アーティストの街というイメージが定着したブッシュウィックに嬉しい変化が起き始めたのは 4年ほど前からだ。小規模醸造・蒸留所が続々とオープンし、併設のタップルームでビール、アップルサイダー、ウィスキーなどを気軽に楽しめるようになった。そもそもここブッシュウィックは、古くからの工場地域。こうしたビジネスにはうってつけだ。

そんな中、「Kato Sake Works」がブッシュウィック初の酒蔵としてお目見えした。ニューヨーク州には現在、ブルックリン区サンセットパークの「BROOKLYN KURA」と「獺祭」で有名な日本の大手酒造メーカーが準備するアップステイトの施設、そして「Kato Sake Works」の3つの酒蔵あるが、日本人が小さな蔵で仕込む日本酒は、いま、ここにしかない。

オーナーで杜氏の加藤忍さんは、この街で酒を造ることでアメリカ人にもっと「SAKE」を知ってもらうだけでなく、自国の文化でありながらこれまであまり「酒」を飲んで来なかった日本人にも、もっと身近な存在として楽しんでほしいと願う。「まずは、肩ひじはらずに一杯!」と笑う加藤さん。お忙しい仕込みの合間を縫ってお話を伺った。

          加藤忍さん(中央)とKato Sake Worksのみなさん。タップルームにて

最初に加藤さんがアメリカに来た経緯を教えてください。

アメリカには2004年に来ました。地元が東京の高円寺で、普通に大学に行って就職して、ITバブルの時代だったので、毎日残業して夜中まで飲む!みたいな日本人的サラリーマンをしていました(笑) でも、そもそも就職したくなかったので5年経ったらどんなに環境が良くても辞めると決めていました。それで、ワシントンDC近いメリーランド州の大学にMBAを取りに来たんです。

メリーランドでの学生生活はいかがでしたか?

よく飲みました!ビールから入ってなかなかメシ食わない、みたいなアメリカの学生飲み(笑)卒業時はアメリカで就職先を探しましたが、厳しかったですよ。借金背負ってまでここに来たインド人や中国人留学生にはかなわなくて。でも運良くテネシー州ナッシュビルにある日産に就職が決まって、日本とは全く違って、終業時間でサクッと帰る生活を10年していました。

10年勤めるほど、今度のお仕事は面白かったんですね。

アメリカに来て一番に感じた「言っていることはたいしたことないのに英語で言い負かされる。英語さえできれば」ということが、日産というグローバル企業ならではというか、アメリカ人相手にマネージメントをして、いろんな国にも行かせてもらったお陰でクリアになったんです。外国人相手に振る舞うための箔がついたというか。

ニューヨークに来たのはいつですか?

3年前、日産を辞めて、日本酒造りをテネシーでやるかどうか迷っていたタイミングです。

          醸造や貯蔵用のタンク、搾り機などが並ぶこの小さな蔵は週に150本(750ml)ほど酒を造る

サラリーマンをしながらテネシーで日本酒を造っていたのですか?

はい、自宅のキッチンで!
いつも引っかかっていたんです。ホームパーティで、お好み焼きやおでんを作っても、合わせる酒がないことに。学生時代に飲んだ安酒を出すのは気が引けるし、だからといってテネシーでまともな酒を買うと日本の3倍もする。だから、結局、地元のワインやクラフトビールを出していたんです。
こんなこともよくありません? アメリカでお寿司屋さんに行って日本酒のメニューを見ると、異常に高い銘柄が並んでいて、よ〜く見るとたったの180 mlだったりすること(笑)仕方なくシャルドネを頼んで、「寿司屋で何をしているんだ?」って。適正価格じゃないんです。そんなことがずっと続いていたので、だったら、もう自分で造ろうと。

出来栄えは?

小さなタンクと冷蔵庫をとお米を買い揃えて、初搾りの日に友達を招いて、みんなで飲んだんです。それが意外と旨かった!
「手作りしたもの」って美味しいじゃないですか。きっと、そういう旨さだったんです。それで、気を良くしてもう一回、もう一回と繰り返しているうちにアメリカ人の友達が言うんですよ、「いままで飲んでいた日本酒は消毒液のような臭いがして、二日酔いもひどかった。でも、あなたのお陰で美味しい日本酒があることを知った。ついては家族とのディナー用に1本買いたい」と。

それは嬉しいですね。

ええ、「いい話だ」と思いました。が、売るわけにはいかないし、量もない。ただ、こういうことが何回か続いて、本格的にビジネスにするならどうすればいい?と考えるようになったんです。それが日産を辞めるタイミングでもあって。

          醸造タンクの中。「発酵が活発な時に出ていた泡が引き始め、落ち着いてきたので、来週にでも搾ろうかな」と加藤さん

それがなぜここに繋がるのですか?

仕込みながら気づいたのは、ある程度大きな規模でやらないと結局、異常に高い酒になってしまうと。そもそも日本人は日本酒にそんなに高いお金を払わないですし。だから、肩ひじはった酒は造りたくない。
でもナッシュビルは日本食レストランが30軒くらいと市場が小さい。
それで、ビジネスとして規模を維持できる場所を探した結果がブルックリンだったんです。ナッシュビルって地元愛が強い街なので、ローカル色が強いところがいいなとも思っていました。

実際ブルックリンに来てどうですか?

引っ越すにあたり、いろんなエリアを見て回ったんですが、ブッシュウィックのモーガン・アベニュー駅を降りて一目惚れ!この辺のインダストリアルでアーティスティックな雰囲気も好きだし、マートル・アベニュー周辺の商店街は高円寺に似ている。しかも、運良くこのスペースも見つかった。だから、最近はブルックリンというよりブッシュウィックのローカル愛を感じてますね。僕らを見つけて、「面白そうなことしているね、手伝えることあったら言ってよ」みたいな地元のサポートが非常に多いので。

          醪(もろみ)の成分検査に使うフラスコや麹の発育具合などを見る顕微鏡は、蔵の奥の「ラボ」にある

加藤さんは、麹おたく、なんですよね。

ハマったのは、やっぱり酒を造り始めてからです。味噌も醤油も造りますよ。味噌は全部食べられますけど、醤油はそこから絞るので量も思ったほど取れなくて大変ですけど(笑)意外と柚子胡椒、新潟の妙高のかんずりにも麹が入っていたりしますよね。こういうエコシステムというか、お酒だけではなく、そこから繋がる発酵食品に興味を持ってくれるお客さんもいるんです。

そもそも日本酒の麹はどうやって造るのですか?

お米に麹菌という粉のようなものをふりかけるんですが、要はカビなので温かくてジメジメしていると自然に生えてきます。そのまま増やすことも出来ますが、やり過ぎると突然変異で毒素を出すので、いま僕は新しい菌、胞子を使っています。

ブッシュウィックでの酒造り。ご苦労などありますか?

実は、まだ自分が飲む酒ができていないんですよ。
僕なりに思い入れがあるのは、それこそ日本のサラリーマン時代に飲んだ「黒龍 しずく」。でも、ここで造る酒はもっとアメリカ人好みというか、こちらで通用するものです。
だって、食べるものが違うじゃないですか。例えば、黒龍は平目の刺身とかに合うんですが、アメリカ人は、ほとんどそんなもの食べませんよ。やっぱりピザやタコに合わないと日常使いにならない。だから、白ワインに近いです。酸味が少し強めで、どっしりして。 

         パインウッド製の床(とこ)がある麹室(こうじむろ)

日本人として、この街で日本酒を造ることについてはどう思いますか?

僕としては、例えば高円寺に帰って飲むなら、もう学生ではないので少し気の利いたお店で美味しいご飯を食べながら、5種類くらいのいいセレクションの酒をちょこちょこ楽しみたい。でも、お会計でそんなにビックリすることもない、と。アメリカ人は学生時代の安ビールから始まって質より量でガンガン行くけど、社会に出て収入を得るようになると醸造所でクラフトビールを飲む。でも、別にビールおたくでも発酵に興味があるわけでもない。要はカジュアルに美味しく飲みたいだけなんですよ。なぜそれが日本酒でできないのかと。

なぜですか?

アメリカでの日本酒のマーケットについては「まだ成長し切ってない」とか、「専念してない」とか言われますが、僕はただただ飲み足らないんじゃないかと思うんです。自分だって質より量で、「この酒好き、これ、嫌い」と分かったワケで。だから、いまの10倍飲めばわかってもらえるんじゃないかって。
そのためにも、もっとカジュアルに飲んでもらえる場所を作りたいんです。個人的には近くのクラフトビール醸造所「KCBC」くらい敷居の低い感じで。

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加藤さんと出会って一番に思ったのは、日本人なのだからもっと日本酒を飲もうということでした。

いま、うちでは純米、にごり、生を造っていますが、肩ひじはらず、奇もてらってないので、名前もそのまま「Junmai」、「Nigori」「Nama」。
だから、日本酒を飲まない人にも、知らない人にも「これがJunmai、これはNamaですよ」と言いながら出すとだんだんその違いを分かってくれるんです。

どんなお酒ですか?

Junmaiは標準的でお米の特徴がそのまま伝わる飾り気のないお酒です。技術的には純米吟醸で、アメリカのどんな料理にも合います。Nigoriはまろやかな甘味が加わっているのでハーブの利いた料理や辛いもの、お肉にもいけます。
この2つは保存のための火入れをするので味の範囲が狭まるというか、落ち着いてくるのですが、Namaだと「口の中で爆発!」みたいな感じになるので、ファンキーな料理、ラム肉とかゴルゴンゾーラを使ったうるさい料理に合いますよ。

販売許可が下りるまで1年近くかかったんですよね。

そう、長かったんですよ(笑)だから、なんだかんだとここのセッティングに時間をかけていました。発酵タンクや絞り機をスペースにあわせて特注したり、タップルームのカウンターを近所の彫刻家に手作りしてもらったり。「材料費払ってくれたら、作るよ」みたいなノリで(笑)神棚も友達が作ったんですが、「何で作ったの?」って聞いたら「道に落ちていたもので」って(笑)

ブッシュウィックらしいお節介も楽しめていますか?

楽しいですねえ。だから、1日も早く飲ませてあげたいんです、みんなに。それを待っていろいろやってくれているわけですし。いま新型コロナウイルスの影響でタップルームのオープンがかなり遅れていて、このままじゃ、やるやる詐欺になっちゃいます(笑)

本当に、早くみんなで飲める日を迎えたいですね。

販売はオンラインオーダーや州内への配達など、細々ですが、始めました。お酒も引き続き仕込んでいますよ。そして、晴れてタップルームが開いたら一杯8ドルくらいにして、まだ試作段階ですが、飲める味醂と生酛もそのうち出そうと思ってるんです。半分、ドキドキですけどね(笑)あ、よかったら一杯、試していきませんか?

         加藤さんがデザインしたKato Sake Worksのロゴが目印


Kato Sake Works
5 Central Ave, Space B, Brooklyn, NY 11206
@katosakeworks
*営業時間については現在未定のため直接お店にお問い合わせください


林菜穂子(はやしなほこ)

東京出身。ニューヨークでライター、フォトエディター、撮影コーディネイター、広告制作などに携わる。1997年、独立。現在はブルックリンのブッシュウィックを拠点に、アート関連の活動にも取り組んでいる。
Instagram: @14cube