ロマンティック街道に沿って週末ドライブを楽しみたい。そんな思いから、行き当たりばったりの旅を計画したのはコロナ禍前の夏だった。出発直前、旅のルートやホテルを検索しているうちに、この街道のほぼ中央に位置する町ディンケルスブュ―ルで毎夏、敵軍から町を救った子供達を称える伝統祭り「キンダーツェッヒェ」が行われていることを思い出した。

この祭りは、30年戦争でディンケルスビュールの子供たちが敵軍スウェーデンから町を救ったという地元の伝説を再現したもので、2016年にドイツの無形文化遺産に登録された。

毎年7月の第3月曜日を中心に行われるキンダーツェッヒェ(子共達へのおもてなし)のハイライトは期間中の日曜日と月曜日に開催される民族衣装を身にまとった子供達や兵隊のパレードだ。まだ間に合う。早速ホテルを予約し、ディンケルスビュールへ向かった。

子供たちが主役のパレード

中世の面影を残す交易で栄えた町

 
バイエルン州に属するディンケルスブュ―ルは、ドイツ南部のヴュルツブルクからフュッセンを結ぶ全長400km強のロマンティック街道のほぼ中心にある人口1万2千人程の小さな町。同街道で一番有名な町ローテンブルク・オプ・デア・タウバーから約40km南下した場所にある。

町のはずれにある博物館併設の市営製粉所

ディンケルスビュールの起源は8世紀にさかのぼる。ちなみにディンケルは、スペルト小麦、ブュールとは丘陵の意で、かつてこのあたりにはディンケル農家が多かったそうだ。

この街は13世紀後半、神聖ローマ皇帝に直属した自治権のある帝国都市(または自由都市)となり、バイエルン皇帝ルードヴィッヒの与えた布の特権により、毛織物貿易と交易で栄えた。と同時に、町の手工業職人たちはギルド(同業者組合)の結成を強制し、貴族や豪商と共に都市を支配するようになった。こうしてディンケルスビュールは、14世紀から15世紀にかけて経済最盛期を迎えた。

パレードには羊毛生産が盛んだったディンケルスビュールの子供達も当時の姿で登場

財力を持つようになった商人や権力者は、その富を象徴するかのように華麗な家屋を建てた。一方で帝国都市は、自分たちの町を自力で防衛しなければならなかった。

外的の侵入に備えた城壁

400 年前にタイムスリップ! 子供が主役の伝統祭り

 

三十年戦争(1618-48)の間、プロテスタント・スウェーデン軍は城壁の外に陣取り、カトリック帝国都市ディンケルスビュールを数週間にわたり包囲戦を繰り返した。

スウェーデン軍の司令官シュペルロイトは、町を焼き払おうと考えていた。そんななか、塔番人の娘ローレは町の子供達と一緒に歌いながら敵軍を迎えに行き、司令官に町を焼かないよう懇願した。

ローレと子供達の行進・パレードにて

司令官は、ローレと手をつなぐ少年を見て、亡くなった自分の息子に思いを馳せた。心を打たれた彼は、退散を決めた。こうして町は破壊から逃れることができた。このときの勇気ある子どもたちを称え、キンダーツェッヒェは史実に基づいて今も盛大に開催されている。

15世紀までに築かれた城壁が残るこの町の旧市街への入り口ヴェルニッツ門をくぐり抜けると、三角屋根の鮮やかな色彩が目を引く建物が続く。中世の面影を残すマルクト広場とワインマルクト通りがキンダーツェッヒェの主会場だ。門から歩いてすぐ右手に町のシンボル聖ゲオルク教会、斜め左手に「ドイチェ・ハウス」が見えてきた。

奥中央ヴェルニッツ門、左は聖ゲオルク教会

かつてツンフトと称された手工業組合によって繁栄したディンケルスブュ―ルを代表する「ドイチェ・ハウス」は、赤い屋根とドイツ的な木骨造りの家が立ち並ぶ旧市街のワインマルクト通りでひと際目立つ。15世紀中頃に建てられたこの家は現在、ホテル兼レストランとして人気を集めている。

実は計画なしの旅立ちにもかかわらず、同ホテルに部屋を確保できた。直前の予約はまず無理だろうと思ったが、オンラインで簡単に予約できた。通りに面した部屋からはパレードの様子を一望でき、ラッキーだった。

部屋からパレードを満喫。中央・勇壮な若者たちの踊り「剣の舞」。古典的な騎士道を反映したダンス

かつてディンケルスビュールでは、学年末になると、生徒と当時マギスターと呼ばれていた教師が周辺の村の宿屋に出向き、今日のこの祭りの起源となったラテン語の学校を開催していた。飲食代は、教会と学校が負担した「シュールツェッヒェ(学校のおもてなし)」。やがて、「キンダーツェッヒェ」は本格的な民俗祭へと発展し、大人も参加できるようになり、今日に至るそうだ。

祭りの開催にあたり、ディンケルスビュール全学校の1年生から8年生までの生徒と、その他老若男女1,100人程の市民が参加するそうだ。このイベントの準備期間は、約半年間も費やすという。

パレード開始前にはシュラネン祝祭場で史実に基づいた劇が上演される。城壁の外には「スウェーデン軍」が陣取り、市兵はヴェルニッツ門を守っている。町長たちのほとんどが町を手放すことに同意した決定的な議会や、懇願するローレの登場‥‥ 時間があれば、是非一見したい劇だ。

祝祭場にて上演「キンダーツェッヒェ」

子供が主役の祭典という起源にちなみ、参加する子供たち全員に、お菓子を山ほど詰めた袋、「ディンケルスビュールのキンダーツェッヒェ・グッケ(袋)」を配布する。パレード中には両親や親戚、あるいは友人が行列に参加している人達に歩み寄り、プレゼントを渡す微笑ましいシーンも見られた。

大人も子供もパレード中にプレゼントをもらう

1時間以上の歴史パレードが始まると、旧市街はまるで大都市の朝のラッシュアワーに巻き込まれたような混みようで、観客があふれかえっている。

パレードの先頭を歩くのは、10歳~18歳のディンケルスビュール少年楽団。中部フランケン地方の音楽学校本部ディンケルスビュールの音楽教師により訓練を受け、のちに音楽家を目指す若者たちだ。

パレード先頭を行く少年聖歌隊

兵器を持って登場するスウェーデン軍、地元の女の子が町の幸せを祈りながら踊るダンス、町の産業羊毛やディンケル農家の人達、16歳以上の若者たちのツンフトダンスグループなど、まるで400年前にタイムスリップしたかのようだ。

今年125周年を迎える祝典に沸く地元

 
「キンダーツェッヒェ」は今年125周年を迎え、5月から10月まで様々なイベントが行われる。定例の伝統祭りの開催期間は7月15日から7月24日まで。周年記念に等身大のローレと少年を市立公園に設置する予定だ。(5月14日完成)。またコロナ禍のため2年連続中止となった背景から、今年の主役は二人のローレが登場するそうだ。

ディンケルスビュール市民は、「この祭りは町が一体となり、ひとつの家族になったようなイベント」と誇っている。一度町を離れた若者たちも、7月になると故郷に戻りパレードに参加するのを楽しみにしている。

ホテル1階の部屋からパレードを眺める

ホテルの部屋からパレードを眺める

単なる祭りやパレードを超えたイベントそして出会いにより、17世紀の服装で町を闊歩することは、関係者にとって重要な役割を果たしている。

キンダーツェッヒェのストーリが描かれている壁

戦火で破壊することなく平和が訪れたディンケルスビュール。町の幸せが永遠に続くように、今年も祈りを込めて祭りが開催される。郷土愛あふれる伝統祭りを是非体感してほしい。


All Photos by Noriko Spitznagel

ディンケルビュール  
キンダーツェッヒェ

イベントは一部有料。
パレードは例年日曜日と月曜日に開催されるが、コロナ禍で一部変更の可能性あり。

シュピッツナーゲル典子
ドイツ在住。国際ジャーナリスト連盟会員