画のテロワールの個性を反映する。急斜面の山肌に開墾されたプロセッコの栽培丘陵群は、ユネスコ世界自然遺産に認定されている。
 
プロセッコ地域のワインは、もともとスティルワインだったという。かつてそれぞれの農家が造っていたワインは、醸造の際の気温に左右され、発酵が停滞しながらも進む中で、ワインが泡をまとうことがあった。ボトリングをした後で、気温が上がり、瓶の中で再び発酵が始まったりしていたのだ。造り手たちはこの泡に魅せられた。1868年にコネリアーノで創業した醸造所、カルペネ・マルヴォルティの初代、アントニオ・カルペネも、泡立つワインに魅了され、スパークリングワインの製造法を模索した。彼は、コネリアーノにあるイタリア最古のワイン醸造学校(1876~)の設立に貢献した人物でもある。

フランス、シャンパーニュ地方では瓶内二次発酵が徹底されたが、プロセッコ地方では、アスティ同様、20世紀初頭に醸造家フェデリコ・マルティノッティが開発した、圧力タンク内で二次発酵を行うマルティノッティ製法(シャルマ製法)が広く取り入れられた。それまでは、瓶内二次発酵の後、デゴルジュマンを行わず、酵母の澱をそのままボトルに残しておく、コルフォンド製法が一般的だった。現在では、製品の一部にコルフォンド製法を取り入れている醸造家もおり、プロセッコは多様化の時代を迎えている。

©Francesco Galifi

プロセッコ街道の出発点、コネリアーノ

3月下旬、ドイツ、デュッセルドルフで開催された世界最大規模のワインメッセ「ProWein」を久しぶりに訪れた。その際、プロセッコ生産者が集中する一角で、事前情報もなく試飲し、その味わいに感銘を受けたのが「ランティカ・クエルチャ(L’antica Quercia)」のプロセッコだった。「このプロセッコが生まれる場所に行ってみたい……」。思いが強まって、翌月にはもう、ヴェネト州へと向かっていた。

ヴェネツィア・サンタルチア駅から、プロセッコ街道の起点コネリアーノまでは列車で1時間。街はドロミーティ山地とヴェネツィアのちょうど中間に位置する。駅を降りると、道路が開け、迷うことなく中心街にすっと引き込まれていった。

コネリアーノは、ルネサンス期の画家で「風景の詩人」と呼ばれたジョヴァンニ・バティスタ・チーマを輩出したことで知られる。彼の住居は美術館になっており、街の中心には彼の名を冠した広場がある。街のシンボルは丘の上のコネリアーノ城とロマネスク・ゴシック様式のコネリアーノ大聖堂だ。大聖堂の祭壇画はチーマが描いたもの、道路に面したロッジアのファサードのフレスコ画は、チーマの弟子の手によるものだという。ロッジアの上階は、中世に北イタリアで広まった信徒運動で、やがて慈善活動に取り組むようになったバトゥティ会の集会所で、広間にも見事なフレスコ画が残されている。

コネリアーノはゆったりとした気持ちで散策できる街だ。合間に一休みして、カフェやバールで味わう一杯のプロセッコが、旅人をリフレッシュさせてくれる。

ジョヴァンニ・バティスタ・チーマ広場

オークの老樹に守られたブドウ畑

コネリアーノからタクシーで15分ほど北に向かうと、ランティカ・クエルチャがあるスコミゴ・ディ・コネリアーノに到着する。プロセッコの産地の標高は、低いところで50メートル、高いところで500メートルに至るが、スコミゴは平均150メートルほどの緩やかな丘陵地、コネリアーノ・ヴァルドッビアーデネDOCG地域の東端にあたる。4月中旬だったが、ブドウ畑から眺望するドロミーティの山々の頂きは真っ白だった。

オークの老樹(4月)

「あの雪は、昨夜から今朝にかけての冷え込みで、一晩であんなに積もったのよ」マラ・ギラルディさんが言う。彼女は2007年からランティカ・クエルチャに勤め、広報と輸出を担当している。オーナーのクラウディオ・フランカヴィラさんは、かつては眼鏡業界で働いていたが、2015年に父が経営する醸造所を継いだ。

醸造所名、ランティカ・クエルチャはオークの老樹という意味だ。1960年代に設立された時からの名称で、ブドウ畑の丘の上のオークの大樹に由来する。大樹は2本あり、背が高い方は樹齢400年、もう1本は樹齢250年を超えている。数百年の時を超えて生き延びた、生命力に満ちた2本の大樹は、クラウディオさんのブドウ畑の守護神であるかのようだ。

クラウディオさん

クラウディオさんの父親はプーリア州出身、母親はスイス人。父はヴェネツィアを経てスイスにやってきて母と知り合った。醸造所を購入したのは2001年のこと。父母は現在スコミゴの畑の近くで暮らしている。クラウディオさんは、ドロミーティ山地のチヴェッタ山(3220m)を臨む村に家族と暮らし、車で1時間かけて通勤している。

「ドロミーティ山地から吹きおろす風が、グレラの品質を決める」そうクラウディオさんは言う。アルプス山系からの風は、ヴェネト地方一帯の天候、気温、そして湿度を支配し、ブドウの海原を舐めるようにして地中海へと抜けていく。プロセッコの泡は、この風が起こす波しぶきだ。

ランティカ・クエルチャが所有するのは、30ヘクタールのひと続きの畑。このうち20ヘクタールがブドウ畑で、ほかにはオリーブとざくろが植樹されている。ブドウ品種はおよそ9割がグレラ種で、2種類のクローンを栽培している。グレラからはプロセッコ以外に、昔ながらのスティルワインも造っている。わずかながら栽培している赤のボルドー品種と固有品種マルツェミーノからは、かつてこの地域で多く生産されていたスタイルの赤ワインを醸造している。

クラウディオさんは醸造所を継ぐと、ウヴァ・サピエンスという地元のコンサルタント会社に所属する醸造家、ウンベルト・マルキオーリさんを起用、テロワールを生かしたワイン造りを徹底させてきた。畑は、地形や土壌の性質が異なる12の区画に分けられ、区画ごとに完璧なブドウを収穫し、個別にベースワインを醸造している。発酵においては、自然酵母を生かして区画ごとのスターターを造っている。出来上がったベースワインは、幾度も試飲を繰り返し、理想的なブレンドを決める。彼らのプロセッコへのアプローチは、極めて職人的だ。父の代からすでにオーガニック農法を実践していたが、現在ではビオディナミ農法も取り入れ、コンポストも自分たちで作っている。今後は畑のブドウを、ヴァルドッビアーデネの樹齢70年を超える古木の畑のマッサル・セレクションに少しずつ植え替え、特定のクローンに頼らない、多様性のある畑にしていく予定だという。

醸造所全景

プロセッコのさまざまな表情

明るい光が差し込むテイスティングルームに入ると、壁に描かれた墨絵のような絵画に引き込まれた。真っ白な壁に、ランティカ・クエルチャのブドウ畑の風景が流れるような筆使いで描かれている。ワインボトルのエティケットは、いずれもこの風景画の断片であり、それぞれのワインの個性や畑に対応している。ボトルをパズルのように並べれば、いつ、どこでもランティカ・クエルチャの畑の風景が現れる。

最初に味わったのは、記録的な暑さだったという2022年の「ARIO Extra Dry(アリオ エクストラ・ドライ)」(Conegliano Valdobbiadene Superiore DOCG Rive di Scomigo)。「カルヴァリオ」という言葉からとって名付けた。キリストが十字架にかけられた丘の名前で「受難」を意味する。使われているブドウは主に、丘の西側の急斜面の区画のもの。畑作業が大変なので、以前から「カルヴァリオ」と呼ばれていたそうだ。2022年は、収量が例年の7割程度だったが、暑い年だけに感じられる熟したアロマがワインに込められた。果実味あふれる、優しい味わいのプロセッコだ。

(右から)2021年「MATIU Brut」, 2022年「ARIO Extra Dry」

次に味わったのは、2021年の「MATIU Brut(マティウ ブリュット)」(Conegliano Valdobbiadene Superiore DOCG Rive di Scomigo)。こちらは主に東側の畑のブドウから造られるプロセッコ。マティウはかつての畑のオーナーの苗字に由来する。2021年は理想的な天候に恵まれ、灌漑の必要もなく、どのワインも質の高いものとなった。醸造所のベスト・ヴィンテージだそうで、柑橘類の清々しい風味、端正で気高い味わい、シルキーな泡と後味の長さが印象的だ。

これら2種類のプロセッコはいずれもマルティノッティ製法で造られる。二次発酵後もできるだけ長く酵母と接触させており、3、4ヶ月間にわたって熟成させることもある。

MATIU ©L’antica Quercia

続いて味わったのは、コルフォンド製法で造られるプロセッコ。デゴルジュマンを行わないので、瓶内には酵母の澱が留まっている。「イタリア人は、シャンパーニュのようにデゴルジュマンという技術を追求せず、澱をそのままにしていたんだね。でも澱のおかげでコルフォンドは長期熟成する」そうクラウディオさんは言う。ナチュラルワインの人気も手伝って、マティノッティ製法が導入される以前のプロセッコ「コルフォンド」は、注目を浴びはじめている。

(右から)2020年「A Sui Lieviti, Brut nature」,2020年の「SU ALTO Indigeno Colfondo」

まず、2020年の「A Sui Lieviti, Brut nature(A スイ・リエーヴィティ、ブリュット・ナチュール)」(Conegliano Valdobbiadene Superiore DOCG)を味わった。スイ・リエーヴィティとはシュール・リーのイタリア語。こちらは同じコルフォンドでも、アンチェストラーレ製法で醸造したもの。いわば、ヴェネト版ペット・ナットだ。発酵中の果汁を、完璧なタイミングでボトリングして醸造するのだが、十分な泡を得るのは難しく、プロセッコ地域でアンチェストラーレ製法に取り組んでいるのは、今のところクラウディオさんだけだという。ふくよかで、深みのある味わいは、何も手を加えていない、畑のブドウのピュアなエッセンスそのもの。遠い記憶を呼び覚ましてくれるようなワインだ。

続いて、2020年の「SU ALTO Indigeno Colfondo(ス・アルト インディジェノ コルフォンド)」をいただいた。こちらはベースワインに酵母と果汁を加えてボトリングし、瓶内二次発酵で醸造したもの。ソルティで鉱物系の風味が清々しい。ス・アルトはチヴェッタ山系の峰の名前。クラウディオさんは2015年ヴィンテージから、SU ALTOの一部をチヴェッタ山系を臨む、標高2000メートルの山小屋のセラーに寝かせている。低地の醸造所と違って、山では熟成がよりゆっくりと進み、比較試飲するとその差は明瞭なのだそうだ。

コルフォンドの味わい方だが、クラウディオさんは、澱が立ち上らないようにそっと注いで、できるだけ透明なワインとして味わうのが好み。マラさんは、ボトルを一度ひっくり返して、澱を全体にゆきわたらせ、ほのかに濁ったのを味わうのがお好きだという。コルフォンドには、メレンダと呼ばれる、食事の合間につまむサラミやチーズなどが一番合うという。

SU_ALTO ©L’antica Quercia

オークの大樹の下で

クラウディオさんの話によると、かつてスコミゴの丘の上のオークの大樹の下は、村の住民たちの集会所代わりだったという。オークの木の下で、人々は楽しく談話し、情報交換をし、問題を話し合いで解決してきた。1950年代ごろまでは、そのような光景が見られた。人々はここで友人と会い、子どもたちにとっては、ここが遊び場だった。

現在、オークの老樹はクラウディオさんと醸造所のスタッフにとっての拠り所のような場所になっている。ワイン造りの合間に、オークの樹の下に行って、しばしそこに佇み、思索し、また仕事に戻っていく。彼らはこのようにして、オークの声に耳を傾けながら、ワイン造りをしているかのようだった。

プロセッコが誕生する以前に造られていたスティルワイン、マルティノッティ製法が導入される以前のコルフォンド、そしてプロセッコの爆発的ブーム以前に人気だったボルドースタイルの赤、そして今、プロセッコの核をなす、コネリアーノ・ヴァルドッビアーデネ・スペリオーレDOCG……。クラウディオさんたちはプロセッコの伝統を一つ一つ踏まえながら未来へと向かっている。オークの大樹は、彼らの仕事をこれからもずっと見守ってくれるだろう。

クラウディオさん ©Joe Murador


ランティカ・クエルチャ醸造所

Photos by Junko Iwamoto

岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com