2020年3月、山口県下関市にある無人駅、阿川の敷地内に商業施設「Agawa」がオープンした。手掛けたのは、2013年に萩市にゲストハウス「ruco」をオープンし、萩を拠点に山口県の魅力を発信し続けている塩満直弘(しおみつ なおひろ)さん。観光名所でもなくターミナル駅でもない、この阿川駅に、塩満さんは、なぜスポットを当てたのだろうか。この景色に、どんな未来を思い描いたのだろう。

コロナ禍で深刻な打撃を受けた観光業界。その一方で、テレワークの普及によって地方移住者が増加しているという。観光地で働きながら休暇を過ごす「ワーケーション」というワードも注目を集める今、各地で観光だけにとらわれない、持続可能な地域活性化の形が問われている。

「Agawa」を通じて塩満さんが考えた、いま、地方の魅力を再発見し、再編集することの必要性について伺った。

「ruco」があったから生まれた「Agawa」

塩満さんはこれまで萩のゲストハウス「ruco」を拠点として活動されてきましたね。どのような経緯があったのでしょうか?

僕は山口県萩市に生まれ、学生時代にカナダへ渡り、その後はアメリカ、東京、鎌倉などで生活してきました。さまざまな土地で多種多様な人々と触れ合うなかで、自分の本質を問われるような経験が何度もありました。そんなとき、精神的支柱となっていたのは、生まれ故郷である萩だったんです。

2011年に帰国・Uターンしてからは、自分の生まれ育ったこの街で何かやりたい。萩の魅力をもっと多くの人に伝えたいと考え、2013年に「萩ゲストハウスruco」を開業しました。「ruco」は、多くの人が訪れてくださり、さまざまなメディアにも取り上げていただく機会もありました。また、この場所から観光客と地元の人たちの交流が生まれ、「ruco」をきっかけに萩に移住してくる人たちもいらっしゃいます。

塩満さんの活動が、地域振興や移住促進のモデルとしても注目されるようになったと伺いました。まさに、新しい萩の風景を作ったのではないでしょうか。今回、なぜ新たに「Agawa」という場所を立ち上げたのでしょうか?

はじめは観光客への新しいアプローチとして、萩市という一つの目的地を作り、そこから山口県を周遊してもらうことを思い描いていました。しかし、最近は中国地方、山陰エリアなど広域的なエリアを目的に観光する個人客の方が増えていて、「ruco」一拠点で活動や発信をしていくことが難しくなってきたように感じていました。というのも、「ruco」は「ゲストハウス」という特質上、旅行者にしか需要がないとも言えます。今後、ビジネスとしてそのままの状態でこの1拠点だけで営業していくことや、萩市に対してもrucoに対しても少しずつ危機感が生まれました。より広域で目的意識を持ってもらえるようなことはないか、と良い意味での違和感が運営して数年で芽生え始めました。そこで、片足は萩に置きつつ、もう一つの拠点を探すようになりました。

阿川駅との出会いについて教えてください。どんなところに惹かれましたか?

友人の案内で偶然訪れたのが、萩から車で1時間ほどの距離にある阿川駅の隣の無人駅でした。無人駅に汽車が入ってくる光景を目にした時、心奪われてしまって。そのあとに阿川駅に出会うのですが、僕が阿川に惹かれた一番の理由は、光です。なぜかわからないけど、ここは光が独特なんですよね。やさしくて、物や風景の存在感を際立たせるような、不思議な日ざしで。その光の中、赤い電車がすうっと入ってくる。旅情を掻き立てるというか、なんともいえない特別な気分になる。この景色には本質的でいて、とても価値があると思ったんですよね。

公共交通機関としては不便な沿線ではあるんですけど、だからと言って、その場所や光景に価値がないわけではないと思うんです。その景観や駅の価値を、自分なりに表現したいと思いました。

山陰本線は、京都と下関間を運行するJR西日本の鉄道路線です。日本海沿いの町々を結ぶように、山や田畑の間を走る姿は情感にあふれ、日本の原風景を思い起こさせます。しかし、多くのローカル線と同じように老朽化や利用客の減少といった問題を抱えてもいました。沿線上にある阿川駅もまた、観光客はほとんど訪れることのない寂しい無人駅。でも、この場所に佇んだり留まったりする理由を提案することができたら、きっと阿川に新たな価値を生み出すことができるはず。僕は、一般的に「何もない」と言われる場所だからこそ「面白い」と思ったんです。それからすぐにJR 西日本・地域共生室の方々との出会いに恵まれ、老朽化していた駅舎の新設に合わせて、「Agawa」のプロジェクトがスタートすることになりました。

地元の人曰く、「昔は7両くらいあったけど、今はほとんどワンマンの1両になって寂しい」

「駅」という場所を選んだ理由について教えてください。

駅は、いろんな人がいろんな目的を持って集まる場所です。だからこそ「Agawa」は、一つの役割にとらわれず、公園のように誰にとっても使いやすい風通しのいい場所にしたいと考えました。ゲストハウスという役割のある「ruco」とは全く異なるアプローチです。

さらに、地名を看板に掲げることで、地域の人のプライドを、もう一度醸成できる場所になってほしいという想いがありました。プロジェクトを始動した当初は、行政や地元の人たちから、「なんでこんなところで?」という意見もあり、何というか、はなからこの土地の可能性をあきらめてしまっているような印象を受けたんです。僕は、そうした意識に対しても問題提起をしたかった。あなたがこの場所に対して何かが生まれ、継続していける可能性がないと思っていたとしても、また別の人にとっては可能性のあるものになりうるということ、見方や感じ方によって、価値は大きく変わるのだということを、「Agawa」を通して伝えたいと思いました。

塩満さんと、地元の方たち。「ホームから川や田が見えが方が綺麗だろう」と、地元民が主導になって、ボランティアで木の剪定ををしている。
「造園屋さんですか?」と聞くと「ただの塩満さんの友達だよ」と言う。

Agawaのある風景

「Agawa」はどんな施設なのでしょうか。

「Agawa」は、飲食と物販、レンタサイクルの3つのコンテンツからなる商業施設です。阿川地域、山口県だけに限らず、山陰地域の魅力をゆるやかに発信していく場所として考えています。

建物を透明なガラス張りにし、多面にシロツメクサを植えたのは、「場所の境界線をぼやかす」という意味があります。駅舎、ホーム、ロータリーなど、場所と場所の境をあいまいにすることで、「駅」というよりは一つの広場のような空間を作りたかったんです。また、透明な建物は山や田園など周りの風景にも違和感なく溶け込みます。日が暮れて空が夕日に染まる様子や、汽車の通る様子を眺めることができ、室内にいても外の空気や、季節の移ろいを感じることができるんですよ。

駅のホームから見える田園風景

カフェやレンタルスペースもあるんですね。

カフェスペースでは、地域の生産者の方々にご協力いただき、阿川や山陰本線沿線の地域の食材を使い、季節によってその時々のメニューを提供しています。たとえば、地元の猪肉を使った「米糠パンのホットドック」や鹿肉のカレー、阿川産のお米を使った「あがわ米の塩いなり」、甘酒を使ったドリンク、ソフトクリームなど、メニューもさまざまです。「Agawa」を媒体として、地元の人々の暮らしだったり、生産者さんと訪れる人々との橋をかける場になればと考えています。

スムージー。使う素材は毎週変わるが、地元山口のもの。今日は阿川駅がある豊北町の蜜柑、萩「モディファーム」のリンゴ、自家製ヨーグルト、俵山原産の柑橘「ゆずきち」。蜂蜜は長門市湯本の「孫農園」で作られている、山蜂が集めた天然の蜂蜜。「晩春」「早春」「梅雨」など季節ごとに作り分けている。

長門でジビエの食肉処理販売を行う「俵山猪鹿工房 想」から仕入れた猪肉のソーセージ。「想」はニューオータニなどにも卸している猟師さんで、Agawaでは猪肉、鹿肉もその人から仕入れている。猪のソーセージには山口県の松浦商店の薫製胡椒をかけて。添えられた青い花はトレニアというハーブ。長門市で耕作放棄地となった棚田をハーブ 園として再生させ、そこで育てられている。臭みが一切なく、濃厚な味。ソーセージの皿も地域の作家。

俵山の鹿肉たっぷりのカレー。野菜は地元の四つ葉農園が、温泉と山水で育てたもの。ハーブはレモンバーベナー。お米は阿川で自然農で育てられた古代米と隣の長門の米をブレンド。老若男女色んな人が食べられるよう味付けはスタンダードに。地域の作り手が生み出す、おいしくて安全な素材にこだわる。

レンタサイクルの自転車は、県から提供していただいています。山口県はサイクルツーリズムを積極的に推進していて、大きなレースイベントが開催されているほか、サイクリングロードなどの環境整備も進めています。

レンタサイクル。電動自転車も。

「Agawa」から自転車で少し足を伸ばして、白い砂浜とエメラルドグリーンの美しい海が見える角島に行くのもいいですし、街をゆっくり巡るのもいいですね。分かりやすいスポットではない、ごくごく普通にあるけれど、季節ごとに移り変わる水田や原風景の広がる光景を見ながら、楽しさを発見できるはずです。

阿川駅そばの海。阿川は人気の角島も近く、抜けのいい美しいロケーションが続く。バイカーたちに人気のツーリングコースにもなっている。

「Agawa」にはどんな人が訪れますか?

遠方からも地元の人たちにも本当に多様な人たちに利用していただいています。これまで阿川駅の乗降客数は1日30人程度だったのが、「Agawa」がオープンしてからはその10倍の300人になりました。

毎週、隣町から300円を握りしめてソフトクリームを買いに来てくれる男の子がいたり、近隣に住んでいる方がちょっとおしゃれして来てくれたり、「阿川で生ビールを飲めるとは思わなかった」と喜んでくれるおじいちゃんたちがいたり。「駅」という公共性の高い場所だからこそ、誰もが楽しく自由に過ごしてほしい、その思いはしっかり届いているように感じます。こんな目の前に汽車が来るのに、Agawaで飲んでいて乗り過ごす人もいるんですよ(笑)楽しくなっちゃって次のでいいやって、さらに1時間過ごしていく。

地元の人たちがふらっと訪れては挨拶を交わす。スクールバスがつくので子供たちもよく通る。

何もない場所から何かが生まれる場所へ

「Agawa」に対する地元住民の反応に変化はありましたか?

「ここは、何かを失くなっていく場所でしかなかったけれど、こんな風に何かが新しく生まれるとは思ってもみなかった」という声をいただいたときは、嬉しかったですね。

「Agawa」ができて、阿川駅ではこれまでになかった光景が見られるようになりました。ホームに汽車が入ってくると、子どもからおじいちゃんおばあちゃんまでみんながスマホやカメラを構え、一斉にシャッターを切るんです。普通の在来線で、線路の光景は何ひとつ変わっていないのに。

想像するだけで、素敵な光景ですね。

Agawaでやりたかったのは、公園のように“存在できる理由”、“立ち止まる理由”を作ること。その理由が整ったから、人の行動が変わり、風景に意識がいき、視点が生まれたんですよね。景色に、新しい価値が生まれた。“不便な公共機関”という認識から脱却して、景観に価値づけすることを僕はしたかったんです。いつも見ている光景でも、見る角度や視点が変わるだけで、新たに見えてくるものはたくさんあります。地元の人たちも、「Agawa」をきっかけに、そこに元々あったはずの何気ない風景に、新たな価値と可能性を感じてもらえたかもしれません。

これからの日本の地方都市の未来を考えると、いままでのように公共事業でどんどん新しい道や箱を作っていくのではなく、このように、今あるものの中から何か生み出していく、価値を精査していくということが重要になってくるのではないでしょうか。僕は、生まれ育った場所ということもあり、山口への愛着は強いです。同時に、どの地域の人たちからも「何もない田舎だ」と諦めているムードを強く感じてもいました。それを変えていきたいんですよね。何かやりたいと思ったら山口を出るしかない、という意識を変えたいし、そこに選択肢があることを感じてほしい。”何もない場所”っていう価値観、「この場所じゃ無理」を押しつけないこと。僕が、阿川で試みること自体が、人々の意識が変わり、価値観のグラデーションを広げることになると信じています。

ついた灯りは消したくない 
「Agawa」と「ruco」2拠点から地域の魅力を発信し続ける

「ruco」と「Agawa」の2拠点ができたことで、どんな変化を感じていますか?

阿川というもう一つの拠点を得たことで、自分自身、萩の魅力を改めて感じられるようにもなりました。昨日も音楽聴きながら萩の町を散歩していたのですが、それだけで最高だなと。夏なんかは1時間でも時間があれば海に行って、ただ波に浮かんでぼーっとしたり潜ったり、最近、そんな時間が改めて幸せだと感じるんです。

今後、阿川と萩から塩満さんが発信していきたいことはどんなことでしょうか?

「Agawa」はちゃんと続けること、そしてその場所に一層馴染むことが目下の目標です。「ruco」に関しては、ゲストハウスという事業形態のままではこれ以上の展開を生み出すことは難しいと感じています。新型コロナウイルスの影響だけではなく、周囲に同じ価格帯の宿や、新しい店や人も増えてきたりして、以前から考えていたことです。ただ、ついた明かりは消したくはありません。いまの萩と自分だからできることも沢山あると思うので、今後は何か違う形で事業を続けていくかもしれませんし、そのままの状態で継続していくかもしれません。方向性はまだ定まっていません。

僕は、映画音楽がとても好きなのですが、常々「映画音楽のような人でありたい」と思っているんです。映画音楽には、特別に主張や個性が強かったりするわけではないものもありますが、どれもその映像の価値を増幅させ、印象付ける力があります。音楽の一節を聴いただけで、あるシーンを思い出すということもありますよね。そんな風に、場所の価値を豊かにすることができたら、と思うんです。「Agawa」があるから、阿川駅の価値がグッと上がる、「Agawa」があるから思い出す景色がある、そうなってくれたらいいですね。これからも映画音楽のように、地域と関わり続けていけたらと思っています。

インタビュー後、塩満さんから嬉しい報せが届いた。「Agawa」が、「第11回下関市景観賞」の景観デザイン部門で景観賞を受賞したのだという。この賞は、下関市の景観まちづくりに寄与している建造物、風景、まちなみ、活動などを表彰するもので、市民への景観まちづくりに対する関心の醸成、活動者などのさらなる意識高揚を測ることを目的としているのだそう。まさに、塩満さんが「Agawa」を通じて表現した「元々そこにあった景観に価値を付けた」ことが評価されたのだ。

塩満さんは、最後にこう話してくれた。「自分の人生に対して主導権を持つ人、他人事じゃなくて、自分ごととして物事を考えられる人が増えてほしい。僕は社会に対しての問題定義として、みんな大なり小なり、色々と抱えているものはあるけれど、そういった自分の人生の中にある不満を何かのせいにするのではなく、解決策に向かって自ずと行動に繋げていく姿勢でいること。それを大事にしたい、そう思っています」


All Photos by Yuri Nanasaki

Agawa

〒759-5241
山口県下関市豊北町大字阿川

営業時間
金:18:00 – 21:00
土:11:00 – 16:30・18:00 – 21:00
日:11:00 – 16:30

Instagram: agawa1928