ウランバートルから車で西へ5時間。オルホン川のそばに広がる古代都市が、モンゴル帝国の首都カラコルムだ。青い空とどこまでも続くモンゴル高原の土地に、ひっそりといくつかの壮大な史跡が残る。それでも、都市遺跡の大部分は地中に埋没した状態であるというのだから、往時の繁栄がどれほどのものであったのかと想像を掻き立てられる。
カラコルムに到着すると、すでに昼食時だったので、遺跡のそばの食堂に入った。テントの中にはテーブルが並び、奥にキッチンがあった。そこで食べたのが「ホーショール」。小麦粉の粉で皮を作り、中に羊肉と玉ねぎを入れて包んで揚げたもので、モンゴルでは一般によく食べられる揚げ餃子だ。
9月のモンゴルはすでに冬に向かっていて雪が降る日もあった。揚げたてのホーショールの熱々の具と肉汁がうれしい。今回は、モンゴル国の首都であるウランバートルの生活風景と、ホーショールのレシピを紹介する。
モンゴル帝国、モンゴル人民共和国、そしてモンゴル国
1924年にはモンゴル人民共和国が成立して、ソヴィエト連邦に次ぐ世界で2番目の社会主義国となった。その後1992年に社会主義を放棄して国名はモンゴル国になる。
ウランバートルの中心にあるチンギスハーン広場は、2013年にスフバートル広場から改名したのだそうだ。中央にはダムディン・スフバートルの銅像が建ち、見学の人々が集まっていた。スフバートルは1921年の中国からの独立に勝利を収めたモンゴル革命の英雄だ。
広場の周りには官公庁が多く、北側には国会議事堂がある。その議事堂の正面にはチンギスハーンの座像がある。スフバートルの勇ましい姿と比較すると穏やかな表情で、街と人々を見守るように見えた。
ウランバートルの南の丘の上にはザイサン・トルゴイという1971年に建設された戦勝記念碑がある。内側にはソ連軍とモンゴル軍が日本軍を粉砕する壁画も描かれている。社会主義時代のソ連との蜜月時代を象徴するモニュメントだ。2010年以降、日本とモンゴルは戦略的パートナーシップの構築が進み、日本はモンゴルの主要援助国のひとつになっている。
社会主義時代の街並み
ウランバートル駅に立ち寄ってみた。20世紀から北京とモスクワを結ぶ国際列車も発着する。駅舎の中にはアーチ形の窓から柔らかい光が入り、天井には豪華なシャンデリアが下がっている。駅舎の隣には博物館があり、社会主義時代に活躍した蒸気機関車が展示されていた。
モンゴル帝国が東は朝鮮半島から西は地中海沿岸まで、ユーラシア大陸の広い範囲を治めることができたのは地続きだからだったのだとあらためて思う。日本への元寇を阻んだのは日本海だった。
ウランバートルの街に住む人たちはほのぼのとしていた。子供を幼稚園に送る母親、放課後に公園で遊ぶ子供たち、市場で野菜を求める女性たち。みな屈託がなくて明るい。
多くの住宅はモンゴル人民共和国のもとに建てられたもので、ソヴィエトで建設された無駄を排除したフルシチョフカと呼ばれる建築に似ている。
社会主義時代の住宅の窓に灯がともる頃になると、そこに人々の生活があるのだと思い、ふっと暖かな気持ちになる。
ラム肉を使ったモンゴルの揚げ餃子 「ホーショール」:レシピ
ホーショールはラム肉を使うと本格的になるが、牛肉や豚肉でもおいしい。調味料はシンプルだが、クミンの香りが中央アジアを思わせる。
材料:4個分
・薄力粉 70g
・水(皮用) 40ml
・ラムひき肉 70g
・玉ネギ 1/4個(みじん切り)
・ニンニク 1かけ(みじん切り)
・水(具用) 大さじ1
・塩 小さじ1/4
・コショウ 小さじ1/4
・クミン 一つまみ
・揚げ油 適量
作り方:
1. 小麦粉と水40mlを合わせて良くこねて、表面が滑らかになったら丸く形を整え、冷蔵庫で15分休ませる。
2. ひき肉、玉ねぎ、ニンニクを合わせて、水大さじ1を加えて練る。
3. 1を棒状に伸ばし4つに切り、10㎝の円になるように伸ばす。
4. 3に、2の1/4の量を乗せて包む。周りの部分をつまんで閉じる。
5. 180度に熱した油で、3分ほど揚げる。
—
All Photos by Atsushi Ishiguro
—
石黒アツシ
20代でレコード会社で音楽制作を担当した後、渡英して写真・ビジネス・知的財産権を学ぶ。帰国後は著作権管理、音楽制作、ゲーム機のローンチ、動画配信サービス・音楽配信サービスなどエンターテイメント事業のスタートアップ等に携わる。現在は、「フード」をエンターテイメントととらえて、旅・写真・ごはんを切り口に活動する旅するフードフォトグラファー。「おいしいものをおいしく伝えたい」をテーマに、世界のおいしいものを食べ歩き、写真におさめて、日本で再現したものを、みんなと一緒に食べることがライフワーク。
HP:http://ganimaly.com/