首都アテネ、リゾート地として名高い離島の数々。ギリシャほどインスタ映えするスポットにあふれている国はないかもしれない。写真におさめたくなるのは歴史の重みを感じる遺跡の数々や、吸い込まれそうな青い海と空の景色だが、実はごく身近な風景の中にも心を和ませてくれるスポットがある。町での移動に欠かせないアテネの地下鉄もそんな場所だ。

アテネには計3ラインの地下鉄が走っている。M1(緑 地下鉄は一部のみ)は電化されて110年以上が経つが、M2(赤)とM3(青 市内と空港を結ぶ)は開業22年と比較的新しい。このM2とM3の改札内外やプラットホームに、著名なギリシャ人芸術家たちによる作品が常設されている。両路線の建設時に発掘された遺跡が残されている駅もあり、3000年の歴史を持つこの都市らしさを象徴している。アテネの地下鉄は、これらのアートのおかげで、「世界で最も美しい地下鉄路線 トップ10」や「世界の地下鉄 トップ10」などに選ばれている。今回は10駅を紹介しながら、アテネでおすすめの現代アート美術館についてもふれてみよう。ギリシャの意外な一面が垣間見られるはずだ。

昨夏、Evangelismos駅に乗り入れる新しい路線「M4」の建設が始まった。(完成予定は8年後)

アテネの中心の駅~Syntagma

南北を走る赤のM2と東西を走る青のM3が交差する中心の駅は、Syntagma(シンタグマ)。観光客の多くは、空港からM3や直通バスを使い、まず、この駅に向かう。駅の外はショッピングや飲食が楽しめる繁華街だ。シンタグマ広場があり、国会議事堂が建ち、東京ドームの3.4倍もの面積のアテネ国立庭園(元々は王室の庭園)もある。

空港から青のM3でこの駅に着いたプラットホーム付近では、傘とはしごを吊るしたガラスのインスタレーション「Atrium」が出迎えてくれる。101歳で亡くなった彫刻家George Zongolopoulos(2004年没)が寄贈した。Zongolopoulosは現代美術の国際展ヴェネツィア・ビエンナーレに9回も出展し、とくに傘を使った作品はよく知られている。高さ20mもある大型の「Atrium」は、水辺で傘やはしごがゆるやかに動いているようで、とても美しい。

改札口には、新旧のアートが散りばめられている。まず目に入るのは、車輪を使った巨大な時計「The Metro Clock」だ(高さ5.5m)。現代風だが、振り子時計(古い時計)を思わせるように車輪から小さい時計も吊るされている。彫刻家Thodoros Papadimitriou(2018年没)が1年がかりで制作した。ギリシャの古代文化が過去のものとして終わるのではなく、古いものが未来へつながる連続性を表現しているという。

改札口を出ると、そこは、まるで小さい美術館だ。地下鉄の建設にあたり、シンタグマ駅付近は考古学的に重要な場所だと目されていたが、予想通り遺跡が発掘され、その一部(水道管やランプ、家のモザイク床など)が展示してある。壁一面を覆う、紀元前から年代を追ったアテネの地層も目を楽しませてくれる。

また、これらとはまったく趣向が違うアートも見られる。4つの大きいショーケースに飾られたJannis Psychopedis作「Peace Station」(2004~2016年)だ。計335枚の小さい絵は人物、風景、色、食べ物、オブジェといった様々なモチーフで、整然と並んでいる。説明が添えられていないため作品の意図ははっきりわからないが、Psychopedisは、ヨーロッパの歴史、とりわけ古代や神話に基づいた「ヨーロッパのアイデンティティ」というテーマに取り組んできたという。

路線M2(赤)の駅

  
では、シンタグマ駅から赤の路線で北上しよう。2つ先のOmonia(オモニア)の改札内には、2つの作品がある。Kessanlis Nikos(2004年没)の「Queue」は、行列を作っている人たちを幽霊のような姿で表現している。この場所はライトで照らされているものの、薄暗い。高さ2mで長さ21mにも及ぶ作品は、たくさんの人たちが行き交うこの場に、まさにぴったりという印象だ。もう1つは、Pavlos Dionisopoulos(2019年没)の「Football Players」だ。一見するとペイント。実際には、サッカー選手たちとボールは小さい紙片を貼り付けてある。すぐ横に作品の説明があり、画面に接着剤で人とボールの形を描いてから紙片を投げつけて作ったことがわかる。手前に紙片を敷いて地面までも生き生きと表し、全体的に躍動感にあふれている。

オモニア駅の隣のMetaxourgio(メタクスウルギオ)は、繁華街に近いオフセンター的な地区に作られた駅だ。この駅には、ギリシャ神話の雰囲気の作品が点在している。これらは、今年1月に他界した画家Alekos Fasianosが手掛けた。ギリシャ文化をテーマにし、人間とともに海や鳥などの自然をシンプルにはっきりした色調で描くのが彼の特徴だ。彼は子どもが描くような線画が好きで、作品に純真さを追い求めたそうだ。赤と青を基調とした2作品「My Neighborhood’s Myth」は、この地区で育った彼が、町に敬意を込めて描いたのだという。階段には太陽や虫のオブジェ、プラットホームには羽の生えた人物のオブジェもある。

さらに1つ先の駅Larissa station(ラリッサ ステーション)には、画家・彫刻家のYannis Gaïtis(1984年没)作だと一目でわかるアートがプラットホームにある。赤を背景に22人の男性たちが並んだ作品だ。そして本作の両脇には、腰かけている男性をかたどった椅子が並んでいる。Gaïtisは本作のように、帽子を被り、ストライプや格子柄のジャケットを着た男性たちを連続して描くことが多かった。男性たちのモチーフはとても人気で、布地にプリントされたり日用品などにも使われたそうだ。ただし、愛嬌のある雰囲気とは逆に、Gaïtisは、現代社会の人間の孤独感や人を使い捨てる社会から生まれる疎外感をテーマにしていたという。

今度は、シンタグマ駅から南下しよう。アテネを訪れたら必見のアクロポリス博物館(アクロポリスで発掘された出土品を展示)の最寄駅Akropoli(アクロポリ)では、古代美術を鑑賞できる。改札口の外にあるパルテノン神殿の彫刻の複製は迫力があり、改札を入った側には古代アテネ人が使っていた日常生活の道具がショーケースに並んでいる。また、2つのプラットホームにはそれぞれ、馬に乗った人たちの複製レリーフがある。

次の駅Sygrou-Fix(シグル-フィクス)には、キネティック・アート(動く美術作品もしくは動くように見える美術作品)のパイオニアの1人といわれるTakis(本名Panagiotis Vassilakis 2019年没)の作品がある。Takisは電磁気、光、音に関連したオブジェを作り、国際的にもよく知られている。この駅の作品は、駅の上を走る大通りLeoforos Andrea Sygrouの信号機や街灯にインスパイアされたという。穴が開いたカラフルな各図形のランプは時々光る仕組みになっている。この駅から2分歩くと、2000年に開館した国立現代美術館(EMST)がある。1970年代以降のギリシャと国外のモダンアートにふれたいなら、訪れてみるといいだろう。

赤の路線で最後に紹介するのは、シグル-フィクス駅から3つ先の駅Dafni(ダフニ)にある画家Dimitris Mytaras(2017年没)の作品だ。セラミック製の「Dexileos」は、紀元前に戦死したアテネの20歳の戦士デクシレオスの墓碑にインスピレーションを得たもの。オリジナルがアテネの美術館に所蔵されているその墓碑には、デクシレオスが馬上から裸の敵を倒そうとする瞬間が描かれている。Mytarasは、その瞬間を細分し、デクシレオスが敵に向かっていくところから敵を打ち止めて立ち去るまでを表現した。青い矢印で「この人こそ、デクシレオスだ」と強調している。Mytarasは工場や病院などにも壁画を描いたという。40年以上、舞台のセットや衣装のデザインも手掛けた。またイラストも描き、詩も書きと多才だった。

路線M3(青)の駅

  
シンタグマ駅から青の路線で空港の方へ向かってみよう。1つ目のEvangelismos(エヴァンゲリスモス)駅には、Chryssa Vardea(2013年没)のボリュームのある彫刻「Mott Street」がある。Vardeaはパリやサンフランシスコでアートを学んだあと、ニューヨークにスタジオを構えた。都市のネオンやサインに刺激を受けた彼女の代表作は、スチール、アルミニウム、アクリルグラスとネオンを組み合わせた彫刻だ。アルファベットや漢字を使うことも多かった。ミニマリストの芸術家として国際的に知られ、ミニマリズムという言葉が生まれる前から非常にシンプルなスタイルを追求していた。「Mott Street」は、ニューヨークのチャイナタウンからインスピレーションを得た作品だ。

この駅からは、いくつかの美術館にアクセスできる。19世紀以降のギリシャの作品を存分に味わいたいなら、改装を経て2021年春に再オープンしたナショナル・ギャラリーがおすすめだ(駅から徒歩2分)。エントランスホールでは、アテネの市場を等身大で描いた作品が訪問客を出迎えている。カフェには屋外席もあり、庭のアートを眺めながらくつろげる。なお、ナショナル・ギャラリーに行く途中にあるガラス製の「The Runner」(高さ12m Costas Varotsos作)は色々な角度から見てほしい。交通量の激しい交差点で、車と共に走っているように感じられて面白い。

© B&E GOULANDRIS FOUNDATION

もう1つ、おすすめの美術館がある。富豪のグーランドリス夫妻が集めたゴッホやセザンヌ、ピカソやモネといった有名な秀作の数々を堪能できる空間だ(Basil & Elise Goulandris Foundation 駅から徒歩15分)。ギリシャ人アーティストの作品もある。2019年秋にオープンして以来、人気を博している。

さて地下鉄に戻ろう。エヴァンゲリスモス駅から5つ目のEthniki Amyna(エスニキ・アミーナ)にも、印象的な彫刻がある。現在92歳の画家Kostas Tsoklisの「Underground Park」は、12本の木々がプラットホームの上にあり、周囲の鏡に反映して木々が茂る公園が本当にあるように感じられる。Tsoklisは絵具だけではなく、様々なもの(写真やビデオなども)を絵画に取り入れて、見る人に錯覚を起こさせる作品を作ってきた。そして、プラットホームには、3人の彫刻家による重量感ある「The Dead Fighter」「Stele」「Nouvelle Generation IX」の3体が並んでいる。

最後の駅は、シンタグマ駅から反対方向へ1つ進んだMonastriaki(モナスティラキ)。この駅は、緑のM1も乗り入れているが、青の路線の側で改札口の天井を見上げてほしい。そこには、黒地に美しい手が浮かび上がっている。「Time in my hands」というタイトルのデジタルプリントだ。ギリシャ第2の都市テッサロニキに建てられた中世のハマム(トルコ式の伝統公衆浴場)の壁に、ビデオを投影した画だ。作者は女性アーティストLeda Papaconstantinouだ。ギリシャで、アートにパフォーマンスを取り入れた先駆けとして知られている。この駅の見所はもう1つある。地下に降りると、ここで発掘されたローマ時代の水路跡が公開されている。

今回挙げた10駅のほかにも、ネオンやモザイク、石などを使ったアート作品があちこちの駅にディスプレイしてある。建設中に発見された別の遺跡も展示されている。アテネを旅行中に地下鉄駅アートに出合ったら、旅がもっと楽しくなるだろう。


Photos by Satomi Iwasawa
(一部提供)

岩澤里美
ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。
イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。
共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。
ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。
おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。
HP https://www.satomi-iwasawa.com/