カリブ海の島といえば、キューバやジャマイカ、プエルトリコなどが代表的な島としてよく知られているが、今回はカリブ海の小さな島、アンティグア島の魅力を紹介する(現地では「アンティーガ」と発音される)。欧米からの観光客には知られたリゾート地で、高級ホテルやレストランなども充実している島だが、そうした賑わいの場から離れると、島のやさしい暮らしに触れることができる。

小さくも存在感のある島

アンティグア島は、アンティグア・バーブーダを構成する島のひとつ。首都のセントジョンズの空港にはニューヨークやトロントなどからの直行便が就航しており、大型のクルーズ船も寄港する。島の面積は、440万平方キロメートルで、岩手県の釜石市ぐらいのサイズ。人口は9.3万人だ。バーブーダ島については、2017年にハリケーン・イルマが直撃した際、住民は避難したものの、その大部分が破壊されてしまった。

アンティグア島は、リゾート地として欧米からの旅行者に人気があり、ハネムーン客が訪れる場所としても知られる。また、不動産投資によって市民権を取得できたり、キャピタルゲイン税や相続税がなかったりというメリットがあるため、オフショア投資の場などとして富裕層に注目されているという側面もある。

アンティグアには365ものビーチがあるとされている。島のサイズが小さいこともあり、どこからでも気軽にビーチにアクセスできるというのは魅力的だ。また、オフシーズンであれば、プライベートビーチ感覚で、美しい海の景観と行き来するヨットやボートが行き交うようすを楽しむことができる。

アンティグア・バーブーダは1632年に英国植民地となった。三角貿易の枠組みでアフリカ大陸から人々が奴隷として連れてこられ、サトウキビやタバコのプランテーションで強制労働させられた歴史を持つ。同国は1967年に英国自治領化を経て、1981年に独立した。公用語は英語のみだが、現地では英語を基礎としたローカル言語であるアンティグアン・クレオールが広く使われている。

イングリッシュ・ハーバーの賑わい

アンティグアの首都セントジョンズは島の北西に位置する都市だが、レストランやバーなどで賑わいを見せるのは、島の南部に位置するイングリッシュ・ハーバーだ。イングリッシュ・ハーバーはその名の通りの湾岸沿いに栄える街で、たくさんのヨットやボートが停泊する。

この街がもっとも活気で溢れるのが、ヨットレースが開催される「アンティグア・セーリング・ウィーク」。1968年に初めて開催された歴史あるイベントで、今年は54回目を迎えた。期間中は、世界各地から集まったセイラーが参加するレースに加えて、レゲエパーティーやアワード・セレモニーなど、連日イベントが盛り沢山だ。レースに参加していなくても、海とヨットをこよなく愛する人々のコミュニティのエネルギーを感じることができる。

イングリッシュ・ハーバーの主要なマリーナであるドッグヤード(Dockyard)は、イギリス海軍の拠点となった造船所跡があり、造船所跡および関連考古遺跡群は2016年、ユネスコの世界遺産に登録された。この場所は、砂糖を求めて西欧諸国が東カリブ海の支配をめぐって競い合っていた時代に、サトウキビ農園主たちの利益を守る目的で建設された。高地に囲まれ、深く狭い入り江をもつアンティグア島の南岸の自然環境が、ハリケーンを回避したり、船を修理したりする場所として理想的だったそうだ。

現在、造船所跡の場所は、博物館、お土産物やレストランなどがある観光スポットとなっている。城壁の内側からは、イングリッシュ・ハーバーと隣接するファルマス・ハーバー(Falmouth Harbour)の景観を楽しむこともできる。

トレッキング後はビーチへ

アンティグア島は、比較的平坦な地形が特徴的で、島の中でもっとも高い場所がボギー・ピーク(Boggy Peak)と呼ばれる場所だ。ボギー・ピークは低い山が連なるシェカーリー山地の最高峰で、標高は402メートル。この場所は、かつてオバマ山と呼ばれていた。当時の大統領が、黒人初の米国大統領に就任したバラク・オバマにちなんで、彼の誕生日である2009年の8月4日にそのように命名した。現在もそのことが記された石碑が立っているが、名前自体は2016年の議会の決定によって、もともとのボギー・ピークという名前に戻された。

ボギー・ピークの山頂へのルートは、ハイキングというよりは、アップダウンが繰り返されるトレッキングのようなものだ。少し湿った植物の中をかき分けて、ジャングルを進んでいく体験は、なかなか味わうことのできない非日常かもしれない。筆者が訪問した5月のアンティグアは日中の日差しが強く、暑い中での活動は限られたが、ボギーピークへのトレッキングルートは日陰も多いため、無理なくトレッキングを楽しむことができる。

おすすめはトレッキングで汗をかいた後の海水浴だ。アンティグアには数多くののビーチがあるため、島のどこにいても、すぐに美しいビーチにアクセスできてしまう。島の東海岸は、堆積すると異臭を発生するために厄介な海藻であるサルガッサムが大量に打ち寄せていることも少なくないが、西側のビーチは海藻の被害がなく、特におすすめだ。西海岸のダークウッドビーチやターナーズビーチは、ボギー・ピークへのトレッキングゲートからも程近く、ビーチバーなどの施設もある。一方で、そこまで混雑していないため、美しいエメラルドグリーンの海岸線を眺めながら、のんびりとくつろぐことができる。

サトウキビ農園の痕跡

英国植民地時代、アンティグアには大規模なサトウキビ農園(プランテーション)が広がっていた。アンティグア島の各地には、サトウキビを絞るために使われた風車のあとが点在している。アンティグア・バルブーダ観光局の情報によると、いまでも、約110の風車の塔が島の各地に残されているとのことだ。

アンティグアの西部にあるベティーズ・ホープ(Betty’s Hope)は、かつて巨大なサトウキビ農園だった場所にある2つの風車が修復され、オープン・ミュージアムとして残されている。ベティーズ・ホープは1650年に設立されたプランテーション。アンティグアが一時フランスの支配下にあった際に当初のオーナーは亡命し、その後、ベティーズ・ホープはアンティグアが再度英国の支配下になった1674年、バルバドスに在住していたコッドリングトン一家に譲渡された。一家の管理のもと、プランテーションは島内の最も効率のいい巨大なサトウキビ農園として栄えた。コッドリング家の所有は、1944年まで続いた。

風車の力により、1週間で約200トンのサトウキビから5,500ガロンの糖汁が搾り出された。これは、砂糖12トンに値する生産量である。ベティーズ・ホープでは、ラム酒の生産も行われていた。

現在、風車が残されている場所の周りは、一部畑になっており、それ以外の場所はジャングルのように植物が生育している状態で、サトウキビを目にすることはない。しかし、ベティーズ・ホープを訪れ、かつてのプランテーションを想像し、暑さのなか、強い日差しのもと、奴隷として働かされていた人々の苦痛を想像することは、植民地と奴隷貿易の歴史から目をそらさないという意味において、重要な体験だ。

「フリーマン」の土地を訪ねる

プランテーションの歴史やアンティグアにおけるカルチャーを学ぶ場所としては、セントジョンズにあるアンティグア・バーブーダ博物館があるが、ラスタファリ(Rastafari)のコミュニティを訪問するツアーに参加するというのも手だ。ラスタファリは、ラスタファリ運動、ラスタファリアニズム、ラスタなどと、いくつかのバリエーションで称される、「生き方(way of life)」のことを指す。聖書を聖典とし、エチオピア帝国の最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世(Haile Selassie I)を黒人のために遣わされたキリストの再来として信じているという点で、一つの宗教としての解釈もある。1930年代にジャマイカで始まり、奴隷貿易を経て発展したアフリカ回帰的な要素を持つ宗教・政治運動にルーツを持つ。ラスタファリは、ジャマイカから他のカリブ海諸国や世界各地に広がった。

今回、筆者が参加したツアーは、アンティグアにおけるラスタのコミュニティの本拠地であるラス・フリーマン(Ras Freeman)にて開催。主催団体は、ラス・リッチー(Ras Riche)と彼のパートナーであるケイラ・ジョイ(Kayla Joy)が共同創業したハンブル・アンド・フリー・ワダドリ(Humble and Free Wadadli)という会社だ。ツアーのガイドをしてくれたリッチーによると、謙虚を意味するハンブルは彼を形容する単語で、フリー(自由)はパートナーを形容する単語だという。ワダドリは、先住民族が使っていた現在のアンティグアの場所を指す名前だ。

アンティグアに暮らすラスタファリの正確な数はないが、数100のラスタが暮らしているとのこと。コミュニティの拠点であるラス・フリーマンは、もともとウィリス・フリーマン(Willis Freeman)一家が所有する奴隷のプランテーションがあった土地。プランテーション所有者の名前である「フリーマン」という名称を使い続けることについては、独自のこだわりがあるようだ。フリーマンは、所有者の名前でもあるが「解放された自由の人間(free man)」としても解釈できる。ラスタファリのコミュニティにおいて、首長・長の意味合いがある「ラス」と「フリーマン」が掛け合わされることは、奴隷プランテーションの歴史の痕跡を残しつつ、(黒人が)解放されたという克服と勝利のメッセージを伝えているのだとガイドのリッチーは言う。

ラス・フリーマンのツアーは、彼らがコミュニティの自給自足のために栽培する果樹園や菜園、彼らの儀式と医薬的な用法で使われる大麻が栽培される農園を見て周り、毎週日曜日に集会が行われる礼拝堂で、礼拝の時に使われる太鼓のデモンストレーションなどが行われた。野菜や果物の栽培はできるだけ自然な製法で行われるという。果樹園では、アボカド、マンゴー、バナナ、ココナツの木が並び、菜園ではトマト、キャッサバ、ニンジン、ネギなどが栽培されていた。敷地内には所有者のオフィスや居住スペース、そして地下牢があったとされる建物の遺跡などがあり、ここにもプランテーションの痕跡が残されている。地下牢は、しゃがんだ姿勢を強制されるほど天井が低く設計されていた。リッチーは、その状況を説明し、自らしゃがんでみせた。ツアーの最後には、ビーツジュースが振る舞われ、お土産に熟したマンゴーが渡された。ランチ込みのツアーでは、イタル(ital)と呼ばれる野菜中心の食事が提供されるとのことだ。ツアー参加者がジュースや食事で休憩する場所の横で、コミュニティで暮らす老若男女さまざまな人々が、せっせと大麻の草を摘み取る作業をしていたのが印象的であった。

小一時間の参加料金は一人50ドル(約7000円)で決して安くはないが、物価が比較的高いアンティグアにおけるアクティビティの中では手頃な価格設定となっている。自然な暮らし方を志向するラスタファリアの生き方を垣間見るという貴重な体験ができるという意味では、価値のあるツアーだと言える。自然体のコミュニティにおいて、女性は膝下丈のスカートを着用し、髪の毛は布などで完全に覆わなくてはならないというドレスコードが存在しているが、基本的なスタンスとしてはインクルーシブでオープンだ。ツアーでは、積極的な質問が奨励された。

アンティグアは、ヨットや高級リゾートが立ち並ぶ港の景観から少し身をひくことで、自然に身をまかせつつも、意志と意図を持った生き方について考えることができる場所だ。豊かな暮らし、本当のウェルビーイングとは何かを考える。自然に身を置き、歴史と現在の交差点を体感しながら、地球と自分の未来についてリフレクションする。アンティグアには、そんな贅沢な時間が待っている。


All Photos by Maki Nakata

Maki Nakata

Asian Afrofuturist
アフリカ視点の発信とアドバイザリーを行う。アフリカ・欧州を中心に世界各都市を訪問し、主にクリエイティブ業界の取材、協業、コンセプトデザインなども手がける。『WIRED』日本版、『NEUT』『AXIS』『Forbes Japan』『Business Insider Japan』『Nataal』などで執筆を行う。IG: @maki8383