新石垣空港に到着した大型機からロビーに出ると、11月だというのに空気は東京なら9月といった暖かさで、土地の人たちは薄着で軽快な印象だ。東京から2時間30分ほど。あともう少し飛べば台湾という石垣へのフライトはあっという間だった。

今回の旅の目的は、石垣島の離島ターミナルから高速船でほんの15分ほどの、竹富島で開催される「種子取祭(タナドゥイ)」を見ること。コロナ禍を経て4年ぶりに開催される。7日目と8日目の2日間にわたりおこなわれる伝統芸能の奉納がこの祭りのクライマックスだ。今回の記事では、石垣島で食べた「ジーマーミ豆腐」のレシピも紹介する。

石垣島から船で15分 人口300人ほどの竹富島へ

 
新空港から島の繁華街のすぐそばにある高速船のターミナルのバス停までは30分ほど。島の人は「昔の空港なら自転車でも行けたんだけどね」と教えてくれた。繁華街に入るほんの少し手前、バスの右側の窓の向こうにあった古い空港の跡地を眺める。今では本当にあったのかなと思うほどのなんとなくがらんとした土地に、いくつかの新しい建物が立っている。そうしてぼんやりとした曇り空を眺めているうちにバスは目的地に着いた。

竹富島内の宿泊施設はそれほど多くない。祭りの時期には訪れる多くの人たち(竹富島にゆかりのある人たちの帰省も多い)で予約が難しくなる。そのため、石垣に滞在して竹富島に通う人たちも多い。翌朝、10時過ぎの船に乗って竹富島へ到着。「種子取祭」はどの日に何をするかといったおおまかな日程は発表されているのだが、タイムテーブルは公には公開されていないようだ。もしかすると島民の皆さんには何か知らせがあるのかもしれないし、そんな知り合いを訪ねてくる地縁のある人たちならなにか情報もあるのかもしれない。とりあえず全く何の情報もないまま、朝食をゆっくりとってからふらっとターミナルへ行きの船に乗った。

重要無形民俗文化財の「種子取祭」

この祭りは600年ほどの歴史がある祭りで、種をまいて一年の五穀豊穣を願う行事。国の「重要無形民俗文化財」に指定されている。竹富島内の二つの集落「玻座間」と「仲筋」が、それぞれ祭りの7日目と8日目に芸能を奉納する。小さな島の二つの集落は互いに切磋琢磨して芸能の腕を磨くのだという。

竹富島の桟橋で船を降りて集落に向かう一本道を歩いた。するとどこからか太鼓の音が聞こえてくる。太鼓の音を頼りに歩いていると、会場に向かって練り歩いてきた踊り手のグループに出会ったので、その後ろについて進むと、そのゴールは竹富島一番の御嶽(ウトゥキ)「世持御嶽(ユームチオン)」だった。

そのウトゥキの前には芝の広場があり、島の人たちや観光客が中央を広く空けて両脇に待ち構えていた。いよいよ4年ぶりの「庭の芸能」が始まる。

「庭の芸能」は、いくつかのグループが次々とこの広場に入って披露する一連の踊りや演武だ。どれも他の土地では見ることがない独特なものばかりではあるが、なんとなく懐かしいような気分になってくる。それはきっと、一緒に眺めている地元にゆかりのある人たちがとっても穏やかだからなんだと思う。そして、その人数も数えようと思えば数えられるほど。いかにものんびりとしている。青い空の下、たっぷりの光に照らされて伝統の衣装が鮮やかに映える。

4年ぶりの奉納芸能が2日間続く

30分ほどの庭の芸能の後、伝統芸能の奉納が日暮れ近くまでたっぷり5時間以上続く。庭の奥には祭壇があり、その手前に大きなテントが設営されている。中央に伝統芸能を奉納するための舞台があり、向かって左側には音楽を奏でるお囃子が薄い布の裏に控えていて、その布越しに舞台での演者の動きを見ながら演奏をシンクロさせるのだ。客席は向かって右側で、ござが敷かれている。地元の人たちに混ざって座らせてもらう。11月とはいえ日差しが強いのだが、テントがそれをさえぎってくれて助かる。

最初に登場したのは「弥勒(ミルク)」と子供たち(記事冒頭の写真)。みるくの面の衣装の現実離れした有様と音楽に合わせたシンプルな舞が、一気に魂の住む場所とこの場所をつないでしまうようで、ここがどこなのか分からなくなるようだ。とっても穏やかなトランス状態と言ってもいいかもしれない。

琉球衣装を身にまとった踊り手の優雅な舞踏、太刀を振り回した激しい演武、農民のいでたちでの素朴な舞、ユーモアを交えた狂言、神話を伝える狂言と、いずれもこの土地ならではの演目で興味深い。セリフがある場合には八重山方言の「ヤイマムニ」なので意味は分からないが、内容を想像しながら楽しめる。1日目は27演目が演じらた。演目には子供たちも登場する。まさに島を揚げての祭事だ。

御嶽での奉納が終わり日が暮れると、集落の家々を巡って踊り舞う「ユークイ」が始まる。これには誰でも、観光客でも参加できるのだそうだ。パンデミックの前には、夜10時過ぎに臨時便が出ていて、島に宿をとっていなくてもその時間までユークイを楽しめたのだが、この年は残念ながら石垣島に戻る船の最終便は5時50分で、島内に宿を確保していなければでユークイを断念して、石垣島に戻ることになる。

翌日も午前中のうちに竹富島に渡って、港で買ったおにぎり(ご飯を白身魚のすり身に包んで揚げたもの)とお茶を昼ごはんにしつつ芸能をのんびりと堪能した。前日のように様々な演目が続く。夕方になると、舞台の奥に幕が張られて植栽も配置された。祭りの最後の演目の「鬼とり」が始まった。もとは沖縄本島の芸能が竹富島へ伝わったそうで、鬼にさらわれた子供を助けに行くという話だ。初番からスモークが焚かれて見ごたえがある。

石垣へ帰る船は祭りから帰る人たちでいっぱいで、誰もがなんだかすっきりとした表情だった。土地に由来がある人たちは自らの根が張るこの島を思い、そしてまたいつもの生活に帰っていくのだ。「地元」とか「ふるさと」といった言葉とはまた違った深い縁というものがあるものなのだと感じられた。

落花生で作るジーマミ豆腐

 
「地豆」と書いてジーマミと読むのは落花生のこと。旅の途中で何度が現地の豆腐店のものをいただいた。椀で作った大きなジーマミ豆腐は、落花生の香りが香ばしく、「ぶりん」とした食感が楽しかった。生の落花生(乾燥したもので炒っていないもの)を手に入れたら後の材料は粉だけ。弾力のある食感を出すためにタピオカ粉を使うレシピだが、全量片栗粉でもいい。また、かけ汁は麺つゆで代用できる。

材料:
・生落花生 100g
・水 300ml
・タピオカ粉 25g
・片栗粉 5g

<かけ汁>
・淡口しょうゆ 小さじ2
・だし汁 大さじ1
・みりん 小さじ1
・おろししょうが 適量

作り方:
1. 生落花生をたっぷりの水に浸けて一晩おき、生皮を取る。

2. 落花生と水200mlを液状のペーストになるまでフードプロセッサーにかけて、水100mlを追加して混ぜ、布で濾してしっかりと絞る。

3. 2と、粉ふるいにかけたタピオカ粉と片栗粉を鍋に振り入れてよく混ぜて、鍋に入れて中火にかける。固まり始めたら弱火にして練りながら火を入れる。

4. もったりと粘りが出て、なべ底を木べらで一直線にこすってなべ底の道ができるようになったら火を止める。30分ほどかかる。冷蔵庫に入れると多少硬くなるが、なるべく鍋で好みの固さの直前まで練る。

5. バットや容器に4を入れて粗熱を取ったら、冷蔵庫で冷やす。

6. かけ汁の材料を合わせて火にかけて軽く沸騰させ、器に出したジーマミ豆腐にかけて、おろししょうがをのせる。

※今回の分量で、上の写真の飯椀で作ったものが2つできる。


All Photos by Atsushi Ishiguro

石黒アツシ

20代でレコード会社で音楽制作を担当した後、渡英して写真・ビジネス・知的財産権を学ぶ。帰国後は著作権管理、音楽制作、ゲーム機のローンチ、動画配信サービス・音楽配信サービスなどエンターテイメント事業のスタートアップ等に携わる。現在は、「フード」をエンターテイメントととらえて、旅・写真・ごはんを切り口に活動する旅するフードフォトグラファー。「おいしいものをおいしく伝えたい」をテーマに、世界のおいしいものを食べ歩き、写真におさめて、日本で再現したものを、みんなと一緒に食べることがライフワーク。
HP:http://ganimaly.com/