昨年10月、南ドイツのスイス国境近くでしばらく仕事をした後、縁あってピエモンテ地方最北の地、アルト・ピエモンテ地域で2日間を過ごすことができた。ヨーロッパでは昨年、1度目と2度目のロックダウンの合間の6月から10月にかけて、旅行制限が緩和されていたのである。アルト・ピエモンテ地域はスイス国境に接しているため、南ドイツからだと、列車移動の方が快適だ。

北イタリアはコロナ災禍の初期に多くの犠牲者を出した。そのため、国境地域においても、衛生管理はドイツやスイスとは比較にならないほど徹底していた。どの列車も、入口専用と出口専用のドアがきっちりと分けられ、車両内は一方通行、デッキには消毒液が備え付けられていた。店舗やレストランにおいても、思いつく限りの配慮がなされ、安心して旅をすることができた。

シンプロン峠の南

ピエモンテ地方といえば、世界遺産「ランゲ=ロエーロ、モンフェッラートのブドウ畑の景観」に認定された、ランゲ地方のバローロやバルバレスコなど、著名な畑のワインが思い浮かぶ。ネッビオーロ種から造られる、エレガントで奥行きの深い赤ワインは、ブルゴーニュのピノ・ノワールと双璧をなすとも言われる。

イタリア料理が好きで、日々イタリアワインに馴染んでいる人なら、バルベラやドルチェットなど親しみやすい赤を思い浮かべるかもしれない。しかし、アルト・ピエモンテ地域のワインは、まだあまり知られていない。

スイスのブリークからシンプロン峠を越えてイタリアに入るとまもなく、今回の旅の拠点であるドモドッソラの町に到着する。列車は、100年前に建設された、全長20キロメートルのシンプロン鉄道トンネルを通っていく。トンネルを抜けると、ここから南国が始まるのだという幸福感が押し寄せてくる。

ドモドッソラの街並み

ヴァリ・オッソラーネのワイン文化の発信地
カンティーネ・ガローネ

訪問先のワイナリー、 カンティーネ・ガローネ(Cantine Garrone)は、ドモドッソラ駅からタクシーで15分ほどのクレヴォラドッソラにあり、隣接するオイラに旧醸造所のセラーがある。一帯はヴァリ・オッソラーネと呼ばれるワイン産地で、2009年に原産地指定保護地域(DOC)に認定された。

カ・ドゥッマのエントランス

ワイナリーでは、ネッビオーロ種のローカルクローンである稀少品種、プルネント(Prünent)からワインが作られている。プルネントには、綴りにドイツ語の「Ü」が紛れ込んでいるせいか、ドイツ語圏に住む者に親しみを感じさせる。しかし、この名前のルーツは、ラテン語で「露」を意味する「pruina」、または「プラム」を意味する「prunum」ではないかということだ。

カンティーネ・ガローネを運営するロベルト・ガローネさん、マリオ・ガローネさん兄弟は、1990年代に故郷のワイン造りの伝統の復興に着手し始めた。彼らは、ヴァリ・オッソラーネの小規模農家60軒で構成される「オッソラ農産物生産者協会」からブドウを買い取ってワインを醸造している。標高250~600メートルの高地に分散している畑の多くは「ラ・トッピア」と呼ばれる昔ながらの棚式栽培だ。プルネント種の他には、クロアチーナ、バルベラ、メルロ、シャルドネ、ケルナーなどが栽培されている。醸造を担当するのはロベルトさん、マリオさんはマーケティングやテイスティングを一手に引き受けている。高品質のブドウを収穫するため、個々の農家と綿密なコミュニケーションを取り合うことも大切な仕事だ。

カ・ドゥッマのセラーにてマリオさん

オイラにある「カ・ドゥッマ(Cà d’Maté)」と呼ばれる旧醸造所は、スイスへ通じる街道沿いにある。花崗岩で造られた重厚な建物は、ガローネ兄弟の実家で、地下がワインセラーとして使われている。

上階は居心地の良いB&Bで、ここに宿泊した。2階はかつて一家の団欒の場だった広々としたダイニングルーム。3階にダブルルームが3つある。隣接する建物では、カンティーネ・ガローネを始めとする、地元のワインが揃ったレストラン「セラ・ウナ・ヴォルタ」が開業しており、郷土料理とワインの組み合わせを楽しむことができる。

初日は夕刻に到着したので、このレストランでゆったりと食事をした。前菜は子牛肉のカルパッチョと焼き野菜。シンプルなコンソメスープは、カリカリにトーストしたパンとチーズをたっぷり入れて味わうのが地元風。メインの牛肉のグリルは、レモンを搾って爽やかにいただいた。

B&Bの美味しい朝食を用意してくださったスタッフのロージーさん

オイラ散策

翌日は、ゆったりと朝食をとった後で、マリオさんと待ち合わせ、村を案内してもらった。人口150人ほどの小さな集落は、1時間足らずで一回りできる。昔の共同洗濯場を通り過ぎ、村のシンボルである聖マテオ教会に入った。この場所には17世紀から礼拝堂があったと言われる。祭壇の絵画や鐘楼、納骨堂は18世紀のものだ。教会前の広場は舞台のようなテラスになっていて、展望が良く、雲や霧が周囲の山々と絡み合う、ドラマティックな風景を楽しんだ。

続いて、教会の近くのチーズ工房を訪れた。19世紀末から営業していたという伝統的な工房は、乳牛不足で1985年にやむなく閉鎖。しかし2010年から、地元の農家の共同チーズ工房として復活しているという。現在4軒の農家が冬の間にチーズ造りを行い、熟成させているそうだ。上階には暖炉があり、薪をくべて大鍋に入れた牛乳を温めることができる。チーズ造りの道具は昔ながらのものが揃っている。階下は熟成室で、棚にはおよそ400個のハードチーズ「トマ・オッソラーノ」が熟成中だった。プルネントの搾りかすに漬けてから熟成させる「オッソラーノ・プルネント」というチーズも造られていた。

プルネント、 700年の伝統

集落を一回りしてから、「カ・ドゥッマ」のセラーを見せていただいた。清らかな山の空気の流れが感じられる、清々しいセラーだ。オークの大樽では、2019年ヴィンテージのプルネントやメルロが熟成中だった。

プルネントの歴史は古く、1309年の文献が残されているという。当地では修道院のミサ用ワインが、プルネントから醸造されていたのだそうだ。バローロが初めて文献に登場するのは1730年だそうだが、それより400年以上も前だ。

プルネントの畑

マリオさんは、車でペロ・ディ・トロンターノにあるプルネントの畑にも連れて行ってくださった。オイラとドモドッソラのほぼ中間にあたり、標高は400メートルほどだ。この畑には、樹齢100年を超える自根の古木もあり、最も優れたプルネントが収穫できるという。山地に切り開かれた棚式栽培の畑は、日本のブドウ畑を連想させ、郷愁を感じる。

畑を後にして、ドモドッソラの中心街にあるカンティーネ・ガローネのショップに向かった。居心地の良い明るい店内で、ガローネ兄弟のワインをテイスティングした。

ドモドッソラのショップ

印象的だったのは、シャルドネ100%の「La Gera」。シャルドネの栽培は、20年前に始まったばかりで、初ヴィンテージは2009年だったという。オイラの集落の、花崗岩の岩場の畑で栽培されたブドウを使用しているそうで、香りに気品があり、ピンと背筋が通った凛々しいシャルドネだ。

ドモドッソラのショップ

「Cà d‘Matè」も味わい深かった。ネッビオーロ70%、プルネント10%、クロアチーナ20%のブレンド。酸味が控えめで、タンニンが強めのクロアチーナは、単独ではなかなか理想的なワインにならないそうだが、ネッビオーロとブレンドすることで、お互いが生かされ合うのだという。

ヴァリ・オッソラーネのアイデンティティとでも言うべき「Prünent」はプルネント100%。フローラルな香りが優雅で、緻密なストラクチャーを持つ、崇高さを感じるワインだった。香りには透明感があり、味わいは伸びやかだ。アルプスに近い、冷涼な高地の風土がワインに反映しているのだろう。

ヴァリ・オッソラーネには、かつてプルネントの畑が500ヘクタールもあったそうだが、現在は、その10分の1の50ヘクタールだけだ。プルネントが減った理由の一つは、苗を植えてから最初の収穫が得られるまでに、少なくとも5年は待たなければならないからだという。そのため、多くの農家が、3年目から収穫が可能な他品種に植え替えを行った。 カンティーネ・ガローネでの生産量は現在4000本だけだ。

テイスティングの後は、ドモドッソラの街を散策し、宿に戻る前に、マリオさんおすすめのマゼーラのレストランに立ち寄り、看板料理のプルネントのリゾットを味わった。カルナローリという品種の米をバターで炒め、プルネントを入れて煮てから、ブロードを加えてリゾットに仕上げたもので、リゾットの上には、フォアグラのスカロッパが添えられていた。ワインは、同じくアルト・ピエモンテ地方の、ネッビオーロのもうひとつのローカルクローンである、ガッティナーラ地域のスパンナを合わせた。

アルト・ピエモンテ地域には、ヴァリ・オッソラーネ、ガッティナーラを含め、全部で10の原産地指定保護地域がある。未知のワインや食文化がまだまだ見つかりそうだ。

プルネントのリゾット


Cantine Garrone
Via Caduti del Lavoro 1
28845 Domodossola, Verbania

Agriturismo Cà d‘Maté B&B
Via Valle Formazza 13
Oira di Crevoladossola, Verbania


今回の取材は、ドイツ、ヘッセン州で旅行代理店業を営む、Slow Wine Travel in Europeの安居眞粧美さんにコーディネートいただきました。

Slow Wine Travel in Europe


岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com