秘密警察として使われた邸宅でブランチを

緑深い庭の奥には、古いながらも趣のある邸宅が静かに建っていた。ちょうど日本なら梅雨の季節。ルーマニアの首都ブカレストはからりと晴れて、初夏の若々しい力強さを感じさせる太陽の光がはっきりとした影を作りながら、まるで街中を日光消毒するかのように照らしていた。

その庭には10ほどのテーブルとそれを囲む椅子があり、木漏れ日はなんとなく全体を薄い緑色に染めている。休日の朝10時。いくつかのテーブルには、ブランチをとりながら会話を楽しむ人たちがいる。

ここはルーマニアで1989年まで四半世紀にわたって続いた独裁国家時代に組織されていた「セキュリティ」、秘密警察の拠点の一つだったという。一目見ただけでは高級な住宅の建物としか見えない。今では心が落ち着く空気に包まれたカフェになっていて、その内部はラスティックな雰囲気の落ち着いたスペース。セキュリティだったのだと、言われなければわからない。

ルーマニアで作られた生ハムとサラミ、ガーキンのピクルスにチーズを庭のテーブルで食べた。ローマ帝国、オスマントルコによる統治の時代を経て、地中海、中東の食文化が流れ込み根付いたルーマニアの軽い食事だ。ビールも旨い。一緒に2018年に創業した地元のクラフトビールZAGANUを飲んだ。国際的な大企業のビール、例えばCarlsbergやSkoleが多いのだが、最近は地ビールも人気があり、クラフトビールバーも増えているそうだ。

ルーマニアは四季がはっきりしていて、日本の梅雨のような時期はなく、春から秋にかけては気温も高く過ごしやすい。冬は積雪もあって冷え込む。黒海にはビーチリゾートもあり、北のカルバディア山脈にはスキーリゾートが点在する。

Dianei 4 

共産主義時代から続くマーケットでBBQ

トラムに乗って5分ほど、共産主義時代の集合住宅が並ぶOborにある市場に出かけた。日用品を売る建物に入ると、そこはバスケットコートなら2面は取れるような体育館ほどの大きさで、様々な商品が並んでいる。写真を撮っていると、突然警備員に囲まれた。ここでは写真を撮るな、撮ったものは今ここで消去しろと詰められた。彼らにそんな権限が与えられているかどうかを確認する方法もなく、またガイドは「こんなことは初めてだが言うことは聞いておいたほうがいい」と言う。

生鮮食品の市場は、はまた別の同じような規模の建物の中にある。色鮮やかな野菜や果物が並んでいた。チーズと加工肉も多い。パプリカとスプリングオニオン、サクランボを買って、併設されているパラソルを並べたバーベキューを楽しめる屋台のベンチに腰を落ち着けた。ここでは焼き立てのMiteteiを食べることができる。

Miteteiは、牛肉、豚肉、羊肉など複数の種類の肉をひき肉にして棒状に成形したもので、それを炭火で焼く。マスタードクリームのソースをつけて食べる。香ばしい香りと旨味がたっぷりの肉汁が口いっぱいに広がって、ビールによく合う。使っている肉の種類は異なるが、トルコで食べたKofteに似ている。(イスラム圏のトルコでは豚肉は食べない。)

Obor Market

内臓肉の酸っぱいスープが力をくれる

翌日、古くからあるCaru’ cu bere というレストランへ行った。この店では18時までランチのセットがあり、スープかサラダの前菜、メインと付け合わせ、デザートを選んで、さらにサイズを大か小で選ぶ。価格は大で700円、小で620円ほどとリーズナブルだ。店員にルーマニアらしいものを選んでもらった。なにしろメニューがルーマニア語なので判別できない。

前菜ならCiorbă acră de potroace というスープがいいという。後に調べてみると、この名前はズバリ「鶏の臓物の酸っぱいスープ」。トマトベースのスープの中に、鶏の内臓肉(肝臓や砂肝など)と、ニンジン、セロリと言った野菜、それに発酵したキャベツも入っている。この発酵キャベツの酸味がいい。ドイツのザワークラウトと似ているが、ルーマニアではキャベツは切らずに丸ごと漬ける。

メインに選んでくれたのはMitetei。やはりこれは定番中の定番らしい。リゾットを付け合わせに盛られた皿にMiteteiが2本。前日に食べた市場のものと比べれば洗練されているのだろうが、ワイルドさで言えば肉の旨味がよくわかる市場のものが数段上を行く。デザートにはTortul Caseiというレイヤーになったチョコレートケーキを選んでくれた。これは一般家庭でよく作られるものだそうだ。

Caru’ cu bere

ブダペスト市内に数件の店を持つ、La Mamaというレストランはカジュアルなルーマニア料理の店で人気がある。Ciorbă de Burtă というスープをいただいた。直訳すれば「腹のスープ」。牛の胃袋、ハチの巣(トライプ)を使った白いスープで、これにはサワークリームが使われていてやはり酸っぱい。トライプはチュルっとした口当たりだが、噛んでみればサクッとした歯触りが残る。このスープ、二日酔いを予防する効果があるそうで、これを食べながら飲めばいいそうだ。

La Mama

ルーマニアではむやみに微笑まないらしい

ガイドが教えてくれたのだが、ルーマニア人は相手が他人であってもじっと見つめることが普通だそうだ。また、目があったとしても微笑み合うことはなく、たとえば外国人が、目があったからと言って微笑んだりするのは、「どうも頭が弱いのではないか」と感じられることがあるという。あいさつや会話の中ではもちろん微笑むことはあるので、「むやみに意味なく微笑まない」という文化のようだ。とは言え、街で出会った人たちは、一見かなりシリアスな表情なのだが、一言声をかければ人懐っこい笑顔を見せてくれる。

さて、街の中心には、独裁時代に共産党書記長だったニコラエ・チャウシェスクの宮殿として建設された「国民の館」がその巨大な姿を横たえている。ペンタゴンに次ぐ、世界で2番目に大きい建造物には3000を超える部屋があるが、その全ては管理しつくせていないという。街を望むテラスで、チャウシェスクは演説することはかなわなかった。テレビでライブ中継されたように、この館の完成を待たず1989年のルーマニア革命で処刑されたからだ。

10年前までは荒れていたという旧市街には、カフェやショップがオープンし始めている。街中の建物にはグラフィティとは言えないクォリティの落書きが目立つ。なにかがまだ途中なのだ。これからどう変わっていくのか、ルーマニアにはそんな面白さがある。


All Photos by Atsushi Ishiguro

石黒アツシ

20代でレコード会社で音楽制作を担当した後、渡英して写真・ビジネス・知的財産権を学ぶ。帰国後は著作権管理、音楽制作、ゲーム機のローンチ、動画配信サービス・音楽配信サービスなどエンターテイメント事業のスタートアップ等に携わる。現在は、「フード」をエンターテイメントととらえて、旅・写真・ごはんを切り口に活動する旅するフードフォトグラファー。「おいしいものをおいしく伝えたい」をテーマに、世界のおいしいものを食べ歩き、写真におさめて、日本で再現したものを、みんなと一緒に食べることがライフワーク。
HP:http://ganimaly.com/