「グートエーデル」と聞くと首をかしげる人も、「シャスラ」と聞けば、「ああ、白ワインの!」と気づくはずだ。「シャスラ」は近年、和食にふさわしいワインとして、料理人や食通の間で、密かに楽しまれている。

ブドウ品種の常で「シャスラ」にも複数の名前が存在する。 スイス、ヴォー州産は「シャスラ」と呼ばれ、ヴァレー州産は「ファンダン」という。ドイツ産の場合は「グートエーデル」だ。グートはドイツ語で「良い」を、エーデルは「高貴さ」を意味する。

グートエーデルが最も多く栽培されている国はスイスで、栽培面積は約4000ヘクタールに及ぶ。ドイツではバーデン地方の最南部、フランスとスイスの国境に近いマルクグレーフラーラント地域に約1100ヘクタールの畑がある。

グートエーデルはどこから?

グートエーデルは、栽培ブドウとしては最古の品種の一つと言われ、そのルーツに関しては、複数の説がある。その一つが、上エジプト地域、ナイル川流域のファイユーム・オアシスで5000年前に栽培されていたという説。もう一つは、ヨルダン川流域産ではないかという説。このほかフェニキアの船乗りが、紀元前1200年頃にギリシアやローマに運んだという説もある。

しかし、グートエーデルに限らず、このような伝統品種の起源説は伝説であって、本当のところはわかっていない。確実だと言われているのが、1523年にフランス王に仕えていた外交官が、コンスタンティノープルからグートエーデルを取り寄せ、フォンテーヌブローやブルゴーニュで栽培が始まったという説。ブルゴーニュのマコネ地域にシャスラという名前の村があるが、グートエーデルのフランス名は、この村名に由来するのかもしれない。

一方のスイスでは、シャスラは野生のぶどう品種の自然交配で誕生したレマン湖地域の固有品種であり、1654年の古文書に登場すると言われている。フランス側はこれに対し、シャスラは18世紀にフォンテーヌブローからスイス、ヴァレー州のシオンにもたらされたのだと主張している。

ドイツでは、17世紀初頭からフランケン地方、ザクセン地方、ヴュルテンベルク地方やバーデン地方で、グートエーデルが栽培され始めたと言われる。1780年にバーデン辺境伯カール・フリードリヒがスイス、ヴォー州レマン湖畔のヴェヴェイからシャスラを取り寄せ、栽培を奨励したそうだ。今日バーデン地方のマルクグレーフラーラント地区で、主にグートエーデルが栽培されているのはその名残りで、そのブドウはレマン湖畔のシャスラの遺伝子を持っているのかもしれない。

ハンスペーターさん©Weingut Ziereisen

グートエーデルのポテンシャルを引き出す男

グートエーデルからは、主に軽快なワインが作られる。しかし、偉大だと賞賛されるリースリングやシャルドネのように、テロワールを反映したワイン、10年後、20年後にも楽しめる長熟のワインも生まれる。そのことを初めて知ったのは、今から10年ほど前、スイス、ヴォー州のワイナリーでだった。同じころ、ドイツにもグートエーデルの優れた造り手がいることを知った。それがハンスペーター・ ツィアアイゼンさんだった。

毎年デュッセルドルフで開催される、世界最大規模の国際ワイン見本市、プロヴァイン(ProWein)に出向くたび、彼のワインを試飲するのが楽しみになっていたが、コロナ災禍で見本市は2度も中止となった。そこで、昨年の夏、醸造所を訪れてみることにした。

醸造所は、マルクグレーフラーラント地域のエフリンゲン=キルヒェンにある。ハンブルクからだと片道7時間ほどの旅だ。まず特急でフライブルクまで行き、ローカル線に乗り換える。駅前の一本道を進み、教会を過ぎると、左手に醸造所が見え、中庭から明るい声が飛び交うのが聞こえてきた。

ハンスペーターさん©Weingut Ziereisen

ハンスペーターさんの経歴はユニークだ。実家は農業と畜産業を営み、ブドウを協同組合に提供していたが、彼には木工職人になりたいという夢があり、それを叶え、自ら工房を運営していた。家具や扉などの製作が中心で、醸造所の内装の多くが彼自身の作品だという。その後、ニューワールドのワインに出会ってのめり込み、ワインの醸造家に転身した。専門学校に通い、ワイナリーで研修もしたが、ワイン造りはほぼ独学だという。醸造家としてスタートを切ったのは1991年。実家を継ぎ、畜産業を止め、ブドウ畑を少しずつ増やしていった。

ハンスペーターさんはバーデン地方で伝統的に栽培されてきたブルゴーニュ品種に力を入れるほか、地元特有の伝統品種グートエーデルに大きな愛情を注ぎ、そのポテンシャルを引き出そうと努めてきた。今では、シュペートブルグンダー(ピノ・ノワール)、グラウブルグンダー(ピノ・グリ)そしてグートーデルの優れた造り手として広く知られ、いずれにおいても存在感のある魅力的なワインを生み出している。ブドウは全て手摘み、いずれも自然由来の酵母で発酵させ、長期間にわたる樽熟成が基本となっている。

中庭でベルギーからの顧客の隣に座り、試飲をさせていただいた。この日試飲したグートエーデルは4種類。最初に味わったのは、ベーシックなグートエーデル「ホイグンバー(バッタの意)」(Heugumber Gutedel 2019)。樹齢15~20年の比較的若い木のブドウから造られ、大樽で19ヶ月熟成、白い可憐な花と柑橘系の風味を持つ軽やかなワインだが、そこには奥行きが感じられる。続いて味わったのが「ヴィヴィザー」(Viviser unfiltriert Gutedel 2018)、これはグートエーデルの昔ながらの名称で、樹齢30~50年の古木のブドウが使われ、大樽で20ヶ月以上熟成、ろ過を行っていないせいか密度がある。同じく樽熟成20ヶ月余りの「シュタインクリュグレ」(Steinkrügle unfiltriert Gutedel 2018)は、単一畑のブドウから造られている。石灰岩が多い土壌らしく、味わいには鉱物感と引き締まった骨格が感じられた。

ヤスピス10の4乗

最後に「ヤスピス」のグートエーデル(Jaspis Gutedel 104 unfiltriert をいただいた。ヤスピスとはこの地域の畑で時おり見つかる碧玉(ジャスパー)のことで、優良年だけに造られる特別なワインをそう名付けているという。このグートエーデル「104」は、ネーミングが示すように密植畑のブドウから造られる。ドイツでは一般に、1ヘクタールあたり5、6000本程度のブドウを植樹するが、彼の畑では10の4乗、つまり1万本以上が栽培されている。密植にするとブドウの根がより深く伸び、房が比較的コンパクトになり、ワインに凝縮感が出る。ハンスペーターさんは、古木と古木の間にスイス、ヴォー州のデザレーと呼ばれる特級畑由来の苗を植えたそうで、1ヘクタール当たり2万本を植樹し終えている区画もあるという。土壌の可能性を最大限に取り込んだブドウは、通常よりも長くスキンコンタクトを行い、その個性をワインに十分反映させ、小樽で20ヶ月以上熟成させている。彼の経験上から、20年は確実に熟成を楽しめるという。

いずれのワインも、畑の位置、標高、区画、樹齢、土壌の性質など、あらゆる条件を考慮して、彼自身が考えた格付けに基づいて造られている。グートエーデルはもともと、普段の食卓に欠かせない軽快なワインだったが、ハンスペーターさんは、この品種に真摯に向き合うことで、多彩で深遠な表情を引き出すことに成功している。

エールベルク

ラントヴァインという自由

ドイツワインをご存知の人は、ツィアアイゼン醸造所のワインのエティケットを見て、品質保証番号(AP番号)が見当たらないこと、ラントヴァイン(Landwein)の表示があることにすぐ気づくはずだ。ラントヴァインはフランスのヴァン・ド・ペイに相当する。ドイツワインは、そのほとんどが官能検査に合格し、品質保証番号を得た「原産地呼称ワイン」で、ラントヴァインに出会うことはあまりない。しかし、ハンスペーターさんのワインは全てラントヴァインだ。

試行錯誤を重ね、ようやく形になった独自のスタイルのグートエーデルが、2004年に官能検査に合格せず、品質保証番号を取得できなかった。ワインの品質は申し分ないが、「典型的なバーデン地方のグートエーデルではない」というのが失格理由だ。 バーデン地方では、グートエーデルは軽快でピュアな味わいを良しとする。そのため、自然発酵の風味があるもの、ろ過をしない酵母の濁りがあるものなど、ナチュラルな醸造法によるもの、樽香の強調されたものは、この検査で排除されてしまう。

ハンスペーターさんはこの時、 「原産地呼称ワイン」という肩書きを、これまで検査に合格していた赤ワインにおいても放棄し、すべてのワインをラントヴァインとしてリリースする道を選んだ。そう決めてしまうと、検査から解放され、表現の自由を手にすることができた。ハンスペーターさんは、このようないきさつを笑顔でさらりと語ってくれたが、当時の彼には、相当の覚悟が必要だったはずだ。

ところが、そうして手に入れた「表現の自由」が、さらなる試練にさらされている。近い将来、ラントヴァインにおいても官能検査が導入されるようになり、ろ過を行わなければならなくなるという。官能検査に合格しない場合、あるいは検査を拒否する場合は、ワインを最下位のドイチャー・ヴァイン(ドイツワイン)としてリリースしなければならなくなり、品種名の表示もできなくなる。つまりグートエーデルをグートエーデルだと表示できなくなるのである。現在、ハンスペーターさんは、個々のワインの名称の商標権を取得し、品種名の表示がなくても、それが何のワインであるかがわかるようにと、準備を始めている。

「グートエーデルを偉大なワインに育てる」という強い信念を抱きながら、ハンスペーターさんは、いかなる難関も乗り越えていくことだろう。

エールベルク©Weingut Ziereisen

彼方にブルゴーニュを臨む場所で

試飲を終え、畑とセラーを案内していただいた。畑のほとんどが、エフリンゲンのエールベルク(Ölberg)にある。エールベルクとはオリーブ山のこと。エルサレムの東部地域にある丘陵で、聖書に登場する。

エフリンゲンのエールベルクは南向き斜面で、標高は500メートルに達する。陽当たりに恵まれた畑だが、斜面が緩やかな膨らみを持つため、熱がたまりにくく、夜にはシュヴァルツヴァルト(黒い森)からの冷たい風が、畑を撫でるように通り、気温を下げてくれる。ブドウはそのため、ゆっくりと成熟し、繊細な風味を獲得する、土壌はジュラ石灰岩が支配的で、区画により堆積土が多かったり、含有する鉄分の量が多かったりする。ヴォージュ山脈とジュラ山脈、2つの山脈の間にある清々しい高台の南西方向にはブルゴーニュ地方が横たわる。

エールベルクからの眺望

ハンスペーターさんのセラーはエールベルクを眺望する平地の一角にあった。建物は見当たらず、周囲の田園風景に溶け込んだ、草の生えた盛り土の下が地下基地のようなセラーになっている。内部に空調はなく、自然のままで冬は7度、夏は15度を維持している。全長70メ−トルのトンネルのようなセラーで、ワインは2年にわたり静かに樽熟成される。2つのヴィンテージの樽が並ぶ様は圧巻。しばらくすると、木琴を思わせるサウンドが鳴り始めた。天井を見上げるとカットされたワイン樽の木片が、自動演奏で美しい曲を奏でている。エフリンゲン=キルヒェン出身で、長年シアトルに在住しているサウンド・アーティスト、ゲアハルト・トリンピンの作品だという。郷土の芸術家の作品は、セラーに心地良い響きと輝きを与えている。

決まりごとから解き放たれたハンスペーターさんのワインは、独自の世界観に溢れていた。その自由さには、マルクグレーフラーラントという特殊な地域性も関係しているかもしれない。ドイツ、フランス、スイスの3つの国の国境地域であるこの場所にいると、隣国はすぐ目の前にあり、そこには異なる世界が開かれ、ドイツという枠組みが何か狭いものに感じられてくる。彼のオープンマインドなワインは現在、世界中に愛好者を増やしている。


Weingut Ziereisen

岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com