イタリア、ピエモンテ地方のワインといえば、多くの人がネッビオーロ種から作られる崇高な赤ワイン、バローロやバルバレスコを思い浮かべることだろう。あるいは、軽やかでほんのり甘い白ワイン、モスカート・ダスティ、同じくモスカート・ビアンコ種から造られるスパークリングワイン、アスティ・スプマンテを連想する人もいるはずだ。

バローロ、バルバレスコの名声は高く、その評価は揺るぎない。一方、大量生産されるモスカート・ダスティやアスティ・スプマンテが注目されることはあまりない。だが、モスカート・ダスティ、アスティ・スプマンテの中にも逸品がある。さかのぼれば、アスティ地方はシャンパーニュ地方と繋がりがあり、古くから伝統製法のスプマンテが造られてきた。中心となったのは、アスティから30キロほど南のカネッリという村。イタリアのスプマンテの胎動はここで始まった。

カネッリの街へ

8月半ば、ハンブルクから空路でピエモンテ州の州都、トリノへ向かった。トリノからアスティまでは、電車で40分ほどの距離だ。アスティに宿をとり、本数の少ないバスを諦め、タクシーでカネッリに向かった。

カネッリには、2012年に来たことがある。当時、近郊のロアツォーロで、友人夫婦がワイナリーを経営していた。彼らのところに滞在していた時、食料品の買い出しのためにカネッリに行き、「地下のカテドラル」と呼ばれるワイナリーのセラーのこと、伝統製法で醸造される高品質のスプマンテのことを知った。

その後間もなく、ピエモンテ地方のブドウ畑の景観は、「ピエモンテのブドウ畑の景観、ランゲ=ロエロとモンフェラート」という名称でユネスコ世界遺産に登録された。これには、バローロのあるランガ地区やバルバレスコの丘陵地のほかに、カネッリとアスティ・スプマンテも含まれている

カネッリはベルボ川沿いの谷間にあり、かなり起伏がある。タナロ川の支流であるベルボ川は、クネオ、アスティ、アレッサンドリアと、ピエモンテ州の3つの県を抜けて流れ、ポー川に合流する。ベルボ川流域北部の標高の低い地域はバッサ・ランガ(低地ランガ)と呼ばれ、南東部の標高の高い地域はアルタ・ランガ(高地ランガ)と呼ばれる。アルタ・ランガ地区のブドウ畑は、2011年にD.O.C.G.(上位の原産地保護認定)を得て、フランチャコルタと同様に、高品質の伝統製法スプマンテの産地として知られるようになった。

カネッリで最初に伝統製法のスプマンテを醸造したのは、1848年にシャンパーニュの中心地ランスで醸造法を学んだカルロ・ガンチアとその兄弟だったという。創業1850年のガンチアでは、当初スプマンテを「モスカート・シャンパーニュ」と名付けていたそうだ。使われたブドウはモスカート・カネッリという品種だった。やがて、シャンパーニュという固有名詞が使用できなくなると、アスティ・スプマンテと呼ばれるようになった。スティルワインも造られていたが、泡立つワイン、アスティ・スプマンテのほうが重宝された。カネッリの丘の上にはガンチア家の居城が村を見下ろすように建っている。

カネッリの丘からの眺め

ガンチアに続いたのが、創業1867年のコントラットだった。コントラット家も醸造家をシャンパーニュへ送り込み、現地で技術を学んできたという。1919年にイタリアで初めて、ミレジマート(ヴィンテージ)の伝統製法スプマンテを生産したのはコントラットだった。

当初は伝統製法で造られていたアスティ・スプマンテだが、19世紀末、アスティの醸造家フェデリコ・マルティノッティがスプマンテの量産方法を考案した。20世紀初頭に、フランスの醸造家ウジェーヌ・シャルマがそれを実用化すると、伝統製法は徐々に忘れられていった。しかし近年、伝統製法が再び見直され、それがアルタ・ランガの誕生へとつながっていく。

アルタランガの畑©contratto

アルタ・ランガに力を入れるコントラット

 

現地では、アルタ・ランガに注力する造り手、コントラットを訪れた。輸出を担当するルカ・チリウティさんがセラーを案内してくださった。

見学セラー案内の看板

コントラットでは、アスティ・スプマンテは、ごくわずかに醸造しているだけで、生産ワインのほとんどをアルタ・ランガが占めている。かつて、シャルマ製法が盛んに取り入れられた時も、コントラット家はできる限り伝統製法を維持し、職人仕事を大切にしてきたという。1990年代初頭にボッキーノ家がその後継となり、2011年にリヴェッティ家がその後を継いだ。

右手がコントラット

1977年、カネッリに近いカスタニョーレ・デッレ・ランツェに醸造所「ラ・スピネッタ」を設立したリヴェッティ家は、当初モスカート・ダスティで、その名を轟かせたが、80年代に入ると、バルバレスコ、バローロの銘品を生み出し、トスカーナ地方にも進出した。

ジョルジョさん©contratto

無類のシャンパーニュ好きだというオーナー醸造家のジョルジョ・リヴェッティさんは、アルバで醸造学を収め、フランスで経験を積んだのち、伝統製法に固執して、コントラットのポテンシャルを開花させていった。標高が高いボッソラスコ地区の石灰質土壌、泥灰土、粘土の混在する場所に主な畑を整備し、ソフト・プルーニングと呼ばれる剪定法を実践、収量を制限し、瓶内熟成には規定以上の時間をかけている。「ジョルジョがコントラットを率いることで、ワインに独自性が生まれた」、そうルカさんは語る。

ルカさん

アルタ・ランガもフランチャコルタと同じく、シャンパーニュ品種であるピノ・ノワールとシャルドネが主体のワインだ。ルカさんによると、コントラットは、戦後間もない時期に、シャンパーニュから苗を取り寄せ、ピノ・ノワールの栽培を開始していたはずだと言う。現在は、ピノ・ノワールはシャンパーニュ・クローンとイタリアのクローンの双方を、シャルドネは主にシャンパーニュ・クローンを使用しているそうだ。

コントラットのアルタ・ランガはピノ・ノワールが支配的で、栽培面積は7割を占める。シャルドネよりデリケートなはずのピノ・ノワールの方が、栽培が困難なのではないかと訊ねたら、ルカさんの答えは予想とは違っていた。標高7~800メートルもあるボッソラスコ地区の、冷涼でしかも強風にさらされる畑では、ピノ・ノワールの方がシャルドネよりもうまく適応しているのだそうだ。「シャルドネのほうが難しいんだよ」、そうルカさんは続ける。

コントラットでは2012年以降、アルタ・ランガのドサージュの際に糖分を一切加えていない(フランス語でパ・ドゼと言う)。リヴェッティ家がオーナーとなる以前から一部の製品において、パ・ドゼを行っていた実績があり、ジョルジョさんはそれを受け継いだという。

パ・ドゼを生産するためには、ブドウが通常よりわずかに熟し気味でなければならないが、その際、酸度が下がってはいけない。ルカさんは「冷涼で標高のあるアルタ・ランガには、パ・ドゼを可能にするマジカルなコンディションが整っている」と語る。

アルタ・ランガD.O.C.Gの醸造規定には、収量制限、搾汁量の制限など、細かな規定がある。例えばワインはミレジマートでなければならず、瓶内熟成は最低30ヶ月だ。コントラットではこれらの規定を見直し、収量や搾汁量をさらに減らし、熟成期間を伸ばすなど、アルタ・ランガの持てる力をさらに引き出そうとしている。高品質のアルタ・ランガは、発泡ワインの総称である「スプマンテ」との差異を明確にするため、「メトド・クラシコ(伝統製法)」と呼ばれている。

アルタランガ ©contratto

洗練された味わいのメトド・クラシコ

ルカさんに「地下のカテドラル」を案内していただいた。ガンチア宮が立つ丘の麓のセラーは、その丘に入り込むように造られているため、奥の方は地下40メートルもの深さになるそうだ。空調は必要なく、年間を通して十分な湿度が保たれ、温度も13度程度で一定している。

セラーの天井は教会建築を想起させるヴォールト状の構造が美しい。「地下のカテドラル」と呼ばれるのは、この建築様式のためだ。延々と並ぶピュピトル(澱下げ台)は実際に使われており、2人の職人が全ての動瓶作業を行っているという。

セラー動瓶作業 ©contratto

試飲は、2018年産のミレジマートから始まった。ブレンドはピノ・ノワール80%、シャルドネ20%。柑橘系の風味が爽快で、焼きたてのブリオッシュの仄かな風味が重なる。同じく2018年産のブラン・ド・ブランは、シャルドネ100%らしい研ぎ澄まされたミネラル系の風味、エッジの利いた味わいだ。

ミレジマート 2018

続いて2017年産の「フォー・イングランド」を味わった。およそ100年前、シャンパーニュでまだ甘口が主流だった時代に、英国向けに醸造した辛口のスプマンテの名称で、イタリア市場には1950年代に登場した。現在生産している「フォー・イングランド」は、いずれもピノ・ノワール100%のブラン・ド・ノワールとロゼの2種類。ブラン・ド・ノワールはオレンジやグレープフルーツの風味、ロゼは果実味がより豊かだ。

フォーイングランド 
ボトルのイラストは1920年代のもの。ワインを味わう喜びが表現されている。

2012年産のキュヴェ・ノヴェチェントはピノ・ノワール70%、シャルドネ30%で瓶熟成100ヶ月、2013年のスペシャル・キュヴェはピノ・ノワール90%、シャルドネ10%で同80ヶ月。ブレンドの比率の違いと、ヴィンテージの違い、熟成期間の違いが、全く異なる風味を運んでくる。キュヴェ・ノヴェチェントはハーブ系の風味に酵母香が重なる。スペシャル・キュヴェは緻密で、洗練された凝縮度が感じられる。いずれもキメの細かな泡のテクスチュアが印象的だ。

キュヴェ2種

最後にアスティ・スプマンテを味わった。コントラットでは伝統製法とシャルマ製法の双方でごく少量を生産している。ルカさんによると「アスティ・スプマンテのように残糖のあるタイプを、伝統製法で仕上げるのは、二次発酵のコントロールがとても難しく、至難の技だ。むしろシャルマ製法の方がうまくいく」そうだ。

アスティスプマンテ伝統製法

コントラットでは、単なるシャルマ製法ではなく、シャルマ・ルンゴと呼ばれる長期熟成法を採用している。シャルマ・ルンゴはタンク内でおよそ2年にわたって酵母とともに熟成させる方法で、瓶内熟成同様に、味わいに深さが生まれ、パネトーネやゼストなどの風味が加わるという。食後などにほんのり甘みが欲しい時、コントラットのアスティ・スプマンテは、良き伴侶となるだろう。

コントラットを後にして、カネッリの街を散策し、ガンチア宮のある高台まで険しい道路を登った。高台からカネッリの村を見下ろしながら、シャンパーニュとピエモンテの間には、知られざる交流史がまだいくつもあるのだろうと思った。


Photo Courtesy:©contratto
Photos by Junko Iwamoto

岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com