隠れたベストセラーとして知られる聖書。ドイツ語に聖書を訳したのは、16世紀に活躍した神学者・宗教改革推進者のマルティン・ルターだ。

2021年は、キリスト教二分(新派プロテスタント教とローマ・カトリック教) のきっかけとなった宗教改革の推進者ルターを帝国追放刑にすることを決定した帝国議会が開催されてから500周年を迎えた。この会議の後、ルターはザクセン選帝侯フリードリヒ3世の庇護を受けヴァルトブルク城に身を隠し、聖書を翻訳した。

帝国議会の会場となったラインランド・プファルツ州の街ヴォルムスではこの周年を記念して、ルターにちなんだイベントや展覧会など多種のイベントを開催する。

ドイツ国内のルターゆかりのスポットはわかっているだけでも40カ所以上あるそうだ。ここではルターの活動背景を知るため、3つのスポットを紹介したい。宗教改革はじまりの街ヴィッテンベルク、帝国議会500周年の街ヴォルムス、聖書を訳したヴァルトブルク城だ。

ルターハウス内にて。ルターと妻カタリナの肖像画

宗教改革はじまりの街ヴィッテンベルク

修道士だったルターは1508年、ドイツ北部ザクセン州エルベ川沿いにある小さな街ヴィッテンベルクにやって来た。その4年後、ヴィッテンベルク大学の神学教授となり、この街で元修道女カタリナと結婚し、6人の子供達に恵まれた。35年間暮らしたヴィッテンベルクでは彼の人生を垣間見ることができる。

お薦めの観光スポットは、ヨーロッパの歴史とキリスト教世界を大きく変えた記念建造物として、1996年に世界遺産に登録された建造物の数々だ。

「95か条の提題」が提示されたヴィッテンベルク城教会、ルターが説教をした聖マリエン教会、ヴィッテンベルク大学校舎として使われ、かつルター家族が住んだルターハウスなど見所満載。こじんまりした街なので、日帰り観光もできるが、できれば1泊滞在したい。そうすればルターの息遣いが伝わってくるような史跡をゆっくり巡り歩くことができる。

ルターが批判したのは、ローマ・カトリック教会が信者に販売した免罪符だった。この免罪符を購入すれば、「現世の罪が許され、天国に行くことが出来る。または、故人のために買えば、その人も救われる」というものだ。

ところがこの免罪符販売の目的は、ローマ・カトリック教会の総本山だった「サン・ピエトロ大聖堂」の改修工事の資金集めだった。これを批判したルターは、キリスト教の経典である聖書を重視すべきで、「人は信仰のみによって義(正しい行いや義務などの意)とし、免罪符によっては救われない」と主張した。

免罪符批判と腐敗する権力に立ち向かったルターの怒りはカトリック教会の体制に不満を抱いていた諸侯や民衆の共感を呼んだ。こうしてルターの主張は急速に広がっていった。それを知った教皇は神聖ローマ帝国(ドイツ帝国)の権威を脅かすと激怒した。

おりしもルターの書籍や説教文は、グーテンベルクの活版印刷技術で増刷が可能となり、民衆に浸透していった。これがローマ・カトリック教会をさらに挑発することになり1521年4月、ルターはヴォルムス帝国議会へ召集された訳だ。ちなみに帝国議会とは神聖ローマ帝国(ドイツ)における聖俗の諸侯、都市代表らが召集され、皇帝の諮問を受ける身分制議会だった。

ヴォルムス大聖堂外観 ロマネスク様式の重厚なたたずまい

帝国議会開催の街ヴォルムス

ヴォルムスは、ハイデルベルクから北上すること約50㎞に位置するライン川の左岸にある中都市。帝国議会500周年を記念して、4月から12月までコンサートや講演会、特別礼拝やガイドツワーなど多彩なイベントが行われる。

年間プログラムのハイライトは、オープニングの4月第三週末(16日から18日)に行われるマルチメディア「The Luther Moment」、ヴォルムス市博物館での展示会、そしてニーベルンゲンフェスティバルの一環として行われる世界初演となるルターの劇の3つ。

なかでも4月17日と18日は、ルターが500年前に帝国議会で尋問を受けた歴史的な日。同市の聖三位一体教会は、ヨーロッパ最大のスクリーンとなり、ルターが撤回を拒否するまでの物語、信仰に基づいて勇気ある決断をすることが大切だというマルチメディア作品「The Luther Moment・ルターの瞬間」が映し出された。

©Berndward Bertramtiヴォルムス大聖堂内の司祭段・ルターはここで行われた帝国議会で破門となった

同市博物館では、「Here I Stand- Gewissen und Protest – 1521 bis 2021(ここに立つ-良心と抗議 – 1521年から2021年まで)」と題したラインランド・プファルツ州あげての大規模な展覧会が7月3日から12月30日まで開催される。展示の1部ではルターのヴォルムス登場とその意義や神話に焦点を当てる。2部では16世紀から現代にいたるまで、勇気をもって毅然と理想を掲げ、言動を起こした重要な人物達も紹介する予定だ。

今年のニーベルンゲンフェスティバルは、世界初演のルターの劇が7月16日から8月1日まで上演される。ヴォルムスは中世の英雄叙事詩「ニーベルンゲンの歌」の舞台として知られており、毎年演目を変えてフェスティバルを開催している。

劇中では、権力の陰謀と宗教闘争の間の非常に刺激的な事件として帝国議会を描く。ルターが宗教改革を提唱し、教会を根底から揺さぶっただけでなく、現在に至るまで世界を変えることに成功した背景が上演される。

©Berndward Bertramti 三位一体教会

宗教改革により帝国の解体を恐れた皇帝カール5世はルターをヴォルムスへ召集し、帝国議会で免罪符批判を撤回するよう求めた。だがそれを拒否したルターは、帝国追放刑を科せられ、ローマ・カトリック教会から破門された。そして皇帝はルターの著書の販売や購読も禁止した。

帝国議会の終盤、ルターはカール5世に向かって「聖書に書かれていないことを認めるわけにはいかない。私はここに立つ。それ以上のことはできない」と、自分は神と良心に忠実であることを力強く説いた。

こうしてルター派はローマ・カトリックから独立し、新派プロテスタント(抗議する者)の源流を構築していった。ルターは晩年、ヴォルムスが歴史のある種の転換点であり、自分の人生における偉大な瞬間であったことを伝えている。

帝国議会500周年イベントは、コロナ禍における衛生規則の変化に対処するため、変更あり。オンライン情報を常に確認してください。

©Kuehn3 ヴォルムス市博物館

ドイツ語聖書誕生の地ヴァルトブルク城

  

ユネスコ世界文化遺産登録のヴァルトブルク城は、テューリンゲン州にある街アイゼナハ郊外の山頂にあり、約1000年の歴史を有する国内で最も保存状態のよい中世城塞のひとつ。

ヴォルムス帝国から追放されたルターは、ヴァルトブルク城の一室に身を隠し「ユンカー・イェルク」という偽名で9ヶ月(1521年5月から1522年3月)過ごした。

ルターが身を隠した部屋

この城に滞在中、ルターは新約聖書をギリシャ語からドイツ語に翻訳した。彼が聖書を翻訳した目的は、民衆の聖書や信仰への理解を深めるため。ラテン語・ギリシャ語などで書かれた聖書は聖職者や一部の学者しか読むことができなかったからだ。1522年に初出版したルター訳の聖書は、近代ドイツ語の統一に影響を与えた。

ルターの部屋は、城内見学コースの最後となる2階に(日本の3階に当たる)当時のままの状態で保存されている。世界中の巡礼者をはじめ、観光客の関心の的となっている部屋は簡素だが、歴史の重みを感じるに違いない。

絢爛豪華な祝宴の間

同じく2階にある祝宴の間は、音響効果が抜群であることから、コンサート会場としても人気。かつての歌合戦の様子を描いた絢爛豪華な壁画に包まれて音楽を堪能できる場として有名だ。コロナ禍でこの先どうなるか不明だが、通常は毎月定期的にコンサートが行われているので、機会があれば是非一度体感したい。

19世紀バイエルン王ルードヴィッヒ2世は、ヴァルトブルク城祝宴の間の美しさに魅され、ここを模範としてノイシュヴァンシュタイン城を造らせたそうだ。

城内にはルターがヴィっテンベルク城教会に「95か条の提題」を貼るシーンの絵画も見られる

また同バイエルン王の敬愛した作曲家リヒャルド・ワーグナーも、ヴァルトブルク城祝宴の間で行われた歌合戦にインスピレーションを受け、歌劇「タンホイザー(タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦)」の構想をまとめたといわれる。

ルターは、宗教改革とヴォルムス帝国議会でローマ・カトリック教会の古い権力構造を揺るがし、新しい考え方への道を開いた。束縛から解放され、権力の前でも果敢に表現と言論の自由を貫いた姿勢は、今も学ぶことの多い重要な意味を持っていると思う。

聖書


取材協力:
ドイツ観光局 
ヴォルムス観光局   


All Photos by Noriko Spitznagel(一部提供)特別許可を得て撮影

シュピッツナーゲル典子
ドイツ在住。国際ジャーナリスト連盟会員