リースリングの人気の陰で目立たない存在ではあるが、ドイツには、ほかにも魅惑的な白ワインがいくつもある。その一つが「ジルヴァーナー」だ。主な産地はドイツ中南部のフランケン地方。ラテン語読みでフランコニアとも言われる。ジルヴァーナーは彼の地で、350年以上にわたって愛され続けている。
長い間、ジルヴァーナーのルーツは、その名称から、トランスシルヴァニア地方、すなわち現在のルーマニア辺りであるか、あるいは中央アジア地域の品種だと思われていた。しかし遺伝子解析が行われ、古代品種トラミーナとオーストリアの固有品種エスタライヒッシュ・ヴァイスの掛け合わせであることがわかり、「エスタライヒャー」(オーストリア種)と呼ばれることもある。ドイツ産のほか、フランスのアルザス地方産がよく知られている。
ジルヴァーナーも他の多くの品種と同様、中世に修道院のネットワークを通じて、ドイツにもたらされたと言われるが、推測の域を出ない。しかしフランケン地方には、今から約350年前にヴュルツブルク近郊のカステル伯爵家のブドウ畑で栽培が始まったという具体的な記録が残されている。やがてジルヴァーナーはフランケン地方を代表するブドウ品種となった。ドイツではホワイトアスパラガスによく合うワインとして親しまれており、ジルヴァーナーのことを「アスパラガスワイン」(シュパーゲルワイン)などと呼んだりもする。
ジルヴァーナーをはじめとするフランケン地方のワインは、およそ3分の1が、ボックスボイテルと呼ばれる丸くて平たいボトルに入れられている。このボトルは、ドイツ、バーデン地方の一部やポルトガルにも見つかるが、フランケン地方ならではのボトルとして広く知られている。ボックスボイテルの語源には、「祈祷書を入れる袋」と「山羊の陰嚢」の2つの説があり、そのフォルムはケルト時代の土器製の瓶に由来するのではないかと言われるが、確かなことはわかっていない。
旅の拠点はヴュルツブルク
コロナ災禍が一旦おさまっていた昨年9月、ジルヴァーナーのルーツを求めて、フランケン地方に赴いた。ヴュルツブルクに到着し、高台にあるマリーエン要塞の方向に歩いていくと、頑丈な石造りの「アルテ・マイン橋」にたどり着く。この橋は、マイン川にかかる橋のうちで最も古いものだ。建設が始まったのは15世紀、聖人像などの装飾が全て完成したのは18世紀に入ってからだった。橋の上からは、マリーエン要塞を絶妙の角度で眺望できる。この橋の上に立つと、ヴュルツブルクの心臓部にいることを実感する。
長さ185メートル、幅7メートルほどの橋の上は、大変な賑わいだった。夏の間は、欄干に沿ってテーブルや椅子が置かれ、橋の上が臨時のワインバーになる。バーは盛況で、ウエイターたちが橋の上をひっきりなしに行き来する。ここで、地元の人たちや観光客に紛れて、シルヴァーナーを味わった。ジルヴァーナーは、料理の味をうまく引き立ててくれるワインだが、単独でも味わい深い。
最初に訪ねたのは、中心街にあるユリウスシュピタール醸造所。1576年に大司教ユリウス・エヒターが設立した慈善施設が基盤となっており、現在の事業も主に病院の経営だ。かつて貴族や富裕者が寄進した広大なブドウ畑を所有しており、フランケン地方を代表する醸造所として知られ、ヴュルツブルガー・シュタイン、ユリウス=エヒター=ベルクなどの名高い特級畑から高品質のワインを生み出している。力を入れているのは、もちろんジルヴァーナーとリースリングだ。
ユリウスシュピタールは、2度火災に見舞われ、現在の建物は1740年代にバルタザール・ノイマンにより再建されたものだ。醸造所は広大な病院の一角にあり、全長250メートルに及ぶ長いセラーに、樽がずらりと並ぶ。醸造所の建物には、創業年である1576年に製作された石のレリーフがはめ込まれてある。「石に描かれた証書」と呼ばれるこのレリーフの中央部には、ボックスボイテルらしき丸い瓶が彫られている。
ヴュルツブルク市内には、ユリウスシュピタール醸造所の他にも、必見の醸造所がある。ビュルガーシュピタール醸造所と、名跡レジデンツを拠点とする州立ホーフケラー醸造所だ。世界遺産であるレジデンツはかつての領主司教のバロック様式の宮殿。3つの醸造所はいずれも見学可能だ。
カステル侯爵家のアーカイヴ
ドイツで初めて、ジルヴァーナーが本格的に栽培され始めたというカステル村にも足を運んだ。 シュタイガーヴァルトと呼ばれる深い森の南端に位置する村は、カステル=カステル侯爵家の拠点である。筆記具ブランドを率いるファーバー=カステル家は親戚にあたる。村は開放的な雰囲気で、ブドウ畑をウオーキングする人々が行き交う。
カステル村では13世紀のはじめに、ワイン造りが始まっていたという。その半世紀後には、シュロスベルク、ホーンアルトなどの特級畑が開墾された。そして、その400年後にジルヴァーナーの栽培が始まった。
村の中心にある市庁舎の向かいには、創業は1774年のカステル侯爵家銀行の建物が残る。この銀行は、飢饉により困窮した農民たちを救済するために設立されたという。その近くには一族の住居と醸造所を兼ねるカステル城がある。現在の当主である、26代目のフェルディナンド・フュルスト・ツー・カステル=カステル侯爵は、この城で生まれた。
醸造所に隣接するアーカイヴで、ジルヴァーナーに関する古文書を見せていただいた。それは、1659年4月10日付の、ジルヴァーナーの苗25本の購入記録だ。これが現存するドイツ最古のジルヴァーナーに関する記述である。この文書には、ジルヴァーナー種のことがエスタライヒャーと記述されている。
ヴィトリーヌに保管されている古文書の文字は達筆で、一目見ただけでは解読できないが、カステル村で初めてジルヴァーナーが植樹された1659年という年号を、しっかりとこの目で確認した。
ジルヴァーナーの歴史が始まったシュロスベルクへ
醸造所の中庭でゼクトをいただいてから、シュロスベルク(城山)と呼ばれる畑を歩いた。
フランケン地方のブドウ畑の土壌は、トリアス紀(三畳紀)と呼ばれる、およそ2億2500万年前に構成された土壌であり、様々な色調の砂岩、貝殻石灰岩、コイパーと呼ばれる堆積土壌が見られる。シュロスベルクは、チョーク質の多いコイパーが主体、畑はかなりの急斜面だ。
この畑では、1266年からブドウが栽培されてきた。最初のジルヴァーナーが植えられたのは、この畑のふもとのあたりだという。南西向きの斜面で栽培されるジルヴァーナーは、昼間に十分な太陽光を浴び、夜は涼気に包まれて、ゆっくりと時間をかけて熟し、豊かなアロマを蓄積する。フランケン地方でジルヴァーナーがこれほどまでに愛されるようになったのは、土壌や気候などのあらゆる条件がこの品種に適切であるからなのだろう。
ある人は、ジルヴァーナーをシャルドネに例える。ステンレスタンクによるクリーンな醸造、オークがほのかに香る伝統的な樽醸造のいずれにおいても、その美味しさが生かされるというのだ。またある人は、ジルヴァーナーはリースリングよりも、香りや味わいが控えめであるため、合わせられる料理の幅が広いと言う。私自身も、北国と南国の果実を感じるリースリングの対極に、草原や土を感じるジルヴァーナーという選択肢があることが、ドイツワインの強みだと思う。
醸造家たちはそのことをよくわかっている。ジルヴァーナーは、すでにフランケン地方を超えて、ラインヘッセン地方、ファルツ地方など、ドイツの他の産地にも伝播し、成果を上げている。ドイツを旅するとき、ジルヴァーナーを味わうチャンスは多い。そして、ジルヴァーナーを味わう旅は、春から初夏にかけての、アスパラガスのシーズンが一番だ。
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Photos by Junko Iwamoto
(一部提供)
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岩本 順子
ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com