サンパウロの日本語新聞「ニッケイ新聞」の記事によると、ブラジル在住の日系人の人口はおよそ190万人なのだそうだ。サンパウロ州には、そのうちの110万人余りが暮らしており、サンパウロ市には世界最大の日本人街がある。最寄り駅は地下鉄1号線(ブルーライン)のジャパン・リベルダージ駅。かつてはリベルダージ駅と言ったが、2018年にジャパン・リベルダージ駅に名称変更された。

一帯には、日本食のレストラン、ラーメン屋、日本の食材や日用品を扱うスーパーマーケットなどが立ち並ぶ。「ブラジル日本移民資料館」というミュージアムがあるほか、ブラジル日本文化福祉協会をはじめ、各県の県人会などの日系組織の事務所も集中している。中国や韓国など他のアジアの国々の店舗も、この地区で共存しているので、アジア街と呼ばれることもある。

戦前はコンデ街、戦後はリベルダージ地区へ

1888年の奴隷制度の廃止により、労働力が不足したブラジルは、積極的に移民を受け入れてきた。景気悪化に襲われた日本からも、1908年を皮切りに移民がやってきた。彼らのほとんどが、当初コーヒー農園で働き、やがてサンパウロ州の奥地などで、野菜の栽培を中心とする農業に取り組みはじめた。しかし中には、サンパウロ市内を拠点とした人たちもいた。

1912年頃から、サンパウロの中心街であるセー地区のコンデ・デ・サルゼーダス通り(通称コンデ街)とその界隈に日本人が住むようになり、日本人学校が開校した。農業に従事する日本人がどんどん増えるとともに、市内でも、彼らを顧客とする商業やサービス業を始める者が出てきた。そうして、雑貨商、食堂や居酒屋、宿屋、薬局、洗濯屋、理髪店、写真屋、農産物の仲買業者などが営業を始めるようになった。

第二次世界大戦中、日本とブラジルの国交が断絶した。1951年に国交が回復すると、再び日本人移民の受け入れが始まり、サンパウロを中心とする日系社会は繁栄した。日本人街はこの時期、コンデ街の至近距離にあるリベルダージ地区へと、その中心が移っていった。リベルダージ地区の最盛期は、1950年代から70年代にかけてだったという。テレビが普及する前は、日本映画専門の映画館が4館もあったそうだ。

日本人街は、ジャパン・リベルダージ駅を出てすぐのリベルダージ広場から始まり、続くガルヴァオン・ブエノ通りがメインストリートとなっている。赤い大鳥居がひときわ目を引き、一帯には日本風の街灯が並ぶ。ガルヴァオン・ブエノ通りを歩くだけで、充分に日本情緒を感じることができる。並行するグロリア通りにも日系の店舗が多く、2つの通りの脇道にも、日本食のレストランや居酒屋が点在する。

ガルヴァオン・ブエノ通りとサン・ジョアキン通りが交差するところには、ブラジル日本移民資料館がある。ブラジルへ渡った日本移民の歴史を詳しく知ることができる最良のミュージアムだ。

母の味を味わいに「金太郎」へ

サンパウロ市内は、リベルダージ地区まで出向かなくても、日本食レストランに欠くことはない。それでもやはり足が向いてしまうのは、リベルダージ地区に、日本の移民が築いてきた、いくつものストーリーが集積されていて、街区が持つ歴史の重みが心を揺さぶるからかもしれない。

10年ほど前に偶然に見つけ、以来リピートしている店がある。トマス・ゴンザガ通りの「金太郎」という小さな居酒屋だ。カウンター席の店で、ガラスケースの中には美味しそうなお惣菜が並ぶ。店主は日系3世の樋口義広ヴァギネルさんだ。

1993年に「金太郎」を開業したのは、移民2世のヴァギネルさんのお母さんだった。一昔前の日本の居酒屋にタイムスリップしたかのような気持ちにさせてくれる店で、ボテッコと呼ばれるブラジルスタイルのバーのような開放的な雰囲気もあり、ブラジル人にも人気だ。

訪れた日には、きゅうりと若布の酢の物、ニラ玉、なすの味噌煮、イワシの酢漬け、カタクチイワシのフライ、アジのマリネ、れんこんのピリ辛炒め、焼豚など10種類以上がカウンアーのケースに並んでいた。どれも丁寧に作られた日本の家庭料理だ。注文すると「とんすい」という器に、たっぷり盛りつけて出してくれる。一つでお腹がいっぱいになりそうだというと、器に二種類を盛り付けてくれた。ヴァギネルさんのお惣菜には、何年も前に味わったお母さんの味がしっかりと受け継がれていた。お母さんの味は、移民1世のお祖母さんから受け継がれた味でもある。

リベルダージ地区を外れるが、ヴァギネルさんのお兄さんの高大(たかひろ)ウィリアムさんも居酒屋を経営している。パウリスタ大通りに近い、バタテス通りにある「どんちゃん」という店だ。「どんちゃん」は、今は亡きお父さんの愛称だったという。場所柄 「金太郎」とは異なるモダンな店だ。この店のお惣菜も、お母さんの味を基本に、ウィリアムさんのアイディアが加えられている。

ヴァギネルさんとウィリアムさんは、ともにアマチュア相撲の力士として活躍していた。 現在は2人とも、ブラジル相撲連盟の幹部として活動しながら、それぞれの居酒屋の経営に専念している。ヴァギネルさんは、朝の8時頃から仕込みを始め、お惣菜が一通り出来上がる夕方にお店を開ける。ウィリアムさんの店は夜のオープンだ。 いずれの店も、営業が再開しており、インスタグラムで近況を知ることができる。


All Photos by Junko Iwamoto

Instagram: 金太郎
Instagram: Izakaya Donchan

岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com