2020年9月に軽井沢にオープンしたイタリアン × 北欧レストラン「Naz(ナズ)」。
オーナーシェフの鈴木夏暉さんは、16歳から料理の道を進み始め、26歳の若さで店を開いた。オープン以来、口コミで毎日予約が埋まるほどの人気店だ。

今年発売のゴ・エ・ミヨ(Gault&Millau : ミシュランガイドと並ぶ、フランス発の食のガイドブック)の掲載店にも選ばれ、さらにはアマゾンプライムで放送が始まった料理人にフォーカスしたドキュメンタリーシリーズ、「The art of plate」の第2話への出演も決まっている。

そんな爽快なスタートを切った鈴木さんは、一体ここまでどんな道を歩んできたのだろう?
少年時代から今に至るまでの道のりや、イタリアン × 北欧をベースにした今の独自のスタイルがどのようにして出来上がったのかについて話を伺った。

中学校を卒業後、高校には行かず16歳で料理の道へ

どういう経緯で食の道を歩み始めたのか教えてください。

おじいちゃんの代から地元で大きな食堂を営んでいたので、子供の頃から料理を教わったりお店を手伝ったりして、料理をすることが身近にありました。魚も好きで、釣りに行ったり、いつも図鑑を見たりしていたので詳しかったです。中学を卒業し、レストランで働き始めた時点で、魚の名前も全部分かるし、それなりに魚のおろし方も知っていました。

もうその頃から、自分のやりたいことがわかっていたんですね。

中学校を卒業して、高校には行かず、地元軽井沢の佐久にあるイタリアンレストラン「ジンガラ」に働かせてください、とお願いしに行ったらすんなり働かせてもらえることになったんです。そこでピザ作りを教えてもらって、ピザ職人として4年ほど働きました。

普通だったら学校や部活、遊びに励んでる年頃なのに、もうすでに食の道を極めていたんですね。

それと同時にめちゃくちゃ遊んでもいました。

遊びってどういう遊びですか?

暴走族をやってました(笑)もちろん今はもうないですけど暴走族のチームにはいってて。みんなで族車を乗り回したりしていました。中学2年生くらいまでは野球をやっていたんですけど、やめてからはいわゆるヤンキーでした。

族車ってなんですか?

こういうやつです!

鈴木さんが、当時実際に乗っていたという族車

働いてたのによくそんな時間がありましたね!

当時は朝から晩まで一生懸命働いて、仕事のあと毎晩のように遊んでました。

全部本気でやってたんですね。ところでイタリアンにしたのはなぜですか?

なんでもよかったんです。

ピザ作りに打ち込んだ4年間がきっかけでナポリへ

ナポリのピッツェリアで働いていたそうですが、どういう経緯で行かれたんですか?

ジンガラでピザ作りに励んでいた18歳の頃、オーナーが東京の中目黒にあるダイーサというピッツェリアに連れて行ってくれました。ダイーサのオーナーシェフ山本尚徳さんは、ナポリで行われる世界ピッツァ選手権で日本人初の優勝者なんです。しかも2年連続。その時僕はまだ暴走族もやってたんですけど、山本さんの背中を見てめっちゃかっこいいと思って影響され、一度ピザの道を完全に極めたいと思ったんです。それでその時暴走族もやめて、4年間働かせてもらったジンガラをやめてすぐイタリアに行くことにしたんです。

イタリアに当てはあったんですか? また、言語の壁は?

全く当てはないです。それに英語もイタリア語も全く話せませんでした(笑)けどもうどうしてもすぐにイタリアに行きたくて。ダイーサの山本さんが修行したナポリの Il pizzaiolo del presidente(イル ピッツァイオーロ デル プレジデンテ 以下プレジデンテ)というピッツェリアで自分も修行したかったんです。みんなに大丈夫か?って心配されながらも、そのままスーツケースだけ持ってぽんって行っちゃいました。

ナポリに行く前にフィレンツェで数週間イタリア語のクラスにも通いましたが、ナポリだと英語を話せる人があまりいないのと、日本人もあまりいなかったので、その環境に身を置いたことでイタリア語を話さざるを得なくて、自然に身についていきました。

プレジデンテには、どうやって入れたんですか?

プレジデンテにはアポも取らず、働かせてくださいって乗り込んでいきました。
一回目は門前払いで帰らされて、それでも諦めずにまた次の日も行きました。そしたら運よくオーナーがいて、「試しにピザ作ってみろ」って言われて、その場で作るチャンスを与えてくれたんです。

働いている人たちに囲まれて、馬鹿にされたように見られている中でピザを作りました。もう目に見えるくらいに足がガクガク震えちゃって(笑)でもなんかうまく作れたんですよね。それで刺青が全身に入った怖そうなオーナーが足を組んで小さなテーブルに座っていて、「焼き上がったピザもってこい」と。次に「コーラかビール飲むか?」って聞かれて、ビールって言ったらオーナーが若い子に目で合図をして持ってきてくれて。食べ終わってオーナーに、「もういいよお前帰れよ」って言われて、しっしって感じで帰らされました。

そしたらお店を出て行こうとした時に、若い子がTシャツを渡してくれて。それがお店で働いてる人たちが着ているユニフォームだったんです。オーナーが「明日の朝8時」とだけ伝えてくれて、次の日からインターンとして約1年働きました。

念願のお店で、一年間も働けたんですね!

無給ですけどね。

生活は大丈夫だったんですか?

日本にいる間にちゃんと資金づくりと貯蓄はしていたので。

10代にして、かなりしっかりしてたんですね。ナポリのあとは日本に戻ったんですか?

ナポリのあと東京に戻って、ナポリの二つ星レストランで働いていた友人と一緒にイタリアンレストランをオープンさせました。3年程そこで店長兼シェフとして働いてたんですが、どうしてもデンマークに行って料理を学びたくて、そのお店はそのまま友達に任せて自分はコペンハーゲンに行くことにしました。

どうしてコペンハーゲンだったんですか?

イタリアンは一通り習得できたし、今更一からフレンチでもないし、何の料理を勉強したいかなって考えた時に、コペンハーゲンのnomaやニューノルディックフードという名前をよく聞くようになって、ずっと気になってたんです。ちょうどnomaで働いてるシェフが知り合いにいて紹介してもらえたので、すんなりインターンとして3ヶ月間働かせてもらえることになりました。

nomaで働いてみて、新しい発見はありました?

やっぱ発酵ですね。北欧の発酵は日本の発酵とまた全然違うのでとても勉強になりました。でもその3ヶ月だけでは一番下っ端なので、やらせてもらえることも限られていて、nomaで何を学んだか?って言われたらほぼ何も学んでないかもしれません。発酵の基本的なことだけを学ばせてもらっただけで。でもその基本が分かればあとは自分でアレンジしていけばいいので、3ヶ月で充分だった気もします。

その後、コペンハーゲンの人気レストラン Kadeauでも働いていたそうですが。

Kadeauには履歴書を持ってレストランに食べに行きました。本当に美味しいと思ったのでその場で履歴書を渡して帰って、後日オーナーのニコライから連絡がきてインターンとして働かせてもらえることになりました。

Kadeauでの環境はどうでしたか?

余裕でした!(笑) インターンなのに働き始めてすぐに一つのセクションを一人で任されてました。

何か新しい学びはありましたか?

たくさんありました。特に発酵ですね。

やはり発酵なんですね!実際に鈴木さんの料理を食べて、イタリアンベースなのかなと想像してたのですが、料理も盛り付けもニューノルディックのスタイルに影響されているように感じました。

かなり影響されていると思います。発酵もそうですが、一度乾燥させた食材をパウダーにしたり、同じ食材から抽出したエキスに浸すといった、今まで自の中になかったアイディアが加わったことで、自分の料理の幅も広がってめちゃくちゃ楽しくなりました。毎晩お店の営業後にテストキッチンをして、3ヶ月に一度の周期でメニューを構成しています。

ビーツを乾燥させてさらにそれを絞り汁に浸し、乾燥させたビーツのパウダーをかけたもの。まるでフェルト生地で作られた薔薇の花びらのよう。
食感はビーツからは想像ができないほど柔らかくしっとりしていて味が何倍にも凝縮されている。

日本では珍しいセルリアックを薄く切ってオーブンで焼いたものとセルリアックのアイス。セルリアックといえば “セロリの味がするでかいカブ” というイメージだったが、この一品にセルリアックのイメージを大きく変えられた。薄くスライスしてオーブンで焼いたことで、まるでパイ生地のようにジューシーで甘いセルリアックに、冷んやりしたセルリアックのアイスが爽やかに合わさって、料理とスイーツの間のような感覚。食事を共にしていたみんなで鈴木さんは天才かもしれないと口を揃えた一品。

軽井沢の人気パン屋ハルタのライ麦パンを使ったデンマークの伝統料理スモーブロ、上にはダボス牧場の短黒和牛が。
こちらのお皿はデンマークに滞在中、デンマーク人の木彫刻家Jonas Alsのアトリエに訪れて、どんなお皿が欲しいかを一緒にデッサンして作ってもらったのだとか。

Kadeauではどのくらい働いてたんですか?

2ヶ月だけです。ちょうど2020年の3月頃、新型コロナウイルスの影響でコペンハーゲンは早い段階でロックダウンをしたので、Kadeauはすぐにお店を閉業させました。今はまた再オープンしてますけどね。それで自分はやることがなくなって、日本に帰国することにしました。

東京に戻って来たのですか?

日本に帰ってきたら東京でお店をやろうと思っていたので、一旦東京に戻ってきましたが、東京もコロナの状況がピークで、お店を営むどころか仕事を見つけるのすら困難な状況でした。こんな状況の中でレストランをやるっていうのは何かしっくりこない感覚がありました。そんなわけで地元の軽井沢に帰ることにしたんです。

軽井沢に帰って3日後に、ここでレストランをやるって決めたそうですが?

軽井沢だったら良いお店ができるなっていう手応えを感じて、心を決めるまではすぐでした。
元々地元のイタリアンで働いていたこともあって、飲食業界の人達と繋がりがあったので、農家や畜産農家さんを紹介してもらい、会いにいきました。長野には本当に良い食材がたくさんあって、生産者さんたちに会いに行くたびに、「ここだと良いお店ができる」という確信に繋がっていきました。生産者さんたちには、気に入ってもらえるまで何度も何度も会いに行きました。今でも直接会いに行くようにしているし、お店で使う野菜も、2、3日に1度は自分で畑まで採りに行っています。

八千穂漁業の信州サーモンを10日間熟成させたもの。すごく水が綺麗なところで餌をコントロールして育てられているのだとか。とても身が締まっていて濃厚な味。

そのサーモンをさらに低温調理し、真ん中の柔らかい部分だけをとり発酵させたカブで囲み、エルダーフラワーのつぼみを酢漬けにしたものを乗せ、トマトの発酵ジュースにザクロの香りを移したスープと、イチジクの葉の香りを移したオイルをかけた一品。
サーモンは口に入れた瞬間にむっちりとした食感からとろけるように味が広がっていき、全ての食材が発酵されていることでとてもまとまりがあり、それぞれを引き立て合っている。

とても綺麗な水の中で良質な餌で育てられた鯉。従来の鯉からは想像ができないほど繊細な味。それにムール貝と発酵させたポルチーニでとった出汁をかけたもの。鯉もトマトも出汁もかなり存在感が強めだが共鳴し合っている。

鈴木さんが小さい頃から食べて育ったという五郎兵衛米を使ったリゾット。アサリの出汁とイタリアのジロール茸の発酵ジュースで炊き上げたお米にはつぶ貝のキモも入っている。お米のアルデンテ感とジューシーさが絶妙なバランス。

ランチタイム限定のサラダ。それぞれの野菜に合った調理法と味付けが丁寧に施されている。

良質な豚の脂身が口に入れた瞬間に溶けていく。豚に気づかれないように低温で火を通したのだとか。

自家製手打ちパスタはローズマリーが織込まれている。とても繊細で薄いパスタは食事の最後に出てきても重くなく、ラグーソースの引き立て役になっている。

季節のデザートはりんごのシャーベットをりんごの絞り汁を固めたもので包み、上には食べられる小さな松ぼっくりが。

ワインペアリングに力を入れていて、国内外のクラシックなワインから自然派ワインまでバラエティー豊か。予算に応じて幅を広げてくれるそう。

基本的に一晩一組のスタイルをとっているのはどうしてですか?

一つのテーブルのためだけに全部自分が料理をして、料理や食材の説明、臨機応変にワインを選ぶことまで自分でできて、全てのお客さんに満足して帰ってもらうためです。口コミで来てくれる人がほとんどなのでみんなの期待も大きいんですよね。全員に同じように喜んで帰ってもらいたいし、一つでも失敗したら悪い噂も一気に広まってしまう。

コロナ禍だからってわけじゃないんですね!

全然関係ないです。

コロナ禍で、よくレストランをオープンしようと思いましたね。

全然いける気がしたし、自分の中でタイミングが来たらどんな状況であろうと絶対にやった方がいいですよね。それだけです。

ゴ・エ・ミヨ の人も来たんですか?

一切事前の告知はなかったのでいつ来たどのお客さんかはわからないんですが、ある日「ゴ・エ・ミヨ」から手紙が届いて、「掲載店に選ばれました」と。今年の2月発売のゴ・エ・ミヨに掲載して頂けるとのお知らせでした。

次はミシュランにも来てほしいですね!

もし取れたら日本のミシュランでは最年少じゃないですかね!

何歳なんですか?

1994年生まれです!

貫禄ありすぎ!(笑) 今後の目標は?

今は宿泊施設の中にある一棟を借りてやってるんですが、融資を返し終わったら軽井沢に自分で平家を一から建てたいですね!それと次の長期休みがとれた時にはまた海外へ食の勉強をしに行きたいです。

どこに行きたいですか?

またコペンハーゲンに行きたいです。それかスウェーデンか北欧のどこか。

再び北欧なんですね!

自分にとって新しいものが見れるのはそこだと思うので。

ピザはもう作らないんですか?

それはいつかやりたいですね。普通のピッツェリアみたいなのではなくて、ちょっと他にないスタイルのピザを提供するレストランとか。全くイタリアンっぽくない、北欧スタイルのピザとか!

それは面白そう!是非いつかやってください!

ディナーに訪れた私たちはあまりの美味しさに、3品目を食べる頃には次の日のランチの予約をさせてもらった。鈴木さんが生産者さんの話から食材がどう育てられ、どのように調理したのかを一つ一つ丁寧に説明してくれたことで、どの食材もとても特別なのが伝わってきた。美味しいのはもちろんのこと、目が覚めるような感動があった。

コロナ禍でレストランに行く回数が減っている今だからこそ、せっかくの外食は特別な時間にしたい。地方にあっても出向く価値があるレストランこそ、これからの時代には合っているのかもしれない。 ディナーは3名以上だとひと組だけなのも贅沢だ。3月からの新メニューも今から待ち遠しくて仕方がない。


Naz
〒389-0115
長野県北佐久郡軽井沢町追分134−3
0267-46-8840
水曜定休日

ディナー予算(ワインペアリング含む) 22000円〜
ランチ予算4000円〜

HP: Naz
Instagram: Naz

NATSUKO

モデル・ライター
東京でのモデル活動後、2014年から拠点を海外に移す。上海、バンコク、シンガポール、NY、ミラノ、LA、ケープタウン、ベルリンと次々と住む場所・仕事をする場所を変えていき、ノマドスタイルとモデル業の両立を実現。2017年からコペンハーゲンをベースに「旅」と「コペンハーゲン」の魅力を伝えるライターとしても活動している。
Instagram : natsuko_natsuyama
blog : natsukonatsuyama.net