新型コロナ感染の拡大が少し落ち着いた7月末、北ドイツの街ヒルデスハイムへ向かった。

ニーダーザクセン州のヒルデスハイムはあまり馴染みのない街だろう。バラ好きだったら、樹齢1000年のバラのある街として知っているかもしれない。またドイツのユネスコ世界遺産を検索すれば、人口10万人ほどの小都市ヒルデスハイムには2つの世界遺産があることに驚くだろう。今回の旅の目的は、この世界遺産と伝説のバラの見学だ。

自宅最寄の駅より久しぶりに国鉄を利用して長距離の旅をした。コロナ感染拡大を避け、移動には自家用車を利用する市民が多い昨今、本音を言えば3時間座り続ける列車の旅は少し懸念した。だが乗車してみると、「マスク着用、乗客同士も1.5メートルのソーシャルディスタンス確保する」などの規制はあったものの、思ったより快適だった。

市庁舎(左)とテンペルハウス(右・ツーリストインフォメーション)

中世の趣に浸る・マルクト広場

ヒルデスハイム駅からタクシーに乗り約10分でホテルに到着した。時計を見るとまだ午前10時過ぎ。チェックインには早すぎたのでフロントに荷物を預け、ホテルに面する木組みの家並みが美しいと評判のマルクト広場へ行ってみた。

ヒルデスハイムは、1000年以上の歴史を持つ中世の趣たっぷりの古都。9世紀初期にはカール大帝の三男ルードヴィッヒ敬虔帝(778-840) により司教座に定められた。

この街の繁栄は、993年から1022年にかけて司教を務めたベルンヴァルド(960年頃―1022)の功績によるところが大きいという。敬虔帝の教師だった司教は、芸術にも傾倒し、ヒルデスハイムを学術文化都市へと発展させた。14世紀中頃にはハンザ同盟に加盟し、街はさらに繁栄していった。当時の富と権威を象徴する絢爛豪華な家並みは、マルクト広場の街並みに反映されている。

旧食肉業組合の家

街のほとんどが第二次世界大戦の空襲で破壊されてしまい、この広場に面する家々も復元されたものばかり。とはいえ、木組みの家並みを目にした感激は言葉に表せないほど。これまであちこちで何度も目にした木組みの家だが、コロナ禍の外出規制でしばらく旅行を控えていたこともあり、今回は改めて絵のように美しい風景に心を奪われ、しばらく時を忘れてカメラのシャッターを押し続けた。

北ドイツで一番美しい木組みの家と称される旧食肉業組合の家は、現在一階がカフェ・レストラン、上階はヒルデスハイム歴史博物館。その左隣は、最初の同業組合の家をこの広場に建てた「パン職人の家」。重厚な木造建築で、ファサードのカラフルなレリーフが一面に施された貴族商人の住まいと商店だったルネッサンス様式のヴェデキントの家。出窓の装飾が美しい彩りの彫刻が目を引く貴族の館だったテンベルハウスなど、どこをとっても見事に修復された建物で、その華やかな景観に圧倒されるばかりだ。

世界遺産・聖マリア大聖堂ヘ

ホテルへ戻り、ランチをとった後、聖マリア大聖堂へ向かった。この大聖堂は、この街の聖ミヒャエリス教会と共に1985年、世界遺産に登録されたドイツ初期ロマネスク建築の傑作だ。

大聖堂全景

聖マリア大聖堂は、ヒルデスハイムの大聖堂と市民に親しまれており、重厚感のある外観と2階建ての回廊が特徴だ。872年にはすでにこの場所に聖堂が建っていたといわれている。その背景は、次に紹介する「1000年のバラ」で詳しく説明するが、大聖堂の完成は1061年だった。その後、14世紀まで拡張が繰り返されたが、第2次世界大戦の空襲で破壊され、現在の建造物は戦後再建されたものだ。

中庭にて・当時は珍しかった2階建ての回廊

司教ベルンヴァルドは、芸術面で優れた才能を発揮したことでも知られるが、なかでも金属工芸には多大な情熱を注いだ。世界遺産に登録されている彼の代表作品2点は、この大聖堂に展示されている。

最初の作品は1015年作の「ベルンヴァルドの扉」。高さ4,7メートル、2つの扉の幅はそれぞれ1,2メートル、3.7トンのブロンズ製で、左の扉には旧約聖書の神に背いた罪、そして右の扉には新訳聖書のキリストによる救いが表現されている。

ベルンヴァルドの扉

二つ目の作品は祭壇南側に立つキリストの生涯を描いた「キリストの円柱」だ。螺旋状のレリーフには下から上へキリストの生涯の24場面が見られる。

また11世紀中頃に地元で作られたといわれる直径6メートル以上もある堂内中央のシャンデリアは、中世の貴重な芸術品のひとつ。12の城門を持つ天井のエルサレムを象徴しており、早めに取り外し保管したため、戦火を逃れることができたそうだ。

戦火を逃れたシャンデリア

祭壇下のクリプタ(地下聖堂)は、最初に礼拝堂があった場所。かつて司教を務めたゴデハルトの黄金の聖遺物も安置されている。

また、堂内から入れる大聖堂物館では、11~18世紀の金銀製品や宝飾品を含む、豪華な宗教美術の数々が展示されているので時間があれば是非見学してほしい。

地下聖堂にて。窓の外にはバラの木が見える

樹齢1000年のバラに魅せられて

 

今回の旅先をヒルデスハイムに選んだ最大の目的は聖マリア大聖堂中庭にある樹齢1000年のバラ伝説に魅せられ、一目そのバラの花を見たいと思ったからだった。

大聖堂北側の入口を入ると、すぐ左に伝説のバラ見学ルートの標識があった。そこは3つの回廊に囲まれた後陣裏の中庭で、バラの木は後陣の半円筒の外壁を覆うように茂っている。

1000年のバラ入口標識

1000年のバラの伝説は、ルードヴィッヒ敬虔帝が9世紀初期、狩りからの帰り道で持参した礼拝用の聖遺物容器を忘れたことから始まるようだ。容器を探しに慌てて戻ったところ、バラのもとに見つけたものの、茂みに絡まって取り出すことができなかった。そしてこれはきっと神の啓示と理解した敬虔帝は、その場所に聖母マリアにささげる礼拝堂を建てたという。これが聖マリア大聖堂であり、また1000年のバラの所以だ。第二次世界大戦の空襲でこのバラの木も焼けてしまったが、根は無事に残り、今も訪れる客を魅了し続けている。

残念ながら、今回はバラの花を見ることはできなかった。実は事前に調べたところ、その開花時期はどこにも見当たらなかった。自宅の庭にはバラが満開していたので、見られるかなと期待していったのだが、無念。ガイドさんに聞くと「天候にもよりますが、バラの開花は5月下旬から6月初めの2週間ほどです。是非もう一度来てください」といわれた。ちょっとがっかりしたが、写真でピンク色の可憐なバラの花を見せてもらうと、今回の目的を達成した気分になった。

1000年のバラの花 © Hildesheim Marketing GmbH

世界遺産・聖ミヒャエリス教会

 

ベルンヴァルド司教は996年、ヒルデスハイム郊外にべネディクト会の修道院を設立し、大天使ミヒャエルに守護を託した。そして1010年、教会の基盤が築かれ、献堂されたのは1022年だった。この教会の名前「聖ミヒャエリス教会」は、大天使ミヒャエルからつけられたそうだ。

職人技術の傑作と注目を集めているこの教会は、何本もの円塔や角塔を有するバジリカ建築が美しい。旧市街に建つこの教会は、四角と優しい円を組み合わせた独特なシルエットが見事だ。

マクデレーネン庭園から眺める聖ミヒャエリス教会

この教会の最大の芸術作品は、13世紀前半に描かれた板張りの天井絵画。身廊の天井に張られた1300枚のオーク板には、無名の芸術家が描いたキリストの家系図が描かれており、ロマネスク時代の教会絵画を伝える類い稀な例として称賛されている。

聖ミヒャエリス教会はのちにプロテスタント教会となったものの、修道院はそのまま残り、修道士たちは祈りを捧げた。かつてのカトリックのままのクリプタには、現在も司教ベルンヴァルドの遺体が眠っている。

聖ミヒャエリス教会は、二つの宗派を持った教会であり、両派の信者が利用できる珍しい教会ということはあまり知られていない。この教会は、カトリックとプロテスタントが壁を挟んで2分されていたが、2006年にこの壁が取り払われた。ちなみに、二つの宗派を持つ教会はドイツ国内で60ほどあるという。

バラの街ヒルデスハイムの観光ルート・バラのルート標識


ヒルデスハイムの市内散策は、街のシンボル「バラ」を起用した「バラのルート」をたどると簡単だ。2つの世界遺産をはじめ、お勧めの観光スポット21選へ迷わずアクセスできるので、是非利用したい。

バラの街ヒルデスハイムの観光ルート・バラのルート標識


取材協力:
Tourismus Marketing Niedersachsen GmbH
Hildesheim Marketing GmbH


All Photos by Noriko Spitznagel(一部提供)

シュピッツナーゲル典子
ドイツ在住。国際ジャーナリスト連盟会員