ドイツの観光街道は、ロマンチック街道やメルヘン街道をはじめ150ルート以上もあるが、ドイツに住んでいるといつでも行けると思い、観光街道に沿って旅することは少ない。そこで今夏は、個人的に訪問したい旅先リストから選んだ「バロック街道」を巡ることにした。

17世紀から18世紀初期にかけて欧州で発達したバロック様式。ドイツにもその壮麗かつ豪華な芸術・建築様式は今も強烈な存在感を示している。なかでも南ドイツのドナウ河畔からボーデン湖畔までを繋ぐオーバーシュヴァーベン・バロック街道(以下、バロック街道) は、バロック建築の証が多い「史跡の宝庫」として有名な地域だ。

旅の準備をしている中、バロック街道はドナウ河畔の街ウルムからボーデン湖畔フリードリヒスハーフェンを経て、スイスのセントガレンまで約860㎞に及ぶと知った。さらにこの街道は主要(Hauptroute)、東(Ostroute)、南(Südroute) 西(Westroute)の4ルートに区分されており、50以上のバロック建築の至宝があるという。

ルート案内図

1966年に制定されたこの街道は、バロック建築物の新規加盟により、徐々にルートが延長されている。今回は主要ルートの4スポットと、東ルートの5スポットを訪ねた。

マルクト広場 噴水前

主要ルート

 

▼エーインゲン
 
ウルムからローカル電車に乗って約25分、エーインゲンに到着。今回はこの街を拠点とした。

エーインゲンは17世紀頃、シュヴァーベン・オーストリアの領主の拠点として繁栄期を迎えた。街のシンボルは、聖ブラジウス、聖母教会、コンヴィクト教会の3つの塔だ。最も興味深いバロック様式の建造物は、城郭のような旧ドナウ・カントンのシュヴァーベン騎士団の「騎士の館」、マルクト広場にある後期バロック様式のシュテンデハウス、そして現在同市博物館のシュペートホーフなど。

▼ヴィブリンゲン修道院
 
ウルムから南へ約5㎞に位置する街ヴィブリンゲン。南ドイツで一番美しいと称される「図書館」のあるヴィブリンゲン修道院に向かった。

修道院全景

旧ベネディクト会修道院に付属する聖マルティン教会左側にある建物に入り、早速図書館へ。宴会場のような広さと豪華な調度品を有する館内に入った瞬間、フレスコ画や彫刻で豪華に装飾されたホールの美しさに圧倒された。2階建てで、長さ23m、奥行き11.5mのホールは、圧巻の空間演出がなされている。

天井画は、画家フランツ・マルティン・ク―ヱンが1744年に描いたもの。基礎となったのは精巧で博学なイメージで、絵の中央には天使に囲まれた女性像があり、すべてを支配する神の叡智を表している。

18世紀後半に建設された図書館の最盛期には「どの大学よりも多い15,000冊もの蔵書がありました」とガイドさんが教えてくれた。図書館というより祝祭ホールのように絢爛豪華で、飽きることなくカメラのシャッターを押し続けた。ちなみにこのホールは、結婚式セレモニーやコンサート会場として貸切ることもできるそうだ。

11世紀に創設された修道院の聖マルティン教会内には、図書館とはひと味違った壮大なフレスコ画が描かれていて、後期バロックから初期古典主義への移行期の厳かな天井画が素晴らしい。

▼オクセンハウゼン修道院
 
ヴィブリンゲンからさらに南へ約40km、オクセンハウゼンへ。街を流れるクルムバッハ(小川)沿いを歩いた。この川辺はオーバーシュヴァーベン地方で最も美しい散策路のひとつと言われ、オクセンハウゼン修道院の修道士たちも頻繁に通った場所だ。元々は修道院に水を供給するためだったが、現在は地元の人や観光客が集う憩いの場となっている。

11世紀にはベネディクト派の修道士がオクセンハウゼンにやってきて、修道院を創設し定住したそうだ。広大な敷地は、長い歴史が生み出した印象的な至宝のひとつだ。

バロック様式の修道院内には、現在バーデン・ヴュルテンベルク州の州立ミージックアカデミーがあり、世界中の音楽家がここを訪れているという。「もちろん日本の音楽関係者もいらっしゃいます」と、館内を案内してくれたアカデミー代表クラウス・ワイグラー教授は微笑んだ。

アカデミー代表 Dr.ワイグラー教授

特に印象に残ったのは、音楽アカデミーの休憩ルーム。まるで美術館の一室のような空間を気軽に利用できる学生たちが羨ましい限りだ。

アカデミー学食

▼ツヴィーファルテン修道院 
 
シュヴァーベンアルプの麓、アーハ渓谷の森の中にある、ツヴィーヴァルテン。まず目を引くのは街全体を見渡すかのように聳え立つ旧ベネディクト修道院付属の聖母大聖堂の2つの教会塔だ。

18世紀中頃、名工ヨハン・ミヒャエル・フィッシャーがツヴィーファルテン大聖堂を新築した後期バロックの大作であるこの教会は、南ドイツ・ロココの完全な芸術作品といわれる。この旧ベネディクト会修道院は19世紀に廃墟となったが、今日でも多くの観光客が訪れている人気スポットだ。

東ルート

 

▼ウィッツィクハウゼン巡礼教会
 
1733年から1740年にかけてヴィッツィクハウゼンに同地の教区と巡礼教会である聖母被昇天教会が創設された。教会の外観は地味で目立たないが、内部は壮麗で、この地域では「ロココの宝石」といわれている。祭壇中央の「ヴィッツィクハウゼンの聖母」を目指す巡礼者は、16世紀のペストの時代にまでさかのぼるそうだ。

天井画はアウグスブルクの有名なフレスコ画家クリストフ・トーマス・シェフラーと職人によるもので、わずか15週間で描かれた。ヴェッソブルンの巨匠ゴットリープ・フィンスターヴァルダーによる漆喰細工も同教会の特別な宝物だ。

▼ロッゲンブルク修道院
  
ヴィッツィックハウゼンを後にして、南西へ約13㎞、ロッゲンブルクへ。最近、バロック街道に加盟したプレモントラテンシアン修道院を訪問した。修道院の歴史は、1126年に始まり、その後、世俗化に伴い、1802年に解散した。プレモントラテン教団は1986年、修道生活を再開し、現在の修道院を設立した。

修道院敷地内には現在、「家族、環境、文化のためのトレーニングセンター、美術館、芸術と文化のためのセンター、ホテル・レストラン施設」がある。バロック様式の建物と教会で開催されるオルガンコンサートや文化プログラム「ロッゲンブルクの夏」は、特に人気だという。

▼イラーティッセン フォーリン城
 
イラー川の上にそびえ立つフォーリン城は、イラーティッセンのランドマーク。もともとは中世後期のキルヒベルク伯爵家の城だったが、1520年にメミンゲンの貴族であるヴェーリン家が領地を取得し、ルネッサンス様式の新しい城郭を建設させた。特に宝物は、1751年にロココ調に近代化された城内正面のチャペルだ。

▼ブクスハイム修道院 

イラーティッセンから南へ約30km離れたブクスハイムへ。10世紀に初めて言及されたブクスハイムは、小さな修道院の所在地だった。それが、ドイツ国内最大のカルトゥジオ会(カトリック教会に属する) 修道院にのし上がったのは、最後の総督ハインリッヒ・フォン・エレルバッハが1402年、多額の寄付金でカルトゥジオ会をブクスハイムに呼び寄せたことに遡るという。

また16世紀前半、隣接する帝国都市メミンゲンの宗教改革により、修道院は大きな困難に陥ったものの、ハプスブルク家がブクスハイムを保護するようになると、ドイツで唯一の帝国勅許の修道院となった。

▼メミンゲン
 
1000年の歴史を物語る旧帝国都市メミンゲンは、市内を歩くだけでも楽しい。バロック時代のコスチュームを着たガイドさんが最初に案内してくれたのは、1736年に市内初のバロック様式の家として建てられた「パリハウス」。

観光客の集まるマルクト広場にある15世紀後半に建てられた市庁舎南側のファサードは1765年にロココ様式でデザインされたものだ。

マルクト広場ギルドハウス

最後に、聖霊修道院の旧教会クロイツヘレンザールへ。メミンゲンの「バロック時代の真珠」といわれる後期バロック様式のストゥッコ(漆喰)による装飾のフレスコ天井画が壮麗だ。 貧人と病人を受け入れる病院として始まった修道院付属病院だったが、最終的には20世紀中期に展示会やコンサート会場として利用できるホールに改築された。 

旧市街のカフェで休憩した。「バロック街道巡りは、(天井のフレスコ画を眺めることが多いため)首が痛くなりますよ」というガイドさんの言葉を思い出した。教会の中に入るなり劇的な空間をつくることが建築家に求められたバロック時代の史跡巡りは終わった。道中に出会った至宝や人との交流をふり返り、自分で体感する旅の醍醐味を改めて実感した。

取材協力
Oberschwaben Tourismus GmbH
一部画像は特別許可を得て撮影


All Photos by Noriko Spitznagel

シュピッツナーゲル典子
ドイツ在住。国際ジャーナリスト連盟会員