コロナ・パンデミック以降、ドイツでは国内旅行が盛況だ。南ドイツに住む人々は、北のバルト海や北海沿岸地域を、北ドイツの人々は、南の山岳地帯を目指す。それぞれ、身近にない風景を求めて旅をするからだろう。北部に住む私は、この夏ドイツの南端に向かった。まだ行ったことのないワイン産地を訪れようと思い、ボーデン湖岸に滞在した。

ボーデン湖は中欧ではハンガリーのバラトン湖、スイスとフランスの国境にあるレマン湖に次いで3番目に大きい。ライン川が流れ込み、流れ出ていく広大な湖は、地域の飲料水の供給源であり、自然の気温調節装置として、極端な暑さや寒さを緩和する。湖岸の日当たりの良い南側斜面は、注目すべきワイン産地だ。

スイスとの国境の街、コンスタンツに宿をとった。古代ローマ帝国の拠点が築かれた街で、のちにカトリック教会の司教座が置かれ、ドイツ有数の司教区となった。ボーデン湖に面しているため、港と市場が栄え、小ローマとでも言うべき司教都市として発展した。

歴史的には、15世紀初頭に行われた、コンスタンツ公会議で知られている。この国際会議では、3人の対立する教皇を廃して、1人の正当なローマ教皇を立て、教会の分裂に終止符を打った。会場は港に面する倉庫だった。この倉庫は現在、レストランおよびイベント会場となっている。

しかしこの街で最も目を引くのは、桟橋に立つインペリアの彫像だ。 カトリック聖職者のモラルを皮肉ったバルザックの小説「美しきインペリア」に登場する娼婦の名前だという。インペリアは右手に神聖ローマ帝国皇帝ジギスムント、左手にローマ教皇マルティヌス5世を載せてゆっくりと回転している。皇帝も教皇も裸だ。コンスタンツ公会議にはあちこちから娼婦たちもやってきたのだった。

1990年代にインペリア像が設置された時は大論争になったそうだが、民間所有地に設置されたため、撤去されることはなかった。インペリアは、コンスタンツの街を守る女神のごとく、堂々とした姿で立っている。

コンスタンツの街並みは、ところどころに残るファサードの壁画が美しく、歩くのが楽しい。旧市街はコンパクトで大聖堂や市庁舎、ヤン・フスゆかりの場所などの名所は1日で十分に回れる。街の空気を存分に味わったら、ワインの旅を始めよう。

世界遺産、ライヒェナウ島

まず向かったのはコンスタンツの北西にあるライヒェナウ島だ。本土から島につながる道が作られ、コンスタンツから近郊列車とバスを乗り継ぎ、半時間ほどで到着する。ボーデン湖に浮かぶ島は、「僧院の島」として知られ、島ごと世界遺産に認定されている。島での宿泊も可能だ。

ライフェナウ島からの眺め

気候に恵まれたドイツ最南の島には、中世の教会や修道院が点在する。中ほどには724年設立されたベネディクト会のライヒェナウ修道院と聖マリア・聖マルコ大聖堂、東端に聖ゲオルグ教会、西端に聖ペトロ・聖パウロ教会があり、この島が中世文化の中心地の一つであったことを思い起こさせる。

ライヒェナウ修道院では、830年頃に薬草の栽培が始まっていたと伝えられている。現在、島は高品質の野菜の栽培で名高い。ライヒェナウ島産のトマト、キュウリ、マーシュ(ノヂシャ)などは、EU(欧州連合)の地理的表示保護品目(PGI)に登録されている。島では漁業も営まれ、ワインも造られている。

ライヒェナウ島に、初めてブドウが植えられたのは、818年だと伝えられている。当初ワイン造りに力を入れたのはベネディクト会の修道士たちだった。18世紀半ばに修道院が閉鎖されてからは、島の農民たちがワイン造りを継承した。19世紀末になると、島の牧師のイニシアチブで協同組合が設立され、現在に至る。白品種ミュラー・トウルガウ、赤品種シュペートブルグンダー種(ピノノワール)から造られるワインが島の名産だ。

ボーデン湖ワインの胎動を感じる
クレス醸造所

翌日は、コンスタンツからラドルフツェル経由で、ボーデン湖北岸の町、ユーバーリンゲンに向かった。列車で40分ほどの距離だ。湖岸沿いでは、パンデミックで延期になっていた「庭園博」が開催されており、大勢の訪問客で賑わっていた。北岸一帯は明るい陽光に溢れ、まるで地中海にやって来たかのようだ。

ユーバーリンゲンは、オーバーシュヴァーベン・バロック街道の西側ルートの一拠点である。現在は人口2万3千人ほどの小さな町だが、13世紀から16世紀にかけてワイン産業で潤った。その頃に建てられた聖ニコラウス大聖堂は、後期ゴシック様式の立派な教会で、町のシンボルとなっている。

クレス醸造所

ユーバーリンゲンの街では、魅力あふれるワインを生産している、クレスさん一家を訪れた。オーナーのトーマス・クレスさんは、ユーバーリンゲンに近いハーグナウの出身。ハーグナウの協同組合醸造所に所属していたが、1999年に父親の反対を押し切って組合を離れ、独立した。当初はハーグナウの約7ヘクタールの畑でワインを生産していたが、2013年にユーバーリンゲンの聖霊施療院(シュピタール)の畑と1970年代に建てられた醸造所を継ぐことになった。現在では、ニュージーランド、南アフリカなどでワイン造りの経験を積んだ長男のヨハネスさん、香港での研修体験を持つ長女のヴィオラさんも両親の醸造所に勤務する。

ヴィオラ・クレスさん。手にしたボトルはケルナー種。この白品種もミュラー同様、減少傾向にあるが、祖母の畑なので大切に育てているという。

一家のブドウ畑は、ユーバーリンゲンとハーグナウの標高400~500メートルの高台にある。ボーデン湖地域のブドウ畑はドイツで最も標高が高い。温暖化が進む中、高地でしかも水辺にある畑は、ワイン造りに理想的な環境だ。

ボーデン湖を臨むブドウ畑の地形は、いくつもの氷河期を経て形作られた。氷河の末端部に形成されたエンドモレーン(端堆石)と呼ばれる土壌、太陽光の反射鏡となる約500平方メートルにおよぶ湖面、そして気温を調節する約500億立方メートルの湖水。ボーデン湖ワインは、このようなスケールの大きな自然環境から生まれる。

ヨハネスさんによると、ハーグナウの畑は粘土が混ざった重い土壌で、水分を十分に蓄えるので、出来上がるワインにはボリューム感が出るという。ユーバーリンゲンのフェルゼンガルテンと呼ばれる畑は、ハーグナウとは異なり、砂の多い軽い土壌で岩石も多く、ワインにはミネラル感が出るそうだ。中でもゴールドロッホと呼ばれる区画は傾斜の強い砂岩土壌で、エキス分が多く、味わい深いワインとなる。

ヨハネス・クレスさん。フェルゼンガルテンのグラウブルグンダーの畑にて。クレス醸造所のグラウブルグンダーは軽快だ。

ヨハネスさんの案内で、ユーバーリンゲンの畑を歩いた。 湖に面する畑は清々しく、ブドウ畑がそれほど密集していないため、風景に変化がある。 畑の一角には、グレッチャーミューレと呼ばれる氷河の甌穴(氷河臼)があり、この畑が氷河時代の地層につながっていることを意識させてくれる。

クレス醸造所のワインは清冽で透明感があり、飲み心地が良い。シャルドネ、ヴァイスブルグンダー、シュペートブルグンダーなど、ブルゴーニュ系の品種に力を入れているが、スイス人の育種家、ヘルマン・ミュラーが約150年前に交配した白品種、ミュラー・トゥルガウからも、高品質で味わい深いワインを生産している。 ミュラーは比較的容易に栽培でき、確実な収穫、バランスの良い味わいを約束してくれる品種として、ドイツでは一時、リースリングを凌ぐ人気だったが、現在ではブルゴーニュ系品種が多く栽培されるようになり、減少傾向にある。しかし、ボーデン湖地域では今でも、ミュラーの良さを十分に生かした、高品質のワインに出会うことができる。ヴィオラさんによると、ここ数年、イタリアの南チロル地方で、新たにミュラーを栽培するところが増えているそうだ。ハーグナウの畑で育つ、クレス家のミュラーは樹齢30年。失われつつある品種が、ドイツの南端で大切にされていることを嬉しく思った。

クレス家が生み出すワインの豊かさは、赤ワインにおいても見られる。ボーデン湖地域ならではの赤品種、シュペートブルグンダー(ピノ・ノワール)から、ロゼ、ステンレスタンク醸造、オーク樽醸造、さらにはイタリア、ヴェネト州のアマローネスタイルまで、ブドウの持つポテンシャルを十分に引き出して成果を上げている。 シュペートブルグンダーの他には、ボルドー品種であるメルロとカベルネ・フランの栽培を始め、2018年からは、この2品種のブレンドワインをリリースしている。

クレス醸造所
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ボーデン湖ワインに情熱を注ぐ
マルクグラーフ・フォン・バーデン醸造所

午後は、ユーバーリンゲンから隣接するザーレムに向かった。人口1万2千人ほどの小さな自治体だ。12世紀にシトー会のザーレム修道院が設立され、やがてローマ教皇庁の直属機関となり、14世紀には中期ゴシック様式の大聖堂が建設され、南ドイツのシトー会修道会の本拠地として発展した。教会財産の世俗化以降は、バーデン辺境伯(マルクグラーフ・フォン・バーデン)の所有となった。900年にわたって存続する侯爵家で、ザーレムを拠点とする。

ザーレム大聖堂、17世紀に建て直されたバロック様式の修道院などの建築群は、「ザーレム城」または「ザーレム修道院」と呼ばれ、現在はバーデン・ヴュルテンベルク州の管轄となっている。修道院に繋がる高位聖職者の仕事場と住居を兼ねたバロック様式の建物は、「城」と呼ぶ方がふさわしい優雅さだ。一方の大聖堂はシトー会の規律のように厳格で、アラバスター(雪花石膏)の彫刻群が、抑制された華やかさを演出している。日中は入場料を払って敷地内に入るが、見学時間が終わり、観光客の姿が消えると、広々とした庭は自由に出入りできるようになり、地元の人たちが散歩にやってくる。

ザーレム城内にあるマルクグラーフ・フォン・バーデン醸造所を運営しているのは、バーデン侯爵家だ。同家は、この地でシトー会の修道士たちのワイン造りの伝統を継承するほか、フランス国境に近いシュタウフェンベルク城にも醸造所を持ち、それぞれの地域の特性を生かしたワイン造りを行っている。

バーデン侯爵家はドイツワインの発展史において、たびたび革新をもたらしたことで知られる。15世紀末には、クリストフ・フォン・バーデンがドイツで最初のワイン法を定めた。18世紀後半には、カール・フリードリヒ・フォン・バーデンが当時最新のワイン造りの技術を導入したほか、シャスラ(グートエーデル)種をバーデン地方にもたらした。 彼はシュタウフェンベルク城の畑で、高品質のワインを約束するリースリング種の単一栽培を始めた人物でもある。現在の当主ベルンハルト・プリンツ・フォン・バーデン氏の曽祖父、プリンツ・マックス・フォン・バーデンは、ボーデン湖地域で初めて、本格的にミュラー・トゥルガウ種の栽培を始めた人物だ。マルクグラーフ・フォン・バーデン醸造所のワインは近年評価が高まり、ドイツで最高品質のワインを生産する生産者団体、VDPの会員に迎えられた。

醸造所マネジャー、フォルカー・ファウストさん(右)とケラーマイスターのマーティン・ケルブレさん。ケルブレさんの後を継ぐ、フランス人のケラーマイスターが、すでに着任しているという。

ザーレム城の醸造所で、マネジャーのフォルカー・ファウストさんと1年ぶりに再会した。昨年は、シュタウフェンベルク城の醸造所でお目にかかり、オルテナウと呼ばれる地域のリースリング「クリンゲルベルガー」などを味わったが、今回は、まだあまり知られていないボーデン湖地域のワインの数々を試飲させていただいた。

テイスティングルーム脇には、18世紀に使われていた「トルケル」と呼ばれる木製の巨大なブドウ圧搾機が置かれている。

ボーデン湖地域ならではの白品種ミュラー・トゥルガウ、長年ドイツで大きな成果を上げているブルゴーニュ系白品種であるヴァイスブルグンダー、グラウブルグンダー。どのワインにも、雄大なボーデン湖、降り注ぐ陽光、水辺ゆえの空気の清々しさが、それぞれのワインのキャラクターに反映しているように感じる。ワインを味わう時に、ボーデン湖の風景がくっきりと浮かぶ。

マルクグラーフ・フォン・バーデン醸造所のミュラーも味わい豊かなワインだ。ファウストさんは「ミュラーは戦後のドイツワイン産業を救済した品種。私たちはミュラーの良さを広く伝える役割を担いたい。」と語る。

同醸造所のシュペートブルグンダーも味わい深い。ドイツでは夏場はロゼが人気だという。ザーレム近郊のベルマティンゲンのシュペートブルグンダーは大樽で熟成、特有のスパイシーさを持つ。「レオポルツベルクB」は、レオポルツベルクと呼ばれる畑の一区画にある石灰岩含有量の多い特級畑、ブーブベルクのシュペートブルグンダーを使ったもの。1,7ヘクタールの区画から得られる貴重な赤は、オークの小樽で熟成させるブルゴーニュスタイルのワインだ。

ファウストさんによると、ボーデン湖地域は標高が高く、冷涼で、これまでワイン造りが困難だったという。しかし温暖化の進む近年、標高の高い畑は栽培において有利になっている。ボーデン湖ワインは、徐々に注目を浴び始めている。

マルクグラーフ・フォン・バーデン醸造所

ボーデン湖


All Photos by Junko Iwamoto

岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com