ドイツ人はよく森林へ行き、ハイキングやサイクリングを楽しむ。ゴール設定はせず、ただ単に自然に囲まれてリフレッシュしたり、瞑想にふけったりと森を歩くのが好きだ。今年はコロナ禍で特に自然の懐へ癒しを求めて出かける人が急増した。
テュ-リンゲン州は大自然と緑多い景観から「ドイツの緑の心臓」と言われると知り、同州の「テューリンゲンの森」を訪ねた。
テュ―リンゲンの森
テューリンゲンの森はドイツのほぼ中央に位置するテュ―リンゲン州にあり、北西のヴェラ川から南東部のフランケンヴァルドまで全長約150kmに及ぶ。トウヒ、松、モミの木など針葉樹が約6割、ブナ、オーク、シラカバなどの広葉樹が約4割を占め、森林内は豊かな自然と神秘的な雰囲気にあふれている。今回は、この森の中でも特に人気のハイキングコース「レンシュタイク」を歩いた。
レンシュタイクハイキング
レンシュタイク(Rennsteig)の頭文字Rが記された標識を目印に進むこのハイキングコースは、テュ―リンゲンの森の尾根伝いに広がり、眺望が大変良い。アイゼナッハ近郊の街へルシェルからブランケンシュタインまでの全長約169kmに8つのハイキングコースがあり、1つのコースは全長10kmから25kmほど。標高1000m以下の比較的穏やかな道のりで、初心者でも安心して歩ける。
1896年レンシュタイク協会を設立し、ハイキングコースが整備された。東西ドイツが統一する1990年まで、レンシュタイクの一部は西と東に分断されており、国境地帯は立ち入り禁止だった。そのため、手つかずの大自然が今も多く残っている。
秘境ベルク湖の水温は8度
初日のお昼すぎ、集合場所のゴータ駅からバスに乗り45分ほどで今回のハイキングの起点となるエベルツウィーゼに到着した。ここからしばらく歩くと、なだらかな山あいにベルク湖が見えてきた。ここまで来ると、流れる空気がこれまでとはすっかり変わっていることに気がついた。標高780mにある湖の水温は8度。夏には湖畔で日光浴をしたリ、疲れた足を水につけて一休みする隠れた人気スポットだという。
その後、宿泊地オーバーホーフへ向かった。この街は、テューリンゲンの森の高台に位置し、澄み切った山の空気に包まれたクロスカントリーやバイアスロンなどウィンタースポーツ国際競技場の地として知られる。住民約1650人に対し、訪れる客は年間10万人以上といい、観光が大きな収入源となっている。
山岳植物のパラダイス・レンシュタイクガーテン
2日目、ホテルからバスに乗り、オーバーホーフの必見スポット「レンシュタイクガーデン」に向かった。今年設立50周年を迎えたこの山岳植物園には、欧州、アジア、南北米やニュージーランド産の植物4000種以上が7万平方メートルの広大な敷地に点在している。標高870m、年間平均気温は4,2度、1年のうち約150日が積雪する地帯で、植物の生命力を感じだ。広大な園内の管理を担当するのはたった4人と知り驚いた。そして案内してくれた専門家の話を聞くにつれ、植物への熱意がひしひしと伝わってきた。
標高970mの大パノラマ展望台
次に向かったのは、レンシュタイクで一番美しい眺めのブレンクナー展望台。標高970mとレンシュタイクで一番高い地点にあるそうだ。展望台から目の前に広がる大自然、ふもとの街ズ―ルや遠方のコーブルクまでの景観は圧巻だ。しばし時を忘れて高台に佇む人、カメラのシャッターを押し続ける人、持参したコーヒーや軽食を楽しむ人など各自好きなように大自然の醍醐味を楽しんでいた。ここではゆっくりと穏やかな時間が流れていた。
レンシュタイク駅でノスタルジーに浸る
眺望台を後にして、宿泊ホテルのある街シュミーデフェルドへ向かった。荷物を預けた後、テュ―リンゲンの森に佇むレンシュタイク駅へ行った。こんなところに駅?と思うほど静まりかえっていたが、1日4本の列車がレンシュタイクとイルメナウ間を往復しているそうだ。さらに土・日曜日と祝日は、テューリンゲン州の州都エアフルト中央駅からイルメナウを経てレンシュタイク駅間を走行し、ハイキングやサイクリング客の大変重宝な足として利用されている。次世代にも森林を楽しんでもらうには、自動車の乗り入れを減少し、大気環境の保全を実行していきたいものだ。
ちなみにエアフルトから30km南西に位置する街イルメナウは、かつて温泉保養地として親しまれていた。ゲーテはイルメナウの行政案として勤務した時期があり、公務の間を縫ってテューリンゲンの森を好んで散策したという。
レンシュタイク駅構内の一部は、現在「1番線」というコーヒー店。ケーキとコーヒーで一休みして英気を養い、いよいよ待望の野生動物ウォッチングへ向かった。
野生動物ウォッチングで魅惑の世界へ
ガイドに従い、イルメナウ地区の街フラウヱンヴァルドから森林に入り、歩くこと10分ほど。自然環境および動物保護地区内にある、野生動物ウォッチングの小屋に着いた。
運が良ければ、周辺に生息するシカ、キツネ、イタチ、ヤマネコを観察できるらしい。小屋に入り、待機していると、ガイドのばらまいたエサの匂いにつられて、シカの群れが目前にやってきた。エサをむさぼるシカ、腹ごなしに横になるシカなど大変興味深い。「シカ同士が角をつついて喧嘩するシーンに遭遇することもある」と、ガイドが教えてくれた。皆、息をひそめ目を凝らして動物の動作を眺めつづけた。沈黙の世界で動物を観察している間は、日常の喧騒もすっかり忘れ、心が洗われるようだった。
生物多様性の宝庫
3日目、ホテルの近くにある森の中を歩き、生物多様性の重要性と保全について考えた。「テューリンゲンの森はユネスコ生物(生息)圏保護区に指定されている。ドイツの森林所有者は、約半分が私有林。約3割が国有、約2割が州あるいは市有林」と、ガイドが教えてくれた。地球温暖化で環境のダメージと生態系の存在が脅かされており、次世代に継承する環境や多様な生物の保護は世界共通の課題だ。
ドイツ国土の面積比で森林の割合は3割ほどとさほど多くない。それでもドイツのイメージとして「森の国」と言われる理由は、市民と森の距離の近さによるのだろう。森林の伐採量が成長量を超えないように管理するのは森林官だが、温暖化による害虫被害が年々深刻になっているという。何年もかけて成長した森林が、これまでにない速さで破壊し刻一刻と失われつつある。なかでもカミキリムシの幼虫による甚大な被害は、関係者の頭を悩ませている。被害を受け伐採せざる終えない木々が増え続けているからだ。
地元の伝統産業・ガラス工芸
この周辺の伝統的な産業のひとつにガラス工芸品がある。その中心となっている街ラウシャで、160年の歴史を誇るエリアスガラス工房を訪ねた。モダンでエレガントなデザインのクリスマスオーナメントや、グラス、デコレーションなど製品ショールームや製造過程を見学した。
近年は機械化され、大量生産の安価な製品が出回り、メイドインジャーマニーのガラス工房も少なくなっている。一方、手作りにこだわり、製品が出来上がる過程を見学しながら、今後も職人の高い技術を継承してほしいと願った。製品の値段は少々高いが、製造プロセスを目にすればそれも理解できるだろう。絵付けもハンドメイドで図案も様々、見るだけでも楽しい。
今回歩いたレンシュタイクは、2泊~3泊すればリラックスしながら自然を楽しめるだろう。道中に急勾配はないが、足元に気をつけながら無心に歩いた。一日が終わると、心地よい疲れに浸り、心も満たされた。旅の楽しみのひとつは現地でいただく料理。テューリンゲン州の料理といえば、食べ応えのある肉料理が中心だが、毎日は食べれないだろうと思っていた。だが、歩いた後はそんなこともすっかり忘れて、やっぱり肉料理。何を食べても美味しかった。
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取材協力:テューリンゲン州観光局
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All Photos by Noriko Spitznagel(一部提供)
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シュピッツナーゲル典子
ドイツ在住。国際ジャーナリスト連盟会員