「ここは、海の底だったの」

初夏の日差しが燦々と照りつける中、シルヴィア・アントーニさんは青々と葉が生い茂るブドウ畑に案内してくれた。どのブドウの樹も勢いがあり、ぐんぐんと蔓を伸ばしている。夏の終わりには天まで伸びていってしまいそうだ。

オランダのアムステルダムから、郊外列車で北東へおよそ1時間。フレヴォラント州の州都レリスタットは、1955年までは平均海抜マイナス3メートルの海底だった。人々は、高さ12メートルの堤防を建設し、海水をポンプで汲み出すという、気の遠くなる作業を行い、土地を獲得した。地上に姿を見せたまっさらな土地に町が作られたのは、1968年のことだ。

「これはヒバナル、こちらはソーヴィニヤック、向こうがソヴィニエ・グリ……」シルヴィアさんは軽やかな足取りで、畑をどんどん進んでいく。聞きなれない名前のブドウはいずれも、ドイツではピーヴィー(PiWi)種と呼ばれているカビ菌に耐性のある交配品種だ。農薬がほとんど必要なく、冷涼地でも完熟する。

シルヴィアさんの畑には、一度も化学農薬や化学肥料が撒かれたことがない。そこはかつて夫のヴィレムさんが、ビオディナミ農法を実践していた野菜畑だっだ。彼が引退して、養蜂業に専念することになったので、畑の大部分は他の農家に貸したのだが、そのうち0,5ヘクタールを彼女が受け継いで、1600本ほどのブドウの苗を植えた。

ブドウ畑と草花 ©minzeven

彼女は数多いピーヴィー種の中から慎重に3品種を選んだ。中でもソーヴィニヤックは彼女の大のお気に入りだ。数年前まではVB-CAL604と番号で呼ばれていた。VBはスイスの育種家、ヴァレンティン・ブラットナーさんのイニシャル。ソーヴィニヨン・ブラン、リースリング、カビ菌耐性品種の3つの掛け合わせから誕生した。

「カッティングされたダイアモンドみたいな密度の高い風味がある。オランダの気候にとてもうまく適応して、常に美味しいブドウをもたらしてくれる。ブレンドの決め手となる最も大事な品種なのよ」、シルヴィアさんは目を輝かせて言う。

ソヴィニエ・グリはドイツ、フライブルク・ブドウ栽培研究所の交配種で、親品種はセイヴァル・ブランとツェーリンガー。ツェーリンガーの親はリースリングとトラミーナーだ。ソーヴィニヤックと同じく、オランダの気候に馴染み、果実味豊かで、ハーブ系のアロマをもたらしてくれる名脇役だという。

ヒバナルの列

そしてヒバナル。シルヴィアさんは、ガイゼンハイム大学で行われたピーヴィー種のシンポジウムに参加した時に、この品種から造られたワインを味わい、美しい酸味に惹かれた。ヒバナルは、ガイゼンハイム研究所で生まれたリースリングとシャンセラーの交配品種だ。当時ドイツでは、大学の研究用の畑でしか栽培されていなかったのだが、彼女の熱意が伝わり、研究所から苗を入手することができた。

「海に近い畑は湿度があり、カビ菌のリスクは高い。この無垢の土壌を今後も守っていくためには、ピーヴィー種は最良の選択のはず」、そう彼女は考えた。伝統品種であるピノ・ノワールやシャルドネは彼女の念頭にはなかった。清らかな畑で作業ができることは、彼女にとって、とても大切なことだったのだ。

ふとしたきっかけでワインの世界へ

シルヴィアさんはドイツ人の両親のもと、シンガポールで生まれ、南アフリカで幼少期を、欧州各地で少女時代を過ごした。オランダに移住したのは2000年のこと。その後、オランダ人のご主人と出会い、現在に至る。

シルヴィアさん夫妻

長年IT分野で、主にユーザーとプログラマーの間のコミュニケーション役としてのキャリアを積み、その過程でワイン業界とつながる機会がおとずれた。それは、スーパーマーケットやディスカウントショップで販売されているワインのガイドブック企画で、当初はアドヴァザー的な役割にとどまるはずだった。ところが彼女は、このプロジェクトに深く関与することになり、彼女自身がテイスティングを行い、ガイドブックを執筆することになったのだ。

コルドゥラ・アイヒのペンネームで出版されたガイドブックには大きな反響があり、2010年版から2014/15年版まで毎年のように出版された。プロが使う言葉ではなく、ふつうの消費者の言葉を使ったことが、読み手の共感を呼んだ。やがてガイゼンハイム大学で、マーケティングの講師をつとめることにもなり、気がつくと彼女は、ドイツのワイン界における時の人となっていた。

その頃、彼女はごく自然に、ワインを造ってみたいと思うようになった。大学や専門学校で栽培、醸造を学ぶことも考えたが、それよりも実践することを選んだ。そう決めると、夫の農場に実験用の畑を整え、候補として選んだ8種類のピーヴィー種の苗木を入手して植え、どの品種が海の底だったこの畑にふさわしいかを観察し始めた。何もかもが初めての試みだったので、プロのアドヴァイスをもらいながら慎重に夢に近づいていった。

造りたいワインははじめから決まっていた。伝統製法のスパークリングワインだ。ドイツ語では「ゼクト」と言う。オランダの海の激しく打ち付ける波と、白い波頭からインスピレーションが湧いたのだった。

ワイナリーにて

海面下マイナス7メートルだった畑

レリスタットの町は南側のマルケル湖と北側のアイセル湖が分かれるあたりにある。2つの湖は、もとはゾイデル海という浅瀬の海だったが、1932年に世界最大の大堤防が作られて北海から切り離され、アイセル川の水の流出により淡水湖となった。そのため、町はもう北海には直接面していない。マルケル湖は、1975年に作られたもう一つの堤防で、アイセル湖から隔てられたが、干拓計画は破棄され、自然の地形は守られた。

大堤防が作られるまでは、内海は荒々しい北海にさらされていた。「オランダの沿岸地域が直面する海は、南国のような穏やかな海じゃない。とくに大航海時代以降は、この海で多くの船が難破し、多くの人々が溺れ死んだ。海の底には多くの死者たちが眠っている。けれど今、私はここで暮らし、こうしてワインを造ることができる。そのことをとてもありがたいと思う。だから海の神様のことを忘れないようにしなければ」、シルヴィアさんは、海にむかって祈っているかのようだ。

醸造所は「ミン・ゼーヴェン(MIN ZEVEN)」と名付けた。オランダ語でマイナス7という意味だ。ゼクトの名前は「ブリュット&ブライジェント(BRUUT&BRUIZEND)」。「荒々しくそして激しく」というニュアンスの言葉だ。エティケットには北欧神話に伝わる海の神エーギルの妻、ラーンを描いてもらった。半人半魚のラーンは、海の生き物と海にのまれた死者の世界を支配する女神。地引網を引いて、死者を神のところまで届けるという伝説がある。

70年くらい前まで海底だった土壌は、とても豊かだ。深いところには原生林の名残りの泥炭土壌が横たわり、その上に堆積土と腐植が重なる。欧州の名高いワインの産地は、近年水不足に悩まされているが、シルヴィアさんの畑は十分な地下水を蓄えている。農地一帯に排水システムが整い、土壌が乾ききってしまうことはない。ここは海の恵みをいっぱいに受けたブドウ畑なのだ。

ブドウ畑から堤防の方向を眺望 ©minzeven

海のゼクト誕生

シルヴィアさんは、ブドウを育てていく過程で、自分なりの栽培法を確立していった。例えば、カバークロップ(緑肥)は、通常ドイツでは1列おきに植えるが、彼女は土壌からできるだけ多く水を吸い上げてくれる植物を選び、それを全列に植えている。剪定も、その道のプロに教えを請い、樹液の流れを阻害しない方法で行っている。

訪問した7月の上旬は、ちょうど開花が終わり、小さなブドウの粒が形作られ始めたところだった。畑では、フェンスの通気性をよくするために、生い茂る葉をところどころ取り除く作業が行われていた。オーガニック栽培においても、伝統農薬と呼ばれる硫黄剤や銅剤は一定量認可されているが、ピーヴィー品種であるため散布は最低限で済む。代わりにブドウの抵抗力を高めるため、イラクサやスギナなどの薬草を集めて発酵させたものを希釈し、成長期のブドウに撒いている。

初めての収穫は、2018年だった。独学ではあったが、ワイン関係者とのネットワークをフルに活用して、慎重に進めたベースワインの醸造は、思いのほかうまくいった。ベースワインは自然発酵、瓶内二次発酵用には、畑の酵母をドイツのノイシュタットにあるワインキャンパス研究所で分離培養してもらった。それほどまでに彼女は、レリスタットの畑の恵みにこだわった。

でも、出来上がったベースワインを、どうやってゼクトにすれば良いかが、よくわからなかった。彼女は、アッサンブラージュとデゴルジュマンの作業には、プロのサポートを頼まなければならないと思った。以前から、ドイツ・ゼクト界の第一人者、フォルカー・ラウムラントさんのゼクトに注目していたので、彼に直接相談してみようと考えた。

やや強引にフォルカーさんのアポイントを取り、彼に相談することができた。フォルカーさんが、まずベースワインを試飲してから考えようと言い、シルヴィアさんはサンプルを送った。しばらくして、ペースワインは申し分ないよ、との連絡があり、共同でブレンドの比率を決めた。瓶熟を経て、動瓶を終えると、ラウムラント夫妻が出張し、手作業でデゴルジュマンを担当してくれることになった。

フォルカー・ラウムラントさん。ラウムラント醸造所も、ピーヴィー品種を試験的に栽培し始めている。

デゴルジュマンの日、ラウムラント夫妻は、設備一式をレリスタットの醸造所に運び込んだ。事前に十分冷やされたゼクトは、プロの手にかかれば、瓶口に集められた酵母を凍結させなくてもほとんど目減りしない。フォルカーさんが1本1本デゴルジュマンを行ったゼクトは、少しだけ減った分を同じゼクトで満たすだけの、ブリュット・ナチュールと呼ばれるピュアな味わいに仕上げた。続いて妻のハイデさんが打栓し、ボトルを1本1本ていねいに拭き、ゼクトは出来上がった。

ハイデ・ラウムラントさん

この初めてのヴィンテージは2020年の秋にリリースされた。シルヴィアさんは瓶熟成12か月以上のものをブロンズ、30か月以上のものをシルバー、それよりも長く熟成させたものをゴールドと名付け、今後、段階的にリリースする予定だ。 年間生産量は多くて2000本程度なので、ブロンズとシルバーはそれぞれ777本、残りがゴールドとなる。

シルヴィアさんが自らのゼクトに、これほどまでに慎重に、完璧さを追求したのには理由があった。彼女には失敗が許されなかったのだ。

20代の頃から病を患っていた彼女は、あらゆる治療を試みたが、どれもうまくいかず、40代半ばを迎えた時、医師から「これ以上の治療は不可能だ。50歳の誕生日は迎えられないかもしれない」と宣言された。当初は、畑に出て、きれいな空気を吸い、土に触れる仕事をしていれば、回復するかもしれないと願って、ワイン造りに取り組み始めたが、医師の宣告を聞いてから、50歳の誕生日を、自分で造ったゼクトで祝いたいという気持ちが強く湧いてきたのだった。「どこまでできるか、とにかくやってみよう」。ゼクト造りはいつしか、彼女にとって生きる支えとなっていた。そして夢が現実になった。彼女は、ファーストヴィンテージで50歳の誕生日を祝うことができたのである。

「医者には見放されたけれど、私はまだこうして生きている。体調はすぐれないことも多いけれど、ゼクト造りは純粋に楽しくて、畑仕事をしていると、生きていることの喜びを感じる」、そう彼女は言う。海の女神ラーンは、彼女をずっと守ってくれている。


MIN ZEVEN

醸造所の紹介ビデオでは、シルヴィアさん自身が女神ラーンとなって、地引網を引いている。


Photo Courtesy:©︎minzeven
Photos by Junko Iwamoto

岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com